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リアクション
■■■■■第五章
0
「――きっと白い腕輪は複数あったんだわ」
集まってきた情報を判断しながら、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)がそう口にした。
「だから遺体のサイコメトリィには意味がない――同様に、その『遺体』、それが梅谷才太郎同様マホロバを想っている人間の体だったならば、溢れてくる想いは、この都の明るい未来を渇望するものだったはず」
ブリジットがそう言いきると、橘 舞(たちばな・まい)が頬に手を添えた。
「では、暗殺されたのは、梅谷才太郎さんではないのね」
「そうなるわね」
「だけど言った誰が、何の為に、勇理さんの鞘を置いたのかしら」
「いつか勇理が犯人でないことが公になるのは自明の理だったはずだわ。それでも――あの鞘を置かなければならなかったとすると……」
顎に手を添え、ブリジットが僅かに俯いた。
「勇理の無実が証明されると考えた上で――それでいて、なんらかと決別する為に……これはあくまでも推測だけれど」
けれど彼女のその推測は、的を射ていた。
「所で、都子は?」
ブリジットの問いに、舞が目を丸くした。
「そういえば、討ち入りの頃から、姿見えませんわ」
1
火に包まれた池田屋の最上階。
そこには朱辺虎衆の首領と、朱雀の姿があった。
「そうか、黒龍も白虎も火にまかれて、行方知れずか」
淡々と告げた後、首領は朱雀に向き直った。
「おまんはこれからどうするつもりじゃろうか」
「首領と共に、此処で紳撰組を迎えうちます」
「俺は一人でも大丈夫じゃ。それよりも頭二つがこうして一所にいる方が、相手にとっては攻略が易かろう」
「では私が此処に残ってひき付けます」
「いんや。下へ行って揺動してくれ」
首領――こと梅谷才太郎の言葉に、朱雀こと――楠都子は階下へと降りていった。
入れ違うように、別の階段からは、いくつもの足音が響いてくる。
そんな二人を見ていた南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)は、腕を組んだ。
「相変わらず首領は格好いいじゃん」
「俺に惚れちゅうか」
「俺様のパートナーはあの騒がしい鯉一人で十分、自惚れんじゃねーぞ?」
自分で口説いたくせに、ひらひらと手を振ってから、光一郎は溜息をついた。
「女は身を滅ぼす? 上等じゃん。敵方でもまるっと抱いてやれよ、まるっと。名づけて公武合体って、ちげーし」
先の逢海屋での戦いで聞いた言葉を反芻しながら、光一郎は目を細めた。
「このままじゃ――焼け崩れる池田屋の奥で、紳撰組の近藤勇理と朱雀ねーさんが激突し、勇理のパートナーロストが起こるんじゃん?」
彼のその声に、朱い牛面の奧で、スッと首領が目を細める。
「大変、勇理が死んじゃう〜!?」
冗談めかして告げた彼だったが、静かに壁と背を預けると腕を組んだ。
「梅さん、近藤勇理と造反有理って似てるよね〜」
光一郎が力ずくなダジャレを披露すると、朱辺虎衆の首領は力なく俯いた。
「他に方法がないのならば、仕方がないがで」
首領の声に、光一郎は静かに思案する。
「――そこで俺様は考えた」
精一杯の明るい声音で、彼は言う。
「こいのレ・シ・ピ(はぁと)。其の壱、英霊珠。其の弐、梅谷。其の参、本気の愛(梅谷)――そして最後に、俺様の爽やかな弁舌、これでどうだ?」
光一郎が告げると、首領が仮面の奧で唇を噛んだ。
「この戦況から一発逆転ホームランするために、梅さん、この英霊珠でちょくら勇理から契約取ってこい」
「同じ想いであっても、それぞれ別の信念で動いているんだ。勇理ちゃんが俺と契約するはずがない。死を分かっていて皆を送り出した俺と、世を血を流さずに変えようとした勇理ちゃんでは、思想からして違いすぎる」
「惚れた女の命も救えない奴が愛の国のを語ってんじゃねーぞ、オラ!」
そう言ってたきつけた光一郎は、考えていた。
朱辺虎衆、そして紳撰組の背後には、何らかの思惑を持つ者がいるのではないかと。
