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リアクション
第一章
1
海京。
物資輸送地区の沿岸には、複数の巨大モニターが仮設されていた。モニターを半円状に囲む形で配置されたのは、階段状の観客席だ。
客席は大勢の人々で占められ、期待と高揚を孕んだざわめきに満ちている。
不意に、音楽が鳴り響き、ざわめきは勢いを増した。
曲目は、『ワルキューレの騎行』。
オーケストラによる力強い演奏が、勇猛な旋律を紡ぎ、空を震わせる。
観客席に巨大な影が落ちた。
人々は一様に眉をひそめ、頭上を仰ぐ。
空は青く、パラミタ大陸に連なる雲海以外に雲はない。
にも関わらず、空は暗い。
原因は上空に現れた複数の巨大な影。
艦船型イコンによる、艦隊だった。
「全体っー、敬礼っ!」
ヒルデガルド・ブリュンヒルデ(ひるでがるど・ぶりゅんひるで)の声が響き渡るのは、観客席上空、艦隊を率いる旗艦、飛空巡洋戦艦グナイゼナウの甲板上である。
ヒルデガルドの号令一下、整列した乗組員たちが一糸乱れぬ動きで敬礼を決めた。
列席した各校の代表者たちの間から、満足げな拍手の波が生まれる。
拍手の音は艦の眼下からも遅れて届いた。
中継された映像から、甲板の様子は一般観客席へも届いているためだろう。
『皆様、本日はお忙しい中お集まり頂き、ありがとうございます』
次いで甲板、そして観客席に響いたのは、この艦の操縦を担当している武崎 幸祐(たけざき・ゆきひろ)の声である。
『俺……失礼。私、今回競技の審判を務めさせて頂く、武崎 幸祐と申します。引き続き開会式の進行はパートナーの――』
「私、ヒルデガルド・ブリュンヒルデが務めさせて頂きます。また、音楽は有志のオーケストラの皆様。その指揮を――」
『同じく私、ローデリヒ・エーヴェルブルグ(ろーでりひ・えーう゛ぇるぶるぐ)が務めさせて頂きます』
紹介を受け、会場と甲板上のモニターに、後部甲板でタクトを振るうローデリヒの姿が大映しになる。
ローデリヒが恭しく優雅な一礼を披露し、ひときわ大きな拍手が波打った。
「では皆様、ルール説明や代表挨拶に先立ちまして、ここで艦隊によるパレードをお楽しみください」
「よし。各機、散開!」
ヒルデガルドの声に応じるように、幸祐は艦隊へ指示を飛ばした。
運営スタッフの一人として幸祐が担う役は競技の審判の一人、そして、このパレードの主導である。
ローデリヒたちが奏でる音楽に合わせ、艦隊は二列に分かれ、平行に空を泳ぎ出す。二列の艦隊はうねるように、螺旋を描いて空を駆け抜けた。
観客たちの感嘆混じりのどよめきが、操縦席のスピーカーごしに幸祐の耳へも届いた。
「主砲回塔!」
やがて二列の艦隊が観客席前方、モニターの向こうの会場で向かい合う。幸祐の声に応じ、艦隊を形成する艦船型イコンの群は、一斉に対面の列へと主砲を照準した。
重々しく、しかし迅速に動く主砲の数々に対し、観客が再びどよめきを発する。
弾薬装填。照準よし。――射撃準備、完了。
計器の表示を確認し、無線で各機から同様の報告を得る。
音楽が沈黙すると同時に、幸祐は声を張った。
「空砲、撃てッ!」
『九校合同イコン大会、開催です!』
艦隊が放った轟音と大歓声の中、ここに、大会の開催が宣言された。
2
「それじゃ、改めて確認だけど」
大会出場イコン用の整備ドッグ。
集まった大会運営スタッフの面々を前に、榊 朝斗(さかき・あさと)はそう切り出した。
会場の方からはわずかに開会セレモニーの歓声が届いているが、ドッグ内の喧騒は容易くそれを塗り潰していく。この場に集まれているのは警備と整備、救護スタッフの一部だけで、他の人員は競技開始に備え忙しない。
まあ、ここにいる多くは各担当の班長ばかりなので、残りのメンツには彼らの口から伝えてもらえば問題ないだろう。
「まず、競技出場者には引き続き試合前、メディカルチェックを受けて頂きます」
朝斗の視線に応じ、ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が説明を引き継いだ。彼女は今回、救護班の一員として参加する。
「これは各試合ごと、それぞれ一回戦、準決勝、決勝、もちろん小隊戦のデモンストレーション前にも実施します。競技は勝ち抜き戦ですから、流石に一度の対戦ごとの詳細チェックは不可能です。ただこれも、機体から送られてくるデータを元に、チェック自体は行います。危険があると判断すれば、たとえ戦闘が続行中でも、即座にドクターストップをかけることになります」
「判断は救護班が?」
