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リアクション
【十 紅白戦 中盤】
紅組のマウンドには、風祭 隼人(かざまつり・はやと)が上がっていた。
登板直後、隼人は三塁側ダッグアウトから真剣な眼差しで見つめてくる優斗に目線で頷きかけ、全力で戦う決意表明をしてみせたのだが、いざ投球が始まってみると、思わぬ展開が待っていた。
いきなりレティシアとアレックスに連続四球を与えてしまい、白組は労せずして無死一、二塁という絶好の追加点機を得たのである。
(や、やばいぞ、これは)
顔では見事なほどにポーカーフェイスを装っている隼人だが、内心は波立つどころの騒ぎではなく、大時化の状態であった。
ここでシルフィスティがタイムを要求してマウンドに走ってきた。絶妙なまでの間の取り方であった。内野も集まってきて、ひとことふたこと、声をかけてゆく。
やがてそれぞれが守備位置に戻ってゲーム再開。狙うはただひとつ。併殺打である。
「打ってみなさい!」
リリースの際にひとこと、気合の雄叫び。
左打席に立つ真一郎から見れば、外角低めに突き刺さるストレートである。
恐らく真一郎にしてみても、分かってはいたのだろうが、つい手が出てしまった。注文通り、ブリジットからカイへ、カイから春美へと渡る6−4−3のダブルプレーが完成し、何とか二死三塁にまでこぎつけた。
ところが、この後がいけない。
二死を取ったところで守りに気が緩んだのか。
椎名の代打として登場してきたあゆみに、タイムリーを浴びてしまった。これで再び白組リードの二点差。
「あぁー、やっちまった。まだまだこんなんじゃあエースは名乗れねぇかなぁ」
後続のマイトを討ち取った後も、隼人はがっくりと意気消沈しながらベンチに戻った。
* * *
白組は予定通りエリィがマウンドに上がり、オーダーは八番に入った。あゆみはそのまま九番キャッチャーとしてオーダーに残る。
紅組は九番ピッチャーからの打順。ここで代打に、加好紘を送ってきた。
よって、隼人は御役御免である。ダッグアウトのベンチに座っているところを古田コーチに肩をぽんぽんと叩かれ、隼人はやや苦笑気味に口元を歪めた。
三塁側ダッグアウトから、隼人にだけ分かるタイミングで、優斗が僅かに頷きかけてきた。
さて、打席の加好紘である。
メイド服を召し上げられ、すっかり調子が狂ってしまっている様子であった。トライアウト運営が用意した運動着に身を包んでおり、むしろこちらの方が動き易そうに見えるのだが、恐らく加好紘にしか分からない微妙な違和感があるのだろう。
感覚の修正が追いつく前に、あゆみの高低を利用した配球に翻弄されてしまい、あえなく凡退。
そして、次に回ってきたのが恐怖の一番バッター、ジェイコブである。
(このひと、ホント要注意だよねぇ)
エリィは内心ひとりごちて、一球目から決め球を放り込む腹を決めた。ややスリークォーター気味に腕を下ろし、ジェイコブから見てクロスファイヤーで飛び込んでくるスライダーから入る。
今日のスライダーはキレが良い。右打者がスイングした後で、余りにも曲がり過ぎて打者の腰元に当たってしまう程の曲がり具合だった。
ところが。
「嘘ぉん!」
思わず変な鼻声で吼えながら、遥か後方を見上げるエリィ。つい一瞬前に放った必殺のスライダーが、いとも簡単に弾き返されて、綺麗な放物線を描いている。
再び一点差に迫るソロアーチを放ったジェイコブだが、矢張り先程と同じように、これでは駄目だ、全く駄目だとぶつぶつぼやきながらダイヤモンドを回る。
ストイックもここまでくれば、一種の芸であった。
しかし、その後は抑えたエリィ。ジェイコブに一発を浴びはしたものの、この日最高の一球で挑んだ結果である。決して悔いは無かった。
* * *
紅組は、加好紘が椎名のところで代打に出た為、投手が代わる。
九番ピッチャー南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)。
「おいおい、いつまで待たせんだよぉ。俺様ちょっと眠くなってきてたぜ」
最初は軽口を叩いて余裕の表情を浮かべていた光一郎だったが、マウンドに立って外野を眺め、次いで本塁方向に踵を返した時、思わず両目を剥いてしまった。
見慣れた顔が、バッターボックスに立っているではないか。
「……鯉くん、ハイそーですか。いきなりそーきますかね」
オットーの無表情な目が、こちらを睨んでいる。何でも良いから投げてこい、という意思表示であろうか。
「いよぉっし。んじゃあいったろーじゃねぇか」