――頭二人をパートナー関係でくっつけちまえば、松風、継井双方の思惑外れて面白くなるんじゃね? しらけムードかもしれないが隊士と浪士の殺し合いが収まる一端になるかもしれねーし。
「だけどそんな事を出来るはずがない。俺はこれでも、朱辺虎衆の首領なんだ」
「うるせえ、お前の正体が誰でもいーんだよ! ガタガタぬかすと股間のサツマイモをカチコチにすんぞ――但しさざれ石の短刀的な意味で、な。俺様が血路を開く、掘られたくなければイッてこい!」
「では光一郎、一つ約束してくれ。動けなくなっている朱辺虎衆の者達に手を貸して、扶桑見廻組も紳撰組も気付いていない退路から、皆を逃がしてくれる事を。――その先では、久我内屋とソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)先生達が、避難誘導をしてくれるはずだ」
上階でそうしたやりとりが行われていた頃。
中二階では、朱雀と近藤 勇理(こんどう・ゆうり)が対峙していた。
「年貢の納め時だ。さっさとお縄につけ!」
確固たる声で勇理がそう口にしたとき、燃える梁が一つ、彼女達の上へと落下しようとしていた。
「勇理、危ない――!」
思わず反射的に、紳撰組局長の手を引いたのは、朱雀こと――楠都子だった。
「っ」
息を飲む間もなく、二人は窓を蹴破って、外へと落下する。
中空でそれぞれに間合いを取りながら、二人は地に立った。
「どうして――……その声……」
歯をきつく噛みながら、勇理が問う。
「都子なのか?」
緊迫した空気の中、朱雀は何も応えない。
そこへ騒ぎを聞きつけ、紳撰組の総長であるスウェル・アルト(すうぇる・あると)と、その補佐をしているヴィオラ・コード(びおら・こーど)、そして鬼の副長と名高い棗 絃弥(なつめ・げんや)がやってきた。
刀を抜いた朱雀は、何も言わないまま勇理に斬りかかる。
それを罪と呪い纏う鎧 フォリス(つみとのろいまとうよろい・ふぉりす)が止めに入った。
スウェルはそれまでの間、裏口を閉めて、池田屋の中に敵を閉じ込める、というのは考えながら――逃げ場を失えば、自棄になって向ってきたり、自害するの可能性も、出てくるだろう事を思案していた。その為、裏口の戸を刀の鞘などで、戸が一人分しか開かず一人しか出られないように細工し、そうして出てきた敵を狙って、捕まえていたのである。
そこに見知った顔や、知り合いが含まれて、いたら、話を聞き、止むを得ない事情や、愉快犯でなければ、近藤局長が判断を下す時、処分を少しでも軽く出来ないかと努める。
他の出口は、二番隊が見張ってくれているから安心だ。
とはいえ、全く意図していなかった場所から降ってきた、局長の姿と敵の要の姿には思わず息を飲むしかない。
「どうしてこんな事をしたんだ」
フォリスの助力と、ヴィオラの手助けで立ち上がった勇理は、目を細めた。
そこへ落下の光景を見とがめていた如月 正悟(きさらぎ・しょうご)とヘイズ・ウィスタリア(へいず・うぃすたりあ)も駆けつけてくる。
その上――どうして助けてくれたんだ?
勇理には、都子に対して訊ねたいことが沢山あった。けれど、彼女は紳撰組の局長だ。
刀の柄をきつく握り直し、勇理は立ち上がった。
「裏切り者には報復を――覚悟は良いか」
勇理は思いだしていた。『新撰組』の面々から受けた忠告を。僅かな日々が、組織を膿ませる。それはいつかはきっと甚大な被害をもたらすに違いない。
「勇理、待って。きっと何か事情が」
スウェルが庇うが、勇理はきつい眼差しを向けただけだった。
「決して見逃すことも、許すことも出来ない」
彼らのそんなやりとりを見守っていた絃弥が、腕を組んだ。
火事の灯りが照らす小川を後目に、紳撰組の鬼の副長は唇を舐める。
「俺がやる」
その言葉とほぼ同時に、朱雀の体を拘束した絃弥は、一同に振り返った。
「待って」
スウェルが止めるも、絃弥は振り返らない。
彼はその場で捕縛した都子を、川岸にある船着き場まで連れて行った。
そこに座らせ自分の体で彼女の姿を周囲から遮りながら、紳撰組の一同へと振り返る。
「裏切り者には、静粛を、だ」
その後絃弥が首を切る動作を見せた直後、川の水面に大きな音が響き渡った。
だから、副長の声を聴いていた者はたった一人しかいない。
