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リアクション
3.
夕刻。タシガン市街地のとある店は、酒を楽しむ人々の雑多なざわめきに満ちていた。
ウゲンによる刷り込み的な思考コントロールから解放された市民たちは、アーダルヴェルトほどではないにせよ、一時は虚無感に襲われたようだった。しかし、今ではそれが反対のエネルギーとなって、こういった店では享楽的なばか騒ぎが見受けられるようになっている。
簡単にいえば、『開き直り』というやつだ。
この先どうなろうと、自分たちには関係がない、そんな風にも見える。
……その騒ぎから離れた店の隅に、美しいながら毒を感じさせる女と、その連れの黒髪をオールバックにした長身の男がいた。ファトラ・シャクティモーネ(ふぁとら・しゃくてぃもーね)と、白鋭 切人(はくえい・きりひと)である。
「遅くなった」
大股に近寄ってきた男がファトラに声をかけ、丸いテーブルを囲んで席につく。後をついてきた浴衣姿の女性もまた、それに倣った。
「そちらはどう?」
ファトラはテーブルに頬杖をついたまま、ちらりと男に流し目を送る。男……鬼籍沢 鏨(きせきざわ・たがね)は、どっかりと足を組み、首を横に振った。後鬼宮 火車(ごきみや・かしゃ)が、テーブルの酒をグラスに注ぐ。
鏨たちの目的は、新エネルギーの研究施設をタシガンに敷設することにあった。レモがどの程度使えるかわからない以上、もし儀式が成功したとしても、実用化にはまだ時間がかかるだろう。その研究までも、すべて薔薇学が仕切るというのも無理がある。独占に対し邪推が生じ、いらぬ誹りを受ける可能性もあるのだ。他の学校と協力し、新たな『組織』または『委員会』のようなものが、今後を担うべきだろう。
……もちろんそのほうが、つけいる隙も増えるということも、否定はしないが。
「蒼学の校長なら、食いつくと思ったんだがな」
「なんだって?」
切人がグラスを手に尋ねる。
「将来的には協力も考えているが、現段階では薔薇の学舎に任せる、だと」
御神楽環菜(みかぐら・かんな)にも鏨は打診をしたのだが、思いの外反応は鈍いものだった。ナラカとの関係をちらつかせれば、もっと食いついてくるかとも思ったのだが、今はそこに手を回す余裕がない、というこのようだった。
「ただ、いずれにせよ、そういった施設は必要なはずなんだ。そこにどうやってもぐりこむか、だな」
鏨はそう結ぶと、しかし楽しげに口元を歪めた。
「あなた方のほうはいかがでしたの?」
火車の言葉に、ファトラは高くゆいあげた髪に気怠げに手をやった。
「レモをアーダルヴェルト卿とひきあわせるまではうまくいったわ」
門番に立っていた深虎は、ファトラと鬼籍沢を警戒しており、ファトラは屋敷に立ち入ることができなかった。もちろん、適当に裏の手を使ってもよかったのだが、大人しくその場はひくことにしたのだ。何故なら。
「ザウザリアスが同席できたから、なにがあったかはわかっているのよ」
密かにザウザリアスは彼らと通じていた。すでに報告も受けている。
「ただ、アーダルヴェルト卿は、レモには反応をしなかったようね。……何度かアーダルヴェルト卿とは話したけれども、あれはもう抜け殻でしかないわ」
ファトラは冷淡にそう口にする。案外使えないカードだった、そう言いたげに。
「レモをなんとか、こちらに引き寄せる必要があるか……」
切人が呟き、一同はそっと目配せをしあった。
教導団の見回りが来る気配だ。そろそろここは引き上げたほうが良いだろう。
四人はバラバラに店を出ると、それぞれタシガンの闇に消えていく。
彼らの計画や、その会話を知る者は、他に誰もいないままに。
ただ。
「…………あの男」
市内の見回りをしていた世 羅儀(せい・らぎ)は、鬼籍沢 鏨(きせきざわ・たがね)の後ろ姿をちらと見かけたが、霧と闇の中に紛れ、追うことはかなわなかった。
夜も更けた頃、タシガンの屋敷では、眠りについたアーダルヴェルトを見下ろす黒崎 天音(くろさき・あまね)の姿があった。
必要とあらばアーダルヴェルトの信頼を得るために身体を使うことも躊躇いはなかったが、アーダルヴェルトにその力はもはやない。ただ、逗留の礼も兼ねて、こうして看護をすることはあった。
ひとまず容態が安定していることを確認すると、天音はそっと寝室を出る。
……そろそろ、潮時だろう。
この屋敷にいたおかげで、それなりに情報を集めることはできた。そして、次の手はすでに考えている。
「アーダルヴェルト卿は、休まれたのか?」
廊下に出たところで、黒崎以上に、実質的な看護を勤めるブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が、そう尋ねてきた。
「ああ」
「……そうか」
ブルーズが黒いたてがみをわずかに揺らした。アーダルヴェルトはもう長くはないだろう、それを彼もわかっていた。
「部屋に戻るよ。色々と、やりたいことがあるからね」
天音はそう言うと、踵を返す。しかし、数歩でブルーズに振り返ると、問いかけた。
「何をするかは、きかないんだね」
「そういう顔をしている時、止めるような不粋をしていてはパートナーとはいえまい」
「なるほど。その通りだね」
頷き、天音はいつものように微笑んだのだった。
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