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4、彼の望んだことは



 感じたのは、冷たさ。

 屋上の冷たいフェンスが、彼女の指に食い込む。
 入院と退院を繰り返し、弱い体はいつまでも弱いまま。
 友達も出来ず、勉強も出来ず。ノートも借りれないから、授業も進まない。
 

 ――ここから飛び降りれば、楽になれるだろうか。

 
 そんな邪な思いは、どんどん強くなってゆく。
 両親の無理な笑顔も、今では苦痛でしかない。
 だったらせめて……鳥にでも、なれればいいのに。

 


 がさがさ、と音がした。
「えっと……ども」
 現れたのは、白衣の少年。
 ……白衣? 先生のようには見えない。わたしが訝しげに名札を見ると、そこには近くの高校の名前と、そして、おそらくは彼の名前が書いてあった。
「ん? ああ、俺は医者じゃないよ。この白衣は単なるパジャマだから」
 ぶっ、と思わず吹いてしまった。
「白衣がパジャマなの?」
 ついつい、声を出す。
 不思議な感じ。笑いながら声を出すなんて、久しぶりだった。
「意外とこれがよく眠れるんだ」
 彼はそう言って胸を張った。
「ただ……パジャマだからな。中になにも着てない。風が吹いて中が見えても悲鳴は上げないでくれよ。捕まるから」
 ぶふっ、とまた笑ってしまう。
 変な人。
 最初はそう思った。
 聞くと、単に眠れなくて歩いていたらここに辿り着いたとか。さっき、よく眠れるとか言っていたくせに。
 それから、彼は空を見上げた。
 彼は、いろいろなことを知っていた。
 例えば正座の物語。ちょっと残酷で、ちょっとロマンチックで。
 例えば科学の話。難しいところは、ちゃんとわかるまで教えてくれた。
 いろいろな、話をした。
 いつからか……わたしはよく、笑うようになっていた。


 感じたのは、温かさ。
 そして……感じたことのない、思い。
 この、胸にある思いはなに?
 それだけは、彼に聞くことが出来なかった。






「あれ、シェスカ、真一は?」
 再び皆が入った、もしもの世界。
 物語は、最初から始まっていた。博士たちが到着する、少し前。 
 黒崎 竜斗(くろさき・りゅうと)はひとりでラムネを飲んでいるシェスカ・エルリア(しぇすか・えるりあ)を見かけ、声をかけた。
「……バーストエロスと一緒に、調べもの」
 ちびちびとラムネを口に入れながら答える。
 ラムネじゃなくて、アルコールだったらいいのにとか、そんなことを考えてしまう。
「そっか」
 竜斗は隣に座った。
「シェスカがあんなこと言うなんてな。意外だったけど、いいこと言うじゃないか」
 竜斗は本心で言ったのだが、逆にシェスカは頭を抱える。「あれ、どうした?」と聞くと、
「……人にはなんとでも言えるのよねぇ」
 そんな言葉が返ってくる。竜斗はなんのことかわからず、首を傾げる。
「ねえ、竜斗。ユリナには、どんな風に告白したのぉ?」
 突然の質問に竜斗はぶふっと吹き出した。
「いきなりなんだ!?」
「……ちょっと、参考に、よぅ」
 シェスカは頬を膨らませて言う。
「参考にって……おいまさか、さっきの話、」
 竜斗はちょっとしたことを思い出していた。
 真一がテロに巻き込まれ、重傷を負ったという話。
 あのときはいろいろなメンバーが彼を助け、なんとか彼は死なずに済んだわけだが……実はあのときの取り乱しようは、すごかった。
 なにも言えずに終わるバッドエンド。大切な人を失う、悲しみ。
 それら線が一本に繋がり、竜斗は口を開く。
「もしかしてシェスカ……真一のこと、好きなのか?」
 ずさー、と屋台の影から黒崎 ユリナ(くろさき・ゆりな)が顔から倒れこんだ。
「気づいてなかったんですかっ!?」
 ユリナは顔をあげて叫ぶ。黒崎 麗(くろさき・れい)がハンカチを持って同じく影から現れ、ユリナの鼻を拭いてあげた。
「シェスカさんのお気に入りだって話はしてたじゃないですかっ!」
 ユリナは続けて叫ぶ。
「や、だってシェスカだぞ? どうせまた気まぐれに男をとっかえひっかえしてて、真一もからかって遊んでいるのかと……シェスカ? なんでラムネのビンを振り上げてこっちを向いているんだ?」
「……ビー玉を取り出そうかと」
「ビー玉は割って取り出すのは間違いだから! ちゃんと取り出し方あるからね危ないからやめよう!」
 シェスカは「そぉ」と言ってビンを下ろした。竜斗は息を吐く。
「……マジか」
 竜斗の言葉に、シェスカはこくりと小さく頷いた。
「マジですよ。竜斗さんはもう……やっぱりしばらく竜子さんになって女心を理解してもらうしかないですね」
「おい待てなに怖いことを口にしてるんだ」
 うんうんと頷いているユリナに竜斗は思わず口にした。