光一郎がワインドアップからの一球目を投じたその直後、世界が暗転した。
* * *
オットーの放った打球はピッチャー返しとなって、一直線に光一郎の顔面を強襲した。避ける暇も無く、一撃でKOされてしまった光一郎。
両軍ベンチから一斉にひとの群れが飛び出してきて、マウンドに集まる。
「いやいやいや、手加減はしたつもりが、ちと狙い過ぎた」
腕を組みながらしたり顔で眉間に皺を寄せるオットー。すると突然、光一郎がガバっと起き上がった。
「狙ってたんかい!」
「ほうらほら、そんなに暴れない。絶対安静が必要だぞ」
九条先生、再登場。
普通なら頭部に打球を浴びた患者は担架で担いでいきそうなものだが、何故か光一郎の場合は白衣の背中におんぶされていた。
「う、いてて……頼むよ九条先生、ゆっくり歩いてくれ。頭に響くぜ」
その瞬間、九条先生、即ちジェライザ・ローズの表情がぱぁーっと明るくなり、周辺に金粉でも撒いたかのような輝きがきらきらと舞った。
そして肩越しに光一郎へと振り向いたその面は、爽やかなイケメンと化していた。あまつさえ、歯が眩しいぐらいに光っている。
「ま、任せたまえぇ!」
そのまま、物凄い勢いで医療室へと走り去っていってしまった。
光一郎の『ゆっくり歩いてくれ』という頼みなど、まるで聞いちゃいねぇ。
* * *
ジェライザ・ローズが光一郎を連れて仮設医療室に戻ってくると、裏方としてボランティア参加していた七瀬 歩(ななせ・あゆむ)とセレスティアのふたりが、医療品の補充作業を終えようとしているところだった。
歩の担当は元来、グラウンド整備と観客席での売り子だった。グラウンド整備はそう毎回ある訳でもなく、また観客席の方もあまり客足が伸びず、売り子は不要だというスタインブレナーの判断もあり、忙しいセレスティアのサポートにまわるよう頼まれていたのである。
そんな歩とセレスティアの目の前を、何故か嬉々とした表情でジェライザ・ローズが足早に過ぎ去ってゆき、室の奥に設置されている簡易検査台へと向かっていった。
背負われている光一郎はといえば、凄まじいという表現がしっくりくる程、顔面が真っ白に青ざめている。
「今のひと……大丈夫かなぁ。何だか、とっても危なそうな雰囲気だったけど」
歩は他人事ながら、本気で心配になってきた。人間、あそこまで顔面蒼白になれるものかと感心する程に、光一郎の顔の白さというか土気色具合というか、そういう危ない色合いが凄かったのである。
「ま、まぁ九条先生のことですから、大丈夫でしょう……多分」
乾いた笑いを残して無理矢理自分を納得させているような、そんなセレスティアの困り顔に、歩はこれ以上は聞いてはいけない何かを察したらしく、そこで口をつぐんでしまった。
すると、そこでセレスティアが話題を変えてきた。何か別の方向に気を逸らせておかないと、やっていられない気分だったのだろう。
「そういえば歩さん。オーナーさんから、球団職員へのお誘いがあったのではありませんか?」
「あ、はい、それなら保留にしました。何だか、ちょっと違うかなっていうのが、自分の中にあって……」
今回、歩が裏方としてボランティア参加したのも、巡やホワイトキャッツの皆の為にという意識からのものであり、プロ野球そのものに積極的に関与しようという意図があった訳ではなかったのである。
ところがそういう人物に限って、スタインブレナーの目にはよく留まるらしい。皮肉なものである。
* * *
そしてそのスタインブレナーだが、彼は携帯電話である人物との交渉を終えたところであった。
一塁側バックネット裏の、場内放送をシャットアウトした特殊な空間。その中心の客席に深々と腰掛けて話していた相手は実に、キャンディスのパートナーである茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)だった。
スタインブレナーは今この瞬間、清音からひとつの承諾を得た。
それは、今後キャンディスが継続的にSPBの審判員として研修を受ける可能性があり、その都度キャンディス自身の意思に清音が一切関知しない旨の言質を、たった今取りつけたのである。
携帯を切り、グラウンドで必死にジャッジする二塁塁審のキャンディスを、スタインブレナーは満足げな笑みで眺めている。
キャンディスのあの外観を、これ程充実した表情で眺め得る人物が居るということの方が、賞賛に値すべきであろうか、否か。
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