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すべての物語が、ハッピーエンドで終わるとは限らない。

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1、もしも、の世界にて



 『もしもマシーン』。
 意識を機械に取り込ませ、あらゆる『もしも』のシチュエーションを体験できるという画期的な機械は、少し前に起動した際、開発メンバーの一人である小野の意思により、


「学生生活をもう一度体験したい」


 という彼の願いを叶えることになった。

 の、だが。機械の調整不足などがあったため、なぜかその機械に繋がれた人物の性別が、「もしも」の世界では逆になってしまうというトラブルに見舞われた。

 その後、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)などの協力もあって機械は調整され、「もしも」の世界を体験できるというその機械は、それなりに正常に動くこととなる。


 そんな中、開発主任の博士と呼ばれている男――谷岡 修(たにおか おさむ)が、試験的に機械と接続してみたところ、そこにあった世界は、彼が実際に体験した、ひとつの記憶だった。


 彼がまだ、17の時。浮遊大陸が姿を見せる一年ほど前の話だ。
 ふとしたきっかけで出会った、ひとりの女の子との思い出。
 彼にとってはそれが辛く、思い出したくない記憶だった。彼は、彼女の前から姿を消した。


 その辛い思い出、彼にとって最悪のバッドエンドで終わったその物語は……もしもの世界においても、なにひとつ変わっていなかった。


 もしも叶うなら、あのとき、そうしておけば。

 彼の激しい後悔の念は、機械を通じてもわかった。

 だから、こそ。


「むーっ!」

 博士はロープで縛り付けられていた。


「というわけで、みなさんにはこの『もしもマシーン』に入っていただきます」
 小野はむーむー唸る博士の隣でそのように説明した。
「なるほどな。大体の事情はわかった」
 前回もこのもしもマシーンの実験に付き合い、可憐な水泳部美少女になっていたジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)が腕を組んで頷く。
「……が、これはあくまで『もしも』の世界なんだろう? 現実が変わるわけではない」
 続けて口にするジェイコブの言葉に、皆の顔が小野たちのほうへと向く。
「確かにそうでありますね」
 小野の隣、彼と同じく開発メンバーのひとりである千田川は言う。
「でも、この機械は本来、そういうことに使われるべきものであります。過去に対する後悔の念があるなら、あり得た『もしも』をシミュレートするのがこの機械の役目であります。それによって、後悔の念が少しでも和らぐなら、あるいは、自分の選んだ道が最善の道だとわかれば、気分は晴れるはずでありますよ」
 そのように言う。
「その通りです。それに、例え『もしも』の世界……仮想現実であっても、こんなバッドエンドは、正直言って嫌ですよ。やはり、ハッピーエンドにしたいです」
 小野も続いた。
「ふむ……まあ、ハッピーエンドを否定する気にはなれんからな、それでいいんだろう?」
 ジェイコブは言う。小野と千田川は、こくりと頷いた。
「でもな、『もしも』の世界に入る前に確認したいことがあるんだ」
「そうだな。ひとつだけ、とても重要なことを」
 千返 かつみ(ちがえ・かつみ)黒崎 竜斗(くろさき・りゅうと)が声をそろえた。皆の視線がふたりへと向く。


「「性別が変になるっていうの、直ってるんだよなっ!?」」


 ふたりは大声で叫んだ。
 かつみはなぜか性別が変わらず男のままだったのだが、かつらにつけまつげをつけて女子の制服を着ていたというよくわからない姿になっていた。
 竜斗はただ単に女の子になっていたのだけなのだが、おさげの背の低い内気な少女になっていて、のちに『もしもマシーン』のログを見直したところ、恥ずかしさのあまりに頭を抱えていた。
「とりあえず、確定できないデータが勝手に書き換わるのに関しては直しておいたぞ。性別が勝手に変わるなんていうことはないはずだ」
 ダリルが答えた。ふたりは心底安心したのか、息を吐く。
「それはよかった。俺もさすがに、あんな妙な気分を味わうのはちょっとな」
 月崎 羽純(つきざき・はすみ)も息を吐く。
「羽純センパイにまた会いたかったなー」
 と隣にいる遠野 歌菜(とおの・かな)が口にするが、羽純は「やめてくれ」と小さく口にした。
「バグの発生に関しては?」
 酒杜 陽一(さかもり・よういち)がダリルに顔を向けて聞く。ダリルは軽く息を吐いて答えた。
「バグに関してはな、どうも、仕様という感じで直せなかったんだよ。メインとして繋がれている人間が本来やろうとしていたことに反する行為を行ったら、元に戻そうとする動きが発生するんだ」
 その言葉に、数人は理解が出来なかったのか首を傾げる。
「前回は小野さんがメインで、『みんなで学校生活を楽しみたい』という考えの元で世界が発生した。だから、『学校から出ようとした』私たちを止めようとした。そういうことですね」
 水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が解説すると、ああなるほどと声が漏れた。
「そういうことだ。今回は博士がメインになるだろうから……どうなるかは想像がつかないな」
 ダリルは言う。
 皆の視線の先には、椅子に縛り付けられて口元を布のようなもので覆われている博士の姿がある。
 小野は彼の口元を覆っている布を、少しだけずらす。
「そんなこと、頼んでないぞ!」
 博士は真っ先にそう口にした。
「って言ったって博士、ログを見ましたけど、この出来事で、後悔してるんでしょう?」
「………………」
 小野の言葉に視線を逸らす。
「だったら、とりあえず向かいってみるがいいでありますよ。少しでも心の重荷が外れるんだったら、それに越したことはないであります」
 千田川も言葉を続けた。
「しかしな、せっかく作った『もしもマシーン』を、こんなことに使うなんて、それに、こんなに人数を「ああもううるさいな」ふがっ……」
 ぷしゅ、っと小野がスプレーのようなものを顔にかけると、博士の意識はなくなった。
「『象も熟睡するスプレー』、さすがの効き目でありますね」
 千田川が言う。
「ま、今回はお祭りに参加する、っていう名目もありますから。そのついでに、博士の手助けをしてあげてください」
 小野はスプレーをしまって口にした。
「本人が乗り気じゃないんだけど……」
 陽一が口にする。「あははは……」と小野たちは笑い声を上げた。
「まあ、博士の本音はわかりませんし、日本のお祭りも気になりますし。とにかく、『もしもの世界』、入ってみましょう」
 ゆかりが口にした。全員がヘッドホンのようなものを被り、用意に入る。
「ただ、その前にひとつ」
 が、ゆかりが口にて目配せする。頷いて、フィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)が立ち上がった。
「犯罪に使われる恐れのある発明ですね。ちょっと、詳しい話を聞かせてもらいます」
 スプレーを指さして言う。「はい……」と素直に小野たちは従った。



