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●第一幕 第一節

 ナラカと化したプラントに進入できるのは、上空からも確認できる大穴だけだ。下層探索の連隊が先に降りてゆき、上層探索の連隊が続く。
 入口から続くこの深い穴は、元々プラントのエレベータシャフトだったという。一種の吹き抜けのようになっており、慎重に伝っていくことで、上層、下層のいずれかに直接降りることができるのだ。
 下層探索隊の主な使命は、ナラカ化の原因を調査し、これを破壊することにある。
 一方で上層探索隊の使命は、取り残されているであろう生存者の発見と保護、そして救出にあった。健勝とレジーナもこちらに所属している。

 随員の約半数が、パワードスーツを装備していた。このスーツがなければ、絶えずナラカが吐き出す圧倒的な負のエネルギーに精神と肉体を害され、自由行動をとることが不可能となるのだ。スーツはいわば、耐熱服や潜水服のような効果を有すといえよう。
 無論、パワードスーツはただの潜水服ではない。教導団が開発した特殊兵装であり、扱いに熟達した者であれば、生身に数倍する剛力を得て自在に動くことができる。しかし不慣れであればそうもいかない。後者であればスーツに慣れながらの進軍となるはずである。
 スーツを着用する以外にもナラカで行動する方法はあった。それはナナ・ノルデン(なな・のるでん)のようにデスプルーフリングを装備するという手段だ。スーツを着ていない随員は、残らずこの方法を選択していた。
「……っ」
 指に通すと、指輪のほうが肌に吸い付くようにして、ぴったりと固定された。
 ナナはデスプルーフリングをはめるときの感覚があまり好きではない。
 デスプルーフリングは正体不明の金属からできており、緻密で悪魔的な装丁が施されていた。その禍々しさは見た目にとどまらない。身につけた瞬間の感覚にも、ひやりとさせるものがある。感じ方は個人差があるらしいが、敏感なナナは指を通すたび、心臓を冷たい手で触られたような気になるのだった。
「気持ちのいいものじゃないよね、これ」
 ナナの心を見通したかのように、ズィーベン・ズューデン(ずぃーべん・ずゅーでん)が苦笑した。ズィーベンが上げた右手の指にも、同じリングが光っている。
「でも、これがあるからこそ、慣れないパワードスーツを着ることなく行動できるわけですし……」
 仕方ない、というようなナナの口調である。『Death Proof(耐死)』の名の通り、この指輪は死に対する抵抗力を高める効果があるのだ。とりわけナラカの力への高い耐性を有しており、指輪を外さない限り、他に特殊な装備がなくとも通常世界と変わらぬ行動をとることができる。
「さて、気を取り直して行くとしようか。生存者はきっと待ちわびているはずだよ」
 ズィーベンは箒に光を灯した。これを松明がわりに掲げ、垂直に降りた穴から、かけられたロープを取って進んでいく。上層の着地地点に飛び降りた。
「気をつけていきましょう」
 ナナ・ノルデン、推して参ります――そう心中で宣言し、ナナもナラカへと降り立つのである。
 そんな二人にいくらか遅れて、
「おーいっ! おいっ! 二人ともさっさと行くんじゃねぇ!」
 がっしゅがっしゅとぎこちなく、ロボットのような動きでルース・リー(るーす・りー)が追ってきた。転げ込むようにしてナラカの地を踏む。
「思った以上に動きにくいぞこれっ! っていうか、なんで俺のリングだけねぇんだよ!」
 ルースのモヒカンヘアが、パワードスーツのヘルメット内でひしゃげていた。ナナのパートナーたるルースは、今日もいささか強引に二人についてきたのだが、ナナが有するデスプルーフリングはわずかに二つ、仕方なく彼はスーツを教導団から借用しているのである。
「うるさいなぁ、最初、スーツを見て『格好いいじゃねぇか』なんて言って喜んでいたのは自分じゃないか」
 ズィーベンは呆れ気味だ。
「お、おう、確かに格好いいけどな、このスーパーアーマー……」
「スーパーアーマー? 違う違う、『パワードスーツ』だよ『パワードスーツ』っ!」
「だったっけか?」
 きまり悪そうに、自身の後頭部をポンポン叩くルース・リーであったが、このあたりで彼特有の『ちょっとした不都合は即座に忘れる』という豪快ポジティブ思考が働いてきたようだ。声色を変えるや、
「まあ、スーパーでもスペリオールでもパワードでもいいとしようぜ、な? 今日は二人とも、重装備の俺が守ってやるから大船に乗った気でいるといいぜ!」
 カッ、と、ノコギリ状に鋭い牙が並ぶ大きな口を開けはなったのである。あとは呵々大笑だ。がはははは。
 なにが大船だか、狸の泥船より始末が悪いや、という言葉が口を飛び出しかけたズィーベンではあるものの、口論している場合ではないし時間も惜しいので、ここは一つ、おだてて先行させることにする。
「おお、かっこいいかっこいい。これなら馬鹿竜でもパラミタ一周も夢じゃないね〜!」
 ちゃっかり『馬鹿』呼ばわりしているし明らかに皮肉混じりだが、ルースは愚直に喜んで、
「へっへっへ、そうこなくっちゃ、俺がスーパーアーマーで、この辛気臭ぇ場所を吹っ飛ばしてやるぜ!」
 ついて来な! などと声ばかり勇ましく、やっぱりがっちゃがっちゃと先頭を征く。
「……あの、また『スーパーアーマー』って言ってますけど……」
 彼の盛り上がりに水を差さぬよう、ナナは小声でズィーベンに告げるも、
「いいのいいの、馬鹿竜とハサミは使いよう、ってね。あれだけ音立てて歩き回ってくれたらイイ囮になるじゃない」
 と、白い歯を見せてズィーベンは笑うのだった。

