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リアクション
●ACT3
朝から、空は鼠色だった。
二日も駅のガード下で眠ったものだから、さすがの崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)も肩や腰に軽い痛みを覚えていた。なお二晩とも、いわゆる浮浪者とて亜璃珠には近づこうとしなかったという。彼らが本能的に身の危険を感じるようなオーラを、彼女は常に発散していたのかもしれない。
本日――歴史通りにいくのであれば、新宿の新竜組と渋谷の石原一派との激突が起こるという。しかも数カ所で激突がほぼ同時発生するというのだ。
「まったく……」彼女は嘆息した。
それなのに、今日まで亜璃珠は情報らしい情報を握ることもできなかった。チヨに近づくことすら果たせていない。なんとか手に入ったのは、新宿界隈で『白ドクロ』なる怪人がヤクザ相手に暴れているという噂だけだ。ほとんど無意味である。
亜璃珠の生まれも、この不振の理由になるかもしれない。75年前といえば、ちょうど彼女にとって崩城家は曾祖父・祖母の代となる。いずれ解体されるとはいえ、まだ財閥が残っていた時代だ。亜璃珠はわざわざ粗衣を選ばず、平素と変わらぬゴージャスないでたちで新宿闇市に乗り込んだがそれも拙かった。良い服、しかも夏なのに毛皮のコートなんか着て、しかも崩城財閥の一族と思わしき顔立ち、ということで、怖がってなかなか人が寄りつかないのだ。戦時中、財閥は権力と結んでかなりあくどいことをやっていたという、そのせいだろうか。悪い意味で名声が役立っているようだ。有名人、いや、有名一族の者も楽ではない。
しかし亜璃珠はめげない。
大人はだめでも、子どもは……ね。
ほら集まってきた。
「チョコレート! チョコレート!」
どこからともかく、毛皮のコートの綺麗なお姉さんを求めて、子どもたちが集まってくる。チョコレートだけはうんと用意してきたのだ。たとえ相手が雑巾のようなボロをまとった子どもであっても、亜璃珠は決して態度を変えることはしない。わけへだてなくお菓子を配る。
「ねえ、昨日頼んだこと覚えてる?」
子どもの一人に彼女は問いかける。
「渋谷のこと、知ってる子を連れきて、って話?」
「そう」
「連れてきたよ。あたしのいとこ!」
前歯が欠け、薄汚れたオーバーオールを着た子が、同じく薄汚れたおかっぱ頭の少女を連れてきた。「ほら、あのお姉さんに知ってること話したら、チョコもらえるよ」
しかしおかっぱの子は、嫌々連れてこられた風だった。
「……話したくない」
「どうして?」
亜璃珠は怪訝な顔をした。
「だって……石原さんのこと、困らせることになっちゃう」
「ああそれなら大丈夫、お姉さんはね、石原さんのお友達よ」
「ほんとう?」
「本当よ」――まあ、この時代の石原肥満には会ったこともないけど。
やっとその子が話した情報から、判明したことがあった。
エリザベート(この時代では『エツコ』と名乗っている)は肥満のもとで保護されていたが、チヨが誘拐されたという噂を聞いて、チヨを救うため単身、そっと新宿に乗り込んだのだという。
「……なるほど」
亜璃珠は空を見上げた。夏なのに肌寒い。また雨でも降るのだろうか。