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マレーナさんと僕~卒業記念日~

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マレーナさんと僕~卒業記念日~

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8.昼前:キヨシの災難(再教育・デート編)

 月詠 司(つくよみ・つかさ)の下宿への参上は、いつもながら騒々しい。
 
 キキキィイイイイイイイイイッ!
 ぢゅっどおおおおおおお――んっ!
 
 ……と。
 今回は車――ではなく、グリフォンで登場。
 勢い余って、下宿・111号室の側面に激突して大穴を開ける
 
「急ブレーキ、かけたんですけどねぇ」
 壊れたハッチを開けて、降り立った司は血だらけの頭をかきつつ……というか、そういう問題か?
 後部座席からはリル・ベリヴァル・アルゴ(りる・べりう゛ぁるあるご)がひょこっと顔を出した。
 胸元にはゲルバッキーを大事そうに抱えている。
 来る途中で拾ったのだろうか? いつのまにか懐いている。
「あーあ、またやっちゃったよ! パパ」
 人差し指で血だらけの頭部を指さして、あっはっはーと笑っている。
 司も笑った。
「……て笑っている場合じゃないですよ?
 私の部屋無くなってしまいましたし、イコンも修理しないと!」
 
 ■
 
 同刻。
 診療室ではパラケルスス・ボムバストゥス(ぱらけるすす・ぼむばすとぅす)がラルクからの伝言を受けて、管理人室に向かっていた。
 彼は出勤後、健康管理の体制の見直しと下宿生全員の健康診断(=女性は触診あり)も兼ねて、下宿全体を見回りをしていた。
「マレーナさんの健康診断もしとかねぇとな♪
 管理人さんが倒れちまったら、元も子もねぇだろ」
 管理人室の前で言い訳がましく告げて、こほんと咳払い。
「はいってよろしいか?」
 
 ……そうして、まんまと聴診器や触診で診察しつつ、
「いやぁ〜……しかし、今日も平和だねぇ〜♪」
「えぇ、あの、もうシャツはおろしても、よろしくて? 先生。
 それと、その……手……」
「ん? あぁ、ただの触診だよ、触診!」
 しっかりと堪能した後、ふと窓の外に目を向ける。
 
 と、イコンを修理して帰って来た司がメイドに捕まっていた。
 なぜかメイドの服装に着替えさせられようとしている。
 
 っ!
 
 パラケルススに気づいたらしい。
 司は必死に何事かを訴えている。
「ァん? キヨシ探しを手伝えって?」
 
 ■
 
「再教育から逃げたキヨシくんを探すのを手伝え、ですか?」
「いえ、新規入居者の後田様を探しているのですよ?」
 司の言葉に、メイド達は、ね? と互いの顔を見合わせる。
 依頼があるとしたら「新規入居者」だから、「再教育生」なはずはない、と思いこんでいるようだ。
「サービスご希望のご申告漏れと言うこともありますので、一応全下宿生達から御要望の是非を御伺いさせて頂いているのですが……」
「後田キヨシだけが、見つからない、と?」
 えぇ、とメイドはそれは真摯な強面顔で頷く。
「いらっしゃらないのですわ!
 どこを探しても……彼を探して、【出張メイド】サービスをお受けになるか否か、お尋ねせねばなりませんのに」
 よょっと、ハンカチで涙を拭きとる。
(ていうか、無理やり受けさせようとしてません? 君達)
「それで、私はどうしてメイドの格好に?」
「いえ、殿方はこの方がお好きでいらっしゃるかと。
 それに、良くお似合いなことですし、いま諸々の事情からあまっておりますし」
 まーあ、愛らしい、小憎らしいこと♪
 きもかわいくメイド達はよいしょして、司を何としてでもメイドに……つまり唯我独尊のメイド服に着変えさせられた。
 
 管理人室の窓辺に、パラケルススが姿が見える。
 ……助けるつもりはなさそうだ。
(無理?……ですよねぇ〜……ハァ〜……)
 司はクチパクで意志を伝える。
(ではせめて探すのを手伝って下さい、
 見かけたらメールで連絡してくれるだけでも良いので)
 
