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第4章 牢の中の春闘


 シャンバラ、自宅。これはもう少し後の時間。
 瀬島 壮太(せじま・そうた)は冷蔵庫からペットボトルのコーラを取り出した。
 夜、風呂上りの静かで穏やかな時間。時計を見れば針はもう11時を過ぎている。
(あいつヴァイシャリーに出かけたきり帰ってこねえけど、なんかあったのかな? まああいつも、もう16だし、そのまま女のところにでも行ってるかもしんねえしな)
 キャップにかけた手をふと止める。
(……でもなんか引っかかるな。あいつもダチにも連絡したほうがいいかな?)
「……これってもしかして過保護ってやつか? クソ、がらじゃねえよ。早く帰ってこいっつーの」
 迷いを振り切るようにキャップを捻り、そのまま炭酸を喉に流し込む。勢いが良すぎてむせた炭酸は、少し強い味がした。

 ヴォルロス、ヌイ族のぬいぐるみ販売店にて。
「あんのフリーダムはまた何処ほっつき歩いてるんだろうなあ」
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)が、抱えてたクマのぬいぐるみにかかった“もふもふの魔力”から解放されたのは、パートナーの姿が見えなくなって一時間ほど後のことだった。
 そういえば失踪事件とかいう話があったなと思い出すが、
(連続失踪事件? ないないあってもあのフリーダム向こうが手に負えんて。まあそのうち帰ってくると思うけどねえ)
 ……。………。
「ま、事件は気になるし捜索隊には協力するかなー」
 カガチはぬいぐるみを購入すると、袋を担いで店を出る。

 宿の一室にて。
「シシルー、セオー。いたら返事してー」
 扉の裏、クローゼット、果ては枕の下までひっくり返していた五月葉 終夏(さつきば・おりが)は息をついた。
「まさか、二人して気まずくなって、別々にどこか行っちゃったってことは……ないね」
 彼女のパートナーの守護天使は、兄妹だった。けれど、兄のセオドアの方は事故を起こして、家を勘当されている。以後長い事会っていなかったせいか、まだ二人の間はギクシャクしていた。
(やあ、世話の焼ける兄妹だ)
 だから終夏は、先程二人っきりにしてみたのだ。
 妹のシシルが兄に憧れを持っているのも知っている。決して嫌い合っている訳じゃない。こうやって旅先なら素直になれるかと思っていたから。だけど……。
「二人でどこかに遊びに行ったならいいんだけど、連絡くらい欲しいなぁ」
 携帯電話にかけてみたものの、不通だ。
 ……ふと、彼女は失踪事件の噂を思い出し、自身のヴァイオリン・ゼーレを手に取ると、宿を出た。バイオリンを弾きながら、彼女たちを求めて街を歩く。この音色が耳に届くことを願って……。

 商店街にて。
 周囲を盛んに観察しながら、足早に歩くのは高務 野々(たかつかさ・のの)
 ヴォルロス観光に行ったパートナーと連絡が取れなくなって数日。一度は最悪の事態も考えたが、野々には心身へのダメージなどはない。
(もしかして愛想を尽かされたのでは、と思ってしまうのは仕方ない。難儀な性格をしてる私のせいなのだから)
 船に乗るまで悶々としていた彼女だったが、失踪事件だと知りここに来た。
 もし愛想を尽かされたのだったら、ここに来ることが彼女の迷惑になるかもしれないし、どんな顔をして会えばいいのか分からなかったけれど。
(私の大事な、大切な、家族を攫った事を後悔させてあげましょう!)
 野々は誓いながら、ただ焦りのまま、衝動のままに街を歩き、やがて駆けだしていた。
 もし再会できることがあったら、もう少し素直になろうと思いながら。こんなことになった時、後悔しなくていいようにと。



