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「理不尽だ」
 エルシア・リュシュベル(えるしあ・りゅしゅべる)は、両手に填められた魔法の枷を見下ろして、呟いた。
 枷はそのまま鎖で、壁に繋がっている。
「とても理不尽だ」
 最近評判だという羽毛布団を買いに行っただけなのに、誘拐されたらしい。
 しかも。
「入れ」
 ──どさり。
 彼女のいる牢屋に、羽根が毟られたのか、すかすかに、そして乱暴にあちこち毛羽だった、毛羽だちだらけの守護天使の女性が一人戻ってくる。男に押されて、転がるように。
「とてもとても理不尽だ。誘拐されて羽根が毟られるなんて」
(む。羽毛布団を買いに来て羽をむしられる? ……もしや布団にあたしや、ここにいる同族の羽根が使われてるとか、そんな理不尽なことではないでしょうね……?)
 いや、さすがに脈絡がないか。と思い直す。
 そして傷を負ったであろう守護天使の女性にヒールをかけたくても、この枷は魔力を抑え込んでしまうのか、それもできない。
 エルシアは、守護天使の女性を運んできた男たちが牢に鍵をかけてそそくさと立ち去ろうとするのを見て、一番立派そうな黒い甲冑を付けた男を、ぎろりと睨んだ。
 それから溜まり溜まった不満を爆発させるべく、守護天使の女性を集めた檻だけでなく、周囲に聞こえるように苦手な説教を──抗議めいた演説をぶった。

「守護天使の羽根は髪と同義。女性のそれを乱暴に毟るなど、命を奪うのと同じこと。理不尽にもほどがある!
 何が目的であれ、このような蛮行をこれ以上甘んじて受け入れることなど出来ない!
 こんなにダメージを受けたら髪質、もとい羽質が悪くなる一方じゃないか!
 美しい光の翼は守護天使のステータス!
 こんな理不尽な暴虐は黙っていられない!
 待遇の改善を要求する!
 回復魔法を解放しろ!
 乱暴に毟るな!」

(聞き入れられるまであたしは戦うぞ! 守護天使の命(羽)のために!)
 両手を拳にして振り上げるエルシアだったが、傭兵の男たちはじろりと彼女を睨むだけだった。
「状況を弁えるんだな」
「……理不尽だ」
 おなかがすいた。正直ひもじい。ひもじいと寂しくなる。ここには悪人も一緒に浚われた守護天使も、その中には契約者もいるけれど。
 パートナーの野々に出会う前、行き倒れていたことを思い出す。彼女は自分を覚えていてくれるだろうか? 忘れてないだろうか。肩の荷が下りたりしてないだろうか。
 ──その後、ちゃんと救出された後、エルシアは、野々が思いのほか心配してくれていたことに、ちょっと驚いて。
(ああ、あたしの居場所はここなんだ)
 自分だけ運命のように感じていた出会い。野々は何となく「拾って」助けてくれただけだったけれど。うそつきでこちらの空回りだけのようだったけど。
 ちゃんと探してくれて、そのことに距離が縮まったような気がしたけれど──それはまた後の話だ。


 エルシアに発破をかけられたのだろうか。
 彼女と同じ牢にいた小さな女の子の守護天使もまた、これまた小さな翼をぱたぱたして、眉の傾斜を急にして、両手をぎゅっと握りしめ、
「うううー……せっかくの三人でお出掛けだったのにー……。もうもう! 人攫いは犯罪なんですよう!」
 シシル・ファルメル(ししる・ふぁるめる)が憤慨したように、傭兵たちに訴えて……、
 ぐー。
 おなかが鳴った。
 怒ってみても、枷にはガチャガチャ鳴る鎖が付いていて、脱出はおろか鉄格子にすら届きそうにない。
(……怒ってもお腹がすくだけですよねぇ。そういえば、セオ兄さんはどこにいるんでしょう?)
 ここにいるのは女性の守護天使ばかりだ。きっと別の牢屋につかまっているに違いない。通路の向かいにも牢屋が並んでいるのが見えるし、ならばこちら側にもあると考えるのが自然だ。
 シシルが物音を聞きとるべく耳を澄ますと、斜め向かいの牢屋からその兄の声が聞こえてきた。誰かと話しているようだ。
(そうだ、何とかしてセオ兄さんと脱出しないと!)
 シシルはきっ、と男たちを見上げて、聞こえるように声をあげた。
「取られるのは嫌ですけど、綺麗じゃない時の羽を僕の羽って言われて使われるのも嫌ですよ」