 ――わーったわーった、ついでに探しといてやるって。
 
 パラケルススは億劫そうに手の動きで伝えた。……あまり頼りにはならなさそうだ。
 
「さて、何処を探しましょうか?」
 メイド達は何事か言っているが、司には別の声が聞こえていた。
(あぁ、また“花粉っぽい症”……ではなくて“幻聴”が……)
「人の心、草の心」が無自覚に発動してしまったようだ。

 そこに遅れてゲルバッキーと共にリルが戻ってくる。
「あああ――っ! 誰だよ! またパパに女装させたのはっ!?」

 ――あ、リルくん……それはそこのメイドさん達に……
 
 だが、司は“幻聴”のため、リルの声はクチパクとなってしまう。
 
 ――ァん? 逃げたキヨシのヤツを探す手伝い?
 ――って事はアレか、全部キヨシのヤツが悪りぃんだよな?
 司の発掘道具の一部をじいっと見つめている。
 ――のぞき穴ぐらい作れるし……よし、アタシもパパと一緒に臨時のメイド手伝うぜ!
 ――イクぜ、ゲルバッキー! 今日は夜露死苦荘の中を探検して遊ぶぞ♪
 ――アタシはとりあえず屋根裏から探すから、ゲルバッキーはキヨシの臭いを辿って探して、見つけたら然りげ無く合図してくれ。
 ――んで、とことん追い詰めてから挟み撃ちにしてとっ捕まえてやる!
 ――パパに女装させた事後悔させてやるっ!
 
 司が気がついた時には、リル達の姿はどこにもなかった。
「まぁ、メイドさん達もいなくなってしまいましたが」
 足下の雑草に話しかける。
「……ふむ、キヨシくんはこの近くの草むらに隠れているのですね?」
 あまり他人事とも思えないキヨシの境遇に同情しつつ、ふらふらと幻聴に言われた個所を探し始める……。


 
 ……先に見つけたのは、司であった。
 リル達が、あー! とやってくる。
 ゲルバッキーは忠実にキヨシの臭いの跡をさがし……朝からの行動の一部始終をくまなく追跡したため、時間がかかってしまったようだ。
 
「わぁ、助けて、司さん!」
「……キヨシくん、私は怖くはないのですか?」
「っ! そういえば……うん、どうしてかな?」
 キヨシは、実は女性っぽい格好のメイドさん達も苦手で、逃げ回っていた。
 この女性恐怖症は、本物の女以外に、女装した女性に対しても反応しているらしい。
 
 草の心を思い出す。
(以前車で彼を助けたから、ですかね?)
 ハァ、と息をついて。
「結局は、思いやりの心なのですね。キーワードは」。
 司が説明をすると、メイド達はようやく事情を理解した。
「なるほど、この方は再教育生なのですね?
 それでは私どもの“シメる”……ではなくて調教の対象外ですわ。ホホホ……」
 メイド達退場。
「でもよぉ、勉強しなくちゃいけないことには変わりはないんだよな!」
 リルはトドメを指す。
「そーでないと! またアタシとパパの時間がこいつに邪魔されちまう!!!」
「うっ、ご、ごめん……でもなんていうか、僕も洒落になってない」
 キヨシだって、好き好んで再教育生になった訳ではない。
 彼にしたって、兄との約束がある。
 だから、はやくここを出て、空大も出て、研究者として大成せねばならない。
「でも、この分だと、野郎の先生しか無理っすね……」
「ですねぇ〜」
 司も、うーんと首を捻る。
 夜露死苦荘で一番隆盛を誇っているのは何と言ってもメイド達と「干し首講座」で、いずれも(たぶん)女性である。

「男の教師ねぇ……」
「思い当たる所が無いわけでもない」
 ゲルバッキーが、おもむろにしゃべる。
「国頭武尊がおこす、私の授業はどうだ?」

 彼を講師に据えて、空大工学部以上に最先端の技術と機晶技術を学ぶ為の施設――「R&D」を実践する為の施設を、イコン駐車場の脇に作る予定だというのだ。
 実現すれば、落ちこぼれとはいえ「パラミタのエリート」たる空大生の再教育に足る施設になるし、ポータラカ人の知識を生かせる場ともなる。
 