「ええ、最終的な決断は。しかしあくまで整備班と相談の上です。このため、診察データと整備時の機体データはネットワーク上で共有します。救護班と整備班の人員には後ほど、データ参照用のIDとパスを配布します」
その後も続いた実務上の質問に、ルシェンは淀みなく回答していく。もちろん事前の説明は前日までにされているが、これが最終確認だ。スタッフの面持ちも皆、一様に真剣だった。
二世代機の登場に、海京クーデターからの復興。この数ヶ月にあったことを思えば、少しの不安でもなくしておきたい。その想いはみな同じらしい。
質問が一段落した頃合を見計らって、改めて全員を見回し、口を開いた。
「特に、今回は『BMI』を搭載した機体も多く参加しています。体調のみならず、精神状態にも注意を払ってください。救護班からは以上です」
「じゃあ次に――」
再び進行を朝斗が引き継ぎ、説明を続ける。
重要事項は大別すると残り二つ。
ひとつ、大会開始時、また終了時の戦闘データは必ず運営へ提出すること。これには後のイコン研究の資料という意味以上に、大会後の機体異常、故障を防ぐという目的がある。場合によっては本格的な修理の必要が生じるケースもあるはずだ。
もうひとつは、
「イコンの整備は、ドッグ内の各チームブースで行なってください。整備担当者もチームごとに固定します。これは整備担当者を介した相手チームの情報入手といった行為を防ぐための措置です」
続いて説明を引き取ったのはアイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)である。彼女の担当は警備だ。
実戦であれば、あらゆる手段を講じた情報入手も一概に不正とは評せないが、今回はあくまで競技。純粋にイコンを用いた模擬戦による、機体データと操縦者の状況判断力を観察するための大会だ。
他、いくつか警備上、プログラム上の質問、説明が続く。
「あと補足として、競技のルールだけど」
最後に、朝斗がそう切り出すと、スタッフたちは怪訝そうに首を傾げる。ろくに競技を見る時間もない自分たちに関係あるのか、と言いたげだ。
「ま、直接関係はないんだけどね。特に警備の担当者は、観客に聞かれる場合もあるだろうから」
付け足すと、みな納得した面持ちで姿勢を正した。
「準決勝までは勝ち抜き戦。決勝のみ小隊戦。勝負は実戦を想定した、イコン同士の模擬戦形式。武装は非殺傷設定だから、機体の仮想損傷率が危険域に達した段階――つまり撃破判定で敗北、という形になる。試合時間は決勝までは十分。決勝は三十分。時間切れの場合、審判による判定になる」
チーム分けは、チーム単位での参加者はそのまま。個別での参加者は、ランダムで振り分けてある。チームによっては人数の不足もあったが、これはあらかじめ運営側が用意していた人材をチームに入れることで対処している。
他、細かい部分は大会パンフレットにも記載があるので省いた。
と、隣でルシェンが手を挙げる。
「仮想損傷率が危険域に達しない場合でも、操縦者の精神状態、機体の状態次第ではドクターストップをかけても?」
「もちろん。会場への試合中継、審判や医療班の判断用に、試合場の人工島に固定カメラ。それから制限高度よりさらに上、また水中から艦船型イコンが映像を中継することになってる」
開会式の艦隊はなにもパレードのためだけに呼ばれたわけではなく、むしろこうした役割の方が大きい。
「僕からは以上。質問がなければ、これで解散」
朝斗がスタッフを見回すが、誰も挙手はしない。表情も引き締まり、やる気に満ちている。これなら不安はない。
「それじゃ一日、がんばろう!」
『おお!』
3
第一試合の開始予定時刻までは、もうしばらく時間があった。
「あの」
階段状の観客席の最上。通路で立ち止まった司城 雪姫へ、久我 浩一(くが・こういち)はそう声をかけた。
「……?」
無機質な瞳が、真っ直ぐに浩一を射抜く。呼びかけた真意を問うているだけだとはわかるものの、妙な迫力に一瞬、鼻白む。
「あ、いえ。もうすぐ試合が始まりますけど、いいんですか? 地上で中継を観るだけで」
「肯定(イエス)。上空の艦船上からでも、すべてを肉眼で観ることは不可能。試合前、試合後の機体を地上のドッグで観察する方が重要」
「なるほど」
なら、焦る必要はない。試合までの時間は十分にある。
浩一は今回、雪姫の護衛役を任されていた。パートナーの希龍 千里(きりゅう・ちさと)も、少し離れたところで周囲を警戒してくれている。
「じゃあ時間まで、一技術者として話をさせて貰ってもいいですか?」
「肯定」