「ダリルがおかしい」
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)がそんなことを口にして、周囲の視線を集めた。
「ダリルが? なんで」
 月崎 羽純(つきざき・はすみ)が聞く。
「なんか、隠しごとをしてるんだよ……ここ何日か連絡もせずにどこか行ってたし、今だってバーストエロスを探してくるってどこか行ったし」
「なるほど。それは不安ね」
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)がストローを口にしながら言う。
「まさか、ダリルさんが盗撮の趣味に目覚めたのでしょうか」
 フィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)が言うが、「ないない」と羽純が手を振る。
「羽純ぃ、なんか聞いてない?」
 ルカルカは羽純に聞くが、「いや、なにも」と羽純は短く答えた。ルカルカは息を吐く。
「なにをしているんだか……むー、怪しい」
 ルカルカはそう言ってちゅー、とジュースを口にする。
「ダリルさんが隠し事なんて、珍しいねえ」
 遠野 歌菜(とおの・かな)もそう言ってジュースを口にした。
「心配は要りません。ダリルさんは、ルカさんを大事に思ってます。きっと、裏でルカさんのためになることをしているんですよ」
 アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)はそう言う。
「だといいんだけどね」
 ルカルカはそう言ってストローから口を離した。
「ねー、聞きたいんだけど、あのバーストエロスって人、なんなの?」
 一緒にいたミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)がルカルカたちに尋ねる。
「趣味が盗撮の自称カメラマンよ。変な写真を撮ってはいろんなところに売ってるみたい」
 さゆみが息を吐いて言う。
「なるほど。それで、おふたりはマークされているわけだ」
 ミシェルの隣でジュースを飲んでいる影月 銀(かげつき・しろがね)が言う。
「バーストのほうは、きわどい写真が好きみたいだけどねー」
 ルカルカも息を吐いて言う。
「ハイパーなんとかってほうは?」
 銀が聞く。
「バーストの後輩らしいな。ま、やってることは似たようなもんだ」
 それには羽純が答えた。
「虎子ね。実はあれ、女の子だから」
 さゆみが衝撃の事実を口にして銀は思わずジュースを吹き出した。
「マジ?」
「マジです」
 ミシェルの疑問にアデリーヌが答える。
「そうなんだ……ふーん」
 ミシェルはハンカチを銀に渡しながら口にした。「悪ぃ」と銀は答え、それを受け取る。



『小野です。博士たちが会場に入りました』


 通信が聞こえた。
「ダリルのことも気になるけど、ま、今は博士優先かぁ。フィリシアはルカと一緒にここで待機だね」
 ルカルカは言う。「はい」とフィリシアは頷いた。
「今回は私たちが追いかける番だね」
 歌菜が言い、羽純が頷いた。
「俺たちは、ここから少し進んだところだな。行くぞ、ミシェル」
「うん!」
 銀たちも頷きあう。
「わたくしたちは入り口付近をマークしております」
 アデリーヌが言う。
「うん。みんな、博士も決意したみたいだし、そろそろ花火も見たいし、頑張ろうね!」
 最後にルカルカがそう言って、皆は頷いて、それぞれの場所へと移動していった。
 さゆみとアデリーヌは入り口付近へと進む。
 すれ違い際、アデリーヌは軽くさおりを見た。
 偶然にも目が合う。どことなく無理をしていたと感じたその瞳は、今は不安げに揺れている。
「アディ、どうかした?」
 すれ違ってから、アデリーヌは振り返って彼女を見ていた。さおりは振り返ることもなく、まっすぐ歩いている。
「……いえ」
 さゆみの言葉に小さく返事をして、再び歩き出す。
「こちらさゆみ。入り口の配置についたわ」
 鳥居の近くで足を止めて、さゆみはそのように通信を飛ばした。



