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リアクション
「っ……!」
剣を奪われ、手傷を負った羽根の少女――守護天使アイワス――が苦悶の表情を浮かべる。
「……迂闊でした。人間が生きていくのに必要な臓器を破壊したはずなのですが」
「超人を甘く見たな。その程度で歩みは止まらないのさ――!」
一息に、レンが自らに深々と突き刺された剣を引き抜き、投げ捨てる。アイワスは気付いているか定かではないが、アイワスの腹部を狙った攻撃は誘導されたものであった。人間を一撃で確実に仕留めるには、首を飛ばすか心臓を突くかのどちらかである。逆に言えば、この二つを防ぎさえすればたとえ攻撃を受けたとして、生き残る可能性がある。レンはそこに目をつけ、アイワスが『首もしくは心臓を突くのは容易ではない』と思わせるように立ち回った。そしていざアイワスが腹部への攻撃に転じた瞬間、自ら進んで攻撃を食らった。隙が生まれるとすれば、攻撃が決まった瞬間をおいて他にないからである。
……もちろん、いくらレンが自らの肉体を強化していたとしても、臓器を一つ破壊された状態のままでは長く生きていられはしない。レンの背後にはノアが付き、傷口に掌を当てて治癒の力を懸命に送り込んでいる。
「…………」
アイワスは周囲の気配を伺い、苦悶の色をより濃くする。いくつかのこちらを狙う気配と、一つの強力な気配を掻い潜ってエリザベートの元へ向かうことは、丸腰の自分には叶わない、そう判断する他なかった。『法の書』の気配が先程から途絶えたことも、判断を後押ししていた。
「……分かりました。私は負けを認めます」
アイワスが両手を上げ、降参の意思を示す。他の生徒によって連れて行かれるまで虚勢を張っていたレンが、ぐらり、と身体を揺らめかせ、ノアに支えられる形になる。
「まったく、無茶し過ぎです。死んでしまったら何もかも終わりなんですよ?」
「フッ……たとえそうだとしても、役目を果たさねばならん時もある」
ノアのお小言に適当に答えながら、レンはひとつの強力な気配が、エリザベートの元へ向かったのを感じ取って笑みを浮かべる。それは“彼女”にレンが望む対応であったし、もう一人に小言を言われるのは御免被りたかった。
「な、何てことを言うんですか、あなたはぁ!」
突然響いた声に、周りの生徒がエリザベートと、話をしていたアリスへ視線を向ける。
「酷な申し入れだとは思う、だが、これは校長として、アーデルハイトのパートナーとしてあなたがやるべき事でもある」
「……だからって、大ババ様を放校処分にして、ザナドゥの監視に当たらせるなんて――」
「監視ではないな。魔族にだって世代交代は存在する。今も若い者たちが、おそらくは戦い以外の路を模索しているはずだ。
そういった者たちを導く存在として、彼女には魔界に行ってもらうのだ」
「…………」
アリスの言葉に、エリザベートはそれ以上反論を紡げない。エリザベート自身もこれまでの雰囲気から、アーデルハイトをザナドゥから連れ帰ってはいおしまい、めでたしめでたし、で済まないことは察していた。アーデルハイト不在の間代わりを務めていたルーレン・ザンスカール(るーれん・ざんすかーる)からも、この戦いが終結した後は、アーデルハイト様には全てをお話いただき、然るべき措置を受けさせるべきです、とも進言されていた。
故に、アリスの進言についても、一定の理解はしようとしていた。……ただ一点、追放・滞在の期間が千年であることを除いては。
つまり、アリスの進言を飲むことは、エリザベートはアーデルハイトを自らの手で連れ帰った後、自らの手で別れを告げなければならないことに他ならない。エリザベートが魔王に匹敵する魔力を有していたとしても、あくまで人間というカテゴリに属している以上、百年と生きられない。地上とザナドゥを行き来することは不可能ではないだろうが、少なくともエリザベートが存命の間は、アーデルハイトはイルミンスールに戻ることは叶わない。
「……温いな。それでは奴の……アーデルハイトの罪は拭えない。