「確かに、私が講師になれば他の何処よりも深い知識を学べる。
 機材は、駐車場に止められているイコンや乗り物等を教材に使う事で、実践的な技術も身に付けられる。
 一石二鳥の上、君のような『女性嫌い』な学生の力にもなれると、そういう訳だ」
「……ひょっとして。
 初めからそのつもりで、ゲルバッキーさんはここに来たっすか?」
 いや、とゲルバッキーは首を振る。
「下宿にいるのだから、どーせならば受験生や留年野郎のためにこき使おうということらしい。
 だが、誰かのためになりたい、という考え自体は、そう嫌いではない」
「武尊さんか――」
 
 キヨシ達下宿生達から見れば、武尊は「女子トイレ棟」や携帯基地局を設置した、世話好きな「イイ奴」である。
 パラ実生だがS級四天王だと言う噂もあるくらいだし、人望もあって……つまり悪い印象はない。
 
「そうか……そうだな! 行ってみるとするか!」



 国頭 武尊(くにがみ・たける)は夜露死苦荘近くに設けられた「イコン駐車場」の脇にいて、「R&D」を実践する為の施設――「夜露死苦機械犬(仮)」を建設すべく工夫達(汚亜死栖の住人)を待っていた。
 彼の背後には、実験用に有志が止めて行った以下のイコンがある。
 
 武尊:パワードスーツ隊
 姫宮和希:和希ロボ
 ロザリンド・セリナ:スパルトイ
 立川るる:ネコトラ
 吉永竜司:ヘラクレスグレート

 その他やや離れた個所に、以下の4機が止まっている。
 どれも立派なものだが、これは施設の完成後に整備有無の交渉が必要になりそうだ。

 志方綾乃:トランプル
 伏見明子:LH・エトランジェ
 小鳥遊美羽:グラディウス
 紫月唯斗:絶影

「まぁ、ゲルバッキーが講師ともなれば、そこらの整備施設なんざ目じゃないだろうし。
 断ることもないと思うがなぁ……」
 だがそこは歴戦の勇者であり、地元民達からの人望厚い“X”でもある彼の事。
 自分たちで決めた夜露死苦荘のルールに従い、綾乃達の4機はそのまま触れずに置く。
 武尊は工夫達を待ちつつ、携帯電話を操作する。
「さて、シャンバラの有名企業どもに、メールでも送りつけてやるか」
 撮りためた苦学生達の学習風景や、ゲルバッキーの賢しげな(?)画像を添付して、メールを出す。
「『ポータラカ人・ゲバルッキーのもとで受験勉強に励む学生達に、愛の手を!』、こんなもんでいいか?」

 そこへ、キヨシがやってきた。

 送信ボタンを押して、よっ、と振り向いた。
「自ら学びにくる、か。よい心がけだな、再教育生」
「再教……まぁ、単に留年しただけなんですけどね」
 キヨシはハァッと息をついて、げんなりする。
 浪人時代が長かった彼に取って、「留年すること」自体はさほど苦痛ではない。
 ただし夜露死苦荘での「再教育生」という言葉は、アトラスが支えているパラミタの大地よりも重い。
「何が何でも、ここから這いあがらないと!
 来年の今頃は、命なさそうっすからね、ぼかぁ」
「わかってんなら、さっさと勉強しな」
「……施設、完成してないっすよ?」
「君達にここは、レベル高すぎってもんだろ?」
 おい! と片手をあげた。
 遠くで、影が手を振っている。
 又吉! と叫んだ。相棒の猫井 又吉(ねこい・またきち)のようだ。
 こいこい、と人差し指でキヨシを誘っている。
「いってこい! まずはウォーミングアップだ」

 又吉に連れて行かれたのは、マスク・ザ・受験生の倉庫だった。
 夜露死苦荘よりも大きな平屋の一軒家で、べらぼーに金のかかった内装で、空調設備さえも整った、どこからどうみても「豪邸」と見紛う倉庫である……そう、あくまでもこれは「倉庫」である。
 
(ありえねぇー……)
 入口の前で、キヨシは「倉庫」を見上げて呆然と立ち尽くした。
 思うのだが――自分の四畳半に荷物を置いて、ここで暮らす方がはるかに快適な生活が送れるのではなかろうか?
 