 博士――修にはしっかりと記憶がある。
 だから、待機をしているメンバーとすれ違うたびに目が合う。まんべんなく、至るところに広がった皆の姿は、安心感を覚えると同時、逆に不安にもなる要因だった。
 これだけのメンバーがいて、彼女が見つからなかった事実は、おそらくメインとして自分が繋がれていたことから来る、『会いたくない』という気持ちから。
 逆に、今回は『会わなくちゃいけない』という責務感がある。それゆえ、おそらく自分は彼女が倒れる前に、彼女に会えるだろう。
 だからこその、プレッシャー。
 どういう言葉を言えばいいのか、どういう風に言えばいいのか。
 その重荷が、彼には重い荷物だった。
「さおり、飲み物かなんか買ってくるよ。ちょっと待っててくれ」
 ベンチに彼女を腰かけさせ、修はそう言ってその場を離れた。なにかを言いかけた彼女を置いて、修は早足で奥へと進む。
「なにをしているんだ……こちら、ベルク。博士がさおりさんを置いてどっか行ったぞ」
 近くにいたベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が通信を送る。後ろを歩いていた歌菜たちも頷きあって、二手に分かれた。羽純が修を追う。


 少し離れた人気のない場所のベンチで、修は座り込んでいた。
 大きく息を吐いて、地面を見つめる。
「逃げて終わり。それでいいのか?」
 隣に誰かが座った。冷えた飲み物のペットボトルを二本、ふたりの間に置いて、羽純は修を見下ろす。
「ま、男として、博士の気持ちは分からないでもない。大切な女を自分のせいで苦しめて、自分を責めた。彼女に合わす顔もない。……苦しかったろうな」
 修は顔を上げた。
「でもそれは間違ってる。彼女は、あんたが消えてどう思うか、想像してみろよ」
 羽純の顔を見る。羽純は修の顔を見ず、どこか遠くを見て話していた。
「きっと、辛かったと思うぞ」
 その言葉で、羽純はわずかにこちらを見た。
「せめて、この世界の彼女をどうにかしたいと思ってるなら、傷つけたくないと思っているのなら、すべて受け止めろ。なにを言われても、恨まれて、こっちが傷つけられることになっても」
 その眼差しは真剣だ。その瞳に、修は吸い込まれそうな錯覚を覚える。
「人を好きになるってことは、その人のすべてを、丸ごと受け止めるってことだ。俺はそれを歌菜から……最愛の妻から、教わった」
 とんとん、とペットボトルを叩く。
「だから、こんなところで迷ってないで、ぶつかってこい。素直に思っていることを、口にして来い」
 修は少しだけ、笑みを浮かべる。
「羽純くん……ありがとう」
 修はそう言って、二本のペットボトルを手にして走っていった。
(語ってしまった……恥ずかしいな)
 息を吐いた。あとで博士に、今話したことは歌菜には内緒にしておいてと伝えておかないと……
「えへへ」
 後ろから声がして羽純は立ち上がった。勢いよく振り返ると、歌菜がベンチの後ろにしゃがみこんでいる。
「……いつから聞いてた?」
「『きっと、辛かったと思うぞ』辺りから」
 羽純は早足で歩き出した。
「あ、待ってよ羽純くん! もう、嬉しかったんだからね!」
「こっちは恥ずかしいんだよ……」
 ひたすら逃げようとするが、修たちを追うのもやめられない。結局、羽純は嬉しそうに腕に手を回してくる歌菜と一緒に戻った。