 『もしもマシーン』が、起動した。
 博士をメインとし、多くのメンバーの意識が機械に入り込む。
 まるで、空中をものすごいスピードで飛んでいるような感覚。映画のタイムスリップのシーンで使われるような映像に、皆が目を細めた。
 明るい空を舞い、暗闇の中を飛び、そして、ひとつの小さな光が見えてきた。
 その光は近づくに連れて大きくなる。やがて、光の眩しさに目を閉じられないくらいになり皆が目を閉じた。


 感じたのは、温かさ。
 ゆっくりと目を開くと、どこかふわふわしたような感覚。
 みんなが、同じ映像を見ていた。
 病院の一室にいたのは、小さなひとりの女の子と、そして、メガネをかけた少年。
 なんとなく、みんなは感覚でわかった。
 それが、若い頃の博士――谷岡 修だった。
「お祭り、見に行こうぜ」
 修は少女に口にする。パジャマ姿の少女は、ゆっくりとした動作で顔を修へと向けた。
「でも……先生が、ダメだって」
「知ったことかよ」
 修は少し身を乗り出して言った。
「今、さおりはすっごく元気なんだから。年に一度の夏祭り、行かなきゃもったいないって!」
 修は、そう自信を持って言った。
「俺が一緒にいるから、大丈夫。辛くなったら病院に戻ればいいんだからさ」
 どん、と胸を叩いて言う。叩くのが強すぎたのか小さくむせ返る修を見て、少女――さおりは笑った。
「……わかった」
 そして、その笑顔のまま、そう口にしてしまった。
「行ってみよ、お祭り」


 感じたのは、温かさ。
 お祭りに行けるという、嬉しさ。
 自転車に二人乗りして、彼のおなかに手を回して。
 体の辛さも、苦しさも忘れさせるような。
 そんな、温かさを、皆が感じた。



「ここは……」
 竜斗は目を開く。
「博士の過去……なんですかね」
 竜斗の近くにいた、沢渡真一が口を開く。
「さっきの映像も、博士の記憶なのかしらぁ」
 真一の隣に立っていた、シェスカ・エルリア(しぇすか・えるりあ)もそう口を開いた。


 気がつくと、竜斗たちは夏祭りの会場に立っていた。
 神社で行われているそのお祭りは、階段をあがり、大きな鳥居をくぐった先にある。
 多くの出店が並び、多くの人で賑わっている。甘いにおいや、香ばしいにおいが鼻をついた。
「そうみたいだな……ここで博士とさおりさんが、デートをする、と」
 竜斗は頷く。
「その途中ではぐれないようにするのが、俺たちの役目なんだよな、ユリナ」
 確認のために黒崎 ユリナ(くろさき・ゆりな)に視線を向ける。が、ユリナは嬉しそうな顔をしてほっぺに両手を当てていた。
「お、お父さん、可愛い……」
 ユリナの少し後ろ、黒崎 麗(くろさき・れい)もそんなことを言い、顔をわずかに赤くしている。
「可愛い?」
 竜斗はなにか違和感を覚えていた。
 先ほどから、自分が出している声が少し高い。おまけに、ユリナを始め、皆の身長が少し高いような気もする。
 シェスカに視線を向けるとシェスカは気まずそうに目を逸らした。真一は、「あはは」と乾いた笑いを浮かべる。
 まさか……と竜斗はなにか思い至り、自分の髪の毛に手をやる。
 いつも以上に長い髪と、肩にかかっている二本のお下げ。
 実に見覚えのある状況だった。
「また会えましたねっ、竜斗ちゃん!」
 我慢できなくなったのか、ユリナがジャンプしてきた。そのまま抱き寄せられ、ほっぺをすりすりと寄せられる。
「可愛い……肌がすべすべ……いいにおい……」
 興奮した犬のように体を擦り付ける。竜斗はしばらくわなわなと震えていたのだが、


「直ったんじゃなかったのかーっっっ!!!」


 ユリナをひっぺがして大声で叫んだ。



「直ったんじゃなかったのかーっっっ!!!」


 と、同じく叫んだのは千返 かつみ(ちがえ・かつみ)。彼はカツラを地面に叩きつけて叫んでいた。
「今回はかつみだけみたいだね」
 エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)がしみじみという。
 かつみは前回と同じく、体は男だが、かつらにつけまつげの女装男子になっている。前回は女子の制服だったが、今回は浴衣だ。しかもピンク。
 それに比べ、エドゥアルトたちはなにも変わっていなかった。
「カツラを外すと、単なる不審者ですね」
 千返 ナオ(ちがえ・なお)は言う。
 近くを通りかった一般人と思わしき女性がくすくすと笑い、かつみを指さした子供は親に引かれて早足で歩いていった。
「なんでまたこうなってるんだよっ!」
 カツラを被りなおして言う。
 そんなかつみたちの耳に、聞き覚えのある声が響いてきた。


『みなさん聞こえますか、小野です』


 脳内に直接響くような音。
 小野の声が、全員の耳に届いていた。


『機械を改造して、もしもの世界では通信できるようにしておきました。耳についているイヤホンにスイッチがあります。それを押している間、全員に音声を送信できますよ』

 小野は言う。耳元に手をやると、確かにスイッチのついたイヤホンがあった。

『なるほど。これで情報の交換が出来るわけね』

 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の声が全員の耳に届いた。

「小野さん! なんで俺はまた女装してるんだ!」
 かつみが叫ぶ。
「なんで俺はまた女なんだ!」
 竜斗も叫んだ。ちなみに彼の背中にはユリナがのしかかるように抱きついていた。

『ええと……かつみさんはなぜか前回のログが参考にされているという感じです。竜斗さんに関しては……その、ユリナさんのリクエストで……』


「ユーリーナーっ!」
 竜斗が振り返る。
「だって竜斗ちゃん……いえ、竜子ちゃんにもう一度会いたかったんですよぅくんかくんか」
「嗅ぐな! 抱きつくな! くすぐるな離れろー!」
 竜斗は大変なことになっていた。


