リアクション
● はぐれ魔導書 『不滅の雷』(はぐれまどうしょ・ふめつのいかずち)はアムドゥスキアスの謁見の間にいた。 魔道書とは言っても、呼称はカグラと呼ばれる。元は関西弁で無邪気な魔道書だったが、今はすっかりその成りは潜め、妖艶な美女へと変貌していた。どこかバルバトスにも似た雰囲気がある、と、アムドゥスキアスは漠然とながらそんなことを思った。 と―― 「故郷を想う囚われの姫の歌や舞は必ずや観衆の心を惹くでしょう。そしてそれは『善良』な地上の人間には不可能な芸術…………モモ様とサクラ様はいかがです?」 カグラは唇を歪めて笑みを作ると、謁見の間にいる三人に尋ねた。 ナベリウス三人娘は、今は二人娘だった。ナナは最近、エンヘドゥと一緒に遊んでいることが多く、どうやら捕まらなかったらしい。 モモとサクラはきょとんとして首をかしげた。 「ゼンリョウってなーに?」 「フカノウってなーに?」 「…………」 なるほど、難しい言葉は苦手なようだ。 代わりにアムドゥスキアスに視線を送ると、彼はうーんと唸ってから答えた。 「どうかなー? ボクはあんまり不可能とか可能とかって考えたくないんだよね。やりたいかやりたくないかだけなんだー」 「と、言いますと?」 「だって不可能って言われちゃったらそれで終わりなんでしょ? つまらないじゃない」 実に単純な理由だった。 カグラは、この男の頭は本当に子どもなんじゃないかと、一抹の不安を覚えた。だが、他にも聞きたいことはある。いまはそれは置いておくとした。 「では……別の話になりますけれども」 「うん、なーに?」 「芸術大会の結果によっては、アムトーシスと南カナンの友好関係はどう変化するとお考えですか?」 「…………」 一瞬だが、ピクリとアムドゥスキアスの眉が動いたのをカグラは見逃さなかった。モモとサクラはやはりきょとんとした顔で首をかしげている。 「いえ……不躾な質問でしたわ。何卒ご容赦くださいませ」 「ううん、良いんだよ」 アムドゥスキアスは人懐こい笑みをニコッと浮かべた。 今となってはそれも、カグラの目には道化の仮面にしか映らなかった。 「では、これで……」 立ち上がったカグラは、退室しようと扉まで下がっていった。と、扉に手をかけようとしたそのとき、彼女は振り返った。 「最後に……もうひとつだけよろしいでしょうか?」 「なーにー?」 「魔族が奪った魂は、魂の主の意識を保ったまま永遠を生きられるのでしょうか?」 質問の際にカグラは目を伏せていたが、ふとあげると、ぞくりと底冷えする冷たさを感じた。アムドゥスキアスは優しげに微笑しているが、その目の奥にあるのは、まるで蛇が獲物を睨むような光だったからだ。 「……さあ、どうかな? 肉体的な寿命は、あるんじゃないかな。どうして、そんなことを聞くの?」 「……他意はありませんわ。個人的に気になっただけで」 カグラは震えを隠すように笑みを拵えて言った。 では、と告げて彼女が謁見の間から出て行くと、アムドゥスキアスはため息をついて、椅子の肘かけに肘をついた。その顔に差したのは、昏い陰だった。 ● 「ふわー…………」 惚けたように大口を開けながら頭上を見上げていた由乃 カノコ(ゆの・かのこ)は、街のお祭り騒ぎに感心しているところだった。なんでも芸術大会なるものがあるらしい。前日の夜である今夜は特に、出し物の準備に街中がせわしなく動いていた。 「すっごい、すっごいなぁ、おっちゃん!」 「はいはい。その言葉、今日だけで一五回目だぜお嬢ちゃん」 ギィコ、ギィコ、とゴンドラを漕ぐ主人は呆れたように言う。 「だってほんますごいんやもん! 夜も綺麗なイルミネーションやでぇ……」 「イルミネーション?」 「ああ……いや、なんでもない。こっちの話や」 発光体が瞬く様子を言い表したが主人には通用しなかったようで、苦笑しながらカノコは手を振った。