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魂の研究者と幻惑の死神1~希望と欲望の求道者~

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魂の研究者と幻惑の死神1~希望と欲望の求道者~

リアクション

 
「……諒くん、エースさん……?」
 それから少しして瞼を開けたピノは、ぼうっとした目を彼等に向けてから状況が分からない、というように左右を見る。「な、なんで……?」と、倒れた事自体を覚えていない様子の彼女の手を、諒が改めて強く握る。
「大丈夫だよ。疲れちゃっただけだから、ちゃんと休めば良くなるよ」
 ラウンジで倒れたとはっきり言うのに抵抗があり、諒は笑ってそう言った。その時、ピノの服の中で電子音がしてシーラがそこから体温計を取り出す。
「39度を超えてますね〜。ピノちゃん、寒くないですか〜?」
「うん、ちょっと……」
「お薬飲んだ方がいいですよね。……お粥とか食べられそうですか〜?」
「……うん……」
「じゃあ、食堂で作ってきますね〜。お薬も貰ってきますから〜」 
 下はまだ落ち着いた空気ではないが、食堂は2階にある。職員の詰所はそれぞれの階にあるし、安全に支度が出来るだろう。
「あたし……あたし、未来に行かなきゃ……」
 シーラが部屋を出ると、ピノは焦ったように起き上った。エースは諒の隣に座り、穏やかに、なるべくいつもと同じ口調で彼女に言う。
「あまり、自分を責めないようにね。そんなに追い詰めて考えると、体にも良くないよ」
「…………。あたし……皆に心配掛けちゃったんだね……。ずっと明るくしてようと……できると、思ったんだけどな……」
 エースと諒、そして2人の後ろに立つメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)を見ていたピノは、落ち込むと共に残念そうな表情を浮かべた。諒は「無理しないでいいんだよ」と彼女に言う。
「笑えない時は、笑わなくてもいいんだよ。ピノちゃんが笑ってなくても、僕は傍に居るからね。離れないし、話したいことがあったら、全部聞くから」
「……本当に? ……シーラさんが……死んでたとしても?」
「……え?」
 不意を突かれて一瞬どきりとした諒に、ピノは俯いて、少し不安そうに話を続ける。
「……あたしのせいで、未来でたくさんの人が死んだんだよね……これから行く未来が、あたしが『法』を作らないって決めた事でもし平和になってたとしても……フィーちゃんの世界では、子供ができない人はできないままで、死んだ人達は死んだままで、シーラさんだって、もしかしたら……」
「それなんだけどね、ピノちゃん」
 ピノは、徐々に興奮していく。話の内容に目を見開く諒の隣で、エースは彼女を遮った。フィアレフトから話を聞き、ずっと考えていた事だ。
「俺は、今回の事はピノちゃん1人の生死でどうにかなる問題じゃないと思うんだよね」
「え? でも……あたしさえ変な法? を作らなければ……」
 エースは軽く首を振った。ピノの体調がこれ以上悪くならないように寝かせ直し、「ゆっくり聞いてね」と言って笑う。彼女はまだ混乱している。それを落ち着かせる為にも、自分の考えを説明してみようと話を始める。
「そういう法律や考え方が短期間で成立・浸透するっていう事は、以前から、漠然とした不安・種族間の不公平感を無意識の中に抱える人が多いっていう事だよ。ピノちゃんが『ドラゴン達を守ろう』って言っても、賛同する人達がいないと法は成立しないだろ?」
「それは……そうだけど……」
「ピノちゃん1人が死んで、それでそのその思想的な流れが留まるかっていうとそれは無理だと思うな。他の人が法律を要請――提案して、それがまた通ってしまうというのが、その事実を裏付けているんじゃないかな」
 その『思想的な流れ』は誰かが押しとどめられるようなものではないだろう。
「だから、ピノちゃんが法を作らなくても未来は変わらないし、ピノちゃんが殺されても、実は未来は変わらない。俺は、そう思ってるんだ。もちろん、君が殺される必然性も全く無い」
「…………」
 ピノは、ベッドの中でぽかんとした顔をしていた。諒は、エースに同意するように、彼女を勇気づけるように目に希望を宿して頷いていた。
 ピノが死ぬことはない。死んじゃいけないのだという思いを伝えるために。
 メシエも後ろから、エースの話に言い添える。
「このままでは、君が殺されても未来は変わらない。私もそう考えているよ。君を狙っている彼や、未来の人達の中には誰かを『犯人』にしたいという気持ちがあったんだろうね」
 原因を明確にして、感情の矛先を向ける相手が欲しかった。その中で彼らが真っ先に思いついたのが、ピノの存在だったのだろう。
「短命種族は考え方も短絡的なんだよね。もっと長期的視点で色々と感じると、未来への考え方も変わると思うよ」
 やれやれ、というようにメシエが言った後、おそるおそるというように、ピノが少し頭を上げた。
「……じゃあ、未来がひどいことになっちゃったのは、あたしのせいじゃないの……?」
「たまたま、目立ってしまったんだと思うよ。色々な偶然が重なってね。……そう考えると、『法』が出来ないようにする為には、その『思想的な流れ』の方向を変える必要があるのかもしれない」
 高慢とも言えるメシエの言葉に内心で一言物申しつつ、エースはピノに笑いかける。
「流れを、変える?」
「そう。そうして、着眼点を変えてみる。ピノちゃんが未来に行ってもし未来が変わっていなかったら……例えば、法案を出さないじゃなく、その内容を吟味し直してみるんだ。未来に住む人々を見て、感じて、別の人がピノちゃんの代わりに問題の『法案』を出さないようなものを考えてみる、とかね」
 目をぱちぱちささせながら、ピノはエースの話を聞いていた。伝えたかったこと全てを理解したかどうかは分からなかったが、目から鱗的な驚きの表情から涙が止まり、彼女にのしかかっていた重荷のようなものは軽くなっていそうだった。
「……過去は、未来につながっている。今から少しずつ行動を積み重ねていけば、未来は少し違う様相を見せるだろう」
「……?」
 ふと、微妙にエースの口調が変わった気がしてピノはまた瞬きした。そこで「ピノちゃん」と諒が話しかけた。揺らぎも濁りもない瞳で、ピノを見詰める。
「僕は、たとえどんなに説得力があったとしても……ピノちゃんが犠牲になればほとんどの人が助かるなんて話、納得しないよ。だからといって、このままその未来が来て、誰かが死んでピノちゃんが悲しむのも見たくない。ピノちゃんも、ファーシーさんやシーラさん達も死なない方法があるって信じてるよ。だから、その方法を一緒に探して、考えようよ」
「諒くん……」
 自分の考え方がキレイ事だというのを、諒は自覚していた。
『どちらかを選ぶ』のではなく、『どちらも選ぶ』なんて。
 分かっているけれど、譲る気はない。
 本当は、みんなキレイ事がいいに決まっているんだから。
 だから、彼は全力でキレイ事な結末を目指そうと決めていた。
「ありがとう……」
 少しだけ、ピノが笑った。うん、と頷き返した時、シーラが部屋に戻ってくる。
「ピノちゃん、お粥が出来ましたよ〜」
 小さな土鍋に入ったお粥は熱々で、良い匂いで。
 正直、全然食欲は無かったけれど、これなら食べられそうな気がした。
 木匙で掬って、よく冷ましてから一口食べて。
「…………」
「どうですか〜?」
「……うん、美味しいよ!」
 その一言を、ピノは本心から笑って、言う事が出来た。