 一方、ひとりで待たされているさおりには、
「フレイ、どうするんだ?」
「おひとりでは寂しそうです。ちょっと、行ってまいります」
 といった感じでベルクの静止を押し切り、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)と共にさおりの座るベンチに向かっていた。
「あの、その、えっと、」
 ベンチの前に立ち、彼女の前でなにかを言おうとする。ゆっくりとした動作で顔を上げたさおりが、フレンディスの顔を見た。
「もし、その、お邪魔ではなければ、お隣、よろしいでしょうか」
 フレンディスはしどろもどろに言葉を繋いだ。「どうぞ」とさおりが口にし、ほんの少しだけ移動する。
 フレンディスを真ん中に、三人で並んで座る。
(ねえ、なにを喋ればいいのさ)
 ジブリールが小声で聞いてきた。
(待ってください、それを今考えて……)
 フレンディスは目をぐるぐる回して答える。
「花火、」
 先に、さおりが口を開く。ふたりは勢いよくさおりのほうを向いた。
「ここの花火、わたし、初めてなんです。よく見えるところって、どの辺りなんですか?」
 さおりはそんなことを聞いてきた。
「えぇと、私達、ここのお祭り参加は初めて故、右も左も解らずで……」
 フレンディスは視線を泳がせながら言う。さおりは「そうでしたか」と答えた。
「さお……あ、いや、お姉さんは、誰かと待ち合わせ?」
 ジブリールが声をかける。
「はい。……待ってるんです」
 返ってきたのは主語のない言葉だ。
「そうですか。こ、恋人さん、ですか」
 フレンディスがそう尋ねてみる。
「いえ、違います」
 さおりは微笑んでそう口にする。
 その返答は、わずかに期待していただけに残念なものだった。彼女の気持ちを聞ければ、それはそれでいいきっかけになったと思ったのだ。
「さおり!」
 そこに、修が飲み物を持って戻ってきた。
「あの、待っている人も来たみたいなので、これで失礼します!」
 フレンディスは立ち上がり、小さくお辞儀して去る。さおりはゆっくりと、小さく手を振っていた。
 いくつか言葉を交わし、さおりは立ち上がる。
「ふう……」
 フレンディスたちはベルクの元へ戻ってきていた。
「なにをして来たんだ、お前ら」
 ベルクが息を吐いて言う。
「少しでもきっかけをと思って……」
 言いながら、息を吐く。それだけで、ベルクにはなんの成果もなかったんだな、と理解したが、
「悲しそうだった」
 ジブリールがそう口にしたため、ふたりはジブリールの顔を見た。
「恋人だっていうのを否定したとき。なんだか、とっても悲しそうだった」
「悲しい?」
 ベルクは聞き返す。
 ジブリールは頷いて、「うーん」と唸る。
「なんていうのかな……ああいう質問って、これからそうなるかもみたいな、希望みたいなものもあるじゃん? そういうのが一切見られないっていうか、感じられないっていうか……」
 ジブリールは続ける。
「マスター、どういうことでしょう」
 フレンディスがベルクを見上げる。
「……わからん」
 ベルクはそう言って、修たちの背中を見つめる。
「わからんが……なんか悪い予感がするな。このことはとりあえず、誰にも言うなよ」
 続けてベルクが口にした言葉に、ふたりは静かに頷いた。
 どんな悪い予感がしたのかは、聞けなかった。




 人が増えてくる。それに伴い、皆の通信の頻度も上がる。
 会場のマークは完璧だ。今回はちゃんと、さおりを見つけられる。
 皆がそう、信じていた。
 誰よりも、修が。
 それを、願っていた。
「くっ……」
 人ごみに飲まれ、手が離れる。修は、すぐに通信を送った。
「はぐれたか」
「はぐれるのは確定なんだね……」
 近くにいた羽純たちと合流する。
「会いたいって願うんだ。そうすれば、必ず叶う」
「そうだよ! これは、そういう機械なんだから!」
 ふたりの言葉に、修は頷いた。
 会いたい。そう、心に強く、願う。
 そう、願った。


 一瞬だけ、世界が止まった。
 自分たち以外のものすべてが、動かない。
 人も、ものも、風も雲も星も、すべてが活動を停止した。


『バグであります!』


 そして、響く、千田川の声。
 世界が動き出す。
 お祭りを、花火を見に来ていた人たちの首が、勢いよく修のほうへと向けられる。
 虚ろな黒い瞳が、一斉に彼を射抜いた。
「っ! 歌菜!」
「了解!」
 ふたりは槍を構えて修の前後についた。手を伸ばしてきた人々を払いのけ、修の手を引いて同時に跳躍。人ごみから逃れ、少し外れた場所に降り立つと、バグと化した周囲の人間たちが、両手を伸ばして追ってくる。
「さおりさんはどこに行ったの!?」
 歌菜は構えつつ耳に手をやる。
『周りの人が全部バグになって襲ってきています! 今はみんな対処するだけで精一杯です!』
 フィリシアの声が響いた。
「全部……冗談だろ」
 羽純は向かってきたバグを薙ぎ払って口にする。
 先ほどまで修を囲んでいた人ごみすべてが、今やバグとなっている。
 黒いモヤをまとい、体が黒く変革し、まるで『闇』そのもの。
 この世界のあるべき姿に、本来あるべきその姿に、世界を移し変えようとする。
 すなわち……この世界に入り込んだものたちの排除と、『会いたい』と願う修の排除だ。
「無事か!?」
 その場所に陽一が飛び込んできた。【深紅のマフラー】を伸ばして近くにいたバグを払いのけ、歌菜たちの近くに立つ。
「陽一さん……無事だけど、これだけバグが多かったら!」
 歌菜が叫ぶ。
「みんな聞こえるか、さおりさんの位置はわからないか!?」
 陽一が耳に手をやって叫ぶ。その、片手しか使えない状況を、羽純が前に立ってカバーした。
『ユリナです! 中間地点にはいません!』
『セレアナよ。入り口付近にも来た様子なし!』
 ふたつの通信が入ってきた。


