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リアクション
●オープニング 2
それは日常茶飯事的に見る光景だった。
罵倒し、相手を非難する声は何を言っているのかはっきり聞き取れなくとも、殴打したり蹴る音で何をしているかは想像がつく。
「この性根のくさった売女! ひとのものに手を出すなんて!! 二度とそんなこと、できないようにしてやる!!」
彼女はかすれ、ひび割れた声で叫び、平手を打つ。髪を引っ張り、相手が動かなくなるまで執拗に蹴り続ける。
争いではない。ドルグワントはダフマにいる人間には一切抵抗できないように造られている。無抵抗な相手に対する、ただの一方的な暴力だ。ドルグワントが壊れるまで、それは続く。ときには何時間も。最後にはバケットに放り込んで、粉々に破砕されていくのを満足げに見守る。
その非難が正しいのかといえば、完全に正しいとも言えない。ドルグワントは何を命じられても一切拒絶できないのだから。
ドルグワントに人権はない。ましてやベースは彼ら自身。特に初期型は彼らが生み出した、彼ら自身とも言える。科学者たちの持ち物と言えなくなもない。
それにしても度を越していた。見かねたのか1度、アンリが遠回しにザリ博士に進言したことがあった。「メイドを壊されるのは困る」と。
「……ん〜。僕はさ、彼女はやりたいことをやればいいと思うんだよねえ。どうせドルグなんていくらでも作れるんだし」
タリーに伝えておくよ、とザリ博士は請け負ったが、その後も改善されることはなかった。さもありなん。ザリ博士はタルウィ博士にそうさせるためにわざとドルグワントに手をつけていたフシがあった。さもそれが彼女のためであるかのように。
いや、おそらくそれは本当に、タルウィ博士のためにしていたのだろう。彼がそれ以外で動くはずがないのだから。
奇妙な関係。
アンリのデータによると、彼らはだれも名前も知らないような過疎の村の出らしい。アンリを訪ねて来たとき彼らは16歳で、すでに天才と呼ばれていたがまだまだ無名の存在だった。
彼らはどこから聞きつけたのか、構想段階だったアンリのディーバ・プロジェクトに興味を示し、協力を申し出た。アンリは彼らの――というよりもタルウィ博士の熱狂的な熱意に押され、そして彼らの優秀な遺伝子への興味から、チームを結成した。
そのころからザリ博士はタルウィ博士の影のような印象があった。常に彼女の希望が最優先。「タリーがいいならそれでいいよ」彼の行動原理はすべてそのひと言に集約されていた。
アンリはそれを彼らの村の土着的な風習、観念、信仰と解釈していた。月光のような銀髪と赤眼、陽の光のような白金の髪と銀の瞳。彼らはともにまぶしいほど美しく、明晰な頭脳の持ち主で、太陽と月のように分かちがたき一対、完璧な恋人同士だったが、決して結ばれない関係だった。彼らの生まれ育った地では、いとこ同士は口づけすら禁忌とされていたのだ。
物心つく前から植えつけられた観念。それが彼らをスポイルした。
それは己の遺伝子を用いて、あえて外見的に己に似た存在――もちろんクローンといったものではなく、内面的にも構造的にも全く違う別個体――を作り続けるというかたちで表れ、その対象を憎み、破壊する衝動となって発散されているようだった。
アンリは彼らのゆがみに気付きつつも、彼らの奇妙な関係にはあまり興味は持てなかった。それらはすべて彼らの問題だ。プロジェクトに支障をきたさないのであれば、ドルグワントの破壊も目をつぶることにしたようだった。
アンリが興味を持ったのは、あくまで彼らの遺伝子だ。
そして彼らの遺伝子を操作することによって生み出された女神――アストレース。
科学的に生み出されたとはいえ、自分とザリ博士の娘とも呼ぶべき存在にタルウィ博士は恐怖し、嫌悪した。
最初のうち、アンリの申し出に激しい拒絶反応を示し、断固許すことはできないと言い続けた彼女だったが、しかし最終的にはプロジェクトへの科学的興味が勝って、卵子を提供することに同意した。ザリ博士はその点単純だった。「タリーがいいなら」それだけだ。
2人はアストレースがカプセルにいたころから、そして健全な成長のためとカプセルから出されてからも、彼女を「興味深いデータ」として扱った。あえて視界に入れようとはせず、無視を決め込んだ。ドルグワントには世話はできても情操教育は無理だ。結果的に、無関心な2人に代わってアンリがその教育を受け持った。アンリと、そして構築されたわたし、ルドラが。
外界から一切隔離された5階フロア。そこと『繭』だけが彼女の「世界」。話し相手はアンリとわたしとドルグワントだけ。
われわれが期待したとおり、健やかな身体、何物にも束縛されない純真無垢な心を保ったまま、彼女は順調に育ち続けた。
そのすべてを破壊すると定められた時まで、約10年間――――……。
「アストレース。もうじきアストーがここへ戻ってくるよ。きみもうれしいだろう? きみは母のように、姉のように彼女をしたっていたからね」
ルドラからの言葉に、アストレースは何も返さなかった。
無言で車椅子に座わり、空調からの風に髪先を震わせるだけ。部屋は排熱処理のために少し低めに温度設定をされていたが、それにも文句は一切言わない。
おしゃべりな彼女を知っているルドラは少し奇妙な違和感を感じ、何かに腹を立てているのかと思った――彼女が無言になるのはふくれっつらをしているときだけだったので――が、これも当然とすぐ考え直した。プロジェクトで彼女はこうなることが決められていた。それがタルウィ博士の妥協案でもあった。ディーバ・プロジェクトにおけるアストレースは、こうなるのが一番いいのだと。だから今、彼女はそうなっているにすぎない。
それでももう一度、ルドラは試してみた。
あの、きゃらきゃらと屈託なく笑う彼女の無邪気な声が聞きたかった。
「アストレース。これできみを本物の女神にすることができる。アンリの生涯をかけた望みがようやくかなうんだ。残念ながら彼はもういないけれど、わたしたちできっと彼の夢を実現させてみせよう」
これにも、アストレースは何も答えなかった。
分かりきっていたこと。外界の出来事には一切関心を持たない、これが正しい女神の姿――だがルドラとしては、肯定にも否定にもとれる沈黙に、失望を感じずにいられなかった。
キイィ、と車椅子がきしんだ音を立てる。
「疲れたのかい? まだ本調子じゃないようだね。部屋へ戻って休むといい」
ルドラの命令に、それまで無言で背後に控えていた少女型ドルグワントが進み出た。車椅子を操作して『繭』を出ていく。
同じ無音であるのなら、彼女がいない方がはるかにいい。
遠ざかっていく車椅子の車輪の音に安堵しながら、ルドラは戦場へ新たな戦力の投入を差配したのだった。
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