              ⇔

「ちょっ……! 警戒するにしたって他に方法があるだろ! 離れろ!」
「こうしていた方が守りやすいでしょう! 特に不都合があるわけでもありませんし」
「いや、お前、さっきからう、腕に……」
 望がパークスに向かってから、ノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)はラスにぴったりとくっついていた。宿泊施設に残り、襲撃に備えて警戒するように言われたのだ。それを自信満々に請け負ったノートは、護衛手段として、ラスから片時も離れない(物理)という方法を選んだのだ。
 その結果として、先程から彼の腕がぽよんとした胸に当たっている。
 慌てた口調で促されて胸に目を遣ったノートは、しかし密着度を変えることなくますますラスに詰め寄った。
「そのような事を気にしてる場合ですの!? あなたも狙われているんですわよ!?」
 何せ、あんな襲撃事件があったのだ。襲撃が失敗している以上、あれ1回で終わりとは考えられない。
「いや、一応分かってるけど……にしたって、これ……!」
「まさか、彼に気があるんですか?」
 がっちりと組まれた腕を解こうとラスが試みる中、傍でそれを見ていたアクアが怪訝そうに口を挟む。途端にノートはきょとんとした顔になった。
「? そんなものありませんわよ」
「……そうですよね有り得ませんよね」
 ノートが即答し、アクアはたちどころに元の表情を取り戻した。
「……何か、微妙にムカつくんだけど……」
 相乗効果というのだろうか、2人からの同時否定は相手如何に関わらずラスのプライドを刺激する。
 そう、相手如何に関わらず。
「そうではなく、望が頭を下げて是非にと護衛を頼んだのですから、主たる者、その気持ちを汲み取って完璧なる守りを固めるのが務めでしょう?」
 そして、数秒でその話題を忘れ去ったノートは、大真面目な顔で胸を張ってこう続ける。どことなく、鼻が高くなっているような気もする。実際は――
『あ、お嬢様はこちらに残って護衛をお願いします。パークスには私1人で行きますので』
 という味も素っ気もない言い方だったのだが。
 つまりのところ、邪魔になりそうだから、と望はノートを厄介払いしたのである。
「あ、あの、皆さん……」
 おずおずとした感じで、天神山 清明(てんじんやま・せいめい)――宿儺が声を掛けてきたのはその時だった。

