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決戦、紳撰組!

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決戦、紳撰組!

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 扶桑見廻組の屯所の前を歩きながら、中から響いてくる声を聴き、戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)は腕を組んでいた。黒い髪をオールバックにした精悍な顔つきの彼は、逡巡していた。
 ――この騒動の黒幕がいるのかもしれない。
 そう考えた彼は、これまでの扶桑の都で起きた騒動の顛末に思いを馳せていた。
 ――普通に考えれば、紳撰組だろうが扶桑見廻組だろうが、最終的な目的は治安維持であることは変わりないはず。であれば、本来は仲良くやるべきで、このようにいがみ合っていれば、本来防げる物も防げなくなるのが目に見えている。
 双方の間の喧噪は、役割分担の成果で、大分減じているとはいえ、未だ個々の隊士達の間では口論が起きることも珍しくない。
 ――単純に考えれば、互いの面子、縄張り意識がこれを阻害しているのだろうと思われるが、それ以外にもけん制しあうように仕向けている勢力もあるのだろう。そこを取り除かない限り、この中途半端な状態から抜け出せず、これを仕向けた勢力の思い通りになり続けるだけである。
「何を考えているのです?」
 思案している様子の小次郎に、リース・バーロット(りーす・ばーろっと)が声をかけた。
 長い銀色の髪を揺らしながら尋ねた彼女の声で、小次郎は我に返った様子だった。
「いや……黒幕が居るのかも知れないと思って――少し聴いて歩いてみるか」
「お手伝いしますわ」
 こうして二人は、扶桑の都の中へと消えていったのだった。


 彼らが歩いていくそんな姿を見送りながら、近隣の茶屋の軒先に中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が座っていた。その繊細な指先には、冷えた緑茶が浸る湯飲みがある。
「今回は久しぶりに自ら行動しましょうか」
呟いた彼女に纏われている漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)が、湿気を含んだ夏の風に体躯をはためかせた。
「う〜ん、考えてみたら、鞘を盗んだ犯人を特定するのは簡単だったわね……食事中はもちろん、お風呂の時だっていつ襲われても対応できる様にすぐ傍に置いてあるはず」
 その声に、奈落人であり綾瀬に憑依し、彼女の意識に憑依している中願寺 飛鳥(ちゅうがんじ・あすか)が頷いた。彼は、中願寺綾瀬の実の兄である。過去、綾瀬を庇って交通事故に合い死去したのが、この地で再会を果たし、契約して今に至っている。彼は紳撰組の客人として扱われている為、いつでも自由に紳撰組へと顔を出すことが出来る位置にあったが、別段紳撰組の隊士というわけではない。
 頷く気配にドレスは、続けた。
「刀が近くにあっても所有者は無防備――少なくとも意識が薄い状態になるのは睡眠時……その睡眠時に近藤さんの所へ疑い無く訪れる事が出来るのは、伝令係かパートナー。でも、伝令係の場合は当然近藤さんを起こす事になる」
「そうですわね」
 綾瀬が相づちを打つと、ドレスが体をはためかせた。
「以上の事から、鞘を盗み出した犯人は近藤勇理のパートナー……楠都子の可能性が一番高いわね」
 言い切ったドレスは、思案するように風に流されていた体躯を止めた。
「でも、証拠はもちろん、理由も分からない……直接『現場で』会うしかないわね」
 聴いていた飛鳥は、綾瀬の体を使って首を傾げる。
「ドレスの考えが正しいなら、楠はかなり辛い選択をしているはずだ。なんせパートナーを罠にはめてる訳だからな――しかし、罠にはめておきながら、少し調査すれば無実だと分かる状態を作ったという事は、その目的はなんだろうな?」
「誰が成したか、どのように成したかは自明――とすれば、あとは『何故』成したのか、ですわね」
 綾瀬が応えると、飛鳥が意識の奧で頷いた。
「綾瀬、今回はお前に任せた。俺が行動すると、余計な感情が入っちまって上手く出来ないかもしれないからな」


 そのすぐ傍の茶屋にいた、緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)は、頬杖をつきながらストローを噛みながら微笑していた。地球の品がある、珍しい店だ。
 ちぎのたくらみ使用して幼児化した上に女装をした遙遠は、ハルカと呼ばれる事がある。
 現在では、外見だけでは性別がどちらともつかず、中性的な子供に見えた。年の頃は十一歳前後、背丈は140cm程である。
「いよいよ池田への討ち入りです」
 傍らに用意してある十二単と、天狗の面を一瞥しながらハルカは笑った。
「紳撰組と朱辺虎衆の衝突……面白そうなのです〜、是非見届けないとですね〜きっと強者の集いになるでしょうし」
 ――空から高みの見物と洒落込もう。
 そんな思いでハルカは、周囲へと視線を向けた。