川に蹴り落とされた本人――朱雀こと楠都子だけだった。
「お前に死なれると――近藤さんが、困るんだよ」
それはパートナーロストを意味していたのだったが、都子にはなんだか自分を庇ってくれた皆や、副長の言動が、嬉しく感じられて仕方がなかったのだった。
「どうしてこうなったがじゃろうか」
火の回る池田屋の上階から、川に落ちいていく朱雀の姿を見守りながら、首領――梅谷才太郎は呟いた。
「朱辺虎衆の首領を見つけたぞ」
方々からそんな声が飛んでくる。
――これが、終わりか。
あるいはそれは、と即していた一つの結末だったから、首領は面を撫でながら、踏み行ってくるのだろう人の影を見守った。
――だが。
「――梅谷ッッッ!」
そこへ現れたのは、予期せぬ人物だった。
紳撰組局長、近藤 勇理(こんどう・ゆうり)である。
「パートナーロストの弊害はどうなったがじゃろうか」
「知ったことか。少なくとも、お前には関係がない!」
誰よりも火に包まれた階段を速く走り、その場へと現れたのは勇理だった。
「朱辺虎衆首領、梅谷才太郎――お前は、紳撰組局長、近藤勇理の手であの世に送ってやる!」
――あるいは恋情を抱いた、愛しい誰かの手にかかり生を終えることは僥倖であるのかも知れない。
だがその時、静かに仮面を外した梅谷才太郎は、ただ静かに笑うだけだった。
「勇理ちゃん、まっことにお久しぶりじゃのおし」
「どうしてこんなことをした?」
「こがなこと――それをしなかったらずっと一緒にいられちゅうか」
揶揄するような首領の声に、勇理が刀を抜こうとする。
朱辺虎衆の首領がそれを阻んだのは一瞬のことだった。
2
鞘から強く柄をひいて、抜刀しようとしたが、近藤 勇理(こんどう・ゆうり)にはそれができないでいた。
朱辺虎衆首領――梅谷才太郎の手によって阻まれた為、強い力が手首にかかる。
僅かに覗いた刀身は、火に包まれようとしている池田屋の炎を宿して、橙色に煌めいているだけだった。
思いの外強い梅谷の力に、奥歯を噛む。
ギリ――と、勇理は目を細めながら、あからさまな苛立ちを見せた。
ほのかに見える刃は、梅谷の掌を傷つけた様子で、気付けば緩慢に紅い雫が床へと垂れていく。
間合いを取り、再び刀を抜くべく後退しようとした勇理の手首を、けれど梅谷は離さなかった。
「はじめから進む道が違うことはわかっておった」
「……梅谷、離せ。お前のせいで都子も――」
「ほりゃあ責任転嫁じゃ。いや――もけんどたら、そうながやきかもしれんきね。じゃけんどそれけんど、三人で過ごした日々も、勇理ちゃんと過ごした日々も、まっことに俺は楽しかったじゃ。こればあは本心じゃ。聴いて欲しい――そき、覚えておいて欲しい」
「嘘ばかりを言うな。都子もお前もずっと私を騙していたのだろう?」
「……そうなるね」
「綺麗事は良い。充分だ」
「……」
返す言葉を見つけられないように口をつぐんだ梅谷の前で、勇理は苦笑するように肩をすくめた。
「私も楽しかった。だからそれで、充分だ。例え道が違えども」
「勇理ちゃん……」
「その真実は代わらない。変えられない。例え、お前達が裏切っていたので賭しても、私はそれでも、楽しかった。信じていた――いや、信じたかった、これは自分勝手な私のただの望みだ。だから梅谷が生きていたことも嬉しい。またこうして話しをすることが出来たことも」
「まっことに変わったぜよ。これけんど、紳選組の局長じゃろうか。強くなっちゅう」
「もし私が強くなったとすれば、それは紳撰組のみんながいてくれるからだ。――だがな、梅谷。私に都の治安維持を――この国のあり方を考えさせてくれたのは、お前達だ」
「――惜しむべくは、出会った場所と時代じゃのおし」
「世界のせいにするつもりはない。私は、この扶桑の都が好きだ――そして私は、その扶桑の都の治安を守る、紳撰組の局長、近藤勇理だ。手を離せ、梅谷。此処で引導を渡してやる」
「俺は――朱辺虎衆首領。嗚呼、分かった。負けてくれるなよ」
言葉を交わした二人は、ほぼ同時に間合いを取った。
その頃川に落とされた楠都子はといえば、痛む体を引きずって道へとはい上がっていた。
「私が死ぬと、勇理が困る……か」
一人彼女が呟いた瞬間――奈落の鉄鎖が都子の足を絡め取った。