「はうぅ、アーデルハイトさま、全然ちがっているのですぅ」
 土方 伊織(ひじかた・いおり)は頭を抱えたい気分だった。伊織は事前に、工房の見取り図をアーデルハイト・ワルプルギスから入手しておいた。ワガママなアーデルハイトからの情報入手は実に大変で、あれこれ要望され様々な用事を申しつけられ、へとへとになってようやく得ることができたのだ。しかし、その苦労はあっという間に水の泡だ。
 すなわち、ナラカ化による工房内部の変容があまりに激しかったということである。
 入口付近の構造こそ、まだまともな様相を呈してはいるものの、二十メートルも進めばもうそこは、元の地図とは似ても似つかない。飴のようにぐにゃぐにゃと湾曲した通路、ドアを開けてもまたドアでその次もドアといった無意味な仕掛け、一メートル四方しかない『研究室』などといった奇妙にもほどがありすぎな光景ばかりで、天井に机が打ち付けられていたり、大きな目のような気味悪い落書きだらけの部屋があったり……とすべてが昏迷の極みに達している。
 今も伊織たちは、地中の泥のような光景を見せるばかりの『窓』が延々とならぶ通路を歩んでいるのだった。
「内部情報があれば、ある程度絞って探索できるはずー、と思っていたのですけどー」
「まあ、こうなったのはお嬢様のせいではありません。こうなれば、教導団も私どもも楽ではないのは同じ……お嬢様はお気を落とさず、人助けに邁進されるのが宜しいかと思いますわ」
 サー ベディヴィエール(さー・べでぃう゛ぃえーる)はそう言って伊織を慰めていたのだが、
「!」
 予告もなく言葉を切って、白い槍を半月状に舞わし中段にぴたりと構えた。
 やはり使い慣れた武器はいい。ベディヴィエールにとってこの槍は手足の延長に近い。彼ら一行もデスプルーフリングの力によって、通常の装備で行動しているのだ。
「はわわ、も、もしかして……お化け?」
 腰が引けそうになる伊織だが、ベディヴィエールも、サティナ・ウインドリィ(さてぃな・ういんどりぃ)も、風一つない湖の表面のように落ち着き払っていた。
「ふむ、伊織よ、覚悟はしておくといい。じゃが」
 と続けながらサティナは、目も眩む雷光を前方に放射したのである。
「いくら地獄(ナラカ)であろうと『お化け』はいないと思うのだがのう」
 雷は豪雨時の急流の如く、変質した窓の一つを目がけて飛び、そこから飛び出した液体を包み込んで弾き飛ばした。
「はわわー、く、黒い水? く、くるなーですぅー」
 両手両脚はじたばた、目は渦巻きのようにぐるぐる、そんな、絵に描いたような『あたふた』ぶりを発揮しつつ、伊織はサンダーブラストを放つ。やはり狙いは、同じ窓から噴き出すものだ。
 窓ガラスを突き破り、どす黒い液体が噴き出してきたのだ。いや、それは液体ではない。いわゆるスライム、ゲル状の不定形生物であった。生物はベディヴィエールに躍りかかるも槍を受け、刺し貫かれて活動を停止した。
 しかしスライムは一匹ではなかった。仔牛ほどのほどの大きさの同族が、ならぶ窓を次々とぶち破って一行に襲いかかってくる。
「お嬢様、私たちがいますから」
「安心するのじゃ。伊織には指一本触れさせやせぬ」
 スライムに『指』はないと思うのですぅ――と一瞬思った伊織であるが、頼もしい二人の声に、そんな野暮も恐慌もたちまち忘れた。