リアクション
ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)がその気配に気づいたのは、配電盤の修復をどうにか完了し、火災区域のスプリンクラーを正常に動作させ終えて負傷者探索チームに合流しようと向かっていた、その道中だった。 * * * 施設内は急速に緊迫感を帯びた。 操られた研究員たちが一斉に攻撃に転じてきたのだ。 「一体どこにこれだけの人間が隠れていたんだ?」 仲間と合流しようと急ぐ彼らに向け、通路の角という角から飛びかかってくる者たちを刀真は分身の術でいなし、手刀で応戦した。 剣は抜けない。彼らは操られているだけだ。 しかし多勢に無勢だった。圧倒的な人海戦術だ。それでもなんとか捕まらずに凌げているのは、彼がそれだけ優秀な使い手だからだ。ナイフを手に向かってくる、その手の動き、視線、足運びなどから瞬時に判断し、最も適していると思われる回避・迎撃行動をとる。掌打、こぶし、蹴り。決して動きを止めることなく、ひたすら己の体を武器とみなし、不殺のかわりに確実に相手を行動不能状態へ追い込んだ。 彼が通りすぎたあとには、痛みにうめく者たちが転がっている。 もちろんそれを可能としたことには、ここが通路内ということもあった。これが外であったなら、いかな彼でもここまでのことはできなかっただろう。攻撃は、ただ数が多ければいいというものではない。戦術としては間違ってはいないが、戦略で誤りだ。動きが制限される場所での人海戦術は、自身の足を引っ張りかねない。 ただ……彼らは、振り回すナイフでだれが傷つこうが意に介していないようではあったが。 「チッ、こちらが気を配ってやらなければならないとはな!」 いら立ちに目を眇め、今しも顔面に突きこまれそうだった者をかばって腕をはね上げる。空いた脇にひざを突き込んだ。 「………ッ…」 肋骨を折られた男は胸を押さえ、言葉もなく沈む。 「刀真!」 月夜が喚起の声を発した。 今かばったばかりの者が彼にナイフを突き立てようとしている。男をねらって、神威の矢が放たれた。 「月夜」 「手加減なんて無理よ! だって……だって、刀真死んじゃうかもしれないじゃない…っ!」 叱られると思ったのか。伸びてきた刀真の手に、びくりと月夜はおびえる。しかし刀真の手は、やさしく彼女の頭をなでた。 「月夜、ありがとう」 「刀真…」 月夜の表情がゆるんで笑みになる。次の瞬間、ずるりと彼女の体が壁を伝って下にすべった。 「月夜!?」 どこかやられたのか! あわてる刀真に、月夜は目を閉じたままつぶやいた。 「ごめん、刀真、こんなときに……私、限界みたい…」 なにが? と問おうとして、刀真は悟った。触れた肌が燃えるように熱い。 「一体いつから…」 白花が倒れているから、言い出せなかったのか。 ――俺がもっと気を配ってやっていれば…。 「くそッ!」 ダンッ! と床に手をつく。その先から、火遁の炎が走った。 彼の今の心をそのまま映し出したかのように炎は猛々しく噴き上がり、敵を左右へ分かつ。 月夜を担ぎ上げ、彼は走った。手にはいつしか黒の剣が握られている。 「……刀真……ごめ……ね…」 「いいから黙っていろ」 もしも前をふさぐ者があれば、今度こそ容赦する気はなかった。 * * * 次から次へと現れる研究員たちの襲撃の手をかわしつつ、小次郎たちは救命ブース目指して走っていた。 「一体どうして、こんな…」 「多分、きみたちがエレベーターを動かしたから! エレベーターが復旧すれば、もうきみたちは用なしだもの!」 はたしてシャインの言葉どおり、エレベーター前は激しい戦闘の真っ只中にあった。 章やハンスが前衛に立って剣をふるうなか、犬や猿たち実験動物の上げるけたたましい叫声に重なって、樹、アキラ、クレア、梅琳の放つ銃声がとどろく。一体いつからこの状態になっていたのか、床はすでにおびただしい量の血で染まり、所々には血だまりすら生まれている。 