『こちらジェイコブ! 彼女を発見!』


 そんな中、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)の声が皆の耳に届く。


『最初に倒れていた場所だ!』


 歌菜と羽純は頷き合った。
「陽一さん。ここは、私たちで足止めします。博士を連れて行ってください!」
 そして、その旨を陽一に伝える。
 陽一は、少し考えて頷いた。
「博士……さおりさんが無理をしたのは、博士の我儘に付き合ったからじゃない。彼女も博士と一緒にお祭りに行きたかったから……博士の事が好きだから、無理をしたんです」
 近づいてくるバグたちを警戒しながら、歌菜は言う。
「好きな人の為だから、命を掛けたんです。もし恋愛感情じゃなくても、博士のことを大切に思ってる筈と、私の乙女の勘が告げていますから!」
 振り返って、笑顔を見せた。
「俺も歌菜の意見に概ね同意だ」
 羽純も言葉を続ける。
「行ってくれ。最高のハッピーエンドを、俺達に見せてくれ」
 そう言って、羽純も笑った。博士が――修が頷くのを確認してから、陽一は彼の背を押す。
「物語はハッピーエンドが一番、だよね」
 ふたりの足音が遠ざかってから、歌菜は言う。
「悔いや後悔が残るのは駄目。甘い考えかもしれないけど……笑顔の結末が好き」
 羽純は小さく息を吐いて、
「俺もそう思う」
 手にしている槍に、強く力を込めた。
「だから、やることはひとつだ。ここは、絶対に、」
「通さない!」
 ふたりは同時に駆け出した。



「こっちにも!」
 陽一たちが走り去った方向にも、バグは発生している。
「らぁっ!」
 足を止めたふたりの前に、人影。
 【ポイントシフト】を使って移動してきたマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が、【ヘビーマシンピストル】を乱射する。バグはまるで雲かなにかのように弾け飛んだ。
「陽一さん! 早く奥へ!」
 水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)も二挺拳銃を手に駆けつけ、彼らを追うバグを撃つ。
 ふたりが作ってくれた道を、博士たちは駆ける。
 次に彼らの前に現れたバグの群れの前には、
「邪魔はさせませぬ!」
 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が立ち向かう。
 【鉤爪・光牙】を展開して最前線の敵を弾き飛ばし、巻き添えにする。巻き込まれなかった、あるいはすり抜けてきたバグは、【忍刀・雲煙過眼】で真っ二つにした。
 それでもなお接近してくるバグは、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が杖を使って殴り飛ばした。さらに、ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)も、博士たちの後ろから迫るバグを、【アジ・ダハーカのジャマダハル】で分断する。
「博士、道は開けたぞ!」
 ベルクが、フレンディスたちと協力して作った一本の道を示す。
「今のうちだよ!」
 ジブリールが叫び、博士たちは木々の合間を進んでゆく。
「……私にはなにが幸せな結末になるのか解りませぬ。ただ、私自身忍びである限り、明日死ぬかもしれぬこの身」
 刀を胸元で構えたフレンディスが、静かに言う。
「死ぬ間際まで笑顔で……後悔の念を抱かず生きていられれば、きっとそれがはっぴーえんどではないのでしょうか?」
 少し遠い場所を見つめ、フレンディスはそう口にした。
「後悔だけはするな、か」
 ベルクが小さく笑って答える。
「幸せの基準って個人によって異なるから、なにを以ってハッピーエンドかオレも解らないけどさ」
 ジブリールは迫ってくるバグと対峙しながら声を上げる。
「オレの場合、贅沢と言われようとも、オレが望むものを貪欲に求め続けるだけだよ」
 くるりと一回りしてバグを寸断。そうしながら、言葉を続ける。
「博士も、この世界を求めて欲しい。後悔しないで、貪欲に、贅沢して。それが、この機械が作った世界の、存在する理由だと思う!」
 ジブリールの言葉に、ベルクも、フレンディスも笑みを浮かべた。
 笑って、迫り来るバグに、立ち向かっていった。


