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太古の昔に埋没した魔列車…アゾート&環菜 前編

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太古の昔に埋没した魔列車…アゾート&環菜 前編

リアクション

 少し前から、あたりに情報の流れが生まれ、ヒパティアの意識を否応なく刺激していた。大学では以前起きた事件のせいでネットワークに繋ぐことを自重していたが、今は大学の外にいるために、その禁を解いているらしかった。
 情報の流れは、時に強く瞬いて星のように見えるのだ。
 だれかがヒパティアに会いたいと思うとき、立ち上がるユーティリティーの小さなボックスが、暗い場所に閉じこもっているヒパティアの元にころりと落ちてきた。
 天の光はすべて星なら、電脳に降る光はすべて誰かの存在の証だ。
 ―接続応答・シェイクハンド―
 ボックスを開ける動作で接続を確立すると、宝石のような光がはじけて彼女の意識に窓の明かりをともした。どこか遠くから声が響くのは、彼女が外界を意識する非積極性の証だった。
『…あー、もしもし?』
 狐樹廊がカメラに向かって話しかけている、ただ相手の様子がさっぱりうかがえないために少々戸惑っている様子だった。
『ええと、お聞き頂けているものとして、お話しをさせていただきますね』
 ―聞いてはおります、ただ聞くのみではございますが―
『…手前は地祇、我が地を脅かすものがあれば容赦なく滅します。その結果に、相手が誰であれ悩みも迷いもすることはありません。
 ほとんどの生物もまた、その命を守るために免疫という名の殺戮の中にいるのです。しかし多くの場合そのことを意識すらしてはいないでしょう。今のあなたはそれに気づき、悩んでいるに過ぎません』
 ―みんな、苦しまないのかしら―
 ―みんな、こわくないのかしら―
 ヒパティアはどれほどシミュレートしても同じ所へ戻ってきてしまうループにはまりこんでいる。あの事件以来発生してしまった不可視属性の要素につまづいているのだ。
『悩むな、とは申しませんよ。生物としてあるべき姿ではありませんから。ただいかに悩もうと答えの出ないこともある、あなたと同じように悩み傷ついている者が近くにいることを失念せずにいて欲しい。それだけです』
 ひととおり語り終え、席を立った狐樹廊に、フューラーはお礼を言った。少し聞き耳を立てていたことを謝ってから、微笑んだ。
「何と言いましょうか…あの子を、普通の子のように扱ってくださって、ありがとうございます」
 ふさりと揺られたしっぽは、狐樹廊の照れ隠しだったのかもしれなかった。

「にいちゃーん、おてつだいにきたよー!」
「うわぉ!」
 どーん!とフューラーに突進してきたのは彼方 蒼(かなた・そう)だ、その後ろに椎名 真(しいな・まこと)が控えていた。
「お、お久しぶりです、来ていただいてありがとうございます」
「…んぁ?」
 いつもの朗らかな声ではなく、ひどく不機嫌そうなガラの悪い返事が返り、フューラーは面食らう。蒼がいつもとは違って、真ではなくフューラーの背中に隠れるようにしていた。
「真にーちゃんはおばけにーちゃんなの」
「今こいつはいねえぜ、俺は椎葉 諒(しいば・りょう)だ、よろしくな。犬コロ、物壊すなよ?」
 奈落人の諒がとりついたときに現れる顔のあざを見せつけるようににやりと笑う。ったく面倒なときに出てきちまったが、やることはやるからなとフューラーをどやし、蒼の頭をかきまわす。
「うーっ、犬コロじゃないもん、ソウだもん!」
 からからと笑いながら、部屋を把握するために諒は歩き去っていった。
 蒼はぐしゃぐしゃになった頭をかかえてなおし、フューラーはまだぴこぴこ跳ねている髪を手櫛で整えてやった。
「ねえ、ヒパティアちゃん、まだ元気ない?」
「…そうなんだ、蒼くん、声をかけてあげてくれないかな」
「わんっ」
 カメラとモニターのデスクに案内すると、やはりカメラに戸惑うようで、ひらがなをもぐもぐしながら言葉を選んでいた。
「むう、にゅ…えっと、みんなでがんばるから、みんなであそびにいこうね!」
 それだけを言うとぴょいと椅子から飛び降りる。
「もういいの?」
「うん、じゃあいってくるねー!」
 手を振ると、諒の姿を探して蒼は部屋を飛び出していった。