あっさりと承諾され、浩一はいささか拍子抜けする。ここまで、浩一の言葉にこそ応じてくれるものの、やけに寡黙な印象を受けていた。一方で人見知り、という印象もない。拒絶されることも覚悟していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
「それじゃあ――」
「何でしょうか?」
と、やや警戒心を孕んだ千里の声が、離れた場所から届いた。
視線を転じると、千里が通行人の歩みを阻んでいる。
「あ。怪しい者じゃないです。百合園女学院のロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)といいます。そちら、司城 雪姫さんですよね?」
「肯定」
「できれば少し、お話させてもらえないかなと」
「……」
ロザリンドの申し出を受け、雪姫は浩一へ視線を投げた。その意図を汲み、浩一は笑顔で応じる。
「構いませんよ。どうせなら三人で話しましょう。セリナさんも、構いませんか?」
「もちろん。なんだかお邪魔しちゃってすみません」
千里が道を空け、また視線をよそへ転じる。ロザリンドへの警戒は解いたようだ。
ロザリンドは千里と軽く会釈を交わすと、雪姫の隣に並んだ。
「それで、お二人はなんのお話を?」
「まだ何も。セリナさんからどうぞ」
技術論となると、少々混み入った話になる。長く待たせるのも悪いので、浩一はロザリンドに先を譲った。
ロザリンドは一瞬、遠慮するような表情を見せたが、譲り合っても時間の浪費と判断したのだろう。浩一へ目礼し、口火を切る。
「いきなりで不躾な質問になるかもしれませんけど――」
「否定(ノー)。構わない」
「それじゃ。司城姓ということですけど、ひょっとして、{SNM9998846#司城 征}さんとご関係が?」
「肯定。遠い親戚」
「親戚……なるほど。基礎理論などは征さんから教わったとか?」
「否定。面識はない」
「そうですか。ホワイトスノー博士の技術理論を全て理解できたというお話は……」
「肯定。事実」
「基礎理論はどこで学ばれたんですか?」
「極東新大陸研究所」
雪姫のあまりに淀みも抑揚もない回答に、ロザリンドは不安げにたじろいだ様子を見せる。
無理もない。だが彼女より小一時間ほど付き合いの長い浩一は、すでにこれが彼女の話し方なのだと承知していた。
やや気後れした表情のロザリンドに代わり、口を開く。
「ひとつ俺からも。ホワイトスノー博士の技術理論……特にトリニティ・システムについて、簡単にご教授願えませんか」
「肯定。トリニティ・システムは、フロートユニット・補助動力・動力炉、それぞれの機晶石を連動、安定稼働させることで、従来機を遥かに上回る高出力を実現するシステム」
と、そこで雪姫は言葉を区切り、珍しくなにかを逡巡するような間を置いた。
「どうしました?」
「……簡単に、というのは私には少し難しい。適切な比喩表現が私の語彙にはない。申し訳ない」
大真面目にそう謝られ、浩一と、隣で聞いていたロザリンドは呆気に取られた。
二人で視線を交わし、つい吹き出してしまう。
「……? 私はなにか、笑われるような言葉を口にしただろうか」
「ああいや、失礼」
「別に馬鹿にしたわけじゃないですよ? ただ、想像していたよりなんだか可愛らしい人だなって」
「可愛らしい……? すまない、私に対し適切な形容詞には思えないのだが」
ロザリンドの言葉に、雪姫は真剣に悩んでいる。
「まあそれはそれとして、トリニティ・システムですけど」
浩一は戸惑う雪姫を救う意味も込めて、話の筋を戻す。
「俺には3つの機晶石がせめぎ合い、干渉し合い刺激を受けて同調していく事をフォローし繋いでいくシステムだと思います。現在、過去、未来への人達という縦や横の繋がりのようで。世界そのもとに感じる」
夢見がちですかね、と笑うと、ロザリンドは真摯な眼差しで「そんなことないですよ」と微笑み、雪姫も、
「否定。興味深い比喩表現」
無表情にそう頷いた。
「改めまして。俺は、久我浩一と言います。宜しければ……友だ、いえ、技術者として仲間と認めて貰えませんか」
やや照れながら、浩一がそう言って右手を差し出すと、ロザリンドと雪姫も右手で応じてくれる。
「こちらこそ」
「よろしくお願いする」
二人と握手を交わした時、会場内のスピーカーが雑音を発した。
『間もなく第一試合の開始となります。お席をお立ちのお客様は――』
いよいよ、戦いが始まろうとしていた。
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