「くっだらねーこと考えている暇があったら、勉強しろ!」
 又吉はキヨシの首根っこを掴んでひょいと持ち上げ、勝手に倉庫内に上がって行く。
「まずは軽くウォーミングアップ――地道に基礎からだ。
『壊れたエンジン』と『壊れたゲーム機』を用意しておいた。
 これを修理して、基礎的な技術と知識の習得を目指そうぜ!」
「あ、うん、ありがとう! で、教えてくれる奴は?」
「『壊れたゲーム機』の指導は俺だ。
『壊れたエンジン』は家出ヨシオが担当する。
 ヨシオってのはなー、あれだ!」
 壁の端を指さした。
 そこには、ひたすら嬉々として『壊れたエンジン』を弄んでいる家出ヨシオの姿がある……。
 
 ……数時間後。
 
「よし、本日の学習はすべて終了だ!」
「キヨシ、よくやったぜ!」
 又吉とヨシオから本日の課題修了のお墨付きをもらったキヨシは、「修理されたエンジン」を抱えて、何やらぶつぶつと呟いている。
「ヨシオが、ちょっとやり過ぎちまったかな……ま、いっか」
 こうして、「エンジン修理オタク」として再教育されてしまったキヨシは、両目を血走らせたまま、ふらふらと夜露死苦荘へと戻って行くのであった。
 
 ――エッツェル先生……修理したいっす。
 
 ブツブツと繰り返しながら。
 
 ……国頭武尊の「夜露死苦機械犬(仮)」は数日後に完成した。
 工期が短かったのは“X”であるがゆえに、今回も汚亜死栖の住人達が協力を惜しまなかったからで、これも彼の日々の人望の賜物である。
 有名企業からの返信は根回しやコネが無かったため、彼の予想通りに時間はかかったが、「未来の空大生」候補への投資と言うことで感触は良く、必要な機材は集まりつつある。
 さすがにタダでとはいかず、「空大卒業後の進路に、提供元会社への入社が有利になるよう働きかけること」を条件として課されはしたが。
 その結果、下宿生達の卒業後の就職先が安泰となり、“X”の下宿での人望は上がった。

 1ヵ月後、ゲルバッキーによるイコン授業が始まり、レベルの高さと覚えやすさから下宿の人気講座の1つとなる……。
 
 ■
 
 キヨシがヨシオに再教育されていた、同じ頃。
 緋王 輝夜(ひおう・かぐや)は義父のエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)を迎えに、夜露死苦荘の玄関にいた。
 荷物をまとめて、その少なさに唖然としていると、マレーナがぱたぱたと走ってきた。
「まぁ、そんな急にですの?
 今日一日くらい、ゆっくりなさっていかれればよろしいのに」
「マレーナ、そのご厚意には感謝するよ。
 けれど、あたし達の時間は短いんだ……」
 
 皐月……
 
 輝夜はすばやく屋内に目を向ける。
 だが、今のところ目的の人物はいない。
 小さなメイドの少女が「キヨシの奴……そろそろ昼飯じゃねーか!」等とぼやいている。
 それがちぎのたくらみ変装している日比谷皐月とは気づかずに、輝夜は胸に手を当ててそっと落胆の息を吐いた。
「じゃ、あたし達はこれで」
「えぇ、気をつけて。道中の安全をお祈り申し上げますわ」
「ありがとう」
 一礼すると、黙ったままのエッツェルと共に、下宿を後にした。
 
「少し、歩いて回ってもいいですか? 輝夜」
「構わないけど……子供扱いは無しだからな!」
「あぁ、わかってますよ」
「もう、それが『子供扱い』って言うんだ! エッツェル」
 あはははーと能天気に笑ったエッツェルは、ふと下宿裏に山と積まれた薪を見た。
 もぞもぞと何かが蠢いている。
 