「確かに、ここにいるさおりさんはデータだ。現実ではハッピーエンドじゃないかもしれない。でも、データでも大事な人が目の前にいるなら……幸せになってほしい、笑っていて欲しいと思うから!」
 千返 かつみ(ちがえ・かつみ)が【奉神の宝刀】を手にバグを薙ぐ。
「頑張った思いは決して無駄じゃないと思います! ここが仮想世界でも、ハッピーエンドにならなくても!」
 千返 ナオ(ちがえ・なお)も銃を撃ちつつ声を上げる。彼のフードの中から顔を出したノーン・ノート(のーん・のーと)も【サンダーブラスト】を放ち、周囲のバグを消し飛ばす。
「だからこそ道は作る。進みたまえ」
 ノーンはそう声を出した。
「もう少しで、彼女のいる場所だよ!」
 エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)はかつみと背中合わせになって叫ぶ。
「後悔が少しでも軽くなるかもならハッピーエンドにしてあげたいの!」
 【ファイアストーム】を地面へ。バグたちの足元を潰し、エセル・ヘイリー(えせる・へいりー)が叫ぶ。
「その通りだ。一緒に花火、見るんだろう?」
 レナン・アロワード(れなん・あろわーど)も短剣を構えて叫ぶ。
「射的気分を、味あわせてもらいますよ!」
 黒崎 麗(くろさき・れい)は叫ぶ。黒崎 ユリナ(くろさき・ゆりな)シェスカ・エルリア(しぇすか・えるりあ)と並び、バグを銃で撃ち抜く。
 撃ち漏らして接近してくる影は、黒崎 竜斗(くろさき・りゅうと)が剣で切り刻んだ。
「いくら仮想世界といっても幸せになる価値はある。博士も悔いが残らないようにしな!」
 近くを走る博士に、そして、それよりももっと近い位置にいる、シェスカに向けて言う。
「ただまっすぐに『好きだ』って言うだけでも、違うもんだぜ?」
「………………」
 シェスカは答えず、銃を撃った。竜斗のすぐ近くにいたバグが消し飛ぶ。
「その通りです! 竜子ちゃ……あ、いや、竜斗さんの言う通りです!」
「このシリアスなシーンで間違えるな! かっこいいシーンが台無しだ!」
 竜斗はそうユリナに叫んで、再び駆けた。


 そうやって、みんなが協力し、道を開いた。
 最初に倒れた場所……もしかしたらそこは、現実に、彼女が倒れた場所かもしれない。
 その場所に、走る。
 後悔を、もう二度としないために。
「博士、あとは行けるな」
 陽一はそう言い、横から迫ってきたバグに向かっていった。
 修はひとりで、その場所へと向かう。そこは、もうすぐ近くにまで迫っている。
 が、木々の影にもバグがいた。「しまった!」と陽一が叫ぶ。
「博士、少し身を低くして!」
 想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)の声に、博士は身を屈める。
 わずかに飛び跳ねた夢悠は両手を振り上げ、
「【光術】っ!」
 周囲のバグを、一気に魔法で焼き尽くす。
 彼の放った聖なる光が、黒い塊を完全に消滅させた。
「ハッピー云々は、オレにはわからない」
 博士を背中で庇いながら、夢悠は言う。
「わからないけど、後悔するような生き方なんてやだ。せめて、せめてこの中でだけは、後悔しちゃダメだ、行け、博士!」
 夢悠は叫ぶ。修は頷いた。
「でやぁっ!」
 近づいてきたバグに対して夢悠が【光術】を撃つより早く、ジェイコブが飛び出してきてバグを殴り飛ばした。
「彼女はそこだ! 行け!」
 そして叫ぶ。夢悠と背中合わせになって修を庇い、進ませる。
 修はひとりで先に進もうとするが、目の前に、数対のバグが再び現れた。
「しまった!」
「博士!」
 ジェイコブも夢悠も、迫ってきたバグと向かい合っていて動けなかった。
 修に戦闘能力はない。バグに巻き込まれると、この世界はまた、やり直し。
 また、失敗なのか、と、思った。
 そのとき、なにかが起こった。まるで突風のようななにかが修の目の前を走る。炎と、氷と、そして雷。三つの入り混じった竜巻がバグを吹き飛ばし、修の前に道を作る。
「涼介さん!」
 夢悠が叫んだ。
 修に向かって指を向けているのは、涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)だ。彼が【トリニティ・ブラスト】を使い、最後のバグを吹き飛ばした。
「早く。次が来る」
 涼介は言う。修は彼の横を、一瞬だけ立ち止まったあと、走り抜けた。
 すれ違い際に聞こえた言葉に、涼介は軽く笑った。
 礼なんて必要ない。
 ここは所詮、仮想世界。
 現実はなにも変わらない。
 それに気づき、博士の心が砕けようと、現実を見ないことにはなにも変わらない。
 それでも彼は、まるでこの世界にいる彼女を、現実に存在する人間だと思い込んでいる。
 なにを言うのか。どうするのか。
 ちょっとした興味だ。だから、道を開けてやった。
 後悔するなら、せめて最大限をおこなった上での後悔を。
 なにもできなかった後悔ではなく、やった上での後悔を。
 振り返る。
 ふたりは、すぐ近くにいた。
 背を向けるさおりと、ゆっくりと近づいていく、修と。
 さあ、博士。
 どうやって、この物語を終わらせる?
 涼介は、小さく笑みを浮かべ、そう、心の中から問いかけた。