罪を贖う術はただ一つ。……死、だ」
またも突然響いた声、しかも今度は声だけのそれに、生徒たちは緊張を露わにする。一拍置いて姿を見せたのは、一見して魔術師と分かる出で立ちの、おそらく二十代後半に属するであろう男性であった。
「いずれ奴にはその運命を辿ってもらうとして……今は、貴様だ。
我の為……ここで死んでもらおう」
「何処の馬の骨か分からない人にくれてやるものなんてないですぅ」
「貴様の意思など、我には関係のないこと。……行くぞ」
それだけ言い残すと、男性――アーサー、またの名をクロウリー卿――は魔力を開放させる。エリザベートにも引けを取らない魔力の奔流に、周囲の緊張は最高潮に高まる。下手に動けば死ぬ……本能に訴える恐怖が、行動するという選択肢を奪っていく。
「ぬぅぅぅん!!」
……ただ一名を除いては。
「邪魔をするな!」
杖をかざし、エリザベートを撃つために高めていた魔力を、向かってきた筋骨たくましい男性、ルイに見舞う。
「ぐわぁ!」
神速の動きで懐に潜り込み、一撃を繰り出そうとしたが僅かに届かず、ルイはアーサーの放った魔弾の直撃を食らって大きく吹っ飛ぶ。
「よかろう、まずは貴様から――むっ!?」
追撃を行おうとしたアーサーへ、無数の光線が襲いかかる。それらを掌の先に生じさせた障壁でガードし、
「蝿如きが……!」
フライトユニット装着のリア・リム(りあ・りむ)を叩き落さんと杖の先を向けた所で、別方向からの殺気に気付きそちらへ魔力をぶつけ、飛んできた魔弾と相殺させて攻撃を無力化する。
「ちぇっ、絶好の機会だと思ったのにな。……リア、やっぱり強敵?」
「ああ、それもかなりの、な。予め予測はしていたが、相対して実感したよ、半端な戦いは出来ないとな」
傍にやって来たリアの言葉に頷いて、シュリュズベリィ著・セラエノ断章(しゅりゅずべりぃちょ・せらえのだんしょう)が外見からはなかなか想像つかない台詞を口にする。
「ルイの敵討ちだよ。始めようか、殺し合いを。
大事な戦いを邪魔しようとする輩は、ここで人生の閉幕といこうね」
「……今回だけは僕も同意しよう、命を奪わないという選択肢は、なしだ。
だがセラ、ガジェットの時のネタを使い回すのは、いささか同意しかねるな」
「えー、だってその方が気合入るし」
「不謹慎ではないのか?」
「セラ達がこれからすることを考えれば、大差ないよ」
「……ともかく、油断するなよ、セラ」
言葉の応酬では、長く生きているセラに分がある。それに、ルイを戦闘不能に見せかけることは、当初の作戦の一つでもあった。
――相手はおそらく魔術師系。懐に潜り込めば勝機はある。その隙を作り出すには、死んだように見せかけることが有効ではないか――
その時ルイは、樹の影に隠れ、戦況をじっと伺っていた。
(……思えばこの戦い、森にも甚大な被害を与えてしまいましたね。イナテミスを襲った寒波の時とは比べものにならない被害が出ているでしょう。
失われたものはあまりに多く、残ったものにも大きな傷が残る……なんとも後味の悪い……)
イルミンスール生の中にも魂を奪われた者がいたし、自身やパートナーの住処を失った者もいる。森の復興や命の慰霊等を行った所で、全て元通りにはならないのかもしれない。
(……全ては、この戦いに勝利した後の話です。
今もこうして、エリザベート校長の命を狙う輩が現れました。彼の力量は私より上……であれば、命を絶たずに済むにはいられないでしょうね)
“不殺”は、相手に対して手加減をするということ。自分の力量が上回っていなければ本来は出来ないこと。
(……覚悟は、出来ています。たとえ敵であれ、命を奪うというのは裁かれるべき行為。
この戦いが終わった暁には、イルミンスールを去ることも、受け入れましょう)
脳裏に過ぎる、親しいものの姿が浮かんでは消え、ルイに一抹の思慮をさせるが、次の瞬間には首を振り、迷いを断ち切る。
「うああっ!」