 昼だというのに、近隣の屋根を、朱辺虎衆と思しき黒装束の者が一人走っていく。

 その後を気付かれぬように、追いかける者の姿があった。
 城 紅月(じょう・こうげつ)である。
 この扶桑の都ではすこしばかり目を惹く、執事服じみたゴシック服を纏っている麗しい妖艶な少年である。――黙っていれば。口を開くと、悪戯少年と形容するのがふさわしい彼は、朱辺虎衆の謎を探る事を目的としていた。
「何か裏がありそうだね」
 ひっそりとそう口にして、シャギーがかった黒い髪を揺らす。
 金色の瞳が静かに瞬いた。
 彼はここの所、扶桑の都を陰で騒がせている、朱い牛面の黒装束集団が気になっていたのである。それは元来持ち合わせた、負けず嫌いさと正義感故なのかもしれなかった。
 紅月はただ屋根の上を見据えながら、静かに追いかけ走っていく。


 走り去っていく青年を眺めながら、あじさいソフトクリームを片手にユーナ・キャンベル(ゆーな・きゃんべる)は、首を傾げていた。金色の髪が、静かに揺れている。
 彼女の隣には、シンシア・ハーレック(しんしあ・はーれっく)山田 朝右衛門(やまだ・あさえもん)の姿がある。
「梅谷才太郎暗殺事件、か」
 呟いたユーナは、静かに考えていた。
 ――本当に死んでしまったのか?
 ユーナは、何処か腑に落ちない気がしたから、引き続き調べることにしていた。
「色々と疑問が多かった事件ですので未だに納得できないわ。偽装死だとしたら、誰がどのような目的でということが考えなければ――一番考えやすいのは紳撰組だけど。局長さんがまずそんなことを許さないでしょうし、彼女に罪を着せているような面もあるわ。……ただ隊士の一部で暴走してやってしまった人がいてもおかしくないのも有り得るけど」
 その声に、シンシアが、顎に手を添えた。
「私も調べなおしてもまだ足りない気がするわ」
 とはいえ――再調査と言っても、前回と同じような調査になりそうだ。
「出来る限り広範囲で、同様に事件の調査をしている人とも情報交換したい所ね」
 その声にユーナが深々と頷いた。
「この事件は、近藤さんたち周辺で紳撰組だけでなく、対立組織や私たちみたいな、まったくどこの組織にも所属しないフリーの人間も入り混じって調査してるんだし」
 腕を組んでからシンシアは続けた。
「私たちはどちらとも接触可能な立場ですので、それを生かして情報交換できれば」
 二人のそんなやりとりを見守っていた朝右衛門が、ソフトクリームを舐めながら黒い髪を揺らした。
「地球ならばDNA鑑定などの科学調査が出来るでしょうが、ここは扶桑の都。出来る範囲でしかやるしかないですね。具体的な物証として鞘があり、偽装された可能性も濃いとは言え、遺体も有ります。――とは言うものの、手詰まり感が強いのは否めないですね」
 そうは思いつつ、堅実に調査を行おうと彼は考えていた。
「だけどもう一度現場周辺での目撃情報等を集め直して調べた方がよさそうだわ。一番の証拠品である近藤さんの鞘が物証として上げられている以上、紳撰組関係を調べた方が良いもの。後は――特に楠郁子さんの過去について調べてみるのも面白そうね」
 そのユーナの声に、シンシアと朝右衛門が揃って顔を上げた。
「誰が、どのような目的で、ということに焦点を置けば――その動機は、現在にあるとは限りませんね」
 知的な性格が滲むように、冷静に告げた朝右衛門の声に、納得しながらユーナは唇を舐めた。
「英霊である彼女は地球人として生きていた時代では新撰組の一員でしたが、新撰組への裏切りという過去をもっていた――そしてパラミタで英霊として生まれ変わり、その後近藤さんのパートナーになりましたが……そのあたりから調査するのはどう? 契約してからの、あるいはそれ以前の過去の素行において、何か特徴的なことがなかったか。確かに、楠さんが犯人とするには理由付けがイマイチだわ。ただ、もしかしたら、今回の調査でそれのヒントとなることが分かるかもしれない」


