リアクション
卍卍卍 遊女のほとんどは、貧しさゆえに売られてきた娘である。 親元は給金を前金で受け取って、娘は売られた金額と利子をつけて返す。 また、揚げ代を治める以外にも、衣裳や化粧代、寝具、妹分の遊女の費用など自分で稼がなくてはならなかった。 器量の良い見込みのある娘は英才教育を受けて、高級遊女なるべく行儀や諸芸を仕込まれるが、厳しいランク制があり、最高級遊女となれるのはほんの一握りである。 彼女達のほとんどは廓の中でただひたすら働き、年季が明けるか、身請けされるのを夢見た。 遊郭に入ってきたが最後、それ以外には死ぬしか、大門から出る事はできなかったのである。 「マホロバには遊郭なんてあるんだね。日本人の僕でも流石にこういう場所で遊んだ事はないよ。詳しく教えてくれないかな?」 薔薇の学舎黒崎 天音(くろさき・あまね)は、『竜胆屋(りんどうや)』楼主、海蜘(うみぐも)に話しかける。 海蜘は「ホホホ……」と笑った。 「厳しいしきたりも昔ほどではありませんよ。どうぞ浮世の現実をお忘れになっておくんなまし。ただし、野暮はいけません。通で粋なお方こそ、のれんをくぐれるのが東雲でございます。その格式は今も昔もかわりません」 「そうかい……でもさっきから、遊女達がこちらを見ているようなんだけど。僕が何かおかしいのかと思ってね」 天音は上等な生地の着流しの襟をつまむ。 「まあまあ! あなた様があまりにも粋で男前なもんだから……あの妓たちには後で厳しく叱っておきますので、ご無礼をお許しくださいませ」 天音の視線に気が付いて、若い遊女たちが「きゃあ」と騒いだ。 「本当に恥ずかしいったらないよ。申し訳ございません、黒崎様。お好みの妓がおりましたらお呼びしますが?」 「……年はいくつでも。機転が利いて話の面白い妓がいいな」 「それでしたら暁仄(あけほの)を」 しかし、しばらくしてやってきたのは若い見習い遊女だった。 二階に上がる途中で天音は振り返る。 「あの妓たちまだこちらを見てるね」 「そりゃあそうですよ。若くて色男で……みんな黒崎様に抱かれたいって」 「どうして君が来てくれたんだろう」 「あたしは暁仄姐さん付きの雛妓(ひよこ)ですから。暁仄姐さんにお客がついてなければお相手しましたのに、あたしでごめんなさい」 申し訳なさそうにする雛妓に天音は優しく微笑んだ。 「暁仄さんは売れっ子なんだね。どんな女性(ひと)なのかな?」 「姐さんはあたしの他に妹分の雛妓がたくさんいて面倒を見てるんです。色々仕込んでくれて、この見世の守り神みたいな人ですよ」 妹分の見習い遊女の費用は姉遊女が出すのだという。 天音は「へえ」と感心した。 「そういえば最近、いやな事件が起ってるそうだね。幕府はどうするつもりなんだろう 「お上は遊郭の取締りを厳しくするそうですね」 雛妓は上唇をきりりとかんだ。 「これ以上厳しくなったら、花魁道中ができなくなりますよ。それすらさせてもらえない遊女が殆どなのに」 花魁道中は遊女にとっての晴れ舞台である。 しかし、膨大な金もかかり、華美であり、世の風俗を乱すものとして、『マホロバ門外』の変で暗殺された大老に楠山(くすやま)の改革以降、めっきり減っていた。 現在は、有望な見習い遊女の初客のお披露目か、高級遊女に限られている。 「この見世では胡蝶(てふ)だけですね。あたしはダメです」 「……悲しみにくれているあなたを愛する。だっけ?」 「はい?」 天音はふと見世の名『竜胆』を口にした。 「竜胆の花言葉だよ。遊女はそれが仕事だけど、今夜は僕が話をきいてあげよう。付き合ってくれるかな」 「黒崎様……」 天音に見つめられ、雛妓は顔を真っ赤にしてうつむいた。 ・ ・ ・ 「天音はまだ戻らんのか。こんな時間まで何をやってるんだか」 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は深夜営業している屋台に腰掛けて茶を飲んでいた。 すでに暁九つ(午前十二時)となり、遊郭唯一の出入り口である大門は閉じられている。 ブルーズは、知り合いに向けて遊郭の私見をしたためた手紙を書いていた。 「竜宮城のような建物に、男達が夏の夜の虫のように次々と飛び込んでいく。女は鶏冠(とさか)のような頭に派手な着物で練り歩き、人々がありがたがって見物している。遊郭とは摩訶不思議ナリケリ……さてと」 弥生月とはいえまだ肌寒い。 ブルーズは、天音に襟巻きのひとつでも持たせてやればよかったとブツブツ言いながら夜の月を見上げていた。 ・ ・ ・ 「美女を愛でるのに余計なものはいらん。無粋なだけだ」 罪と呪い纏う鎧 フォリス(つみとのろいまとうよろい・ふぉりす)はただ酒を飲みながら、暁仄の美しい顔を見つめる。 八畳ほどの部屋には、三段に積まれた布団と高枕が用意されていた。 彼女は「床へ参りましょうか」といったが、フォリスは三味でも弾いてくれと答えた。 「おまえが眠るまで待っている。月明かりごしに、美女の寝顔が見たい」 「あたしはあなた様が望めば、朝方までだって起きていますよ」 「あなた様はやめてくれ。むずがゆい」 「では、なんとお呼びしましょうか」 フォリスは杯に映った月を見ている。 「……ベイリン」 暁仄は微笑を浮かべた。 「そのようにいたしましょう。また来てくださるのなら」 |
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