「……さおり」
 やっと、ふたりが出会う。
 青い浴衣の彼女の背中に、修は声をかけた。
「悪い。はぐれちまって……手、離しちまって……離すつもりはなかった。離したく、なかった。俺は……お前と一緒に、この祭りに参加したかったから。花火を、見たかったから」
 ゆっくりと、浴衣の女性が振り返った。
「わがまま、なんだよ。年に一度とか、花火が見たいとか、そんなの本当はどうでもよかったんだ。俺は、さおりと一緒にいたかったんだ。さおりと一緒にいて、それで、さおりが笑ってくれるのを……見たかったんだ。病院じゃなくて、他の場所で」
 女性の顔は、俯いていて見えない。それでも修は、構わずに言葉を続ける。
「大変なのはわかる。でも、俺は、さおりのそばにいたい。ずっと、さおりと一緒にいたい。俺は、」
 言葉が少しずつ、強くなる。
 高ぶる感情を、強い思いを、修は、言葉ひとつひとつに込めた。


「俺は……さおりのことが好きだ」


 それは、十年前に言うはずだった言葉。
 時間がかかった。いくつもの季節が、流れた。
 それでも……やっと、言えた。
 ずっと溜まっていた感情を、伝えられなかった思いを。
 彼は、今、十年越しに伝えた。








「違うよ」



 返ってきたのは、そんな言葉。修は少し逸らしていた顔を、彼女のほうへと向けた。



「わたしが、わたしが聞きたかったのは、」


 彼女の顔が、まっすぐこちらを向いていた。
 十年前の、彼女の顔が。



「そんな言葉じゃないよ!」



 彼女の体から、黒い影が溢れ出した。
 それは一瞬で世界を覆い、修を覆い、みんなを覆い、すべての色を、その世界を、真っ黒に染め上げる。
 意識ですらも黒く塗りつぶされるような感覚に飲み込まれ、体が自由に動かなくなる。



 全員の意識が、途切れた。




「なんだ!?」
 再び襲ってきた、不愉快な感覚。影月 銀(かげつき・しろがね)がヘッドホンを投げ捨て、叫んだ。
「なにが起こった!?」
 ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)が立ち上がる。博士たちも、頭を抑えていた。
「黒い影……」
 酒杜 陽一(さかもり・よういち)が口にする。
「バグです」
 小野が断言した。
「バグに博士が飲まれて……世界が闇に包まれそうになりました。そうなる前に、強制シャットダウンしました」
 続けて言う。
「ちょっと待てよ、ってことは……」
 レナンが声を上げる。