 そこへ、長屋の方角から、扶桑の都で甘い者もの食べ歩きツアーをしている鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)がやってきた。彼女はあじさいソフトクリームと抹茶を注文すると、頬を緩ませたのだった。






 その頃長屋を住まいにして点喰悠太と名乗っている佐々良 縁(ささら・よすが)は、獣医である孫 陽(そん・よう)と共に、彼の助手として、日中は男装をして各地の馬小屋を回っていた。
 これまでは男装の為に胸へサラシを巻いていた縁だったが、まだ先に負った傷が痛むらしく、また日中の日照りが容赦なく体力を奪っていくせいで、時折苦しげな表情を見せている。
「大丈夫ですか?」
 声をかけた孫 陽(そん・よう)は、春秋時代に穆公に仕えた人物で、優れた相馬眼を持っている。それ故、持ち馬・人の素養を見抜く者への尊称『伯楽』と誉れ高かく、現在でも伯楽先生と呼ばれる事がある。
「大丈夫だよ、伯楽先生」
 しかし痛む腹を押さえながら、情報収集に意気込んでいる彼女を見ていて、思わず獣医は溜息をついた。
「――確かに、日中はおとなしいようですが……ここはアレが必要ですかね?」
 金銀屋の軒先で、顔なじみになった使用人と話しをしている点喰悠太を後目に、孫 陽(そん・よう)はひっそりと、連絡を取る決意をした。
 それには気付かない様子で、男装の麗人は話しをしている。
「いやぁうちの主人にも参ったものですよ、最近はますます攘夷志士達に肩入れしてるんですから」
古高様が?」
 通りがかった九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が、足を止める。薬売りに扮している、元々はそちらが本職だったロゼの声に、縁が僅かに緊張した面持ちで顔を上げる。
 しかし使用人にとってはこの薬売りも顔なじみになっていた為、そうですそうです、と嘆くように首を縦に振った。
「それって、白虎――でしたっけ、例の朱辺虎衆とかいう人たちに関係してるんですかねぇ」
 しかし意を決して縁が続けると、今度はロゼという愛称の薬売りが驚いたような顔をした。
「よくご存じですね。確か、白虎に新しくどなたかが就任なさったとか」
 ロゼがそう告げると、縁が瞬いた。
 二人の間に繋がった視線は、どちらも直感的に、相手が何かを識る者である、という事実を明らかにしているようだった。だが、豪商金銀屋の使用人は、それに気付いた様子もなく、ただ溜息ばかりをついている。
「全くお二人とも、何処で聞きつけていらっしゃったんですか、耳ざといんだから。なんでも青龍様とやらの代わりに黒龍様、白虎様の代わりには、そのまま名前を継いだ白虎様。――元々の白虎様は、先日の逢海屋で、紳撰組の副長に首を刎ねられていますからね。元から居た四天王は朱雀様だけだ。玄武様の率いていた部隊は、現在は首領様が率いているとのお話ですよ」
「今どこに居るんですか?」
 点喰悠太の問いに、使用人が深々と溜息をついた。
「そりゃ池田屋でしょう。紳撰組も討ち入るってもっぱらの噂ですしね。――ロゼ先生は紳撰組にも薬を下ろして居るんでしょう? 何かご存じないんですか?」
「さぁ。嗚呼、でも確かにその内、池田屋に討ち入るという話しは小耳に挟んだかも知れない」
 三人がそんなやりとりをしているのを暫し見守った後、孫 陽(そん・よう)が立ち上がった。
「そろそろ良い具合です。帰りましょう」
 彼のその言葉に、少し名残惜しい気もしたが、縁は踵を返したのだった。
 あまり探りすぎることは得策とは言えないだろう。
 二人は、長屋を目指して帰路へとついた。