「君の裏切りは紳撰組……そして勇理さんを不幸に陥れるね。紳撰組はお取り潰し、勇理さんは最悪死罪だ。……君は大事な人達の頑張りを幸せを無にするんだ。そんな君には死は許されない。生き地獄がお似合いだ。だから見せてよ…君が壊れる様を」
そこへ天神山 葛葉(てんじんやま・くずは)が、そう声をかける。
その姿を見守りながら、斎藤 ハツネ(さいとう・はつね)は考えていた。これまで大石 鍬次郎(おおいし・くわじろう)と共に都子を尾行していた彼女は、漸く訪れた望みの一時を想い、唇の両端を持ち上げていた。
つい先程までのハツネの思考はこうだった。
――……鍬次郎と一緒にあのお姉ちゃんを尾行することになったの。
――……早く壊したいけど……『確固たる証拠』って言うのを見つけるまで我慢なの…。頑張って殺気を抑えるの。
――……まあ、後で思いっきり壊せるから……今から楽しみなの。
彼女が楽しみにしていた『その時』が、今まさにやってきたのである。
これまでは、他の者にばれない様に光学迷彩とブラックコートで姿と気配を消し、レピテートで浮かんで足音もまた消し、超感覚で周囲を警戒しつつ追跡してきたのである。
何か情報を得る旅に、ハンドベルト筆箱のメモ帳に、フラワシ――ギルティクラウンの描画の能力により、見た情報を絵で描き、聞いた情報を口頭で鍬次郎に報告してきたものだ。
報告先は、鍬次郎が信頼している土方 歳三(ひじかた・としぞう)だった。
――しかしそれも、もう終わりだ。
息を飲んだ都子が、反射的にハツネ達に攻撃を繰り出す。
それを見守っていた東郷 新兵衛(とうごう・しんべえ)は、スナイパーライフルの照準を合わせながら考えていた。
――確かに……お嬢を不機嫌にさせたあの女は許せん……。
――だが……。
「葛葉。ここまでする必要があったのだろうか。あの外道が……まだまともに見えるぞ?」
新兵衛がひっそりと呟いたその声に、笑み混じりに葛葉が振り返る。全く耳聡い。
「殺すより壊す……命を無駄に奪うより慈悲深いと思いません?」
恐らく自身に向けられたのであろう返答を聴きながら、新兵衛は銃把を握り直した。
――……まあ、自分にはお嬢を護るため以外なら関係ないか……。
――今は……お嬢の機嫌と護ることだけを考えよう……。
「私は、此処で死ぬわけにはいかないのよ」
その時都子が立ち上がった。
あえて隙を作り都子に攻撃させたハツネは、うっすらと笑っている。
ハツネは、スキルであるミラージュとフラワシ――ギルティクラウンの粘体能力で攻撃を避けると、逆に都子の隙をついた。
都子の持つ短刀が、高い音を立ててはじかれる。
――刀を持つ利き腕を先制攻撃したハツネは、超感覚とブラインドナイブスを駆使し、それからヒロイックアサルトを発動させた。
都子は彼女の、背後からの強襲――素早すぎて避けきれない虎徹の一撃で腕を斬り落とされそうになる。辺りには血飛沫が舞い、彼女の肩口からは脂肪の向こうに骨さえ覗いているようだった。
「どんな事情があろうと仲間を……てめぇのパートナーを裏切る奴に俺は容赦しねェ。元新撰組、現紳撰組隊士として誇りある死か。それとも罪人、朱辺虎衆朱雀として惨めな死か。選びな?」
うずくまった都子の喉元へと、鍬次郎が刀の切っ先を突きつけた。
――一応は元仲間なので苦しめずに逝かせたい。
それまでハツネのサポートにまわりながらも、彼はそう考えていた。
「私の……誇りなんて……想いなんて、もう、此処まできたら――そんなものどうでもいいのよ!! 勇理を守りたいの」
都子が棒手裏剣を放つが、鍬次郎はそれを刀で打ち払う。
ハツネを庇うように、葛葉がその手を引く。
その光景を見定めながら、新兵衛が都子の逆の肩を狙って狙撃した。急な反撃だった生もあり、思いの外大きな音を立てて銃撃してしまう。
「何の騒ぎだ!?」
そこへ扶桑の都の離れた場所を巡回していた、扶桑見廻組の人々が声をかけた。
何処かから響いてきた銃声に、梅谷才太郎は一瞬だけ、暗い窓の外へと視線を向けた。
――あるいは、視線を向けるふりをしたのかも知れない。
一時出来た隙、そこへ近藤 勇理(こんどう・ゆうり)が踏み込んだ。
袈裟懸けに斬りつけると、勇理の白い頬に、梅谷紅い血飛沫が飛んでくる。