「さおりさんが、バグになって襲ってきたってことか!?」


 その、レナンが口にした言葉に、小野は沈黙した。その沈黙が、その言葉を肯定していることだと皆が理解する。
「告白したんじゃないのか?」
 竜斗が口にすると、
「告白したよ。博士は、ちゃんと告白した」
 涼介が答えた。
「告白したのに、なんでさおりさんがバグるんだ?」
 銀が質問を投げる。答えられるものはいなかった。
「……何度も言っている通り、この世界は『あるべき姿』に強制されるという特徴があるであります。もしかしたら、『彼女は助からない』というのが、この世界のルールみたいなものになっている可能性もあるであります」
 千田川が言う。
「そ、そんなルールがあるならどうやって花火を見るって言うの!?」
 マリエッタが叫んだ。
「ルール自体を変える……というのは、おそらく不可能でしょう」
 小野が答える。少しだけ、場がざわついた。
「手はあります。花火の時間を、どうにか早めてもらうとか」
 ゆかりが言う。
「はぐれない、というのも選択肢なの。人ごみに巻き込まれず、どこかのベンチに座っててもらうとか」
 エセルも口にする。
「『わたしが聞きたいのは、そんな言葉じゃない』」
 涼介が言った。皆の視線が集まる。
「告白を受けて、彼女が答えた言葉だ」
 涼介の言葉に、再び場が沈黙した。
「おそらく気づいているだろうが……この世界は、どうも、さおりさんの感情が強い」
 ジェイコブが言う。
「みんなも見ただろう? 世界に入る前に、病室や、屋上でのワンシーン。あれは博士の視点じゃない。明らかにさおりさんからの視点だ」
 皆が言われてみれば、という表情をする。
「そんなことあり得るのでしょうか? この『もしもマシーン』に繋がれていない人の感情が、機械に流れ込むなんて」
 ジェイコブの袖を軽く握ってフィリシアが口にする。
 その視線は開発者である小野たちに向けられたが……誰もが沈黙していて、答えなかった。
「……博士の告白の言葉が間違っていた?」
 歌菜が口にする。視線はまた涼介に向けられた。
「どうかな……あれはあれで、十年前のワンシーンなら十分な告白だと思うけど」
 涼介はそのように答える。
「彼女は、なにか博士に聞いておきたいことがあるんじゃないの?」
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は言う。今度は、視線は博士に向けられる。
「そんな覚え、ある?」
 続けて言うが、
「わからない」
 博士はそのように答えた。
 今の彼は、『博士』だ。だが表情が違う。今の彼は間違いなく、十年前の彼と同じ顔をしていた。谷岡修という、まだ若い、彼女の手を離して、その彼女をひたすら追いかけているときの顔だ。
「さおりは……俺になにを聞きたいって言うんだ。俺に、なにを求めているって言うんだ。わからない……わからないよ」
 修は頭を抱える。
「なんか、話してても埒が明かないわね」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は息を吐いて言う。
「って言っても、どうすればいいのかがわからない以上、動きようもないですぜ」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が頭に手をやって口にした。
「バグを倒す、というのは選択肢としてはどう?」
 そんな唯斗にセレンフィリティが返す。その答えは、意外と予想外だったらしく、驚きの顔を浮かべたものが多かった。
「戦うっていうのか? 彼女のバグと」
 ベルクが聞く。
「彼女本人がバグになったんじゃなくて、バグと彼女は別物だというのは説としてどうなの? バグを切り離せば、元の彼女が出てくるかも」
 セレンフィリティの仮説は面白い説ではあった。
「あれほど大量のバグに苦戦して、さらにさおりさんも倒せと?」
 かつみが実効性に疑問を投げる。
「でも、他に方法もないでしょう?」
 が、セレンフィリティがそう返してかつみはなにも言えなかった。
「とにかく、やれることは全部やっておこうか。花火を早める、はぐれないようにベンチかどこかに座っている、さおりさんのバグを倒す」
 陽一が指折り数えながら言う。
「上手くいけば、一回で全部済ませられますね」
 ゆかりはそう言って頷いた。
「博士がバグに巻き込まれた時点でアウト、か。博士の護衛は完璧にしたいところだな」
 羽純がそう言って、視線をふと、涼介に向ける。
 涼介の魔法の威力は格別だ。近くにいるだけで、安心感は増す。
「……乗りかかった船か。仕方ない。私は博士の警護にあたろう」
 涼介は息を吐いて言う。
「決まりだね」
 夢悠が口にする。
「ええ。……行きましょう。世界の命運を変えるときです」
 ゆかりはそんな言葉を口にする。
 その言葉の意味は分かる。ちょっと大げさな言い方ではあるが、その言葉を、否定するものは誰もいなかった。