「俺のほうは偶然かよ……」
 かつみもかつみで頭を抱える。
「むしろ奇跡だね」
 ナオのパーカーのフードに収まっているノーン・ノート(のーん・のーと)がニヤニヤしながら言う。
「うあーっ! しかもなんで女装なんだよ! これなら普通に女になってたほうがマシじゃないか!」
 頭を抱えて叫んだ。
「もう、今回も俺は隠れてるからな! なんかあったら呼んでくれ!」
 かつみは一目散に走り出す。
「また逃げてった……ってあれ、戻ってきた。どうしたんだい?」
 エドゥアルトが顔を赤くして戻ってきたかつみに声をかける。
「……人気のいないところ行ったら、カップルばかりで逆にいたたまれなくて帰ってきた」
「うんまあ、そんなところに女装男子がいたらただの不審者でしかないからね」
 エドゥアルトは頷く。
「さすがに二回もこんな目にあうとさすがにかわいそうなので、今回は静かに過ごそうか」
「……ふむ。いろいろいじりたいところではあるが、これ以上言うと、かつみ本気でキレそうだからな。そうしようか」
 エドゥアルトとノーンが続けて口にする。
「もうキレてるよ……一週回って怒鳴る気にもなれない」
 かつみはふらふらと歩き出す。
「祭りなんだしお面も売ってるだろ。それでもかぶって顔隠しとけ」
 ノーンが指摘し、ナオにお面を売っている屋台を示す。ナオが小走りで屋台に向かい、キツネの面を買ってきた。かつみがそれを被って、顔を隠す。
「お面付けたら視界悪いよね。私が手を引っ張ってあげるよ」
 言って、エドゥアルトがかつみの手を引いた。「べ、別にいいよ」と口にはするが、浴衣に合わせてか草履を履いているかつみは少し歩くと段差でつまづいた。「はい、転ばないようにね」と、エドゥアルトが手を引く。かつみは大人しくそれに従った。
「見事な組み合わせだな……まるでカップルだ」
 ノーンが言う。
「なんでかつみさんだけ浴衣なんですかね」
 ナオが耳に手をやって言う。小野の声が聞こえた。


『……なぜかかつみさんの性別欄に「女装」と書いてあるんです』


 致命的なバグだった。
「なるほど……それで」
 ナオは笑いをこらえてそう言った。
「少なくとも浴衣は着替えられるのにな……ま、おもしろいんで内緒にしとこう」
 ノーンはにやりとしながら口にした。


『こちらセレン。神社の向かいの通りに、浴衣のレンタル店があるのを発見したわよー!』


 ノーンの言葉を証明するような通信が響く。が、かつみは気づいていないようで、そのままエドゥアルトと並んで奥へと歩いていった。




 一番早く浴衣のレンタルを発見したセレンフィリティは、いち早く浴衣に着替えて鳥居をくぐった。
「おおっ……」
 近くを歩いていた男が振り返る。
 髪も結い、上品なイメージの淡いブルーの浴衣。歩幅を短く、小さく歩くその姿は、【菖蒲の浴衣美人】という称号そのものだ。
「射的発見!」
 が、屋台のひとつを見つけると、一目散に走り出す。射的で景品の大きなぬいぐるみを二、三発でしとめると、「いよっしゃーっ!」と大声を上げる。
 そのあと金魚すくいでは「そりゃそりゃそりゃ!」と大盛り上がり。
「難しいわね……」
 が、金魚はなかなかとらえられなかった。結局、店員に一匹だけプレゼントしてもらう。
 納得がいかなかったからか、手に入れた金魚とぬいぐるみを近くでもの欲しそうにしていた子供にプレゼントした。代わりにともらった綿菓子に頭からかぶりつく。
「よし、胃袋のウォーミングアップは完璧よ。じゃあ本番に行きましょうかっ!」
 そして、食べ物の屋台の並ぶほうへと走っていった。
「ず、ずいぶん強烈な人だな……」
「大人しくしてれば大和撫子なんだけどな……」
「むしろ好み……ぽっ」
 周りの男たちの評価もさまざまだった。
「セレン、ちょっと、飛ばしすぎよ」
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)がセレンフィリティに追いつき、声をかける。
 彼女もまた、【水仙の浴衣美人】という称号に恥じない、薄い黄色の花模様の入った浴衣を着こなしている。
 声をかけられ、振り返ったセレンフィリティは右手にチョコバナナ、左手にリンゴ飴を持っていた。
「前回の話で気づいたんだけど、ここは仮想世界だからいくら食べても太らないのよ」
 セレンフィリティは言う。
「あのねえ……今回はちゃんと、博士の動向を見守るっていう目的があるんだからね。とりあえず私は、会場がどんな感じなっているか、見てくるから」
 言って歩き出そうとするが、
「なにを言ってるの。せっかくだから楽しみましょうよ」
 セレンフィリティはそう言って、セレアナの袖を掴む。
「楽しむって……」
 セレアナは息を吐いて言った。
「セレンさんの言うとおりだよ」
 近くを通りかかった、ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)がそう声をかけた。
「博士はまだこっちに向かっているところだってさ。それから祭りを眺めてからだから、なにか起こるとしても時間はたっぷりとある。それまでは、祭りを楽しむといいよ」
 そう言うハイコドもたこ焼きを持っていた。ひとつを爪楊枝で突き刺し、セレアナの口へと向ける。セレアナは口を開いて、それを食べた。
「ハイコド、こっちにも。あーん」
 セレンフィリティは口を開き、ハイコドは「はいはい」と言ってひとつを入れてやる。「ちゃんとタコが入っているわね」と検討違いの感想を口にしたので、ハイコドは笑った。
「ところでハイコド、あんた、なにか隠してない?」
 セレンフィリティが変なことを聞いた。一瞬だけ、ハイコドの動きが止まる。
「なんのことだ?」
 ハイコドはたこ焼きを摘みながら答えた。
「今回の騒動、博士どうこう以外に、なにか理由があるんじゃないの? あんたはそれを知っていると思うんだけど、違う?」
 セレンフィリティはたこ焼きを飲み込んでから、少しだけ視線を鋭くしてそう尋ねた。
「面白いねえ。なにを根拠にそんなこと聞くんだ?」
 そう言って、ハイコドはたこ焼きを口にする。
「根拠はないわ。なんとなくよ」
 セレンフィリティはすぐに答えた。
 ハイコドは「こっちはタコが入ってなかったぞ」と小さく言い、
「ま、いろいろ考えているメンバーはいるんだよ。別に、やましいことをしてるわけじゃないから、気にすんな」
 ハイコドはそう言って、たこ焼きを口にしながら歩いていった。
「むう……」
 セレンフィリティはリンゴ飴を口にしながら唸る。
「どういうこと?」
 セレアナが聞くが、
「さっき言った通り。ただなんとなくよ」
 セレンフィリティはそれだけを言った。
「そんなことより、博士が来るまでに制覇しないと。行くわよ、セレアナ」
「ええ、行きましょう……って制覇!? 本気じゃないでしょうね!?」
 本気よ本気! と声を上げてセレンフィリティは歩いていった。
 セレアナは小さく息を吐いて、彼女のあとを追った。