 その時、長屋のすぐ傍にはウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)の姿があった。
 ウィングは、梅谷才太郎の所在や生死を確かめる為の策として、まずは二つの方法を考えていた。
 一つは殺害現場に落ちていた近藤の鞘。
 ――サイコメトリーをかければ、梅谷に偽装された人物を殺害した犯人が分かるはずだ。
 だが紳撰組の局長である勇理の刀の鞘に近づくことは、中々困難である。そこから辿れば、何かを見つけられるかもしれなかったが、ことのほか鞘のあつかいには紳撰組の隊士達も神経質になっているはずだ。
 そしてもう一つ。
 ――それは青龍の死体に対し、もう一度サイコメトリーをかけることだ。
 ウィングは考える。
 ――彼は必ず朱辺虎衆の拠点に関する記憶を持っているはずなんだ。
 だが、既に遺体は扶桑見廻組が回収に来ている。
 そこでウィングは、青龍の記憶の中にあった、扶桑の都の家屋を調べる決意をした。即ち、家屋に対し、人の心、草の心を使って、当時の状況を調べる方法を用いることにしたのである。これは扶桑の家屋が木造であり、樹が生きているからこそできる技だった。それは実力に定評がある彼だからこそ、思いついた策だったのかも知れない。
 他にも最終案を思いついていたウィングだったが、まずはこの策から実行することに決める。
 そこへ時折しくも、実地調査をしていたユーナ・キャンベル(ゆーな・きゃんべる)シンシア・ハーレック(しんしあ・はーれっく)、そして山田 朝右衛門(やまだ・あさえもん)がやってきた。
「ここが、楠都子が、近藤さんと契約する前に暮らしていた場所かぁ」
 聞き込み調査でその事を知ったユーナが、感慨深そうに呟いた声を、ウィングが聴き止める。
「楠都子というのは、確か紳撰組の局長のパートナーですね」
 不意に声をかけられた事に驚いたユーナとシンシアの一歩前に朝右衛門が出る。彼は、江戸時代に御様御用という刀剣の試し斬り役を務めていた山田家の六代目当主、山田朝右衛門吉昌の英霊なのである。その為、実力には自信があった。
「別段私は怪しい者ではない。――それよりも、そのお話は本当ですか」
「盗み聞き?」
 怪訝そうにくってかかったシンシアを止めながら、ユーナが頷いた。
「貴方は?」
「萬屋です。朱辺虎衆の事と、梅谷才太郎暗殺事件のことを探っています」
 その言葉に、『情報交換』という行動理由を想起しながらユーナが頷いた。
「私達も同じだわ。それで、聞き込み調査から、此処を割り出したの。貴方は?」
「朱辺虎衆四天王の一人、青龍の遺体をサイコメトリィしました。その記憶のしとねに、この長屋があったんだ」
「私達は、ここに嘗て楠さんが住んでいたと調査したの」
 ユーナの声に、ウィングは頷く。
「では、一緒にご覧になりませんか。嘗て、此処で何があったのか」
 サイコメトリィの結果を他者に見せることが出来るのは、ウィングの組み合わせた技能による得意な技だ。


 それは未だ天変地異――異常気象や、疾病が蔓延していた、扶桑の都における過去の記憶だった。
 肉感的な胸を、艶やかな和装で隠し、料理の準備に勤しむ、年若い女の姿がある。
 釜で艶やかな米を炊き、竹筒で湯の火加減を調節し、愛しい人の帰りを待つ――若き日の都子の姿がそこにはあった。漬け物を取り出して小皿に取り、魚を焼き。
 ――愛しいあの人は、未だ帰らない。
 英霊としてこの地へ還り、そこで巡り会った大切な人。
 楠都子は、未だ自身が何故この地に至ったのかも、前世の記憶も曖昧で、ただ明確に大切だと感じているのは、そんな自分に手を差し伸べてくれた、たった一人の侍だった。
 ――時折、悪夢を見た。自分が、仲間としての情を持った人々を裏切る悪夢だ。
 使命があったから、ただその一言では片付けられない程の悔恨と、仲間の手にかかって罪を裁かれることが出来たという安寧。
 複雑な胸中は、けれど独り寝の夜にはいつだって、都子に焦燥感と不安を抱かせずにはいられない。してはいけないことをしてしまった。そうなのだろう。だから悪夢にうなされるのだろう。
 だがいつも、彼女が寝汗を掻いて呻いていると、愛しいあの人が、揺り起こしてくれた。
 少なくとも都子はそう記憶している。
「早く帰ってこないかな」
 ひとりぼっちの食卓で、愛しい人の帰りを待ちながら、都子はその日も両手の指を組んで、肘を机についていた。
 ただ窓から差し込む満月の光だけが、彼女を見ている。
 その明るさが、いつしか彼女の不安を煽るようになったのは、子の刻を過ぎた頃合いだった。本来であれば、とうに二人で布団を被っている時刻である。都子の心に嫌な予感が募っていく。まさか――なにかあったのではないか。