「キヨシさん、頭隠して尻隠さずですよー♪」
「え、えぇーっ! どうしてバレたっすか? つーか……先生?」
 キヨシは目を丸くして、ひとまず薪の山から姿を現した。
 手元からエンジンが落ちる。
「はい、可愛いお尻が見えていましたからね。
 相変わらず君は平和で良いですね、あはははー」
「どーりで、さっきからメイド達に見つかると思った。
 先生、いつもご指南ありがとうございます」
「ていうか、それって『あんた馬鹿!?』ってことっじゃ……」
 言いかけてとまったのは、キヨシが後退りし始めたから。
「わ、わわ! お、おおおおおおおおお、女っ!?」
「ひょっとしなくても、輝夜さんは女性ですよ、キヨシさん」
 キヨシが逃げ出そうとしたので、輝夜は一喝した。
「女が怖くて、夜露死苦荘になんかいられんのかよ!」
 キヨシはビビって、その場に立ち止まる。
 
「ホントですよ。女性恐怖症だなんて……人生損なことですね……」
 急に両手で胸を押さえた。
 苦しそうに低く呻いて、膝をつく。
「か、輝夜……さん、薬を……」
「エッツェル!」
 輝夜は慌てて懐から薬を取り出して飲ませる。
 
 エッツェルはクトゥルフ魔術の深い領域に踏み込み、魂を穢されていた。
 既に身体の8割以上が異形と化し、侵食される度にこうした発作が起きてしまう。
 だからこそ夜露死苦荘を去ろうと心に決めたのだが、何も知らぬキヨシは、たび重なるのぞきの決行で風邪でもこじらせてたのだろうと考える。
 
「先生……だ、駄目っすよ! 夜通しののぞきは体に触りますって!」
「あははは……そ、そうですね」
 エッツェルは何か言いたそうな輝夜の口を片手で塞ぐと。
「では、最後の授業と行きましょうか?」
 キヨシの果てしなく地味な面をまじまじと眺め、「教師」として諭した。
「キヨシさん……貴方の夢を叶えるための道は、貴方だけにしか歩けません。
 立ち止まってもいい、足踏みしてもいい、ですが必ずまた歩き初めて下さい……」
「? 何を言って……」
「……私の道は そろそろ、途切れてしまいますから……」
「ねぇ、先生……ずっと一緒だよね? 僕達」
「…………」
「何、黙って……大丈夫っす!
 のぞきだって、何だってしっかりやるっす!
 だからまだまだ先生の『愛の伝道』講座は……続くんだろ?」
「……そうですね、続けられればどんなにか……」
 エッツェルは肩で息をしながら、出来の悪い教え子に思いを告げる。
「けれどこの……『私』の心は……キヨシさんの傍にありますからね……いや、そうありたいと願うのですよ、『私』も……」
 
 エッツェルは不可解な言葉をのこし、輝夜と共に去った。
 彼が永久に夜露死苦荘から離れた事をキヨシが知ったのは、下宿に戻ってきてすぐのことである。
 
 ■
 
 ぐしぐしと泣いているキヨシに近づいてきたのは、騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だった。
 彼女は唯我独尊の【出張メイド】の制服たる「イルミンスール初等部の制服」を纏っている。
 だが、キヨシに取って「騎沙良詩穂」という名は別の意味を持つ。
 
 う、わああああああああああああああっ!
 
 キヨシは逃げようとして腰を抜かす。
 手足をジタバタとさせて、その様子は「無様」としか言いようがない。
「うわぁ! 変態アイドル、近づくなぁ!!!」
 夜露死苦荘浪人時代に起きた想像を絶する過去が、一瞬走馬灯のように駆け巡る。
「ぼかぁ、これから先生との約束を果たすんだぁ!
 ていうか、その前に部屋、直せ!」
「えー、詩穂そんなこと言われても分からない!
 ていうか3階作られた時点で、ふつー住めないと思いますけど?」
「そ、それは……」
 確かにその通りで、あれだけ広い階段が作られた時点で、マレーナに別室をあてがってもらった方がよかったのだ。
 というか、どうしてそんなことにも今まで気づかなかったのだろうか?
(……う、くそっ! あとでマレーナさんに頼んで、オーナーさんに交渉してもらおうかな?)