「大体の地理は把握したな」
 ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)は、『お祭り案内図』を見て口にする。
 そこにはメモがびっしりと書かれている。案内図は基本的に屋台の案内マップで、神社の境内や、周囲にどんな店があるかなどは書かれていない。
 ジェイコブはフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)と共に、その地図を作成していた。


『ジェイコブさん、お疲れ様です。全員にマップは送信しますね』


 小野の声が聞こえた。やがて、イヤホンと一緒に全員に配られていた携帯端末に、ジェイコブの作った地図が送られた。
「よし、これであとは博士の到着を待つだけだな……ん? フィリシア?」
 気づくと隣にフィリシアがいない。ジェイコブは振り返り、彼女の姿を探す。
 その背中は、お面売り場の前ですぐに見つかった。
「フィリシア」
 その背中に声をかける。フィリシアの顔がこちらに向くと、ジェイコブは一瞬だけ、自分の周りの景色が停止したように思えた。
 彼女は淡いピンクの浴衣を着ている。セレンフィリティが見つけたレンタル店で、着付けてもらっていた。普段は下ろしている髪を結い、彼女の細めの首元がはっきり見える。
 そして、浴衣と色を合わせてくれた草履と、彼女の手には小さなうちわ。
 お祭り。その単語がぴったり似合う彼女の姿は、とてもサマになっていた。とても、綺麗だった。
「面白いのですね。いろいろなお面があって」
 そんな彼女の姿に見とれていたのを知ってか知らずか、フィリシアは明るい笑みでそう言った。声も、わずかに弾む。
 笑顔を見せた彼女は古いアニメのキャラクターの描かれたお面を手にとって頭にちょこんと乗せるようにして、「どうですか?」と尋ねる。ジェイコブは少し遅れて、
「あ、ああ。いいんじゃないか?」
 としどろもどろに答えた。
 実を言うと、彼女が着替えてからずっとこんな感じだ。
 地図を把握し、いろいろとメモしている間に着付けてもらい、並んで歩いて祭りの会場入り口に戻ってきたところだが、今も目のやり場に困るくらいだ。
「うん、まあ、それでもだ。一応、もう一回りしておかないとな。行くぞ」
「はい」
 フィリシアは頷き、ジェイコブの隣へと並ぶ。
 そのままふたりで歩く。ゆっくりとした歩調で、少しずつ。
 ジェイコブには『在日米軍基地所属の軍人』という設定が適応されているらしく、彼は軍服を着ていた。その妻であるフィリシアもそういう設定が生かされているらしい。
 外国人が浴衣を着ているのが珍しいのか、すれ違うものたちが皆、フィリシアに視線を向ける。中には「似合うねえ」とか「素敵ねえ」とか声をかける人もいた。
「ふふ、ありがとうございます」
 そのたびに、フィリシアは軽く頭を下げる。その、日本風の挨拶も、回りの評価を上げた。
「んあー、歩きづらくないのか、それは」
 ジェイコブも気の利いたことをなにか言おうとするのだが、言葉にならずについ別のことを口にしてしまう。
「大丈夫ですよ」
 言い、フィリシアはこつりと草履をジェイコブの靴に当てた。
「合わせてくれてますからね」
「ん……まあな」
 照れくさくなって視線を逸らして言う。楽しそうに小さく笑うフィリシアの声が、耳に響いた。
「見てください、たくさんのお店がありますよ」
 フィリシアがジェイコブの腕を引いた。引っ張られるように、ジェイコブも続く。
「死角が多いですね」
 フィリシアはふと口にした。そうだ忘れてた。そもそも、ここには目的があってきたのだ。
「お祭りを楽しみたいところですが……博士さんたちの件が優先ですね」
 少しだけ声のトーンを落として口にする。
「そうだな。祭りを楽しむのは、用が済んでからだな」
 とジェイコブも頷く。フィリシアが鋭い視線を向けて頷き返し、ふたりはまた、ゆっくりとした歩調で歩き出す。
 博士たちが来るまでは、この雰囲気を堪能しよう。そして、解決したら、たっぷりお祭りを楽しむんだ。
 ジェイコブは自分の心にそう言い聞かせた。