追尾する魔弾を避け切れず、受け流すようにかざしたシールドが魔弾の直撃を数度受け破壊されると、内蔵されていたパイルバンカーも誘爆して爆砕する。並の人間であれば腕が吹き飛んだショックで死亡も有り得るが、彼女は機晶姫。コアを潰されない限り、戦闘力の低下はさほどではない。
「人形風情が……足掻くな。それに貴様……魔道書でありながら人形と仲良くするなど、恥を知れ」
「リアは大切な家族だよ! そんなことも分からないヤツは、消えてなくなれー!」
激昂したセラの、生成した魔弾がアーサーへ降り注ぐ。それらが直撃する瞬間、アーサーの姿が空間に忽然と消え、直後セラの背後へ現れる。
「えっ!?」
「何を驚く? 小娘には及ばずとも、空間を行き来する程度、我でも可能だ」
声が聞こえ、そして身体を走る激痛にセラが顔を歪める。アーサーがセラを蹴り飛ばし、セラを助けようとしたリアにぶつける。
「きゃーーー!!」
「うわあぁぁ!!」
二人が絡み合うようにして宙を舞う。そしてアーサーの杖が、一つになった影を狙う。
「……安心しろ、一人では逝かせぬ――むっ!」
トドメを刺そうとしたアーサーは、直下の森から急接近する強大な気配を察知し、そちらへ迎撃の魔弾を振るう。
「ぬああああぁぁぁ!!」
鍛え上げた肉体をも削る魔弾の洗礼を受けながら、ルイは自らが弾丸であるかのように一直線にアーサーへ飛び、
「……チッ!」
迎撃し切れないと見るや、障壁を張って抑え切ろうとするアーサーを見つめ、
「家族を痛めつけた報いを受けなさい!」
叫び、全身でぶつかる。拳でも足でもない、言わば“頭”での攻撃は、障壁どうのこうのでは到底抑え切れない。
「うおおおおぉぉぉ!!」
質量×速度でもたらされる運動量の直撃を受け、全身がひび割れるような衝撃を感じながら、アーサーが吹き飛んでいく。そして、マイナスの運動量を全身に浴びたルイもまた、全身の骨が砕け散ったような感覚を最後に意識を途絶えさせ、自由落下で森へと落ちていく。幸いにして下が森であったため、枝葉が彼の体重を受け止め、地面に着く頃には致命傷にならぬ程度の衝撃で済んだ。
――そして数瞬後、エリザベートの前にパートナーと共に引き立てられたアーサーは、奇妙な程に清々しい様子であった。
「フッ……誠に無様だな。これほどまでに、貴様と我とで持っているものに差があったとはな」
呟くアーサー、彼が見誤ったのは、エリザベートはごく僅かの護衛を除いて全く孤立していると思っていたことにある。しかし蓋を開けてみれば、大勢の仲間がいた。一人一人の戦力はエリザベートやアーサーに及ばなくとも、アーサーの計画を狂わせるには十分な存在であった。
それでもアーサーは、エリザベート殺害を中止しなかった。自らの野望のために、これまで築いてきた全てを支払った彼にとって、その程度の誤算で計画をねじ曲げるなど、考えもしなかった。
「さあ、我を殺せ。そうすれば貴様は後顧の憂いなく、魔族の地へ進軍を果たせよう」
首を差し出すように見上げるアーサー、表情険しいエリザベートの動向に、皆の注目が向く。
「…………」
エリザベートの背後で、明日香が静かに銃を抜く。おそらく目の前の彼らは、死を以て罪を償われるだろう。そしてそれを実行するのは(あるいは命じるのは)、エリザベートに他ならない。そんな残酷な選択をさせることを、明日香は許容出来ない。
(エリザベートちゃんには、背負わせない)
気の遠くなるような、けれど時間にして一瞬にも満たない時を経て、エリザベートが言葉を発しかけた所で、
「……待って!」
空間に差す光のように、終夏の言葉が届く。今度は皆の視線が、終夏に集中する。
「確かに、彼のしたことは許されざるもので、死を以て償うというのも、因果応報であるように思う。
……けれど、誰かが死んで、それで全てを終わらせる結末なんて、私は真っ平御免です」
その言葉はアーサーに向けられたものでありながら、実の所は別の所にも向いている(当人が意識しているかは定かでないとしても)。たとえ何処であっても、行動とそれに対する責任は果たされねばならない。が、責任の取り方が『当事者の死』ではダメなのだと、終夏は主張していた。
「理解出来んな。勝者が生き残り、敗者が死ぬ。それのどこがおかしいと言うのだ?」