 セオドア・ファルメル(せおどあ・ふぁるめる)は、男性の守護天使ばかりの牢屋に入れられていた。
(せっかく終夏君が気を使ってくれたのに厄介な事になったね)
 今のところ、食事も睡眠も取れている。というより、入れられてから凡そ半日、ほったらかしで暇なくらいだ。羽根を毟るのが目的なら、命をどうこうすることはないだろう。
 だったら、チャンスを待とうと、体力の消耗を避けるように、余った毛布に膝を抱えてくるまって、彼は牢にはまった鉄格子を見つめていた。
 部屋の中には彼が目覚めた時、他に三人の守護天使がいた。そのうちの一人は、先程連れて行かれたままだ。
 やがて牢屋のカギが開き、連れて行かれた彼が戻ってきて、鎖に繋がれる。
「大丈夫かい?」
「……うん」
 不思議な文様の入った、見事な光翼を持っていた彼は、弱々しく微笑んだ。どうやら羽根を抜かれているのか、羽根がすかすかになっている。
 酷い事をすると思ったその時、他の牢にも誰か戻されたのだろう。傭兵の非道への抗議の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「そうだ、飯をもっと寄越せ! 勿論三色おやつ付きな! あと酒だ酒! 暇つぶしに煙草と携帯ゲームと漫画とトランプ持って来やがれ!」
「栄養バランスを考えて食事を作れないなら、僕に代わりに作らせて下さいよう!」
 シシル。妹だ。
 セオドアは、彼女に安否を知らせるように、声をあげる。
「そうだよ、一日一回、あんな食事じゃ足りないよ。動けない今、食事としりとりだけが楽しみなのにー」
「何だお前ら? さっきから不満ばっかり言いやがって!」
 呆れたような傭兵に、セオドアは言い募る。
「僕らの羽だって栄養バランスが大事なんだよ! にゃんこやわんこや鳥を思い出してごらんよ! 良いご飯を食べている子はツヤッツヤのフワッフワでしょ?」
「そうなのか?」
「そうだよ!」
「……隊長、どうなんですか?」
 あちこちから待遇の改善欲求が上がっている中、鍵を持っている傭兵隊長の中年の濃い髭を生やした男が、面倒くさそうに答える。
「確かに質の維持をせよ、と店長から命令があるな。なんでも大口納入先が品質に厳しいとかって」
「でしょでしょ? だったらちゃんとしたご飯作ってよ。いや、作れないなら僕たちが作るよ!」
 セオドアは紳士というより幼さの残る少年のような表情で、
「言っておくけど、昨日のマッシュポテトなんて僕の料理に比べたらただのつぶしジャガイモだね!」
「そうですようー! 料理はタイミングが大事なんですよう! あれにバターをひとかけら。あとチーズや玉ねぎがあればバリエーションも増えるんですよう!」
 シシルが遠くから同調する声が反響する。
「どうしますか隊長? 最近俺らもマッシュポテトや干し肉には、飽き飽きなんですよ」
「そうだな。俺たちの料理を優先して作るんなら、作業中だけ出してやってもいい」
「そうですか──おいお前らありがたく思うんだな。ただし、枷は着けたままだ。逃げようなんて思うな! ほら、分かったらさっさと行け!」
 こうしてセオドアはシシルと再会し、調理場まで連行された。
 どうやらこの牢屋は地下にあるらしい。階段を上って廊下を何度か曲がる。壁は工場のような造りの建物だった。見えた限りの窓には鉄格子が嵌っており、逃げ出せそうもない。
 調理の邪魔ということで、枷の間の鎖が支障ない程度に長くしてもらえた。ただし調理中も見張りが付いていた。調理場の近くにはゴミ捨ての搬出口が付いていたが、この扉にも鍵がかかっていた。
 逃げる方法を考えなければ。シシルの手を密かにぎゅっと握り、セオドアは決意する。