 守護天使には、ヴァルキリーと同じく、光翼種と有翼種がいる。
 有翼種は文字通り実在の翼が生えており、光翼種は、本人の意思によって光の翼を出し入れできる。そして、羽根は身体から離れれば消えてしまう──。
「入れ」
 浚われ、囚われの身になった守護天使たち。彼らのうち、光翼種と思われる数名が牢屋から連行された先は、不可思議な部屋だった。
 工場のような飾り気のない部屋とは程遠く、羽を毟るような台すらもなかった。中央には魔法陣が書かれ、壁には本棚。幾つかの机の上には広げっぱなしになった本や、筆記具、色々な色の薬品が入ったフラスコが並んでいる。
 しかしいくつものトルソーと服やドレス、ミシン、様々な布地を巻きつけた棒が入った籠などがあり、中央の広いテーブルにはものさしや鋏が放置され、服飾店のようでもあった。
 怯える彼らの背後から警備員という名のガラの悪い傭兵たちが出て行き、ガシャンと扉に鍵がかけられる音がした。
「まるで、魔術師の部屋みたいだ」
 ぽつりと、一人の青年が呟く。すると部屋の中央に立っていた女が振り向いた。
 長い黒髪に、工場に不似合いなロングドレス風のローブを着た女性──三十半ば程だろうか。
「うふふ、その通りよ。でも世間はそうは見ないかしらね」
 彼女はテーブルから鋏を取り、
「単位が取れずに魔法の学校を退学しているのよ。ま、後悔してないけどね。それもこれもこの研究に没頭していたから──」
 彼女は守護天使たちに近づくと、鋏を持たない左手で、一人の背中に手を伸ばした。白い手袋をはめた手を当て、何か呪文を唱えると、一枚握られた光の翼が、手に残った。
「この美しい光の翼。散って消えてしまうには惜しいもの。私はずっとこれを求めていたわ。これを手に入れる方法を、身体から引き出す方法を……そして織る方法をね」
 恍惚としている女性を見ながら、
(……でも、私、……)
 守護天使の中で。結崎 綾耶(ゆうざき・あや)は、俯いて手首を見つめた。そこには勿論枷が嵌っている。
「どうしましたか? ……いや、どうした、もないですよね。困りましたね」
 一人の大きな光翼を持つ守護天使の青年が、あまり困ってもいないように、苦笑した。もしかしたら、そうすることしかできなかったのかもしれないが。
「あの……お名前は?」
 綾耶は尋ねた。次から次へと変わる状況の変化。現状の把握と脱出のためには、とにかく同じ境遇の人間と協力しければ。
「……君は? いや、きっと聞いても忘れてしまうよ。大層な名前でもないし、こんな時だしね」
 その返答に、彼女は少しだけ笑った。
「だったら……私のパートナーの名前は、匿名 某って言うんですよ」
 その名に、青年は目を丸くする。聞き取れなかったと思ったのだ。或いは聞き間違いとか。
「え? ……誰?」
「とくな なにがし、です」
「……それって人の名前……?」
 失礼なことを言ってから、青年は何か考え込んでいるようだった。
「君のことはきっとその人が助けてくれるよ、うん」
 と、どこかうわの空で守護天使は言う。
 そんな雑談をしている間に、綾耶が女魔術師に呼ばれた。彼女が緊張した面持ちで一歩を踏み出したその時。
 傭兵が、うさぎのゆる族を連れて入って来た。
「裁縫室はここじゃないわよ」
 恍惚の時間を邪魔されて不機嫌そうな彼女に、傭兵は一言、
「副店長、店長がお呼びだそうですよ」
「……そう、いいわ。じゃあ、戻ってくるまで、ここの警備は宜しくね」
 副店長と呼ばれた女魔術師は出ていく。そして、男は目深にかぶっていた帽子から、ゆっくりと顔を上げる。


(綾耶……、なんとしても救出させてもらう)
 この三十分ほど前のこと、二足歩行のうさぎ──もとい、ヌイ族の店から体験用の着ぐるみを借りた匿名 某(とくな・なにがし)は、沿岸部の工場付近を捜索していた。
 刺の付いた高い柵をぐるりと一回りして、侵入できそうな場所を探す。
(お、あそこならいけそうか?)
 柵の側に、一本の太い樹が生えている。某はよいしょと枝に手をかけて登ると、そのまま敷地内にジャンプした。
 着地音にガラの悪い警備員……傭兵が駆けつけて来るも、“ヒプノシス”で眠らせて……。
「おい、起きろ」
 ゆさゆさとゆられた傭兵が目を覚ますと、視界は何故か狭くなっていた。それに全身が何故か重く、何かに拘束されているような……。
 そして工場の草むらの影に連れ込まれた傭兵の胸ぐらを掴んでいるのは、もう一人の警備員。
 いや、違う。掴まれているのは着ぐるみのうさぎ──掴んでいるのは、警備員から服装を剥ぎ取った某だった。
「ここはフラフィー寝具店の工場だな?」
「あ、ああ。お前は誰だ?」
 某は質問は無視して、厳しい口調で問い詰める。
「……で、最近ヴォルロスで起きてる誘拐事件の被害者はここにいるのか?」
「し、知らな……」
 がすん。某が側の木を殴ると、契約者ゆえの力か、それとも怒りに任せたものか。木肌に拳がめり込んだ。さっと傭兵の顔が青ざめる。
「……そ、そうだ。連れてきた人間は、ここにいる」
「じゃあ、何処に収容されてるか……中について聞かせてもらおうか? おっと、その前に言っておく。嘘は吐くなよ、容赦しねえぞ」
 某はそうして、彼から情報を聞き出した。

 工場は、地上二階地下一階の建物だった。
 地下には誘拐した人間を閉じ込めておく牢屋があるらしいが、男は外部の警備が主任務で、建物の間取り等の詳細は判らないという。
 一階の大部分は本当に「まっとうな」商売、ここで育てている水鳥用の作業場になっており、二階に店長の事務室や、特別な加工場があるという。
「変な行動をしたら、その瞬間命はないと思ってもらおう」
 彼はゆる族に偽装した傭兵を連行したまま、新入りを連れてきた、と言って工場に侵入した。そして──。
「綾耶、待たせたな」
「某さん!」
 目じりに涙をためて駆け寄ってくるパートナーの少女に、某はにっと笑ってみせる。
「どうしたんですかその恰好。……そ、そうでした。他の皆さんは地下に……」
「地下の方は警備のローテーションが決まってるらしくて、俺一人で全員を救出するのは無理だ。でも、お前一人なら多分気付かれない」
 某は彼女の背を見つめて複雑そうな顔をしてから、枷を真空波で断った。
「逃げるぞ」
「……はい」
 二人は部屋を飛び出した。