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すべての物語が、ハッピーエンドで終わるとは限らない。

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2、十年前の物語




『今現在、博士にはこのお祭り以降の記憶はありません。この場にいるのは、17歳当時の「谷岡 修」、その人です』


 小野の通信が響く。
「どうして? 博士の後悔をなくしたいんじゃないの?」
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が通信を通じて質問を投げる。


『彼の記憶を呼び覚ますためにも、あえてあのときの状況を再び再現する、という形にしてみたんです』


 記憶があれば、どうにでも行動することは出来る。
 例えば、お祭りに参加せずに、すぐ戻るという選択肢もあるのだ。
 それを避けるため、彼の記憶を消し、あのとき当時の状況と全く同じ状況にしたそうだ。
「つまり、博士は17歳まんまか。想像がつかん」
 ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)は息を吐いて言う。
「とにかく、ちょっと様子を見てくるか」
 ダリルはチョコバナナの割り箸をゴミ箱に捨てて歩き出した。
「……ねーえ、ダリル。ここ何日か、連絡もせずにどこ行ってたの?」
 歩きながら、ルカルカはダリルの顔を見上げて口にする。
「ちょっとしたお使いだよ」
 ダリルはそれだけを答え、少し早足で通信機に声を上げる。
 ルカルカが「ぶー」と声を上げて頬を膨らませていると、
「なあルカ。お前、物語はハッピーエンドのほうがいいと思うか?」
 ダリルが突然、そのように聞いてきた。いきなりの質問に、ルカルカは首を傾げるが。
「そりゃ、ハッピーのほうがいいに決まってるよ」
 弾んだ声で言う。ダリルは前を向いたままだったが、その答えに満足するかのように少し口元を緩めた。
「だったら、やることはひとつだ。どうにかして、ひとまずはこの物語をハッピーエンドにする」
 ダリルは言う。ルカルカは頷きつつも、彼の真意を測れずにいた。
 そうしている間にも、お祭りの入り口付近へ。ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)がいて、ダリルと手を挙げあった。
「どうだ?」とダリル。
「あれだよ。いかにも高校生のリア充カップル。後ろから叩きたくなりますねえ」
 笑いながらハイコドは言う。
 ダリルとルカルカは、ハイコドの視線の先、少し離れたところを歩く、ふたりの背中を見た。


 ひとりは黒いズボンに白いシャツという、まるで学生服そのままの、とてもセンスがいいとは言いがたい服装。そして、もうひとりは、薄い藍色の、鮮やかな浴衣を着ている、ひとりの女の子。
 背は低く、髪の色素が薄いのか、日本人なのにほんのり茶色がかっているような感じ。体のラインも非常に細い。


 彼女が――東 さおり。博士が十年間、心の奥に仕舞い込んでいた、ひとりの女性だ。


「結構、人多いな」
 博士――修が言う。沙織は少し不安そうに、修の脇の辺りをぎゅっと握っていた。
「はぐれないようにしろよ。それと、辛かったら、ちゃんと言うんだぞ」
 修はそう言って手を差し出す。「うん」とさおりは小さな声で答え、修の手を握った。
 わずかな沈黙。少しだけ顔を赤くして、修は顔を逸らして歩き出す。
 しばらくは無言のまま、ふたりはゆっくりと歩いていた。


「かー、微笑ましいなあ」
 ハイコドが言う。ルカルカも「そうだね」と言って、少し笑みを浮かべた。


『こちらジェイコブ。全員の現在地点は把握した。大体の場所はマークしている。あとは、ハイコドさん、ダリルさんルカさん、ふたりから目を離さないように頼みますよ』


 通信が入る。ダリルが耳に手を当て、「了解」と口にした。
「食べたいものとか、あるか?」
 修がさおりに聞いた。
「……えっと」
 さおりはゆっくりした動作で辺りを見回す。香ばしいにおいや甘い香りに、ほんの少しだけ動作を止め、
「リンゴ飴、食べてみたいな」
 ひとつの屋台を指差し、そう口にした。
「よし、行ってみよう」
 修が歩き出す。ほんの少し遅れて、さおりが後ろに続いた。
「行こう」
 ルカルカも口にし、あとを追う。
 ふたりの、幸せそうな時間が始まる。
 本当ならばふたりっきりにしてあげたいところだが……今は、ハッピーエンドのために、ちょっとだけ、あとを尾けさせてもらう。
 ごめんね、と、ルカルカは小さく口にした。



