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【一 外野スタンドにて】
蒼空学園校長山葉 涼司(やまは・りょうじ)は、蒼空学園キャンパス内の第二グラウンドに建つ真新しい野球場の外野スタンド最上段に姿を現した。
通路と座席を隔てる金属製の通路柵に上体を預け、頬杖を突く格好になっている。
抜けるような青空のもと、穏やかな陽光の中で、幾つもの影が遥か下方で動き回っていた。
シャンバラプロ野球機構(SPB)に所属するふたつの球団、ツァンダ・ワイヴァーンズと蒼空ワルキューレの二チームが合同で執り行っているトライアウトが、つい先ほどから始まっていたのである。
トライアウトとは、ひと言で解釈するなら公開入団テスト、と思えば良い。
実施プログラムは基礎体力審査に始まり、シートノックを兼ねたシート打撃、及び紅白戦という段取りで組まれている。
トライアウト参加者は、全てコントラクターであった。
当然ながら、身体能力に秀でる彼らが体力的な問題で不合格者を出す筈も無いのだが、万が一、不適格者が紛れ込んでいる可能性を考慮しての、基礎体力審査実施という話であるらしい。
山葉校長は何故か、物憂げな表情で通路柵越しに球場内をぐるりと見渡してから再度、トライアウトに挑む幾つもの影達に視線を落とした。
見るからに、気が重たそうな顔つきであった。
いつの間にか、山葉校長の隣に清楚な面立ちの人影が静かに佇んでいた。
火村 加夜(ひむら・かや)である。彼女は、今回のトライアウトが蒼空学園のグラウンドを使用する以上は、許可を出した張本人である山葉校長も見学しておくべきだという論調で誘ってみたところ、思いがけずOKの返事を貰ったので、心なしか気分が若干高揚しているようであった。
「涼司くん、来てくれたんですね」
「おう、加夜……いや、別に誘われなくても、見に来るつもりだったんだけどな」
あら珍しい、と加夜は聞こえよがしに呟いてから、小さく笑った。しかし決して冗談ではなく、本当に珍しいとも思っていた。山葉校長がこの手のイベントに己の意思で顔を出すなどとは、一体どういう風の吹き回しであろうか。
その答えは、山葉校長自身が、誰に語りかけるともない様子で静かに口にし始めた。
「まぁこれでも一応、蒼空ワルキューレ共同オーナーのひとりに列せられてるんだからな。見ない訳にもいかねえさ」
「えぇっ! 涼司くん、オ、オーナーさんなんですか!?」
さすがに加夜とて驚きを隠せなかった。
が、山葉校長の、この面倒臭そうな気だるい表情から察するに、あまり嬉しくはなさそうであった。その理由を尋ねてみたところ、案の定、乗り気では無さそうな返答が加夜の耳に届いた。
「だってよう、何が悲しくて共同オーナーなんぞやらにゃいかんのだ? すげぇ面倒くせぇったらねぇぜ。何でも近々、オーナー会議ってのが招集されるらしくてよ、それに出なきゃならんらしい。あぁ、面倒くせぇ」
その心底うんざりしている様子から見て、どうやら謙遜でも何でもなく、本当に嫌がっているらしい。余計な仕事を増やされたのが、相当気に入らないようだった。
「環菜の奴、ほんと要らん仕事を残してってくれたよなぁ。特別手当でも貰わねぇと、割りに合わんぞ」
加夜は山葉校長のぼやきに、思わず苦笑を漏らした。と同時に、安堵の色をその青い瞳に浮かべた。
こういうところが、如何にも山葉校長らしいといえば、らしいのだ。
「ところで涼司くんは、このトライアウトをどう見てるんですか? 成功しそうな感じですか?」
「……ま、何とかなるんじゃね?」
あまり関わり合いになりたくない、という本音が隅々から滲み出る投げやりな回答に、聞いた自分が馬鹿だったと、加夜は小さく肩をすくめた。
* * *
山葉校長と加夜が立つ同じ外野スタンドの、最前列付近。
そこに、まだ始まったばかりのトライアウトに熱視線を送るふたつの人影が見える。一方はマクスウェル・ウォーバーグ(まくすうぇる・うぉーばーぐ)で、もう一方は橘 舞(たちばな・まい)であった。
いずれもトライアウトの見学に来ていたのだが、動機には大きな隔たりがある。
マクスウェルは、単純に暇だったから軽い気持ちで見に来ていただけに過ぎないのだが、舞はというと、こちらは決して他人事ではなかった。