主人は訝しげに首をかしげたが、すぐに気にしなくなったようで再び舟を漕ぐことに専念した。 (こんな夜は…………熱狂のヘッドセットに限りますなぁ!) 何を思ったかそんな結論に達して――カノコは愛用のヘッドセットをスチャッと装着した。 「イエーイ! 盛り上がってるかいベイベェ! 本日は芸術大会イズ前夜祭パーティナウ! 魔族も人も関係ねぇ! 一緒にスパーキングしちまおうぜ!」 「だあああぁぁっ! うるさいわ!」 「あだぁッ!?」 無駄に熱血に叫び倒したカノコの頭を、ゴンドラの主人は思わずひっ叩いた。スパン! と小気味の良い音を立てて倒れ込んだカノコ頭から、ついでにヘッドセットが外れる。 「もう〜……いったいわぁ、おっちゃん〜」 「やかましい。俺のゴンドラの上では静かにしてろ。……いや、他のゴンドラでもな」 すぐ傍を通ろうとした別のゴンドラへと、身を乗り出そうとしているカノコを見て、すかさず主人は付け加えた。ブー、と声に出していじけるカノコだったが、見た目同様性格もきまぐれなのだろう。すぐに別の物へと興味が移ったようだった。 「んじゃお絵かきでもしよかのー、ういうい」 「そうしてくれ」 夜とは言え大会前夜ということもあってまだ街灯は多く灯っている。 ウキウキ気分でスケッチブックに街の風景を描き始めたカノコを見て、主人はまるで手のかかる子供でも乗せているかのように苦笑した。 ● 「出来た……」 茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)は呟いた。 「なにがだ?」 それに声を返したのは彼女のパートナーであるレオン・カシミール(れおん・かしみーる)だった。 アムドゥスキアスの計らいによってあてがわれた宿の一室で、二人は窓の外から聞こえる喧騒に耳を傾けながらそれぞれの時間を過ごしていたところだった。レオンは紅茶を飲み、衿栖は何やら机に座りつつチクチクと手を動かしていた。 レオンはあえて彼女に何をしているか聞いていなかった。 が、それがようやく明らかになるわけだ。 「これです! これ!」 嬉しそうに顔をほころばせて、衿栖はレオンに向けてそれを突きだした。興奮冷めやらぬといった様子だ。よほど気合を入れて作っていたのだろう。 彼女が両手で握っているもの――それは一体の人形だった。 「これは……」 感心と驚きを含んだ声をレオンは漏らした。しばしその人形の出来栄えに目を凝らしていた彼は、ふっとほほ笑む。 「よく出来てるな。すごいじゃないか」 「ほんとですかっ! ほ、ほんとにそう思いますか!」 「ああ」 レオンは現実的かつ謹厳な男だ。それは己に対してもそうであるし、自分の契約者である衿栖に対しても同じように接していた。人形師としての技術も、在り方も。それは時に冷たくも映るであろうし、事実、良くも悪くも彼はそれを自覚していた。 そんな彼の告げた褒め言葉は、衿栖にとって最上の喜びだった。 とび跳ねるようにしてはしゃぐ彼女を見ていると、自然とレオンの顔もほころぶ。 ようやく落ち着いた衿栖は、自分が作ったその人形を眺めて遠い誰かに思いをはせるように呟いた。 「喜んで……くれるでしょうか?」 「…………きっとな」 それはレオンにとっても願いだったのかもしれない。 やがては警備のためにステージの最終点検を行っているもう一人のパートナー、茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)も帰ってきて、眠りにつき、本番の朝を迎えるだろう。その時こそ人形は、その日、衿栖の指先で生まれるのだ。 子の幸せを願わぬ親がいるものか。 そして人形師もまた、人形の幸せを願わぬことはなかった。 |
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