 ふたりはゆっくりと歩を進め、少しずつ、いろいろな店を回っていた。
 ずっとマークをしているメンバーと、特定の地点で待機するメンバーとで分かれている。待機メンバーは近くにふたりが来るたびに、イヤホンに声を出した。
「お父さん、あの人ですよ」
 黒崎 麗(くろさき・れい)黒崎 竜斗(くろさき・りゅうと)に声をかけた。
「あれか……ふーん、こうやって見るとお似合いだな」
 竜斗は高い声で口にする。さっきから黒崎 ユリナ(くろさき・ゆりな)は竜斗の背中に張り付いたままだ。もうあきらめた。
「真一さん、せっかくですから写真を撮りましょう。正面に行って撮ってあげるって言ったらきっと喜びますよ」
 麗は言うが、
「僕たちに会うことで、記憶が戻る可能性があるから、今は顔を出さないほうがいいよ」
 真一はそう言った。麗は残念そうな顔をするが、
「じゃあ、ここから一枚撮っちゃいましょう」
 手を叩いて言う。
「だーめ。それは盗撮だよ。盗撮はいけません」
 真一は口にした。
「どの口で言うのかしらねぇ」
「それは言わないでください……」
 ふふふ、と笑いながらシェスカ・エルリア(しぇすか・えるりあ)は言う。真一は少し困った顔で息を吐いた。
「マスター、あの方ですね」
 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)はしゃくしゃくとかき氷を口にしながら言う。
「へえ、可愛い女の子だな」
 影月 銀(かげつき・しろがね)が焼きそばを口にしながら言う。
「銀は、ああいう女の子が理想?」
 ミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)がクレープをはむはむと口にしながら聞いた。
「理想ではないな……ちょっと、儚すぎる」
 銀は素直に感想を述べる。
「確かに、どことなく無理をしている感じもしますね」
 アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)がそう言った。さおりはゆっくりと歩いていて、時折小さく息を吐いている。
 修は気づいていないのか、それとも浴衣のせいだと思っているのか……いずれにせよ、はぐれてしまったら、そこからの時間は限られてしまいそうだ。
「少し人数も増えてきたね、大丈夫かな」
 ジブリールが周りを見て言った。
 花火が近くなってきたからか、どうも、人が多くなってきている。
「花火に関してはどうなんだ、絶景スポットとかあるのか?」
 ベルクが通信機に向けて話しかけた。


『神社の境内から右に進んだところが、よく見える場所らしいですね。すでにレジャーシートなどがいくつか広げられているようです』


 答えたのはフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)だ。
「なるほどな。理想はその辺りでふたりっきりにしてやることか」
 ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)は言う。
「人の少ないところのほうがいいんじゃないの? 穴場とかはないんですか?」
 今度は綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)が質問した。


『穴場、か。それは地図だけでは判断できんな……』


 ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)の声が響く。


『ちょっと、そこらの人に聞いてみる。俺はどうも、この近くの在日米軍基地所属の軍人という設定らしいからな。教えてくれるだろう』


 ジェイコブはそう言葉を続けた。
「片言の日本語でお願いしますよ、ジェイコブさん」
 ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)がちょっと意地悪な口調で言う。『む……わかったやってみよう』と声が聞こえた。
「奥へ向かったな」
 みんながいる場所を抜けた。銀がそれを見て、通信機にその旨を伝える。
「っ! マスター!」
「どうした、フレイ!?」
 いきなりフレンディスが悲痛な声を上げてベルクに駆け寄った。皆の注目が集まる。
「あ、頭がきーん、って」
「………………」
 ベルクは軽くフレンディスのおでこを小突いた。「きゃう」とフレンディスが声を上げた。