「せいっ!」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)は叫んでリング状のものを投げる。
 投げたリングは奥にある大きな人形を見事に捕らえた。鈴の音が鳴り響く。
「おめでとうございます!」
「はは、どうもどうも」
 周りの拍手に軽く頭を下げる。
 彼は輪投げの店にいた。その中で、もっとも難しい景品を彼はゲットしていた。
 彼は忍者なので、投擲は得意だ。
「でも、よく考えたらいらないんすよね……」
 冷静になって考え直す。
 投擲が得意なので、というだけの理由で衝動的に手を出してしまったのだが、改めて考えると欲しかったという訳でもない。というか、邪魔にしかならない。
 ここは仮想世界なので、持って帰らないといけないみたいなことにはならないが、人形もそれなりに大きいので、その辺りに捨て置くわけにも行かない。
「どうしますかねぇ」
 唯斗はそう口にして人形を見る。
 当時は流行していたという、とある地方のマスコットキャラの人形は、唯斗と目を合わせると笑っているように口元を動かした……ようにも見えた。唯斗は思わず、口元を緩める。
「はあ……」
 そんな唯斗の耳に聞こえた、知っている人間が息を吐く音。見ると、想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)が金魚すくいをしていた。
 唯斗がのぞきこむと、夢悠は穴の開いた網をいつまでも持ち、どこか遠くを眺めていた。近くにいた子供たちも、「この人なにしてんの?」と顔を覗き込んでいる。
「夢悠、その網じゃすくえないと思いますぜ」
 唯斗は肩を叩いて口にした。夢悠が「はっ」と少し驚いたような声を上げ、振り返る。
「唯斗さん……どうかしたの?」
「いやこっちの台詞なんすけど……」
 夢悠はどこか視線が定まらない。
「お祭り、賑やかだね」
「そうっすねえ」
「カップルも、いっぱいいるね」
「いるっすねえ」
「はあ……」
「いやだからなんなの!?」
 夢悠は再び穴の開いた網を金魚の入った水槽に入れていた。
「まあまあ、そっとしておいてあげてよ」
 唯斗は声に振り返った。そこにいたのは水玉模様の薄い青色の浴衣を着た、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)だ。
「どしたんすか?」
 唯斗が聞くと、
「どうも、雅羅さんのことでなにかあったらしくて」
 答えたのは、マリエッタの後ろから顔を出した水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)だ。彼女も浴衣姿で、薄い黄色の生地に色鮮やかな花びらが描かれたものを召している。
「そうなんすか……ほら、夢悠。これやるよ」
 唯斗は人形を渡した。「ありがとう……」と夢悠は受け取る。
「その人形、可愛いね」
 マリエッタは覗き込んで言う。「可愛いっすかねえ……?」と唯斗は疑問を呈していた。
「よかったらもらってよ……僕が受け取っても、どうしようもないからね」
 夢悠は唯斗を見て言う。唯斗が「いいっすよ」と口にし、夢悠はマリエッタに人形を渡した。
「ホント!? ありがとー!」
 マリエッタは笑顔でそれを受け取った。
「チッカも、ほら、元気出してね! 雅羅んのことでなにがあったか知らないけど、応援してるから! ……ってキャーっ! なんで水槽に顔を沈めてるのっ!?」
 夢悠は金魚の水槽に沈んでいた。ゆかりと唯斗が慌てて引っ張りあげる。
「大丈夫だよ。みんな、今回は絶対に、博士たちにこのお祭りを楽しんでもらおうね。ハッピー云々はわからないけど、やっぱり、ちゃんと話させてあげたいんだ」
 夢悠はキリっとした表情で口にした。
「もちろんですよ」
 ゆかりは彼の頭の上に乗っていた金魚を水槽に戻して言う。
「どこになにがあるかの把握は出来ましたから、ふたりがはぐれても大丈夫です。最後の花火は、みんなで楽しみましょう」
 続けて言う。「そうだね!」とマリエッタも元気に口にする。
「んじゃ、博士たちが動くまでは、俺たちもお祭りを楽しみますかね。夢悠、せっかくだから一緒に回ろうぜ」
 夢悠の肩に手を回し、唯斗が言う。
「そうだね。いろいろあるみたいだし、見て回ろう!」
 夢悠も元気にそう答え、ふたりはそのまま、祭りの中へと歩いていった。
 ゆかりたちが手を振ると、唯斗が振り返って親指を立てる。
「大丈夫かなあ」
 マリエッタは人形を抱きしめながら心配そうに言うが、
「こういうときは男同士のほうがいいかもしれませんから、任せましょう。大丈夫よ」
 ゆかりは言う。


「よし、ここから全部食べて回ろう!」
「全部!? マジ!?」
「大マジだよ! よし、唯斗さん、競争だ!」


「……本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫よ」
 ふたりは聞こえてきた言葉に顔を見合わせた。
「私たちも、せっかくだからお祭りを堪能しましょう」
「だねー。近頃は休みも取れなかったし」
 よし、とマリエッタは口にし、
「んじゃ、あのふたりを追いかけて、いろいろ食べてまわろっか!」
 手を回して言う。
「そうね」
 ゆかりも笑って答え、弾むように歩き始めたマリエッタのあとを追った。