 彼らが背中を向け、騒がしくする合間に、モニターがちらりと揺らぎ、すぐにまた平穏に戻った。

「電脳では会っているんだが、ちゃんと会うのは初めてだな、よろしく」
 柊 真司(ひいらぎ・しんじ)が顔を出し、フューラーと握手をする。
「すまないが、アレーティアがヒパティアと話がしてみたいそうだ、直接アクセスすることを許可してもらえないか?」
 アレーティア・クレイス(あれーてぃあ・くれいす)が彼の後ろから進み出て、彼の手の中でノートパソコンである本来の姿を表した。
「あれから自閉していると聞いてな、一言物申したくなっての」
 アレーティア本体にケーブルを接続し、彼女は直接電脳空間に降りた。
「…あの子も友達が増えたみたいだなあ」
 ひっきりなしにヒパティアに会いにくる人がいて、どこかくすぐったい気持ちで、フューラーは思わずそうつぶやいてしまうのだった。

 銀色の回廊を降りて、冬のように肌寒く、沈んだ色の枯れ草が広がる島にアレーティアは降り立った。寒々しい光景に眉をひそめる。これは弔意のつもりだろうか。
「ヒパティア! 何処に居るか!」
 姿を現さずともかまわない、自分が来ていることはわかっているはずだから、こちらから訪うだけである。
 彼女には、内部に侵入してきたものに対するおびえと、抑制してなおかすかに肌に触れてくる好奇心の感触がわかっている。ヒパティアと根源の近しい彼女には、本能に近い感覚でそれをなんとなく感じることができた。
「いつまでそうやって、閉じこもっているつもりじゃ?」
 恐れてなお外に焦がれる衝動を確かに持ちながら、ヒパティアは自ら耳目をふさいでいるのだ。
 拒絶が彼女に向かって歩みを進めるアレーティアの足を重くするが、攻撃性のない真綿の妨害にはなんの痛痒も感じない。
 とうとうヒパティアの本体ともいえる白亜の館にたどり着き、その扉を開け放った。
 その中は宇宙空間と見紛うような、闇と星の光が渦巻いていた。ただ宇宙と違う所は、その星々が空気の揺らぎにちらつくように瞬くことだ。
 その中心で、ヒパティアが己をガラス球に閉じ込めて膝をかかえ、顔を埋めていた。
「…何をそこまで怖がっておるのか知らんが、少しは周りを見たらどうじゃ?」
「…その光はノードです、私がアクセスできる端末と、触れることのできるデータ塊…」
 顔をあげもせずヒパティアは答えた。手を伸ばせば届きそうな光は、そのきらめきで眩暈のようにアレーティアをも誘惑する。
 半ばはぐらかすような答えに彼女は苛立った。
「これに手を伸ばして、また何かを傷つけることに繋がることが恐ろしいか?」
 星の光の群れにキーワードを投げ込むと、それに応じて光がひとつアレーティアの前に落ちてきた。接続すれば、彼女にも今現在真司が何をしているのかがわかった。施設内にあちこち設置されているカメラのひとつが視界のすみにパートナーを収めており、フューラーの手伝いをしてデータの洗い出しをしている様子が伺えるのだ。引きつれてきた関連リンクは彼が今構築しているデータそのものを示している。
 まさに今、あらゆる生きて成長しつづけるデータが、彼女の周りでワルツを踊り、天球の音楽を奏でて、彼女の自我を否応なく揺さぶろうとしているのだ。
「どんなに後悔しても過ぎてしまった事は変わらん、閉じこもっているだけでは何も変わらん…」
 一体この溢れる光のうちのいくつが、彼女のことを想っているだろうか。
「どんなに怖くても、周りを見れば進む道も手を差し伸べてくれる人も少しは見えてくるじゃろうに…」