 奥ではふたりはおみくじを引いた。さおりは小さく跳ね、修はよくなかったのか、落ち込みながら木に結びに行く。
「さおりちゃん、きっと大吉なの」
 エセル・ヘイリー(えせる・へいりー)はその様子を見て口にした。
「博士はただ運が悪かっただけかな」
 レナン・アロワード(れなん・あろわーど)は軽く息を吐くようにして言う。
「それにしても、ずいぶんと並んだな……もう花火始まるんじゃないか?」
 レナンは周りを見て口にした。
 今現在も、おみくじの列には行列が出来ている。ふたりも買うのにそれなりに時間をかけていた。
「花火はあと三十分くらいなの」
 エセルは携帯端末を手にして口にする。そこに表示されている現在の時刻と花火までの時刻は、少しずつ近づいてきている。
『こちら歌菜。今、ふたりともベンチに座ったよ』
 遠野 歌菜(とおの・かな)がふたりの様子を通信で伝えた。少し先にハイコドたちを見つけ、手を振って合図を送る。ルカルカが手を振り返して来た。
「人が多い……」
 月崎 羽純(つきざき・はすみ)がそう言う。
 もうすっかり周辺は人でごった返していた。ベンチに座っているというだけで、本当に近くに立っていないと見えなくなるくらい。
「私、そっちの屋台の裏に回るの!」
 エセルが走ってふたりの見える位置に動く。ハイコドたちも見失っているのか、通信機に耳を当ていろいろと口にしていた。
「羽純くん、見える?」
「ダメだ、ここからだと見えない」
 羽純が背伸びして言う。


『ふたりともベンチを移動しているの!』


 そこにエセルの声が響いた。


『こちら陽一。確認している。人ごみの中だ』
 酒杜 陽一(さかもり・よういち)の声が響いた。
 人ごみの中……今はぐれられたら、危険だ。
『博士は確認した……でも、さおりさんは確認できない』
 陽一の声が響く。その通信を聞いていた全員が、胸騒ぎを覚える。
「厭な予感しかしねぇぞ……」
 ベルクも呟く。
 そして、その声は近くにいた全員に響いた。


「さおり!?」


 修の声だ。
『こちら陽一! ふたりがはぐれた! みんな、周囲の確認をしてくれ!』
 陽一が叫んだ。全員が、自分の周りを確認する。
「って言ってもよ、この人ごみじゃあ……」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が人の波に押されて言う。
「青い色の浴衣だよね! ……違う、人違いだ」
 想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)も歩きながら、さおりの姿を探す。
『こちらセレアナ。こっちは比較的人は少ないけど、さおりさんと思わしき人物は見当たらず』
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が声を上げる。
『エドゥアルトだ。こっちにもさおりさんはいない』
 続けて、エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)も声を上げた。
「俺は屋台の裏を見て回る。ナオ、お前はあっちを」
「わかりました」
 千返 かつみ(ちがえ・かつみ)千返 ナオ(ちがえ・なお)も動き出す。
「この監視体制ですよ、見つからないわけが……」
 ゆかりは地図を確認して言う。
「カーリー、あたしはあっちを見てくる!」
 マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)も言って走り出す。
「さおり!」
 そして、誰よりも焦っていたのは、修だった。
 人ごみをかき分け、大きく声を上げ、彼は走っていた。
「修くん……」
 はぐれたさおりも、彼を探していた。
 そのほうが見つけやすいと思い、ひとごみから一度出る。
 大きく深呼吸をして息を整え、可能な限り声を張り上げる。
 それでも、答えるものはない。そして、その声は誰にも届かない。
 さおりは少し外れた道を進み、ひとり歩く。
「ふう……」
 大きく息を吐く。
 呼吸は荒く、息は熱い。少し頬が上気した顔は、とても苦しそうだった。
「修くん……」
 最後に一度彼の名を呼んで、彼女は倒れた。ひざをついて、そのまま地面にゆっくりと。
 そんな彼女の前に、ひとりの影が立ち尽くす。
「………………」
 彼は無言で、荒い呼吸のままの彼女を抱え上げた。
「涼介!?」
 そんな男の姿を見て、セレンフィリティが叫ぶ。
 振り返った人影は、涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)だった。ぐったりとして荒い息をしているさおりをお姫様抱っこした状態で、彼は立ち尽くしている。