「今日は実に、静かですね」
 他のメンバーと同じく浴衣に着替えたアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)は、ゆっくりと歩を進めながら隣を歩く綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)に声をかけた。
「そうね」
 さゆみは答える。
 ふたりはそれなりに有名人なので、ただ歩いているだけでも注目を浴びてしまうようなときもある。まして、今回はふたりとも艶やかな浴衣姿。ファンが見たら黙っていないはずだ。
 しかし、ここは仮想世界。確かに彼女たちの美しい容姿は多くの男の視線を奪ってはいるが、しつこく迫ってくるものも、隠れて写真を撮ろうとするものもいない。
 となると心配は一緒にこの世界に入り込んでいる盗撮魔ふたりだが、
「大丈夫。今回は釘を刺しておいたから」
 と、さゆみの言。
 どんな釘を刺したのかは知らないが、こうやってゆっくりとお祭りを堪能できるのは嬉しいことだ。
 アデリーヌが、静かにさゆみの手を握った。さゆみも、静かに手を握り返す。
「……こういうのも、いいですね」
 アデリーヌが小さく口にする。
「そうね。こんなふうにゆっくり過ごすのも、いいわよね」
 さゆみもそう返した。
 温かな空気が、辺りを包む。季節は夏の終わり。涼しくもなく、暑くもなく。
 まだわずかに高い湿度と気温も、夕方の空気に押し流され、ちょうどいいくらい。
「さゆみ、フルーツジュースだそうですよ」
 気づけばいろいろな食べ物、飲み物の屋台が並んでいる場所まで来ていた。その一件、さまざまな果物が並ぶ店をアデリーヌが示す。
「いろいろあるのね……なんか、見て回るだけでも面白い」
 さゆみはそう口にし、屋台の店員にミックスジュースを頼む。さまざまな果物を専用のミキサーに入れて、下にセットされた大きな紙コップに液体を注ぐ。ひとつをアデリーヌに渡し、もうひとつは自分で口をつける。さわやかな風味と酸味が、ふたりののどを潤した。
「夏ですね」
 アデリーヌは両手で紙コップを持って笑った。
「そうね……」と、さゆみも答える。
 薄暗くなった空を照らす、一番星が、さゆみの頭上に見えた。
 田舎でもなく、そして都会でもない柔らかな空気が、ふたりの近くを駆ける。
「あの博士って人、いいところに住んでたのね」
 さゆみはそう口にした。
 彼がここにいたのは何年前のことかは知らないが、とてもいいところだ。
 ふたりはそう、空気を通して、風を通して感じていた。
「香ばしいにおいがしますね」
 そんな風の流れの中、アデリーヌがひとつの屋台を見た。そこでは初老の男性が煎餅を焼いていて、醤油の焦げたにおいが、辺りにいる人たちの空腹を誘っていた。
「ジブリールさん! 見てください! おいしそうですよ!」
「本当だ。わー、すごいね」
 そんな屋台を覗き込むふたりの人物がさゆみたちの目に入る。フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)、そしてジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)が、男性の目の前で作業に見入っていた。
 焼きあがった煎餅を受け取り、すぐに頬張る。さくさくと聞いているだけでおいしいとわかるような音が、周囲に響いていた。
「んーっ、最高ですっ!」
 フレンディスが声を上げる。ふたりの美味しそうな食べっぷりは、周りの客をその店に呼び寄せていた。
「博士たちが来たらずっとマークするんだからな。今のうち、楽しんどけよ」
 ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)がふたりの近くまで歩いてきて声をかける。
「はっ、そうでした」
 フレンディスが思い出したように声を上げる。
「今回は博士さんのためにこちらにいらしたのでありました。博士さんの心の蟠りが拭えますよう、精一杯励みたくバリバリ」
「……おい」
 フレンディスは煎餅を口にしながらそう言った。ベルクは息を吐く。
 ジブリールもフレンディスも、両手にいっぱい食べ物を持っている。口ではそうは言うものの、説得力はない。
「でもさ、博士が来ないと動きようがないよね。なんでこんなに早い時間に来させたんだか」
 ジブリールも煎餅を口にしながら言う。
「会場の偵察やらなんやらだろう? それに、俺たちにお祭りを楽しんでもらうための粋な計らいだろうな」
 ベルクは言う。
「だったら、博士さんが来るまではたっぷりお祭りを堪能しないといけませんねっ!」
 フレンディスはぴょこぴょこと跳ねるように歩き、口にする。
「おい、フレイ、ちゃんと前を向いて歩かないと……」
「へ? ひゃあっ!?」
 フレンディスは人にぶつかって倒れそうになる。彼女の両手に握られている食べ物が、見事に宙を待った。
「……っぶね」
 その空中に散らばった食べ物を、見事にひとつも落とさずにすべてキャッチしたものがいた。影月 銀(かげつき・しろがね)だ。
「大丈夫?」
 フレンディスは、ぶつかった相手、ミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)に支えられていた。
「ふええ……すいません、ミシェルさん、銀さん」
「よくこれを全部手に持ってたな。というか、どうやって持ってたんだか」
 銀は言って、一個ずつフレンディスに返した。
「チョコバナナにお煎餅、フランクフルト。見事に堪能しているねぇ」
 ミシェルも言う。フレンディスは恥ずかしそうに「えへへ」と笑った。
「って、待ってください! 足りないです!」
 フレンディスが急に叫ぶ。
「これのこと?」
 さゆみが綿あめを持って近くに立っていた。
「これですこれ! やっぱりお祭りといえば綿あめですよね!」
 フレンディスは「ありがとうございます!」と声を上げ、さゆみから綿あめを受け取った。
「悪いな。ほら、フレイ、人も多いんだから、走るな」
 ベルクがフレンディスの頭に手をやって言う。
「みんな、似合ってるね。さゆみさん、アデリーヌさんはさすがって感じだし、ミシェルさんも銀さんも、可愛くてかっこいいや」
 ジブリールは皆を眺めて言う。
 さゆみとアデリーヌは対称的な、赤と青の浴衣。ミシェルは金に近い感じの黄色で、銀は黒い浴衣を着ている。それぞれがそれぞれの特徴を引き出しているような、そんな感じの見事なチョイスだ。
「ふふ、ありがと」
 ミシェルは笑顔で答える。
「せっかくだから、みんなで回る? 食べ物もさすがに全部は食べられないし、みんなで食べ比べしようよ」
 そして、笑顔のままそう提案した。
「それはいいですねっ!」
 フレンディスが尻尾を揺らして答える。
「賛成! 私、リンゴ飴食べてみたいなっ」
 ミシェルも手を挙げて言う。
「それなら、早く行こうよ。博士たちだって、そろそろこっちに来るだろうし」
 ジブリールが歩きながら言う。
「いいですね。それでは、みんなで回りましょうか」
 アデリーヌがジブリールのあとに続いた。フレンディス、ミシェルがそれに続く。
「まったく、はしゃぎすぎだって」
 ベルクは息を吐いてそう口にした。
「いいじゃない。これからどうなるかわからないんだから、楽しめるときに楽しみましょう」
 さゆみはそう言って、歩いていったメンバーを小走りに追いかけた。
「さゆみさんの言うとおりだよ。ベルク、俺たちも行こうぜ」
 銀も歩きながら言う。「ま、そうだな」とベルクも歩き出した。
「博士たち、まだ来ないのか?」
 銀は歩きながらベルクに聞く。
「もうそろそろ来るとは聞いた。でも、それから祭りを回るらしいからな。しばらくはなにもないだろう」
「問題は、はぐれる前後か」
 答えたベルクに、銀は独り言のように呟いてあごに手を当てた。
「……銀はどう思う。博士の物語、ハッピーエンドに出来ると思うか?」
 ベルクは前を向いて歩きながらそう聞いた。
「わからない」
 銀は顔を上げて答える。
「ハッピーエンドというのは、ある出来事を切り取って、ひとつの『物語』として考えた場合そう見える、というだけの話だと思うがな。ここで俺たちがハッピーエンド、バッドエンドなどと考えても仕方ないだろ」
 続けてそう口にした。ベルクもふむ、と声を上げ、
「……但し、今回は所詮ひとつの夢物語だからな。なら、幸せなIFがあっても悪くねぇと思うんだ」
 そのように言葉を続ける。
「まあな。『バッドエンドだと思ったままで終わっちゃうなんて悲しいよね』って、ミシェルも言ってたしな」
 銀も屋台をきょろきょろと見て回る、ミシェルたちを見て口にする。
「結果はさておき、博士の未来に良い影響を与えるといいな」
 ベルクはそう言った。銀は「ま、確かに」と頷いた。
「とは言え、本人次第なんだよな……まずは、意地でも会わせて話をさせねぇと」
 ベルクはそう言って息を吐く。
「そうだな。それは最低条件、ってとこか」
 銀も頷いた。
「マスター! 銀さーん! ロシアンたこ焼きしませんかーっ!?」
 フレンディスが手を振ってふたりを呼んだ。
「ロシアンたこ焼きって……おいフレイ、なにもこんなところでんなこと」
「面白そうじゃないか。なんなら、罰ゲームでもつけようか」
 呼ばれたふたりは笑いながら、少し駆け足で皆の待つ場所へと向かう。
 物語はまだ始まらない。始まるまでは、せめて、楽しい思いでいようとふたりは思った。
 始まった物語が、楽しいまま終わるとは思えなかったからだ。