 翌朝、三条河原で、見せしめとされるかのような斬首刑があった。

 貼り付けにされた愛しい人が、落命するその時を、都へ探しに出ていた彼女は偶然目にした。知ってはいたのだ、大切な人が、攘夷志士だと言うことを。けれど上手く逃げ回っているのだと、都子は信じて疑わなかった。此処は、幕末の日本ではないのだから、あのように生々しい悲劇が繰り返させることなど、想像すらしては居なかったのかも知れない。
 愛しい彼は、『革命』という程仰々しい思想を持っていたわけではなかった。
 ただ、少しでもこの街が良くなるようにと考えていたのだと知っていた。
 だが、叫ばずには居られなかった。
 泣きわめき、暴れ、その現実を否定したくなった。
 気付けば生前身につけた武力を行使し、その場にいる全員の首を飛ばそうとしていた。
 無意識のことだった。
 けれど都子が後一歩でそうする直前――

「処刑を命じたのは、幕府じゃ。ここにゃただの見物人も多いよ。それを殺めてなんになるとゆうのじゃろうか。それを、あやつが望むと思っちょるんじゃろうか」

 都子の手にした短刀を自身の掌で受け止め、『彼』は笑った。
 音もなく紅い鮮血が垂れていく。
「恨むべきは、ここにはいない」
 『彼』は、朱辺虎衆の首領だった。彼は、そのまま茫然自失とした都子を、長屋へと連れ帰った。
「ほっといてよ、もう私には生きる望みなんて」
「望みなんか無うても人はいきられる」
「あの人がいない世界には、意味なんて無いんです」
「ほりゃあ、あやつが不憫じゃのおし。ほがな世界を守ろうとしたあやつが」
「幕府なんて無ければ良かった。いつだってそうよ」
「そうじゃのおし。あやつを殺したがは、幕府やか――恨むべきは誰じゃろうか」
「幕府……将軍家」
「その通りじゃ。やきそのほかの周りの命も、自分の命も、傷つけようとしちゃいけんぜよ。再度訊く。おまさんが恨むべきは、誰じゃろうか」
「将軍」
「そう思うなら俺と来れば良い」

 それが、朱辺虎衆の首領と、楠都子の出会いだった。
 あるいはそれは、首領が都子の蛮行を食い止めようとしての詭弁だったのかも知れなかったが、その時の彼女には他にすがるものなど見つからなかった。
 その後、青龍や玄武、白虎と名乗る人々と合流し、朱辺虎衆と彼らが名乗る頃には、その勢力は拡大を見せた。それだけ、この世を恨む者が多かったからなのかも知れないし、それを個々に発散することにより、犠牲になる命の数を減らす為、首領は尽力したのかも知れなかった。ただ誰もが、加入者の誰もが思うことは一つだった。
 ――この世界は、理不尽だ。
 その理不尽の根底にあるのは、将軍家だ。
 何故、自分達がこれほどまでに苦しまなければならないのか。
 それはとても利己的な考え方だったのかも知れないが、首領はいつでも朗らかに人々を迎え入れた。
 それを隣で見ていた都子は、けれど――復讐の念を消しきることなど出来ないでいた。

「このままでは、圧倒的に、幕府側の情報量が足りないわ。――だから私、考えたの。幕府の懐に、もっと深く深く潜り込む術を」

 時折見る悪夢――それらが教えてくれる幕末の日本。
 嗚呼、忘れることすら叶わぬ忌々しい記憶。そしてそれと同等以上に、心を締め付けて止まない、『あの人』への想い。
 ――どうせ、所詮何処へ行っても、自分は裏切り者なのだ。

「私が生きていた世界に『新撰組』という組織があった。きっと、人を集め、この都の守護をすれば、幕府の要人の目にとまる。だから、誰か都合の良さそうな相手と契約をして、私は幕府の情報を集めるわ」