『こちらセレアナ……境内の裏、おみくじ屋の裏で彼女を見つけたわ』


 セレアナが通信を送る。
「さおり!?」
 そこに、ちょうど修も現れた。追うようにして、陽一も姿を現す。
「あ……」
 そして、そこに立っていた涼介、セレンフィリティたちを目が合う。
 そこで、すべてを思い出したのか、彼の表情がわずかに変わった。
「涼介くん……セレンくん……」
 修――博士はそこにいた人物の顔を見て、そして、
「さおり……」
 涼介の腕に抱かれた、ひとりの女性の姿を見る。
「博士。これが君の我儘によって引き起こされた現実だ」
 涼介は彼女を抱えたまま、歩き出す。博士に向かって、一歩ずつ。
「もし、君がこのお祭りに彼女を連れてこなければ彼女は苦しむことはなかっただろうし、君もこの先苦しむことはなかっただろう。でも、現実には彼女はこのあと、生死の境を彷徨い、君は後悔からこの日のことを彼女とのことを忘却の彼方へと……追いやった」
 そして、博士の前に立つ。
 鋭い視線を向け、彼を見下し、力強い口調で彼は言葉を続ける。
「君がこの仮想現実で、ハッピーエンドを迎えようとするのは構わない。だが、それによって現実が変わることはない」
 涼介は、抱えたままの彼女を、そのまま博士へと突き出す。
 博士はゆっくりとした動作で、彼女を抱かかえた。
「君はそのギャップを受け止めることが出来るかい? 君の胸に突き付けられた現実という名の弾丸を、受け止めることは出来るかな?」
 さおりの体を抱えたまま、崩れ落ちる。
 彼の瞳に涙が集まり、ぽたぽたと液体が零れ落ちる。
「さおり……」
「現実を見るんだ。この機械は……この世界は、所詮、夢でしかないんだから」
 涙を流す博士に、涼介は言い放つ。
「涼介っ……」
 陽一が彼の袖を掴む。涼介は視線を逸らした。
「さおりさん!」
 そして、通信を聞きつけたメンバーが続々とその場に集まってくる。
「マリー、さおりさんに回復を!」
「うん!」
 ゆかりが博士の手から彼女の体を預かり、地面に横たえる。さおりは顔が真っ赤で、荒い息を続けている。
 マリエッタが【命のうねり】や【ナーシング】を使って彼女を回復しようと試みるが、
「カーリー、回復が効かない!」
「どうして!」
 マリエッタの回復はまったく効果がないようだ。ゆかりが叫ぶ。


『無理です……さおりさんが倒れたのは、この世界においては「変えられない事実」ですから、変えることは出来ません』


 小野の声が響いた。
「じゃあどうしろってんだよ!」
 レナンが叫んだ。


『さおりさんが倒れるという、事象そのものを発生させない、という方法しかありません』


 つまりは、手遅れ。
 皆が、肩を落とした。
「さおり……」
 博士が呟く。
「う……うわぁぁぁぁぁっっっ!」
 そして、大きな声で叫んだ。


 たちまち広がる、黒い色の影。博士を中心に、黒い影が竜巻のように発生した。
「これはっ!?」
 ベルクがフレンディスとジブリールを風から庇って叫ぶ。
「バグっ!?」
 陽一もさゆみたちの体を支えて叫ぶ。
 黒いモヤは空気となって周りのメンバーを包み込んだ。
 やがて、黒い煙に皆の体が吸い込まれる。
 あっという間の、出来事だった。
 だからこそ、皆はその事態に対応できなかった。
 黒いモヤに巻き込まれ、バグに飲み込まれ、そして、皆の意識は途絶えた。