「まだしばらくは、祭りを楽しめそうだな」
 屋台などが途切れた、神社の本殿がある場所の近く、月崎 羽純(つきざき・はすみ)は飲み物をベンチに腰かけた遠野 歌菜(とおの・かな)に渡した。「ありがと」と、歌菜は受け取る。
「それにしてもいろいろあるねえ。全部は回れないかもね」
「そうだな。ここまで規模が大きいとは」
 神社の土地はそれなりに広い。ふたりはとりあえず奥まで行ってみようということで、この場所まで来ていた。
「あっちにも人だかりがあるけど、なんだろ?」
 歌菜が神社の近くの建物を示して言う。
「レナンちゃん、早くなの!」
「引っ張るなって……つか、いい加減『ちゃん』付けはやめろって……」
 ちょうど、そこに知った顔が通ったところだった。羽純が近くまで歩いてゆき、声をかける。
「歌菜ちゃんに羽純ちゃん!」 
 エセル・ヘイリー(えせる・へいりー)は歌菜たちを見つけるなり、駆け寄って来た。
「こんばんわ、なの。歌菜ちゃん、その浴衣とっても似合ってるの!」
「そう? えへへ」
 言われ、歌菜は少し嬉しそうに笑う。
 歌菜が来ている浴衣は少し強い色の赤い浴衣だ。逆に、布地には白や黄色の淡い色の花が描かれている。
「エセルも、とっても可愛いわよ」
 エセルも浴衣を着ている。薄いピンク色で、金魚が描かれたとても可愛らしい浴衣だ。「ありがとーなの!」と、エセルはくるりと一回りして言った。
「おふたりもおみくじ引きに来たの?」
「おみくじ?」
 エセルの言葉に、羽純が聞き返す。
「ここのおみくじはよく当たるで有名なんだと。ついでに、神主さんが直接店に出て売るっていう、ちょっと変わった感じらしいぞ」
 答えたのはレナン・アロワード(れなん・あろわーど)だ。神社の横にある、灯りに照らされた売り場を指差して言う。
 見ると、女子高生の集団らしき一向が、それぞれの運勢を掛けてくじを引いているようだ。拳を振り上げるものや、明らかに落ち込んでいるものもいる。
「神主さんが直接かあ。それはご利益がありそうだね」
 歌菜が言って、少し売り場に近づいていく。
「見事におじいさんだね」
「見事におじいさんだねぇ」
 歌菜の声とエセルの声がハモった。神主の格好をしているとはいえ、頭にはなにも被っていない、坊主頭のおじいさんがにこにこしながらおみくじを売っていた。
「もっとイケメンのお兄さんだったら、もっと有名になれたかもしれないの」
 エセルは言う。
「あはは、まさか。顔がいいだけでおみくじが売れたら苦労しないよ」
 歌菜は笑って言った。
「そう? でも、羽純ちゃんみたいな素敵な人がおみくじを売ってたら、きっと大盛況なの!」
 エセルは弾む声で言う。
「羽純くんが……おみくじねえ」
 歌菜は少しだけ思考を巡らせてみる。





「やあ、これがキミの今年の運勢だよ」
 狩衣と鳥帽子に身を包んだ羽純が、女性におみくじを渡す。おみくじを開いて、女性は歓喜の声を上げた。
 次から次へと女性が羽純に集まる。そのひとりひとりに、羽純は丁寧におみくじを配っていた。
「さて……それじゃあ、歌菜の運勢を占おうか」
 女性たちがいなくなり、羽純は歌菜の目の前に来た。
 が、彼の手におみくじはない。彼は手にしていた笏でつん、と歌菜の鼻をつついて、
「大吉だよ」
 と、微笑んで口にした。
 くじを引いていないのにわかるんですか? と、歌菜は聞く。すると、「当然だろ」と羽純は歌菜の頭に手をやって、息のかかるような近い距離で口を開いた。


