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夏の追試を迎えて

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第二章 テスト勉強
 
 「あー!!」
 一室からセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の声が聞こえてきた。
 時刻は午後17時50分。
 本日の予定、シャンバラ教導団にてシャンバラ古典文学概論試験、時刻9時10分〜10時10分まで。
 
 ――昨日、時刻21時40分。
 「さあ、明日の古典文学概論に向けて頑張るわよ」
 机の上に教科書と辞書を積み、シャーレットはペンを取った。
「あれ……」
「うーん……」
「……難しいわね」
 ページが進むに連れ、内容が濃くなっていく。幸先良く進んだペンは次第に速度を落とし、今や停止しようとしていた。
「くっ、だけどこれさえ終われば夏休みが待ってるのよ!まだ8時間もテストまであるじゃない。頑張るのよ、あたし!」
 言い聞かせる様に辞書をめくり、再びペンをシャーレットは走らせた。
 時刻は僅かずつ減っていく。それに伴って、教科書の試験範囲も残り僅かとなっていく。
「あと……4時間……頑張る……」

 「う、うん……」
 チュン、チュンと雀の朝の爽やかな鳴き声が聞こえてきた。
 どうやらシャーレットは眠っていた事に気が付いた。
「あれ、眠っちゃったんだ」
 枕になっていた教科書を見ると、最後までページを読んだ印が付いていた。
 時計を見ると5時50分を指していた。
「さて、片付けでもしますか」
 机に出してある教科書を片付ける為にゆっくりと顔を外に向けると、外は綺麗な夕方だった。
 ――時刻17時50分。セレンフィリティ・シャーレット、試験不参加。

 「あ、あたしの一夜漬けはなんだったのよー!!」
 隣に座るセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)に悲憤慷慨するが、自業自得でしょと連れない。
「取り敢えずは勉強を始めましょう、試験はもう直ぐなんだから」
「むー、分かったわよ」

 「これ本当に人間の使う言語なの」
 一人教科書に文句を垂れながら、シャーレットは改めて辞書を開いた。
「まあ、昔の人はそれで通じてたんでしょ」
「これ全然アルファベットでも漢字でも何でもないんですけどー?」
「その時はアルファベットなんて無いと思うけど」
「くぁwせdrftgyふじこlpとしか読めんわ!!」
「……そのままそうも読めるわね」

 「……もうダメ」
 自室でセレアナと勉強を始めて3時間。シャーレットの思考が完全に停止していた。
 シャンバラ語の古典用辞書ももう引く気になれなかった。
「ほら、頑張って」
 セレアナがシャーレットの肩を揺するが無反応。
「はあ、冷たいものでも用意するわ」
 席を立ち、キッチンへとセレアナは向かった。

 セレアナが戻ると、シャーレットはククッと肩を揺らしていた。
「ふ、ふふ……カンニングペーパーなら追試から私を助けてくれるわ」
「……」
 セレアナを尻目にシャーレットはノートの端を小さく切り始めた。
「くく、こ、これで……」

 「ねえ……」
 鬼気を纏ったセレアナの指がシャーレットの肩に食い込んでいた。
 「私に恥をかかせる気?」
 セレアナの修羅の笑顔が其処にあった。
「い、いえ……そ、そんな事は……」
 一瞬の手際で紙をクシャッと丸めて、シャーレットはゴミ箱へ放った。
 
 「しょうがないわね。追試合格したら、ここへデートへ行かない?」
 セレアナは『テーマパークの招待券』を取り出した。
「こ、これ……」
「そう、今人気のテーマパークのチケットよ。どうする?これを逃すとなかなか行く機会なんて無いわよ」
 ごくりと唾をシャーレットは飲み込んだ。
「い、行く!絶対行く!」
 ヒュッとチケットに手が伸びるがセレアナによって虚しく空を切る。
「追試に合格したらって言ったわよね?」
「う……」
「ほら、頑張りなさい!」
「くそ〜!」
 やる気が戻ったシャーレットは再び教科書へと向かっていく。


 芦原 揺花(あはら・ゆりあ)は背中に冷たい汗を感じた。冷房が作動し、快適である筈の部屋なのに。
「お姉ちゃんっ!お料理作ってるはずなのに、なんで巨神兵が出来るんですかッ!?」
 荀 灌(じゅん・かん)の悲鳴が調理実習室に響き渡った。小さな鍋から巨大な指が出てきていた。あと少しで天井に届きそうであり、またこれ以上出てきたら階上を突き破ってしまうのではないかと思われた。
 「あー、やっちゃった……」
 他人事の様に芦原 郁乃(あはら・いくの)は鍋から生えた指を見上げていた。