 守護天使の女性の牢屋。
 大分広々とした地面を見回したルーシー・ドロップス(るーしー・どろっぷす)は、壁に背中を預けている少女を見付けた。
壮太、心配してるだろうな……」
 彼女は恋人か……いや、それにしては幼いから、友人だろうか。誰かの名前を呟いてぼんやり天井を見ていた。
(僕、お小遣いが溜まったから、夏用のワンピースを買おうと思って来たはずなのに。どうしてこんな場所にいるの)
 普段は無邪気で陽気な彼女も、囚われの身では明るくするのも無理というものだった。冷たくて湿気のある壁でお気に入りのシックなワンピースはじめじめするし、その上何を勘違いされたのか、この牢屋は……。
 憂い顔の彼女にルーシーは這うように近づくと、声をかけた。
「なぁ、てめえも守護天使なんだろ? オレはルーシー。名前は?」
「え? ……う、うん。ミミ・マリー(みみ・まりー)っていうんだ」
 見た目だけなら彼女より少しお姉さん、といった風のルーシーに、急にフランクに声をかけられ、彼女は戸惑ったように頷いた。
「オレさ、街をほっつき歩いてたらよさげなふかふかお布団があってさ、ごろごろしてたら寝ちまったらしくて。気づいたらここ。全く、たまんねぇよなぁ」
 その言い方がおかしかったのか、ミミはくすりと笑って、
「困ったね、一体何されるのか分かんないし。お腹も空いたし、早くここを出なきゃ。……でもどうやって?」
「やっぱ牢屋つったら脱走だよなー」
 うんうん、とルーシーは頷いた。
「実はミミが来る前にさ、トイレ行きたいとか背中痒いとか真面目な理由を付けて逃げようとしたんだけど、その前にあいつら飯運んでくるときと、毟りに連れてく以外、出す気がねぇんだよ。
 トイレもこの牢屋の先に有る上、出口は地上みてーだしよ」
 これでは逃げようもないが、一応、大人しくしているか傭兵が定期的に見回りに来る。
「んでさー、作戦を考えたんだよ……」
 ごにょごにょとルーシーはミミの耳に囁いて……。
「そっか、分かった。わざと二人の鎖を絡ませて、枷を外してってお願いすればいいんだね」
 頷いたミミだったが。頷くなり軽く鎖を絡ませてきたたルーシーは、何故かミミにその体を押し付けてきて──。
「……って、あの、待って、なんかルーシーさんの手が僕の変なところ触ってる気が……。
 わーわー待って、そんな場所触っちゃダメだったら」
「何処触ってるっていいじゃねえかよ女同士だし。これも作戦のうちだって」
 見た目だけなら小柄で可愛らしい彼女が体に密着させられて。ミミは顔を赤くして微妙に抵抗する。
 その騒ぎを聞きつけて、見回りに来た傭兵が呆れたように声をかけた。
 お、やって来たやってきた、とルーシーはますますほっぺたをミミにつっくけ、手でミミの身体をまさぐりつつ顔だけ上げる。
「オニイサン、ちょっと頼みあんだけど」
「何だ?」
「ちょっと鎖が絡まっちゃってさ、外してくれない?」
「ってお前ら……何してんだ」
「何してたって、ナニに決まってんだろ。オレら退屈なんだよ……なんならオニイサンも混ざる?」
「ダメって言ってるのに……。やだあ、これ以上したら見えちゃうよお……、あ……」
 演技ではなく本気のミミの声に、鼻を伸ばした男が入ってくると、ルーシーは鎧の隙間に手を突っ込み、男の急所を握りあげた。
 一瞬、うわあ、とまるで苦虫を噛み潰した顔をするミミだったが、はっと気が付いてすぐに男を羽交い絞めにする。
「さあてこのまま潰されたくなけりゃ言うこときけよ? まずは枷外して鍵渡して貰おうか」
 彼女たちは男から鍵を奪うと、自分たちの枷を外すと駆けだした。
「はい、勝手に使って」
 鍵を廊下から、適当な牢屋に放り投げる。
 そして出ようとしたのだが、牢屋を出る時になって、男たちに立ち塞がられた。見張りの傭兵は一人ではないのだ──鍵は傭兵の隊長から借りて外したものだったから。
 背後を振り返れば、まんまと握り潰された男が血走った目で迫ってくる。彼女たちは再度捕まって、牢屋に逆戻りしてしまった。
 ルーシーは枷を嵌められながら叫んだ。
「諦めねぇからな。また脱走してやるー!」