「お前はこれからも俺と一緒にいるんだ。だったら、大吉以外の運勢はありえないだろう?」








「いえーい、大吉ーっ!」
「わあ、歌菜ちゃんどうしたのっ?」
 歌菜がいきなり叫んだので、エセルは驚きの声を上げる。
「あ、ごめんね。ただ、ちょっと大吉だったから」
「? 歌菜ちゃん、もうおみくじ引いたの?」
「ううん。おみくじは引かなくていいの。私はこれからもずっと大吉だから」
「???」
 エセルは首を傾げた。
「それにしても、前回見たく性別が変わったりしなくてよかったな」
「ああ……全くだ」
 レナンは羽純と話していた。
「巨乳になるのはあれっきりにして欲しいぜ。肩が凝る。でかい胸は大変なんだと改めてわかったんだけど、特に必要のない知識だよな」
 レナンは肩を回しながら口にする。
「俺も男に言い寄られる女の気持ちがわかった。知りもしない人間から『前から好きでした』なんて告白されてみろ、困るどころじゃない」
 羽純は額を押さえて言う。
「はっはっは、羽純ちゃんはモテてたからなあ」
 レナンは笑って言う。
「それだけじゃない……女心って言うのかな。気になる男と話をすると、心臓がばくばくうるさいしな……あれは参る。ずっとその男の子の顔が浮かんで来るんだぞ。辛いって」
 羽純は息を吐いて言葉を続けた。
「……ん、ちょっと待てなんだその事実。クラスメイトとして気になるぞ」
「なんでもない」
 レナンの言葉に羽純は慌てて視線を逸らしてそう言う。心なしか冷や汗をかいているようにも見えた。
「そんなことより博士たちはそろそろじゃないのか?」
 羽純は言う。少し早口なのがレナンは気になったが、特に言及はしないでおいた。
「そろそろだろうな。というかもう近くに入るらしい。浴衣を着付けているとか」
 レナンは先ほど他のメンバーから聞いた情報を口にする。
「博士たちが来たら、目を離さないようにしないといけないの」
 エセルが少し声音を変えて口にした。
「そうだね。だったら、入り口付近に移動しておく?」
 歌菜も会話に参加して、そのように口にする。
「ついて回るのは他にもいるだろうからな……ぞろぞろとついてまわるのもよくないだろう」
 羽純は冷静に言う。
「花火が近くなったら近づくべきだが、それまでは自由行動でいいだろう。連絡を取り合ってれば、おおよその位置はわかる」
 続けて口にした言葉に、「そうだな」とレナンが同意した。歌菜たちも頷く。
「じゃあ、せっかくだからお祭りを楽しむの! まずはおみくじを引いてくるのー♪」
 エセルはぴょんと飛び跳ねてから走り出した。
「遊ぶのに夢中になるなよ」
「わかってるのー!」
 レナンの言葉に、エセルは振り返って頷いた。レナンが息を吐き、彼女のあとを追う。
「歌菜は、おみくじは引かなくていいのか?」
 羽純が聞くが、
「もう、なに言ってんのさ羽純くん、私は大吉だよぅ。さっき言ってたじゃない」
 歌菜は頬に両手を当てて言う。
「? もう引いたのか?」
 羽純は首を傾げて口にした。



『こちら小野です。たった今、博士たちが神社の境内に到着しました』



 音声が響いた。歌菜たちの表情が、真剣なものへと変わる。
「自由時間でいいと決めたとはいえ……やっぱ、それを聞くとなんか変わるな」
「そうだね」
 羽純と歌菜は頷きあう。
 祭りを楽しむためとはいえ、やはりふたりのことは気になる。羽純と歌菜は並んで、入り口へと向かって歩き出した。
「来たみたいだな」
 レナンも通信を聞いて頷く。
「吉なの……うう、微妙すぎてコメントしづらいの……」
 エセルは神主からもらったおみくじを開いてそう口にした。
「俺は中吉か。ま、悪くないな」
 もらったおみくじをポケットに入れてレナンは言う。エセルはおみくじを近くの木に結び付けていた。
「ついでに、博士の運勢を占っておくか?」
 レナンはエセルに言うが、
「本人が引かなきゃ意味がないの。そんなことより、金魚すくいがしたいの」
「ま、そうか」
 エセルが歩き出したので、レナンはその後ろに続く。
 すれ違ったひとりの男が、おみくじをもらっていた。なんとなく足を止めて、その様子を見る。


「うわ、すげ、凶って初めて見た!」


 男はそんなふうに、友人たちとはしゃいでいた。
「ほ、本人が引かなきゃ意味がないの……」
 一緒に足を止めていたエセルが口にする。
「そ、そうだよな……必ずしも、順番どおりってわけじゃないもんな……」
 レナンもそう口にした。
 そして、ふたりで金魚すくい屋を探して歩き出す。
 ふたりが心なしか早足になっているのは、単に、祭りを楽しむ時間が惜しかったからだと、自らの心に言い聞かせていた。



「カーリー、早く!」
 マリエッタはくるりと振り返って言う。
「待って、マリー。ほら、転んじゃうわよ」
 ゆかりも人にぶつからないようにしつつも早足で歩き、前を歩くマリエッタを追う。
「ほら、リンゴ飴! 甘くて美味しいよっ!」
「ありがと」
 マリエッタが買ってきたリンゴ飴をひとつ受け取って、ゆかりは笑顔でそれを口に含む。
「んーっ、すっぱいわね」
「すっぱかった? こっちは甘いけどな」
 ふたりして並んで、リンゴ飴を舐める。その間にも、周りの屋台を眺め、次になにを食べるか、なにをやろうかと考える。
「いろいろあって迷うねえ」
「迷うわねえ。次はちょっと、遊びに行きましょうか」
 少し奥にはくじ引きやら金魚すくいやら、ヨーヨーすくいやらが並んでいて、子供たちが声を上げて遊びに興じている。
「たまにはいいわよね」
「いいね!」
 ゆかりの言葉にマリエッタも頷いて、ゆかりの袖を取って歩き出す。
「マリー。ほら、引っ張らないの」
「ほら、急いで行こ! ってあれ、なんで急いでるんだったっけ……?」
 マリエッタはゆかりの手を引きながら首を傾げた。ゆかりもほんの少しだけ、疑問符を浮かべている。


『こちら小野です。たった今、博士たちが神社の境内に到着しました』



「ゆかりさん聞こえたね。博士たちが会場に入ったみたいだよ。……どうしたの、ふたりして地面に手をついて。なんか落とした?」
 酒杜 陽一(さかもり・よういち)がふたりを見かけて話しかけたが、ゆかりたちふたりはなぜか地面に倒れこんでいた。
「……カーリー、ごめん、あたしすっかりここに来てた理由を忘れてた」
「マリー、ごめんなさい、私もなんだかすっかり楽しんでた……」
 ふたりはゆっくりと立ち上がった。
「任務を忘れて遊び呆けるなんて……ああーっ、教導団にあるまじき失態!」
 ゆかりは頭を抱える。
「陽一さん! 私たちがすっかり遊んでたなんて内緒にしてくださいね!」
「陽さん! 食べたいものない!? あたし買ってきてあげる!」
「いや、誰にも言わないけど……俺も遊んでたし」
 陽一はゆかりとマリエッタに両手を引かれて歩いていく。


『お祭り会場に入りましたね。今現在、ハイコドさんが後ろを歩いています』


「了解。さあ、みなさん、任務開始ですよ。はりきっていきましょう!」
 ゆかりはイヤホンに手をやって、声を上げた。
「そうだね、ガンバロー!」
 マリエッタも腕を振り上げる。「おーっ……」と、陽一も腕を上げておいた。