「っ……悪くないしまいじゃった」
熱で歪んだ窓枠へと背中をたたきつけられた梅谷は、唇から血液をこぼす。
「戦いの最中に、よそ見なんかするからだ」
「嗚呼、しまいまで勇理ちゃんをずっと見とったかったが」
「何を馬鹿なことを言って――」
「この扶桑の都を、新しい時代を――任せても良いじゃろうか」
「あたりまえだ。端から、お前にだけなんて背負わせるつもりはない。背負えるだなんて過信していたのか、この馬鹿!」
「いまわの際には、もう少し、優しい言葉を期待しとったがじゃけんど」
喉で笑った梅谷才太郎は、そのまま熱で歪んだ池田屋の窓へともたれかかるように身を起こした。コポと音を立てて、彼の口からは、止めどなく血液があふれ出てくる。
「ここでお別れじゃ」
そのまま深傷を負った梅谷の体は、窓硝子を割り、池田屋の傍を流れる川へと落下していった。
狙撃の妨害を懸念していた東郷 新兵衛(とうごう・しんべえ)が、駆け寄ってくる紳撰組隊士達に向かい銃弾を放つ。彼の放ったクロスファイアと弾幕援護が炸裂した。
その光景を見守りながら、ハツネは都子にとどめを刺そうとする。
だが、大石 鍬次郎(おおいし・くわじろう)がそれを止めた。
「あの深傷じゃ、もう助からないだろう」
「だけど最後まで……」
「――罪人であっても、誇りある死はある。俺は、裏切り者は絶対に許さない。だが、奴にとって――楠にとっての裏切りは、どこにあるんだろうな」
「紳撰組を裏切ったわ」
「本当にそうなのか、判断する材料が少なすぎる。組織の為に裏切り者を俺は斬ってきた――今までも、そして恐らくこれからも。だから介錯してやる必要もないと思ってる――勿論苦しませたいわけじゃないが、な」
「苦しむ内に、壊れることもあるかも知れない――そして、死ぬ」
最悪とも言える性格に変貌した白狐である天神山 葛葉(てんじんやま・くずは)がそう告げたとき、新兵衛が近隣の屋根から降りてきた。
「お嬢、紳撰組の応援が来ます。退かないと」
こうして深傷を負った都子を残し、彼らは撤退したのだった。
残された都子は、背後に背負っていた刀をたぐり寄せると、それを杖代わりに立ち上がった。
「……壊れる、か。私が?」
世界が歪に見えるようになり、温かい気持ちが、瓦解を始めたのがいつのことだったのか、都子はもう思い出せなくなりつつあった。
ただただ、胸の中に浮かぶのは――愛しいあの人――ではなく……
「不思議ね。どうして、もう、顔を思い出すことも出来ないんだろう」
代わりに彼女の胸の中には、眩しい程に明るく笑う近藤 勇理(こんどう・ゆうり)の笑顔があった。
3
その頃、火の気に包まれた池田屋の下階では、海豹村 海豹仮面(あざらしむら・あざらしかめん)と長原 淳二(ながはら・じゅんじ)が顔を見合わせていた。
これまで六番隊組長として、率いる隊士達に、部下に無駄な負傷を負わせないように慎重に、堅実に、確実に行動してきていた彼は、静かに仮面を撫でた。
敵と相対するときは味方と連携して、倒して行きたた彼は、ここになって四番隊組長である淳二から、参番隊組長であるレティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)の不在を聴かされたのである。
「参りましたねぇ、探さないと――まざか海豹村に避難したということもないでしょうし」
剣術師範もしているレティシアだから、大丈夫だろうとは思いつつも、海豹仮面は周囲へと視線を彷徨わせる。
一方の淳二もまた、陰流を駆使したレティシアの姿を目にしていたから、負傷の心配はしていなかったが、次第に強まる池田屋の火の気に、事故の心配をせずにはいられなかった。
方々を探した後、再び合流した二人は顔を見合わせる。
「いましたか?」
炎にさらされ淳二が身につけているアクセサリーが熱を帯びている。それよりも更に真剣な色の炎を黒い瞳に宿して、彼が唇を噛む。
「いませんねぇ」
海豹仮面の口調は相も変わらずのんびりとしたものだったのだけれど、彼もまた必死で探している様子だ。
「もしかして――何処かに隠れて避難しているのだったりしてねぇ」
彼のその言葉に、淳二は頷いた。
未だ探してはいない所――腕を組んだ二人が逡巡する。