 都子のその言葉を、首領は止めなかった。
 笑ってさえ居たのかも知れない。

「好きにすればいいよ。それがおんしゃぁの望む道ならば」

 その声が潰えた所で、サイコメトリィは終了した。
 全てを見ていた四人は互いに目配せし合う。
「楠都子は、紳撰組結成以前から、朱辺虎衆と繋がっていたのね……」
 ユーナ・キャンベル(ゆーな・きゃんべる)がそう口にすると、シンシア・ハーレック(しんしあ・はーれっく)山田 朝右衛門(やまだ・あさえもん)が顔を見合わせた。
 ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)もまた腕を組んでいる。
「パートナー契約をしていたのかは定かではないけれど、誰か恋する相手が居たようですね」
 家屋自体の記憶をさらりとサイコメトリィしても、その事実は間違いないようだった。
「紳撰組結成の立役者は、局長の近藤 勇理(こんどう・ゆうり)のみならず、そのパートナーの楠都子の尽力があったと聞きおよんでいる――そうか、そもそも紳撰組の設立自体が、楠都子による画策だったのか」
 呟いたウィングの声が、長屋の片隅で消えていった。


 その頃、長屋に戻った佐々良 縁(ささら・よすが)は瞠目していた。
「――まあ、お得意様ができた街だし平和なのがいいけど、ケリはつけたいからねぇ……あれ? さつ……き?」
 呟きながら居室へと入り、縁は思わずぽかんと口を開けた。
「なん……でぇ」
 そこには、佐々良 皐月(ささら・さつき)の姿があった。
「しばらく帰れないってだけしか言ってくれないから心配だったのに……」
 誰が連絡したのだろうかと、縁は孫 陽(そん・よう)蚕養 縹(こがい・はなだ)を交互に見据える。
 縹は、ただ肩をすくめて苦笑しているだけだった。

 行商の絵をしたためつつ長屋で留守番をしていた縹が、皐月の迎えに出たのは先程のことである。
「とーとーお嬢が来ちまったかぁ。あねさんもやんちゃ過ぎるきれぇがあるからなぁ」
 扶桑の都にやってきた皐月を迎え、長屋に案内する道すがら、縹は昼のことも夜のことも、今まであったことはかいつまんで話した。
 そこには当然、先の縁の負傷の件も含まれている。
「なんで、そんなことに」
 唇を噛んでいる皐月に対し、取りなすように縹がフォローをいれる。
「もとは心配させるめぇってつもりでお嬢を連れてこなかったんだろうねぇ、そこは勘弁してやってくだせぇよ?」
 彼は、やきもきしながら怒る皐月を頭をなでてなだめた。

 そうこうしている内に、縁達が戻ってきたのである。
「おかえりなさい、どういうことなのかなー、よ・す・が?」
 どうやら連絡したのは縹ではないようだと察して、縁が目を細めながら孫 陽(そん・よう)を見る。
「何で……」
 すると彼は、微苦笑しながら肩をすくめた。
「何って、処方箋をだしただけですよ?」
 にこにこと穏やかに笑った彼に対して、思わず縁は脱力した。その正面で、皐月による説教が始まる。
 彼女達のやりとりを眺めながら、孫 陽(そん・よう)は笑み混じりに吐息した。
「皐月もなんだかんだで甘いところもありますね」
 そしてそう言いながら、本日収集した情報をまとめ始めたのだった。






