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一会→十会 —失われた荒野の都—

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一会→十会 —失われた荒野の都—

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【記憶の欠片】


 例の事件から一月経ち、二月経ち――、古代語については教える部分が無い位になってきた頃、ディミトリアスが講義中に彼の姿を見かける事はぱったりと無くなっていた。
 古代史そのものに興味が無かったのかもしれないし、事件以来姿を見ると恐怖に近い感情が起こる所為で不自然に目を合わせなくなった事に感づかれたのかもしれない。
 何れにせよ残念な気持ちが大きかった。
 トラウマに後悔すら混ざった複雑な思い出を抱えて年を越え、漸く春の兆しが見えてきた――そんな日が彼を見かけた最後の日だった。
 建物の外れ、崖に近い危険な場所に生徒が居る。それを見つけて慌てて駆けつけてみたところ、その生徒が彼だったのだ。血の気が引いて青ざめた顔は最後の講義で見た時よりも痩せていて、虚ろな目には生気が感じられない。
 まるで夢の中にいるような覚束無い足取りに「危ない」と思った時にはもう崩れ落ちていて、トラウマ云々以前に人として当然動いた。壁に凭れさせ、さて魔法で運ぼうか誰かを連れてくるべきかと考えて居ると、ディミトリアスの腕を信じられない程強い力で握って、彼は立ち上がったのだ。
「行かないと」と彼は言う。それが何処なのかは分からないが、そんな場合で無い事は確かだ。教師としても許可出来ない。
「駄目だ。落ち着け……人を呼んでくるから、医務室へ行こう」
 ディミトリアスの上擦った提案の声にこちらを見下ろして、彼は薄く微笑んでいた。
「ああ、ディオン先生」と、彼はそこで初めてディミトリアスの存在に気づいたのだろう。
 そうなってやっとディミトリアスは理解した。彼は『まともではない』。一体どれだけあそこに居たのだろう、氷のように冷たくなってしまっている身体を壁に押し返そうとするが、彼はそれを拒否した。 
「帰らないと――。妹が家で待ってるんです」
「妹?」
 これほど憔悴していて気遣わなくてはならないとは、初めて聞いたが彼の妹は病気か何かなんだろうか。
「妹がどうかしたのか?」
 ディミトリアスの疑問に、彼は表情を変えずに答えた。
「死んだんです。だから帰って、妹を殺さなくちゃならないんです。
 そうしないとまた、死んでしまう。あんなのは二度ともう……厭だから、今度は俺が殺してやらないと。
 逃げる前に殺さないと」
 信じ難い言葉の連続に息をのんでいると、彼の手から端末がするりと滑り落ちた。
 拾い上げた画面に写っていたのは、乳白金の髪をした少女がベッドで眠る姿だ。その表情は安らかだが、華奢な腕に手錠を掛けられているのも分かった。
(これは……この少女は監禁されているのか?)
 まさかという風に振り返るが、その時には既に彼の姿はその場から消えていた。

 その数日後、ディミトリアスは彼が学校を休学したと知った。
 他校の生徒達と問題を起こしたなどという噂も聞いた。例の端末はエリザベートに渡したが、「これについては他言無用ですよぅ」と食えない笑みを返されただけだ。
 結局この件を経てディミトリアスの中に残されたのは『困惑』の一文字だけだ。
(俺は多分、狂人に遭ったのだ)
 理解し難い部分をそう片付けることで保っていたのに、今更あの顔を見るとは思わなかった。
 何も無かったと、まるでディミトリアスの方が夢でも見ていたとでも言うように、彼はディミトリアスのよく知る女性と普通に会話している。
 一体何がどう言う事なのか、どう気持ちを整理したらいいのかと、どうしようもなくなっていた時だ。ディミトリアスの目に飛び込んできたのは、物陰で彼が誰かと言葉を交わす姿だった。
(あの少女は――……)
「お兄ちゃん、やっぱり心配だわ。この遺跡何か変だもの。ねぇ、私も一緒に中へ連れて行って」
 眉を寄せて見つめてくる乳白金の髪を撫でて、彼は少女を抱きしめている。あれは端末の画像の、監禁されていた少女で間違い無い。気づいたディミトリアスの顔は再び紙のように白くなっていた。
「パートナーが外に居れば、有事の際にすぐ連絡出来るだろう。共倒れよりその方がいい。
 それに危険だと判断したら、即時撤退する。だから君はここで待っていて。大丈夫、必ず帰るよ、皆も連れて帰る、約束する」
(約束して、どうする?
 待っていた彼女を『殺す』のか? 彼は一体何なんだ……俺の記憶の方が、可笑しいのだろうか)
「……分かったわ。必ず戻ってきてね、約束よ」
「ああ、愛してるよ。俺の可愛い妹」
 彼の口から飛び出すと、この世で最も尊い筈の愛の言葉すら歪んで聞こえる。
 腰を引き寄せてうっとりするような間と空気もって交わされた口づけは、普通ならば恋人へおくるようなものだったから、ディミトリアスはこれにも驚いた。
(あの二人は……兄妹ではないのか? この時代では禁忌ではないのか。それとも単に、俺の感覚の方が間違っているのか?)
 そんな事を考えている間に彼が踵を返してこちらへくるのに、ディミトリアスは必死に足を動かして遺跡に飛び込んでいた。