「あ」
そこで淳二は思い至った。まだ探していない場所といえば、大浴場である。男湯の方は先程紳撰組の隊士達が目視しに出たようだったが、女性隊士は外部の監視や東女に残っている者が多い為、恐らく未だ調査していない。
息を飲んで確認し合った二人は、揃って女湯の扉を開けた。
「わ、なんですか急にっ」
そこでは、風呂場に前もって隠しておいた新しい隊服に着替えているレティシアの姿があった。色白の華奢な足を閉じ、慌てて黒い隊服で肢体を隠した彼女は、驚いたように唇を振るわせている。一瞥しただけでも、その豊満な胸がよく見て取れた。
「だ、大丈夫ですか――いや、あの、すいません」
思わず反射的に謝って、淳二は扉を閉めた。
海豹仮面はといえば、仮面のせいで何を考えているのか表情が伺えない。
二人が暫し待っていると、そこへレティシアが戻ってきた。
「もう大丈夫ですよ――いつものあちきですよぅ」
別段怒った様子のないレティシアのその声に、安堵するように海豹仮面と淳二は再び顔を見合わせる。
「大通りを堂々と帰りましょうか、見せ場ですしねぇ」
そんな事を飄々と言ってのけたレティシアに、二人は頷いたのだった。
その頃、紳撰組の屯所は大変な騒ぎになっていた。
甲賀 三郎(こうが・さぶろう)と高坂 甚九郎(こうさか・じんくろう)、そして本山 梅慶(もとやま・ばいけい)とメフィス・デーヴィー(めふぃす・でーびー)による奇襲に晒されていたのである。
尤も、甚九郎は連絡要員につとめていて戦闘には関わっていない。
代わりに少し離れた位置から、軍用伝令犬であるパトラッシュと、軍用捜索犬であるラッシーを撫でていた。有事の際に備えて、ラッシーが背負っている医療用バックの中身の確認も怠らない。
三郎の考えは、こうだった。
朱辺虎衆に協力することを誓った彼は、まず思案したのである。
――池田屋に集結する不逞浪士の動向と物々しさは、すぐに町谷を通じて警察機能の各機関に伝わることは明白だ。見廻り組と並んで紳撰組も池田屋に急行し、これらを捕縛することは必定。
――そこで、紳撰組が隊を率いて後、本陣より出払った隙をみて屯所を襲撃。屯所より 発する伝令を池田屋に向かわせ、彼らの動揺を引き出したい。
彼のそのもくろみは、見事に成功していた。
まず月光の指揮杖を構えた彼は、屯所の周囲へ視線を向けた。
月光の指揮杖は、黒羊郷で振るった指揮杖である。腰のベルトに白金の鎖で繋がれた純 白の杖で柄の部分に『龍』の誂えがあるのが特徴的だ。よってこのタクトが龍雷連隊での身分証明にもなる、そんな一品だった。――その他の効果として光条兵器の精度を高め、タクトの柄より上方部分に収束して刃を形成、刺突・斬るなどの副次的な使い方ができる強化型光条兵器である。
それを用いて、魔力・火炎の火力調整を行った後三郎は、スキルであるファイヤーストームを放った。彼の攻撃は、池田屋への討ち入りの先勝を聴いていた皆にとっては予想外の出来事だった為、残っていた誰もが狼狽えた。
――屯所を火の海にできれば幸い。
炎は大火であれば効果的な演出になるだろう。
そんな事を考えていた三郎の思惑通り、暗い夜の数町――数百メートル離れた、池田屋の放校にも、その火の手は充分見て取ることが出来た。
――紅蓮に燃えて空を焦がす。
――見る者すべての不安を煽る。
その光景に満足した様子で、三郎が一息つく。
それを見守りながら、メフィスは考えていた。
三郎の屯所襲撃に嬉々としてついてきた、日中は『明里』を経営するこの悪魔は、赤い瞳を瞬かせながら、微笑を浮かべていた。
――目的は特になかった。
ただメフィスは、三郎の魂が悪魔好みの色に染まる事に期待しているのだ。
だから加勢するように、スキルを放つ。
まずは、雷術だった。
「奔れ、雷遁! 蒼穹を貫き天蓋を砕け!!」
それは直線に進み、阻むもの全てを貫くビーム性の特質を持っている。
高出力雷撃系魔法が、紳撰組のまだ火が回っていない家屋を打ち壊した。
負けないというばかりに、アサシンブレードを手にした三郎は、メフィスに笑ってみせると相棒である魔獣バジリスクを屯所へと差し向けた。バジリスクは、凶暴な魔獣であり、敵を石化する呪いを持っている。