そこに、実験動物だけではない、操られた研究員たちまでが加わった。サバイバルナイフを手に、己の命も顧みず突貫してくる。何人かは足を撃つことでくじけさせたが、とても全員は捌ききれない。 バリケードは数度の突撃を受けて、ほぼ突き崩されてしまっていた。 「こんな…」 教導団員同士が血みどろの戦いをしている。 気を飲まれ、呆然となる小次郎。彼の横を、グスタフが走り抜けた。小次郎目がけて飛びかかってきたドーベルマンをレジェンダリーシールドで弾き飛ばし、流体金属槍で貫く。 「皆の者、ぼうっとしている場合ではないぞ! やつらの目的はエレベーターの確保じゃ! ここは絶対に死守せねばならん!!」 グスタフの鼓舞に気を取り戻し、彼らもまた参戦した。 リースが不滅兵団を召喚し、エレベーター前の盾とする一方、軽身功を発動させたアンジェラは壁やバリケードを足場として宙を舞い、鳥を打ち落とす。小次郎はグスタフと背中合わせになり、連携して多方向から一斉に攻撃してこようとする犬や猿を確実に射殺していった。 彼らの活躍により、実験動物はほぼ駆逐することに成功した。 しかし時間が経過するにつれ、彼らを挟撃する操られた人間の数は増えていく。続々と集結するその数は、無尽蔵ではないかと錯覚してしまうほどだ。それと比例するかのように、疲労が彼らを蝕んだ。 いくら相手も教導団員といえど、コントラクターである彼らにかなうはずもない。手加減なしなら、ここまで苦労もしなかっただろうが…。 「うわあっっ!」 一瞬の隙をつかれたアキラが背後の敵からナイフを受けた。思わず盾としたカルネイジごと腕を斬られる。大部分は魔鎧が護ってくれたが、手のひらをざっくり裂かれてしまった。 「くうぅっ…!」 「見せろ!」 腕を押さえて身を折ったアキラに、樹が駆け寄り血まみれの手袋をはずさせる。傷口にヒールをかけた。 直後、彼女の背後で救命ブースのドアが大きな音をたてて開く。何事かと目を瞠る彼らの前、ナイフを持った者が次々と飛び出してきた。意識不明の負傷者を装って侵入していた者たちだ。彼らは手当り次第、そこにいる者に斬りつけ始める。 「……いっちー……気を、つけろ…!」 ブースのなか、自分よりはるかに上背のある相手と組み合っている衛の姿が見えた。男の太い手が衛の首を締めている。 「魔鎧っ!!」 駆け寄ろうとした樹の前に、血濡れたナイフを持った男が立ちふさがる。ビュッと風を切り、腹部をねらって突きこまれたそれを紙一重で避けた樹のわき腹に、熱い痛みが走った。 彼女の前、ドアがゆっくりと閉じて、衛の姿は見えなくなる。 「魔鎧! 来い!!」 たまらず樹は叫んだ。 左右どころか円陣の内側からも突き崩された。こうなっては陣形も何もあったものではない。 「――くッ! 李大尉!! こうなっては手加減などと言ってはおれません! このままでは全滅です! 研究員に対する射殺命令を進言します!」 クレアが梅琳に詰め寄った。戦闘の音に負けまいと声を張り上げる。 事ここに到り、もはや救助などと悠長なことは言っていられないと彼女は判断した。皆、自分の身を護るので精一杯だ。 石は地上へ出たがっているという。どんな人間であろうと触れるだけで操れる石。そんな危険な物を地上に解き放つわけにはいかない。どうすればこの洗脳を解くことができるか分からない以上、たとえ射殺することになってもここで阻止しなくては! 梅琳は唇を噛み締め、つかの間逡巡する。そして叫び返した。 「駄目よ! 許可できない!」 彼女とてクレアのした判断が頭に浮かばなかったわけではない。しかしギリギリのところで、まだそのときではないと踏みとどまった。 教導団員が仲間の教導団員を射殺する――それは本当に最後の手段であるべきだ。ましてや彼らは操られているだけだ。石を地上へ出さないことが、そんな者たちを数十人も殺害するだけの理由となり得るのか? 梅琳の拒絶に一瞬クレアの心がざわめき立つ。