 その夜、暁津藩家老の一人継井河之助の邸宅には。
 光学迷彩とベルフラマントで身を隠し侵入したアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)の姿があった。
「あの暁津藩家老なんか怪しいんだよなぁ……必ずしっぽを掴んでしょっ引いてやるぜ!」
 思わずそんな事をアキラが呟いたとき、ルシェイメアがある居室を天井裏から見おろして目を細めた。
「あれは……」
 そこには、オルレアーヌ・ジゼル・オンズロー(おるれあーぬじぜる・おんずろー)眞田藤庵と名乗っている久坂 玄瑞(くさか・げんずい)の姿があった。
「誰です?」
 気配に気付いて玄瑞が視線をあげると、顔を見合わせてから、アキラとルシェイメアが降りてきた。
「お迎えではなさそうですね」
 日中継井河之助の足下に、これ見よがしに落としてきた書状のことを念頭に置きながら、オルレアーヌが溜息をついた。
 その姿に、アキラが腕を組む。
「指名手配されてるって言うのに随分と余裕だな」
 ――変装したり、国外に逃げたりすればいいのに、それをしないのは自分のしたことから逃げるつもりはない、と言う事なのか。
 そう思案したアキラは、一人頷く。
 ならば――
「……自分のケツは自分で拭けるな?」
 そう告げ、彼は踵を返した。捕まえる事無く居室を後にしようとした将軍家後見人を、大老暗殺犯は興味深そうに見守っている。
「もしお前さんがこれ以上罪を重ねると言うのであれば、その時は――俺も容赦はしないぜ?」
 ピシャリと音を立てて、襖が閉まる。
「アキラ、何故じゃ?」
 隣室へと移った所でルシェイメアが問うと、アキラが微苦笑した。
「釘だけはさしただろ」
 本気で逃亡する気であれば、他にいかようにでもやり方はある。
 けれどそうしなかったオルレアーヌの真意を思案しながら、アキラは溜息をついた。
「人には信念てやつがある。それに勝手に口を出すべきじゃない」
 飄々とそう言ってのけた将軍後見人は、ルシェイメアと共に次の部屋へと進んだ。
 目算では、そこが継井河之助の寝室であるはずだったのだが――……
「あれ、都子殿。どうしてこんなところに?」
 アキラは、そこで思わぬ顔に遭遇した。
 仕立ての良い布団で体を休めていたのは、紳撰組局長のパートナー楠都子であった。
「っ、将軍後見人様」
 呟くように、それでいて早口に言葉を吐いて、彼女は起き上がった。
 痛むのか、肩を押さえている。
「……ああ、そうか」
 些か緊迫した空気が漂う中、合点がいったようにアキラは言葉を続けた。
 布団の奧で、都子が刀の柄に手をかけていることを彼は知らない。
「紳撰組もここが怪しいってつきとめて潜入捜査してたんだなっ!」
 都子はその声が真実なのか否か困惑する。
 だが実際にアキラは、全くと言っていい程気付いていなかった――いや、紳撰組を信じていた。
「どうかんがえても、ここの家主は怪しいよなぁ」
 同意を求めるように、彼はルシェイメアを見据える。
 一方の彼女はといえば、漠然とではあったが、何とはなしに都子への違和を感じ取っていた。だが、一切気がついた様子のないアキラと、安堵するような顔をしている都子を見ていると、何も言えなくなる。
「で、紳撰組は、どうやって調べる手はずなんだ? 手伝おうか?」
「いえ、これは私の単独調査なので……」
 しどろもどろに都子が応える。
「だから紳撰組の皆さんには迷惑をかけたくないんです」
 だがその一言には、本心であるに相違なさそうな切なさが隠っていた。それを見たルシェイメアは唇を噛む。
 ――都子にとっては、紳撰組の一員として共にあり続けたいと言う想いが大事なんじゃろう。
 そう思い、ルシェイメアはあえて何も言わなかった。
「特に勇理に心配をかけたくありません。だから……黙っていていただけませんか」
「ああ、いいよ」
 天然ボケをおかしな所で、あるいは良い所で発揮して、アキラは歩き始めた。何も言わずにルシェイメアが後を追いかける。
 するとその隣の部屋では、継井河之助が一人で、将棋の駒を弄っていた。傍らには手紙らしきものがある。
「おお、これはこれは将軍家後見人!」
 突然の来訪にもかかわらず、別段嫌な顔もせずに少年は顔を上げた。
 逆に、不意に出くわした二人の方が、息を飲む。
「急に悪いな」
「全くです。これじゃあ、菓子の用意一つ出来ない」
「結構だ」
「将軍家後見人へのもてなし一つ出来ないとあっては、傷つくのはコチラの家名。すぐに何か用意させましょう。――そうそう、聴きましたぞ。街で、民を救ったとか」
「そんな仰々しいもんじゃない」
「わしは甘味が食べたいな」
「ルシェイメア……」
 アキラが諫める前に、継井が声を上げる。
「甘味を用意いたしましょうか。おい、誰か」
 継井の声に、すぐに家臣がやってくる。やってきた者にいくつか指示を出してから、継井はアキラ達に向き直った。
「お忍びで突然のご来訪――まさか、我が屋敷の他室へ等入ってはおられませんでしょうな」
「入られたら困るものでもあるのか?」
「御意地の悪い事を仰る。『私』には探られて痛い腹などございませんよ。ただこの屋敷には女衆も多いですが故、後で不平をぶつけられるのは我なのです」
 実に子供じみた笑顔を浮かべて、継井は肩をすくめた。
「将軍家後見人殿は、将棋などたしなみますか」
「別にやってやらないことはないけど」
「でも、本物の人生ゲームの方が面白い?」
「何の話しだ」
「我の話です――嗚呼、この扶桑の都はどうなるのでしょう」