三郎は、紳撰組の隊士達にバジリスクが向かっていく様子を後目に、スキルであるディテクトエビルを発揮した。――そろそろ、討ち入りに出向いていた紳撰組の主力隊士達が戻ってきそうだ。その気配を読むことに注力していた彼に対し、左側から隊士が襲いかかろうとする。
「大丈夫ですかな」
一刺しで隊士を退けた梅慶は、三郎の左翼を護っている槍の名手である。
梅慶は男装の麗人を地でいく、かつての戦国武将であり、英霊だ。
土佐平野を席捲し、長宗我部家を滅亡寸前まで追い詰めた土佐七雄の盟主であった。
パラミタでヒッチハイクを楽しんでた時に三郎と契約した事がきっかけとなり、この扶桑の都の動乱に参加することとなったのである。
彼らの正面には、火消しに右往左往する人々の姿がある。
だが、斉藤など残っていた紳撰組の監察方を始め、幾人かが、気がつけば彼らの周囲を包囲しようとしていた。それを察知した梅慶は、ヒロイックアサルトの発動を決意する。
戦地であるにもかかわらず、朱色の盃を片手に、またもう一方の手には十文字槍を持ち、着流し姿で梅慶は、タイミングを見計らっていた。着物から覗く下衣は、褌にサラシという、ある種男前な洋装だ。――酔狂な人なのであろう。本性は女性なのに余り恥ずかしくは無いらしい。豪放磊落にして冷酷無比。物の怪で憤死するような過去を持つほど恐れられた一面を持っているのが、梅慶だった。
ヒロイックアサルト――『槍衾極式』をここぞとばかりに決めた梅慶は、本来であれば、槍兵を指揮して戦うことに長け、ゲリラ、奇襲、強襲に力を発揮するタイプである。
その攻撃を正面からくらった斉藤が、地へと蹲り吐血した。
「潮時だ」
元来の端緒の目的は、池田屋への襲撃者の数を分断することにあったのだが、この状況下では、朱辺虎衆や攘夷志士達の逃亡を手助けすることが丁度良い。
機転を利かせてそう判断した三郎は、パートナー全員を引き連れて、紳撰組の屯所を後にした。
最後にメフィスが氷術を放つ。
「阻め、水遁! 鎖せ封じよ、敵を!!」
敵対する屯所の守備隊の動きが封じられ、その攻撃は、隊士達の影を縫うかのように足元を氷結させた。
三郎は撤退しながら、静かに頷く。
――池田屋に向かう手数が分散してくれれば幸いだったが。
こちらは襲撃して半刻の後に撤収予定。そちらは上手く目測通りに叶った。撤収のため、屯所から飛び出す急使の侍の姿を装って彼らは、紳撰組の屯所を後にした。
――後は、その足で朱辺虎衆本隊と合流する。
それを目指して彼らは進んでいった。一足早く、パトラッシュ達が走って闇に消えていく。
彼らのそんな姿を見守っている影があった。
遊郭から抜け出してきた天 黒龍(てぃえん・へいろん)である。三郎達が去る放校とは反対側、まさに遠目にも火の気が見える池田屋へと向かい黒龍は、走った。
「黒龍様、ご無事だったんですか!?」
道中勘違いしている幾人かにそう声をかけられるが、黙って微笑を返すに止める。
――このままでは、朱辺虎衆を取り逃がしてしまうことになるかも知れない。
実際、道を封鎖していた紳撰組の鬼の副長棗 絃弥(なつめ・げんや)も、困惑している様子だった。
このまま道を解放し、屯所へと戻ってしまえば、朱辺虎衆の多くを取り逃がすことになる。
それでは――これまでの戦いが無意味になる。
――楠都子を逃した自分が言えることではないのかも知れなかったが、と思い悩んでいた絃弥に対し、共に警備に当たっていた七篠 類(ななしの・たぐい)と尾長 黒羽(おなが・くろは)、そして隠代 銀澄(おぬしろ・ぎすみ)が声をかけた。
「行って下さい。ここは俺達が死守する」
類はそう告げると黒羽を見た。
彼女は黒い髪と赤い瞳を揺らして、穏やかに笑う。
「わたくしは、意図を絡め取る蜘蛛。いつでも捕食者ですのよ? 逃がしはしません」
「しかし――」
言いかけた絃弥の体を、銀澄が強く押した。
「マホロバは、扶桑は、ここにいる民で守るべきだと思ってる。だけど、だけど、紳撰組にも大勢、仲間が、この都で生きてきた人間がいるんだろう? 拙者は、副長のくせにそれを見捨てる貴殿を絶対に許さない。紳撰組はあくまでも、マホロバ人の手伝いをするべきだと思っています。でもそのために、そこにいるマホロバの民を守るのが、副長の使命でしょう!? これだからシャンバラ人というのは――拙者は侍です。まかせて、行って下さい」