「敗者も、勝者も居ませんよ。ただ、死んだら負けなだけです」
アーサーの言葉に毅然と返して、終夏が続ける。
「自分が起こしてしまった事は、自分で責任を取って背負って、そして生きていかなきゃならないんです。
誰かの、何かのせいにするのは簡単だけど、それじゃいつまで経っても夢の中に居るようで、まるで成長しないじゃないですか」
言って、今度はエリザベートに向き直る。
「アーデルハイト様を連れ戻すんでしょう? 先は長くて時間はないんです、こんな事に構わず先に行って下さいな」
「エリザベートとアーデルハイトの関係は、まあ、孫と祖母のようなものだろう。そして孫を持つ祖父母の気持ちは、まぁ、分かるつもりだよ。
行ってあげた方がいい。出来る限り、早くな」
「そ、それはそうですけどぉ……」
終夏とニコラ・フラメル(にこら・ふらめる)の言葉を耳にしつつ、チラリ、とエリザベートが視線を向けた先、アーサーは下を向き、ふるふる、と身体を震わせていた。
「クッ……ククク……我がただの小娘に、これほど愚弄されるとはな。
我がここで死ねば、我は罵倒に負けたことになる、というわけか。……許容出来んな。そこの魔王の娘や憎き魔女に負けるならまだ納得出来ても、我がそのようなことで負けるのは、如何とも許容しがたい」
アーサーの表情に、生への執着が戻って来る。決してこの場を逃げ出すわけではない、かといってただ死ぬつもりもないといった表情であった。
が、そんなことより気になったのは、アーサーの言った言葉であった。
「魔王の娘……って、誰のこと?」
「決まっているだろう、そこの顔色の悪い小娘だ」
「だ、誰が顔色が悪いですかぁ! 人が気にしてることを!」
「我は事実を述べたまでだ。……魔女が言っていたぞ、『エリザベートは先の大魔王と私の力を引き継いだ子』とな。同じく力を有している今の魔王が息子であるなら、貴様を娘と表現してもおかしくなかろう」
魔族と人間とでは寿命が違い過ぎるため、同列に語るのは難しい所だが、現在のザナドゥ魔王、魔神 パイモン(まじん・ぱいもん)とエリザベートは器こそ違えど(人間と魔族)、本質は同じであった。
「不幸なものだな、敵の親玉が自分の家族に連なる者とは――」
それ以上の言葉を、アーサーは紡げなかった。進み出た明日香が魔導銃の柄で、アーサーの頭を殴りつけたからだ。
ひとまず『I2セイバー』へ運ばれていくアーサーを(彼はその後、レンの要請を受けてこの場に姿を見せていたアメイアによって、囚人の収容施設があるイナテミスに連れて行かれた)睨みつけた後、明日香はエリザベートに視線を向ける。ショックを受けていたら慰めてあげよう、そう思っていた明日香だったが、エリザベートは意外に動揺を受けていないように見えた。
「そうでしたかぁ。……あ、だから私、イルミンスールと契約出来たんですかねぇ」
子供が見せる適応力は、時に大人を軽く凌駕することがある。エリザベートは自分が魔王の娘であることを、本人なりに受け入れたようであった。
「エリザベートちゃん――」
彼女を何故だか遠くに感じて、明日香が手を伸ばす前に、エリザベートの方からぽふ、と明日香に抱きつく。まるでそこが自分の居場所であるかのように。
しばらくそうしていた後、エリザベートは明日香から離れ、周りにいた生徒たちに状況を確認する。生徒たちの奮闘により、クリフォト周囲の魔族は殆ど姿を消し、増援も暫くの間は見られないとのことであった。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうかぁ。『I2セイバー』の方によろしく、と言っておいて下さいですぅ」
それだけ言い残すと、エリザベートは明日香とミーミルを傍に呼んで、テレポートの準備をする。行き先を尋ねられたエリザベートは、ある一点をビシッ、と指差した。
そこには、聳え立つ世界樹、イルミンスールがあった――。
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