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リアクション
【五 一塁側内野席にて】
一塁側内野席の、ダッグアウト近くの席に、長い黒髪を無造作に束ねただけの女性がひとり、組んだ両脚を前の席の背もたれに乗せて深々と腰を下ろし、開始直後のシート打撃をじっと眺めている。
二十代半ば程の、若干茫漠とした表情ながら端整な面立ちを見せるこの女性は、手元の書類とダイヤモンド上を交互に眺めながら、時折、隣の席上に開けているフレンチフライを無造作に手に取っては、もぐもぐと頬張っていた。
その隣にマイクを手にしたメトロ・ファウジセン(めとろ・ふぁうじせん)がちょこんと腰をかけて、覗き込んできた。
「あのぅ、いずれ腕に覚えのある方とお見受けしますが」
「あぁ、わしかいな。福本 百合亜(ふくもと ゆりあ)いいます。まぁ宜しゅう」
メトロはその名を聞いて、一瞬驚きを隠せなかった。
福本 百合亜といえば、日本女子プロ野球界では知らぬ者が居ないとさえいわれる盗塁のスペシャリストであった。勿論、現役の女子プロ野球選手である。
その百合亜がここで何をしているのだろうかと聞いてみたところ、蒼空ワルキューレの守備・走塁コーチ兼任選手として、トライアウトの状況を観察しているというのだから、更に驚きであった。
「いや〜、そうだったんですかぁ! それはちょっと驚きました! しかしそれはそうと、トライアウトの方はいよいよシート打撃に入ってきたようですが、どうやら皆さん、苦戦してるご様子ですね?」
「そらそうや。あんな全力で投げたら、そらあかんわ」
一体、どういう意味なのか。メトロにはよく分からない。百合亜は更に解説を続ける。
「野球の球はな、特にコントラクターの場合、全力で投げればええっちゅうもんやないねん。投球にはな、マグヌス効果っちゅうもんがついてまわんのや」
マグヌス効果とは、ボールの回転によって揚力を得たり特定の変化をつける、或いは逆に回転を加えない投球によって重力による下方向への変化を生じさせる効果一般を指す、と考えれば良い。(尤も、後者は厳密にはマグヌス効果とは呼ばないのだが、便宜上、ここでは一括して論ずる)
例えば直球ならば、バックスピンをかけて投じる為に、ボールの上側の圧力が下がり、ボールの下側の圧力が上がる為、重力に逆らって揚力を得る。
少なくとも本塁付近までは、重力に引っ張られずに揚力を得続ける。
ここから更に、球威が無ければ重力に引っ張られ、球威があれば落差無くキャッチャーミットにまで届く、というメカニズムになるのだが、これが変化球になるとまた話が変わってくる。
圧力の下がった方向に曲がる性質を利用して、投手は横方向や縦方向の回転を意図的に加える。これが一般に変化球と呼ばれる類のものだ。
以上はあくまでも、地球上の普通の人間が投じれば、というケースなのだが、コントラクターの圧倒的な筋力と握力をもってして全力で投球してしまうと、あまりに強烈な回転が加わってしまう為、マグヌス効果が本来以上の効果を早い段階から発揮してしまう。
結果、投手の意図したコースから大きく外れる、或いは相当に早い段階で変化してしまい、ストライクが入らなかったり、変化球が見極められるなどの弊害が多くなり、投球としては全くお話にならないのである。
またフォークボールの場合は逆に、コントラクターが全力で投げてしまうと、その圧倒的なスピードによってボールが重力に引っ張られて落ちる前に本塁上を通過してしまう。
つまり落ちないフォークボールとなり、ほとんど棒球に近い状態になる。打者にすれば、これほどおいしい失投も無いだろう。
「でもそれだと、バッターばっかりが有利になりませんか? ピッチャーは全力投球出来ないのに、バッターは全力で打撃に専念出来るというのは、不公平のような気がしますが」
「必ずしもピッチャーだけが不利っちゅう話でもないわな。たとえ七割や八割の力で投げても、相当な速さと切れになるからな。結局バッターもカウント毎でしっかり読むなり、失投を確実に捉えるなりせんと、まともに打てんよ」
百合亜はいう。
コントラクター特有の絶対的な動体視力でぎりぎりまで見極め、ほとんど本塁上付近にボールを呼び込んたところでバットを振ったとしよう。
そこまで見極めれば、コースも球種も完全に見切ることは出来る。だが、そこからコントラクター投手が投じた超絶的な速度のボールを打ち返す為には、それこそ圧倒的なスピードのスイングをしなければならない。
だが、使用しているバットはごくごく普通の、木製バットだ。
コントラクター打者が渾身の力と圧倒的な速度で振れば、折れることは無いにしても、想定以上にしなってしまう。そうなると、ほんの僅かにではあるが、ミートの瞬間に真っ芯から外れてしまう。
わずかなしなりのずれが、本来捉えるべき芯の位置を狂わせてしまうのだ。
その結果、ボテボテのゴロを転がしたり、打ち上げてポップフライになる。木製バット使用の試合では、野球のボールはバットの芯でしっかり捉えないと、上手い具合には飛ばないように作られているのだ。
如何にコントラクターが非人間的な身体能力と動体視力を駆使しようとも、これだけは、どうにも覆しようがないのである。
「えぇと、それってつまり、コントラクターといえども普通の野球をしろ、ってことになるんですね?」
「まぁ要するに、そういうこっちゃ。普通の野球道具を使ってる以上は、普通の野球をやるしかないんや。それでもコントラクター同士の試合やから、投球速度の平均が30キロぐらいは早うなるんちゃうか」
それから百合亜は、思い出したようにメトロの顔をまじまじと眺めて別の話題を切り出した。
「そういえばスタインブレナーのおっさんが、あんた探しとったで。あんた、フリーのレポーターさんっちゅう話やんか」
「え、えぇ、まぁ」
「あのおっさん、あんたをローカルラジオの野球中継アナに起用したいそうやで。もしその気があるんやったらいっぺん、話聞きにいったら?」
* * *
一塁側内野席の別の一角では、北郷 鬱姫(きたごう・うつき)、パルフェリア・シオット(ぱるふぇりあ・しおっと)、タルト・タタン(たると・たたん)の三人が、あぁでもないこうでもないと、揉めているのか単に大騒ぎしているのか、よく分からない会話に華を咲かせていた。
事の発端は、タルトが野球のルールが分からない、というところから始まった。
「えと、えと……つまり、バッターさんは球を打って走って、ピッチャーさんは球を投げて……」
すると今度はそこへ、パルフェリアがややこしい解説を加える。
「転がった球が線から出たら、スローインで中に返さないといけないからね。あ、ピッチャー以外の守備が素手で球を触ったら、ハンド取られてイエローカード出されるからね」
「ほほう、なるほど、なるほど」
よく分かったのか分かっていないのか、説明を受けたタルトが納得した様子で頷く。
が、すぐにパルフェリアの追加説明が嘘だと分かると、ブチ切れてコークスクリューが飛ぶ始末。
「こんのすっとこどっこいがー!」
一旦は星になって、小惑星イトカワと涙の初対面を果たした後に、パルフェリア帰還。
「へっ、へっ、良いパンチ持ってるじゃねぇか……」
「おぬし、どこのおっさんじゃ」
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