「というわけで、かわいいメイドさんと一緒に、『らぶらぶデートコース』いってみましょう♪」
「ていうか、その前に僕頼んでないし」
「大丈夫ですって!
 空大分校生同志、細かいことは気にしない、気にしない♪」
「どおおおおおおー……しても、やらなきゃいけないっすか?」
「あたりまえでしょ? 何のための【出張メイド】だと思っているんです?
 とーとつですが、この一年間のキヨシ出来事ベスト10は?」
「……騎沙良詩穂が秋葉原四十八星華のリーダーの上に、空大生の上に、ロイヤルガードだって、思い知ったこと」
 もー、いーや。
 キヨシは諦めて素直に従うことにした。
 建前上は、「新入下宿生」として詩穂に『らぶらぶデートコース』を頼んだことにする。
 ただし【女性恐怖症】は未だ改善してないため、ゲルバッキーが間に入るような形で参加する。
 お散歩紐は、詩穂がしっかりと携え……。
「……て、デートじゃなくて犬の散歩じゃないか」
「ポータラ科をディスってんの?」
 
 メイドの詩穂は自動販売機を探してもらって「お水のペットボトル」が欲しい、と言った。
 キヨシはゲルバッキーとともに、へいへいと頷いて、荒野を歩き始める。
 
 はじめ30分ほどは何事もなく過ぎた。
 
 シャンバラ大荒野をそのまま行くのは、ハッキリ言って無謀に等しい。
 だがキヨシは詩穂が「絶対領域」のスキルを発動させているのを知っている。
 何かあれば、自分達を護るつもりでいるようだ。
(人気絶頂のアイドルにエスコートされて、護られて、ぼかぁ幸せだぁ……って、素直に思えた日々がちょー羨ましいっす……)
 魂の抜けた、遠い目。
 それに黙っていれば、詩穂は誰もが憧れる空大の「女子大生」だ。
 男として、ビビってばかりの自分は情けなくなる、などと言うものではない。
(どーして、いつから僕はこんなに、男としてのスキルが低くなったっすか!)
 
 騒ぎは突然起こる。
 ここはシャンバラ大荒野、日常のことだ。
 
「よー、にーちゃん。イケてるねーちゃんつれてんなぁ」
 から始まって、当然キヨシが絡まれた。
 お水のペットボトルの自販機の前である。
「くそ!
 これを通らなくっちゃいけないのかよ!」
「キヨシさん、頑張って!」
 詩穂はほらぁ! と「絶対領域」で応援する。
「頑張ってくれなくちゃ、いやっ!」
 身をくねらす。菫の特訓の所為もあって、効果は倍増。
(くそ! なんだ、この【みんなの妹】的眩しさは!)
 ときおりスカートからちらちらとのぞくおみ足が、きわど過ぎてセクシーだ。
(ぐっ、鼻血は出さないぞ!)
 キヨシは鼻を押さえて、飛びかかった。
 
 猫パンチ!
 
「そんなもの効くか! ここは天下のシャンバラ大荒野だぜェ!!」
 その反撃は見えない力によって跳ね返された。ノックダウン。
 キヨシが気がついた時には、その場はキヨシと詩穂、そしてゲルバッキーの3人しか立っていなかった。
(ガードラインとお下がりくださいませ旦那様で護ったんですよー。
 こっそりエスコートして、詩穂ってば偉い! さすがだね!)
 
 だが口に出しては別の事を言う。
 ゲルバッキーに向かって。
「詩穂もシルバープランやタダ友や学割や“定額”パケットに加入したいの。テ・イ・ガ・ク!」
「て、“停学”なんて! やだ、僕、こんなところで終わりたくないっす!」
 キヨシは頭を抱えて、夜露死苦荘に戻るのであった。

(ありがとう、詩穂さん。
 本当は励ましに来てくれたんだろう?)
 
 だから、進級頑張ろう!
 ポケットの中の「サイン入り騎沙良詩穂プロマイド」にそっと触れる。
 少しやる気の出たキヨシなのであった。