いざそのときがきてだれも行使する力を持っていなければどうなるのか。ここは自分の責任において命令を出すべきか? そうしたい衝動は大きかった。しかし、この任務の責任者、指揮官は李大尉だと瞬時に己を戒めた。 「彼らはエレベーターを破壊しないため、ここでは銃を使えないわ! 命にかかわらない部位への発砲は許可します! 中・長距離にいる者に発砲する場合は必ずスナイプ、シャープシューターを用いること!」 「了解しました」 とにかく向かってくる者の腕や足を折り、確実に無力化する。彼らはそれに専念した。操られた者たちは痛みを感じないのか己のけがの深刻度もかえりみず攻撃してくるが、足を折られれば歩けないし、腕を折られればナイフを持つことはできない。 疲労が彼らの思考する力を奪い、ひたすら目の前の敵に対処することのみに集中する。1人の例外なく、だれもが少なからぬ血を流していた。もはや彼らを動かしているのは日ごろの訓練の賜物、敵を前にしての反射行動にすぎない。 一体どれほどの時間が過ぎ、あとどれだけの時間が過ぎれば解放されるのか…。時間がどろりとした粘液のように感じられるなか、ついにリースが力尽きて倒れた。不滅兵団がぴたりと動きを止める。 それを横目に見て、ライゼがくるりと身をひるがえした。 「ライゼ?」 垂の呼び声にも振り向かない。その軽やかな足取りには、先までの戦闘で疲れた様子は微塵も伺えなかった。 彼女のひるがえった上着の裾から、一瞬見えたものは――……。 「石だ…」 垂は愕然となった。 『さっきまでは、ちょっと気分悪かったけど、もう、平気。大丈夫』 ぼんやりとした表情で部屋から出てきたライゼの姿が頭のなかで爆発する。 「あのときか…! ――くそッ!! だれか、ライゼを止めてくれ!! 石を持っている!!」 その声に、全員が振り返ってライゼを見た。 嗤いながら走り出すライゼ。今ごろ気付いてももう遅い。戦闘で押されている風を装って、少しずつ距離を詰めて機会を伺っていたのだ。エレベーターまであと少し。 「ライゼちゃんが? ……えーと、よく分からないけど、石を持ち出させなかったらいいんだよな?」 朦朧となった頭でそう考え、一番近くにいたアキラがなんとか掏ろうと試みる。自分が手袋をしていないことに気付いたのは、石の感触を指に感じたときだった。――次の瞬間にはもう、彼は「アキラ」ではなくなっていた。 彼女を止めようと駆け寄ってくる者たちに向け、カルネイジとカーマインをつきつける。 「それ以上、近寄るんじゃ、ない」 「アキラ!?」 目を瞠る彼らの前、その横に、襲撃に参加していたメルキアデスも並ぶ。けん制をかける2人の背後、悠々とライゼがエレベーターの開閉ボタンを押してカゴに入った。直後、クレアが指揮官の懐銃で制御盤へ発砲する。 バチバチと火を吹く制御盤。ビュウッと音がして、エレベーターが停止した。 「もう、遅いんだってば、人間」 ククッと小悪魔のように嗤って、ライゼは宮殿用飛行翼を起動した。エネルギー弾で天井を破壊し、昇降路に向かって飛ぶ。 「遅くなどあるか!!」 決して持ち出させはしない! この命に代えても!! 「クレアさま!」 クレアは己の安全も顧みず、アキラに突撃した。銃弾がかすめた痛みが肩やほおに起きる。それでもひるまず体あたりで彼をメルキアデスにぶつけるや、彼女は昇降路内のライゼに向けて発砲した。 「よせ! 行かせてやれ! ライゼは操られているだけなんだ!!」 垂が銃を持つ手にしがみつく。クレアの3発の銃弾のうち、最初の2発はライゼの張ったバリアで防がれた。しかし垂の妨害が加わって発射された弾はライゼを大きくはずれ、昇降路内で跳ねて思いもがけない効果をもたらした。ライゼの手のなかの石をかすめてこれをわずかに砕いたのだ。 石が、強振動を発した。 |
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