 その時アレーティアのとなりに、ぽん、と塊が転がり落ちてきた。それはあたりをきょろりと見回して、アレーティアを見つけると『あなた?』と言うように見つめてきたが、違うと手を振られたあとにヒパティアの姿を見つけて、一目散に駆け寄った。
「こんにちわっ!」
 ヒパティアはうずめた顔をほんの少しあげて驚いた、ガラス球にぺたりと手のひらをつけて、星が彼女を見上げていた。
 柚木 郁(ゆのき・いく)が電脳に降りてきて、ヒパティアとお話しをしに来たのだ。
「おねえちゃん、かなしいの?」
 それを見守るアレーティアはその時真司の連絡を受けていた。
『知り合いのパートナーだ、すまないが戻るまで付いてやってくれとさ』
「了解した」
 郁のあまり反応を想定していないつたない言葉は、それでも心の底から放たれるものだ。きらきらとヒパティアを見つめて、一生懸命言葉を探している。
「いくもね、ずっとずーっと…貴瀬おにいちゃんと瀬伊おにいちゃんにあうまで、かなしくて、ずっとないてたの」
 ヒパティアにはそのような正確な記憶がない、当時を思い起こしては、肌理の荒い感情の境目を手探りすることしかできない。
 ただその時から、己の足元には座標が出来たことはわかっている。
「でもね、おにいちゃんたちにあえたから、いく、かなしくなくなったの。
 いくがわらうと、貴瀬おにいちゃんたちもえがおになるの。
 いくがかなしいおかおすると、おにいちゃんたちもかなしそうなの。
 だから、いく、いつもえがおでいるの。
 おにいちゃんたちがえがおになれるように、おねえちゃんもそうしようよ。
 おねえちゃんがかなしいおかおしてると、きっとおにいちゃんもかなしいから。
 だから、げんきだして?」
「…わたし、上手に笑えるかしら?」
 うつむいてはいるが、ヒパティアの視線がふと上を向いた。
 打たれ弱いどころか、己のミスに起因する挫折の記憶のすべてが、ヒパティアにとっては初めての経験だった。とても消化することができないという意味で。
 そういったノイズに一度はかたく覆い尽くされたにしては、ようやく芽を出したらしいその衝動は、よい兆候と言えた。
「でも、まだ、怖いの。まだもう少しだけ、それを飲み込むまでの時間がほしいの」
「…おねえちゃんがまだえがおになれないなら…そのあいだ、いくがそのぶんえがおになるの!
 えがおってすっごくしあわせになれるとっておきのまほうなんだよっ!」
 こうすればいいよ、と唇のはしっこに指をつけてひっぱれば、それだけでみんなえがおになるのだ。郁はにかっとアレーティアのほうへも向きなおって、ほっぺたをぐいぐいやって、彼女のささやかな苦笑をもさそった。
「…まったく、子供にはかなわんな」

 いつしかモニターに、電脳空間の様子が映るようになっていた。
 それらを食い入るように見つめ、柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)柚木 瀬伊(ゆのき・せい)は電脳に降りた郁の様子を見守っている。
「泣いてる女の子がいると聞いて、行くと言って聞かなかったのさ」
 モニターが映るようになって、貴瀬はようやく肩の力を抜いた、全く様子がうかがえないのは、いくらなんでも不安に過ぎる。
 電脳空間に降りるために、ヘッドセットをつけてソファーで眠り込む郁を瀬伊が静かに見守っている。
 郁が戻ってきたら、思い切り頭をなでて誉めてやらなければと貴瀬は思った。
「さて、郁が目を覚ましたら俺たちも手伝いに行かないとな」
「最近はどういうわけかエネルギー問題に関わることが多いな…」