というのも、舞のパートナーであるブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が、トライアウトに参加していたのである。舞は付き添いとして会場を訪れていたのだが、折角来た以上はせめてブリジットの応援だけでも、というのが彼女の意図であった。
如何にも百合園の典型的なお嬢様といった風情の舞が、どちらかといえばやや泥臭い雰囲気のスタンドにちょこんと腰を据えてグラウンドを眺めている様は、ある種の異様な空間を作り出している。
しかもティーカップを作法にのっとり、丁寧な仕草で口元に運んでいく様は、最早マクスウェルの目には異次元だとしか思えなかった。
「えぇっと、それで、そのブリジットさん、だっけ? 彼女の応援をする為に、ここに居るって訳で?」
「そうですの。ブリジットってば、運動神経は良い方だから大丈夫だとは思うのだけど、変にサービス精神が旺盛なところがあるから、妙な張り切り方をしないか、少し心配だわ……」
のほほんと笑う舞のおしとやかな仕草に、マクスウェルは内心、酷くたじろいでいた。何だか自分がとんでもなく場違いなところに居合わせているような、そんな気まずい思いを抱いてしまったのである。
いや、本来であれば舞の雰囲気の方が圧倒的に野球の外野スタンドとは相反する筈なのだが、それをいわせない妙な迫力が伴っていた。
トライアウトを何の気無しに見学に来ていただけのマクスウェルは、まさかこんなところで変なプレッシャーと戦わされる破目に陥ろうとは、予想だにしていなかった。
* * *
そうかと思えば、純粋な野球見学とは若干異なる動機で客席に居座っている者も居る。
外野スタンドの別の一角で、たまたまレロシャン・カプティアティ(れろしゃん・かぷてぃあてぃ)、ネノノ・ケルキック(ねのの・けるきっく)の両名と同席する形になったエレナ・フェンリル(えれな・ふぇんりる)は、ネノノの台詞に一瞬、我が耳を疑っていた。
「あら……サッカー選手のスカウトにいらしたの?」
「あ、はい、そうなんです」
何故かはにかんで笑うネノノに、エレナは呆れて良いのか悪いのか、相当判断に困っている様子で、曖昧な笑みを浮かべざるを得なかった。
エレナ自身は、パートナーの葉月 エリィ(はづき・えりぃ)がトライアウトに参加するというので、半ばそのついでという形で見学に来ていたようなものであった。
実際のところ、エレナは野球のやの字も知らないのだが、この機会に自身の世界を広げる意味で見学しておこうという意図もあったのである。
しかるに、隣に座っているこのネノノなる機晶姫の少女は、大胆にもサッカー部への勧誘をトライアウト後に企てているらしい。
大抵の事象には妖艶な笑みを湛え、余裕の表情でそつなく受け流すエレナであったが、流石にこの時ばかりは調子が狂わされてしまった。
「あ、ほら、始まったよ」
レロシャンに呼びかけられ、ネノノは慌ててグラウンドに向き直り、半ば釘付けになるような格好で、基礎体力審査に臨む参加者達をじっと見詰める。
どうやら本気でサッカー部への勧誘を考えているようだ。ここで変な茶々を入れると、逆鱗に触れるかも知れない。エレナはまるでそこには存在していないかの如く、淡々とトライアウトを眺めることだけに専念した。
「あ! ねぇレロシャン! あのひと、凄く良さげじゃない? あの足の速さは本物かも!」
「あぁ〜、うん、そうね。良いんじゃない〜?」
レロシャンはレロシャンで、かなり適当に相槌を打っている。これだけ眠そうな反応を示しても、ネノノは全く怒る様子も見せず、それどころか更に興奮した様子で、身体能力に優れたトライアウト参加者達の姿に嬌声を上げる始末であった。
「ねぇ、よく分からないから頓珍漢な質問だったら御免なさいね……野球とサッカーには、そんなに共通点があるんですの?」
「いぃえぇ、全然。ただ足が速いひとが居たら良いな、ぐらいですね〜」
相変わらず眠そうな反応のレロシャンに、エレナはもう、喋るのはやめようと本気で考えた。
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