(……実はもう起きてるけど隙が見つからないの……隙さえできればギルティ)の烈風でこんな拘束解いて、すぐにでも壊してあげるのに……)
 拘束直後に目隠しをされ、視界の閉ざされた状態でぴくりとも動かないよう気をつけながら、斎藤 ハツネ(さいとう・はつね)は自分に注がれる人々の視線を感じていた。監視の数が前後することはあっても、誰もが彼女の存在を忘れるような状況は訪れない。
 その中で、宿儺はラウンジに居る皆に土下座していた。
「この度は、宿儺の家族がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!」
 切り裂かれた傷は、まだ完全に癒えてはいない。ハツネと天神山 葛葉(てんじんやま・くずは)を庇うような位置で、包帯だらけの痛々しい体を丸め、床に両手をつけて伏せている。
「家族が起こした事は宿儺が責任を取ります! だから……父様と姉様を許してください!」
「宿儺さん……」
 彼女を前に、フィアレフトは困惑しつつファーシー達に目を遣った。意見を求める為だったが、少女の中で答えが出ていないわけでもなく。
 その場の空気と反応、表情から彼女達が自分と意を同じくしていることを感じ取ってフィアレフトは言う。
「……残念ですが、ご家族を許すことはできません。いえ、許す許さないではなく、まだ、私達を……おじさんやピノさんを攻撃してくるかもしれませんから」
「解放……するわけにはちょっといかないかな。ごめんね」
「解放云々の前に、許す気なんざさらさらねーけどな」
 どこか申し訳なさそうにファーシーが言う一方で、ラスは私怨を隠すことなく切り捨てる。そしてアクアは、膝をついて宿儺と目線を合わせてから彼女に言った。
「……気持ちは分かりました。ですが、貴女がいくら謝っても、この2人の意志が覆らない限りは無意味です。この2人はこの2人で、貴女とは無関係の相手と契約をして、それを実行しようとしています。『仕事』を反故にするという発言が真意としてされなければ、彼女達は敵ですよ」
「敵……」
 宿儺の目が、僅かに見開いた。その一言の持つ響きに少なからずショックを受けたらしい彼女は、辛そうに俯く。
「アクアさん……宿儺はもう、工房の皆さんと一緒に居る資格は……」
「そうですね……」
 否定とは逆のアクアの反応に、宿儺は息を詰まらせる。
「貴女自身は敵ではありませんが、敵と切り離して考える事も出来ません。貴女が工房に居る事で、こちらに危害が及ぶ可能性は十分にあります。現時点では、受け入れるわけにはいきません」
 アクアの声は、淡々としていた。話はこれで終わりかと思ったが彼女は立ち上がらず、「ですが……」と言葉を繋げる。
「貴女が2人を説得するなりして、害が無くなったと真実思えるようになったら、拒みはしません」
「……え?」
 予想外の言葉に、宿儺はつい顔を上げた。目の前には、口調通りに淡々とした、無表情にも近いアクアの顔がある。
「その2人を工房に入れるわけにはいきませんが、安全が確保出来るのなら拒む理由はありませんよ」
「…………。……本当に、いいのですか?」
 宿儺は呆けた顔でアクアを見詰め、それからこの場に居る共同メンバーの表情を確認した。ファーシーはしょうがないな、というように微苦笑を浮かべ、スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)は「仲良くやりましょうであります!」と元気に笑う。宿儺の目に、涙が浮かんだ。目の前のアクアに思わず抱きつく。
「うわぁぁん! アクアさん! 皆さん! ありがとうございます〜!」
「よ、喜ぶのはまだ早いですよ! 共に居たいのなら、まず2人を説得してください!」
 でなければ認めませんからね! と、アクアは拘束中の襲撃者達に顔を向ける。葛葉からは、相変わらず感情が読めなかった。