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リアクション
――それは、『彼』がまだ『ヒト』としての身体と精神を保っていた時の記憶――。
「ああ、ここにいましたか」
背後から声をかけられ、振り向くとラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)の姿があった。
「いやあ、時間がかかってしまいました。それだけ内容がよく凝縮され、まとめられていたということでもありますが」
「? ……話がよく見えないのですが」
尋ねると、ラムズは「お忘れですか? 私はクトゥルフ神話学科主任なんですよ。……まあ私もよく忘れてるんですが」と答えた。
「校長から、あなたの論文チェックを頼まれましてね。一晩かかってしまいましたが、論文の出来は申し分ありません。
私も、論文を纏めるという意味は理解しているつもりです。……よって、これを」
そう言い、ラムズが差し出したのは、真新しい手帳。
「一足早いかもしれませんが、卒業記念です。まぁ粗品なんですけどね」
「……私に?」
思わず聞いてしまうと、ラムズは「ええ」と頷いた。
「ご卒業おめでとうございます。エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)」
握った手から伝わる感触は、確かに、温かかった――。
(魔族の襲撃……ですか……。
うーん……前にも同じような事があったと思うのですが……)
考えるも、一日と記憶を保持しておけない頭からは、何も答えは浮かんでこない。ラムズは考えるのを止め、壁を破って侵入してきた魔族へ向けて、弓を構える。
「すみませんが、少しばかり寝不足なもので……手心はなしだ、憐憫をやろう」
荒々しい口調を放つ前に、既に放たれた数本の矢が魔族の動きを止めていた。さらにどこからともなく生まれた腕が魔族の動きを拘束する。
「死にたくなければ静かにしておれ。死にたければ声を上げよ」
拘束から逃れようとする魔族へ、シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)が手にした笏を向けながら告げる。
(……まったく、我も甘いものじゃな。全員殺せば安全になるというのに、あえて見逃すとはな。
無抵抗の者を殺す事に躊躇いなどないが……まあ、生きたい者は生かしてやるのが道理じゃろう)
なるべくならこのまま沈黙であり続ければ面倒にならずに済む、そう思いかけた『手記』は次の瞬間、無言で拘束を解いた屈強な身体つきの魔族が腕から刃を生み出し、自分へ真っ直ぐ駆けてくるのを見る。
「緩やかに朽ち果てるよりも、考え得る最高の死を!」
直後、魔族と『手記』の身体が交錯する。両者が得物を振り下ろす音、そして何かがどさ、と落ちる音が聞こえ、次いで制御するはずの器官を失った胴体がどう、と崩れ落ちた。
「……馬鹿者が。死に最高も最低もないわ」
砂のように消えていく魔族に一瞥もくれず、『手記』は他の拘束されている魔族へ言い放つ。
「我をこれ以上不機嫌にさせるな。くれぐれも音には気をつけよ」
緋王 輝夜(ひおう・かぐや)の操る『ツェアライセン』が、居並ぶ魔族の首をまとめて吹き飛ばす。それでもなお、怯まぬ魔族たちはまるで壁となってイルミンスール中枢へ侵入せんと迫ってくる。
「くそぅ、数が多過ぎる……。しかも全員が、こっちを殺す気で迫ってくる……。
殺らなきゃ、殺られる……なんだよこんな戦い! もう戦争は終わったはずだろ! いい加減にしろよ! おまえらそこまでして戦いたいのかよ!」
叫ぶようにまくし立てたところで、敵の勢いが収まる様子はない。それどころか何としても殺してやるとばかりに、さらに勢いをつけて襲い掛かってくる始末であった。
(……ここらがそろそろ、限界ですかねぇ。人的被害が出た時点で私たちの負け、そして私はヒトであり続ける限り、『娘』を死なせるわけにはいきません)
輝夜がこれ以上戦えそうにないのを悟ったエッツェルが、隣で機関砲やロケットを見舞って迎撃を続けてきたアーマード レッド(あーまーど・れっど)へ命令を下す。
「レッドさん、輝夜さんを連れて下がってください」
「……、任務了解 輝夜様ト 共ニ 後方ヘ 退避シマス」
一瞬、機械らしからぬ沈黙を見せたレッドだが、直ぐにエッツェルより下された命令を実行に移す。積んでいたありったけの弾薬を撃ち込んで包囲網の一角に穴を開けると同時に、ブースターを展開させると輝夜を抱え、爆風残る一角へ飛び込もうとする。
「ちょ、放せ、レッド! 撤退なんて出来るわけないだろ!」
ここで離れたらもう二度と会えなくなる、そんな嫌な予感を感じ取った輝夜が必死に抵抗するが、レッドは黙して輝夜を放さない。
「いやだー! バカー! エッツェルー!
やだよぅ……父さーーん!!」
二人の姿が見えなくなるまで、エッツェルは見送っていた。
(父親らしいことは何も出来ていなかったと思いますが、父と呼ばれるのはいい気分ですね……。
愛する妻を宜しく頼みましたよ……輝夜さん)
心の中でそっと別れを告げ、エッツェルが向き直る。眼前にはなおも数百の魔族、そして傍らにはネームレス・ミスト(ねーむれす・みすと)の姿。
「さあ、ネームレスさん。最後のご奉公とイきましょうか」
エッツェルの言葉に、実に楽しそうに微笑んだネームレスの身体が、黒い霧へと変化していく。その霧は鎧のようにエッツェルに纏わり付き、そしてエッツェルを構成していたモノを崩し、『ヒトならざるもの』へと変えていく。
――満面の笑みを浮かべて、手には真新しい手帳を握りしめて――
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