 ――夏休みの昼下がり、灌と揺花は校舎を繋ぐ渡り廊下で郁乃を待っていた。渡り廊下は風が良く通り、涼しさを保たせていた。
「何か御用ですか、お姉ちゃん?」
「……急に呼び出してごめんね」
 いつもの郁乃とは様子が違うことを2人は感じ取っていた。
「お姉ちゃん、どうしたのですか?そんなに改まって」
「二人にどうしても頼みたいことがあるんだ……」
 郁乃は祈るように灌と揺花の目を見つめた。
「何?何でも言ってください。私でよければ何でも手伝いするです」
「ありがとう、試験勉強を手伝ってほしいんだ」
「何だ、そんな事なら喜んで手伝いするです!」
「それで何の科目なんですか?」
「家庭科」
「え……」
 郁乃の言葉を聞いた途端、灌に悪寒が走った。
「が、学科し、試験の方ですよねぇ……?」
 灌の言葉の端々がカタカタと揺れている。
「家庭科の調理実習の実技試験なんだよぉ〜」
 泣きそうな顔で灌と揺花にすがり付いて来る。
「……」
(それはムリです!ムチャ振りですぅ)
「ひッ……」
 抱きつく郁乃からは灌の顔は見えなかったが、揺花は灌の怯えた顔から全てを悟った。
「く、クラスの方はど、どうされたんですか?」
「だってさ、クラスのみんなは忙しいからって捕まえられなかったんだもん」
「……」
(それって逃げたんじゃ……)
「お・ね・が・い」
 郁乃が上目遣いに灌に御願いをしていた。
(あぅ、お姉ちゃんのお願いじゃ断れないです)
「揺花ちゃん……気を強く持ってがんばろうね」
「は、はい……」

 「どうやらお困りの様だな」
 悶々と排煙を上げる調理実習室の扉が開いた。
 エプロン姿のダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が悠然と実習室の中へ入ってきた。
 後ろには鼻声のルカルカ・ルー(るかるか・るー)が付いてきている。ルーはダリルのシャツの裾を摘んで、視界の悪い中へとゆっくりと足を踏み入れた。
「鼻が痛いよ〜」
「……ちょっと我慢しておけ。あそこの後ろの小さい子も我慢しているんだ」
 2人が視線を実習室の奥へと送ると、必死に何かと戦っている揺花の姿が見えた。
「モブ?」
 ぼそぼそと話し声がするが、郁乃達には上手く聞き取れなかった。
「ん、おほん……。料理が苦手な其処の君!俺が明日の調理実習の為に、『誰でも出来る簡単美味しいカルボナーラ』の作り方を教えてやろう」
「ほ、本当ですか!先生!」
 キラキラと輝く眼差しをダリルへと郁乃は向けた。
「まあ、待つのだ。生徒3号!先ずはこの巨神兵とやらの調査をしてだな――」
 逸る郁乃を制して、天井へと伸びる巨大な指をしげしげとダリルは観察する。
「……早く教えてあげなよ」
「そうだな、彼女なら……また直ぐに作れそうだ」

 「だ、大丈夫なんですか?」
 何かを片付けた揺花は心配そうにダリルを見上げた。
「任せておけ」
「何たって私のシェフだからね!」

 「先ずこれを片付けねば、ルカ!」
「はいはい!ちょっと窓を開けてね」
「あ、開けますよ?」
 揺花は調理実習室の窓を限界まで開く。
「『ドラゴンアーツ』!」
 メコォと金属特有の拉げる音がすると、巨大な指の生えた鍋は校舎の外へと勢い良く飛んでいった。
「ぉー」
 灌は手を翳して目で鍋の行く末を追っていた。少しすっきりした顔をしている。
「ぁ……」
 思い出した様に灌に揺花が耳打ちする。
「あんな危険物、外に捨てて大丈夫なんですか?」
「違うのよ、揺花ちゃん!あれは広い世界にリリースしてあげたの!」
「リリースですか?」
「そう、狭い調理実習室より広い外の世界に開放してあげたのよ」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「……」

 「さあ、トレーニングを始めるぞ!生徒3号」
「はい、先生!」
「始めは湯沸しだ!」
「大得意です!」
「湯が沸いたら、水温を上げるために塩を入れる」
「塩を入れます」
「次に乾麺を湯の中へ」
「麺を湯の中へ!」
「次はベーコンを切って、バターで軽く炒める」
「ベーコンを切って、バターで……炒める!」

 「おー……」
 始めて見る郁乃のキビキビとした料理の仕草にルーや揺花達は感嘆の声を漏らした。