扶桑見廻組の面々から思わぬ声援をうけて、絃弥は困ったように喉で笑った。
「分かったよ――信頼する、同じく扶桑の都を守る者として――まかせた」
そんなやりとりが交わされた数分後、天 黒龍(てぃえん・へいろん)は池田屋へと姿を現した。
そこでは、四方八方へ逃げていく朱辺虎衆や攘夷志士達、そして彼らを阻んでいる紳撰組隊士達や協力者の姿が見て取れた。
その中に、黒龍は目標としていた人物を見つけて、歩み寄った。
「黒龍様!」
管理外したままの朱辺虎衆の幾人かが振り返る。
それに肩をすくめて、黒龍は、紫煙 葛葉(しえん・くずは)と黄泉耶 大姫(よみや・おおひめ)へ強い視線を向けた。
振り返ったのは、二人も同様だったが、葛葉達は先程まで、全く違う意図で行動していた。
――大姫が重傷か。
――無理な突出をさせないようにしておかないと。
そればかりを考えながら、葛葉が追手を撒いておる間に浪士の逃亡の手引きをしていた 大姫はといえば、一人唇を噛んでいた。
――この程度掠り傷にも入らぬわ。
――今すぐにでもあの朱辺虎共を……痛ッ
二人は未だ、黒龍には気付かぬまま、攘夷志士達との交流を試みていた。
「貴女は、先日の――」
逃亡しようとしていた浪士の一人が、大姫に気がつく。
「先日逢梅屋に居った者かえ?」
頷いた彼を、比較的煙の少ない一角へと促して、大姫は訊ねた。
「そなたらの先日の撤収の迅速さ実に見事であった。無論、何者かが指揮を執っておったのであろう? 此度……命を救ってやった礼に答える気は無いかの?」
すると簡潔に、若い攘夷志士は応えた。
「朱辺虎衆四天王の黒龍様です」
「黒龍じゃと……!? おのれ何の資格があって黒龍の名を、……葛葉?」
話しを見守っていた葛葉が目を細める。
そこで大姫は、思い当たった。
――我らのパートナーは黒龍――へいろん、であって黒龍――こくりゅう、ではない。
……そうか、葛葉は筆談…! どちらの読みでも字は変わらぬのか。
一時的にでも朱辺虎共に与するのは気が進まぬが……。
大姫がそのように思う中、葛葉は朱辺虎衆に迫りたいなら、まず不逞浪士に直接近付けばいいと考えていた。そこで彼は、大姫と共に追われている浪士がいないか探していたのである。
――見つけ次第、俺は浪士を庇って追手を撒く。
……相手が知った顔だった場合は後で屯所に、謝罪と裏切りの意図は無い旨の投げ文でもしておくか。その様なことを考えたのは数日前のことである。
こうして二人は、庇ったと見せかけて不逞浪士から、朱辺虎衆の情報を聞き出していた。
そこで、最も耳にしたく、そしてしたくはなかった名前を聞いたのである。
――……黒……龍……?
無論、葛葉とて、それをそのまま鵜呑みにしたわけではない。
――主の黒龍は東雲にいるはずだが……これは使えるか。
そう判断した葛葉は、筆談で志士達に訴えたのだ。
『我らの主の名も「黒龍」という。きっとこれも何かの縁。あなた方の主の元へ連れて行ってほしい』
そんな縁で、逃亡の助力をしていた二人は、耳障りの良い声に目を見開いた。
「葛葉。お前の主の、名の読み方も忘れたか」
高らかに告げられたその声に、二人は振り返る。
そこには本物の天 黒龍(てぃえん・へいろん)が立っていた。
「黒龍様、どういう事ですか?」
朱辺虎衆のその者の声には応えず、黒龍は大姫へと視線を向けた。
「黄泉、無理をするな」
「待て――先程上階で、黒龍様は紳撰組と戦われたはず。まさか、偽名か?」
朱辺虎衆の一人がそう告げると、うっすらと黒龍は微笑んだ。
「生憎とこの名は偽名でも無くてな。本名という意味でなら、私こそが『黒龍』なのだから」
そこへ歩み寄ってきた葛葉が優しい笑みを浮かべた。
そして声にはならない言葉で、走り書きをする。
――我が主はお前一人だ、黒龍――へいろん――。
その文字に頬を持ち上げてから、黒龍はライトニングウェポンを用い、パートナーの二人を連れて、その場を後にしたのだった。
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