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すべての物語が、ハッピーエンドで終わるとは限らない。

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5、彼女の望んだことは





 感じたのは、冷たさ。
 お祭りはいつの間にか終わっていた。花火をみた記憶はない。
 目が覚めたわたしの隣に、彼はいなかった。
 両親が安心した顔をしていた。わたしはそれを、不思議に思った。
 先生の言いつけを破り、勝手に出ていったのに。
 怒られても仕方ないのに。
 じゃあ……パパとママの叱責の言葉は、誰にぶつけられたの?
 そう考えたら、胸が痛くなった。


「まただな」
 もしもの世界に入ってすぐ見えたビジョンは、なるほど確かにさおりの視点の物語だ。
ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)が呟いた言葉に、近くにいたメンバーが同調する。
「花火の時間が早まらないか、聞いてみる必要があるの」
 エセル・ヘイリー(えせる・へいりー)は口にする。
「そうだね。博士ははぐれないようにするよう伝えてはあるから、あとは、さおりさんとの戦いかあ」
 想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)が気が乗らないなあ、というニュアンスで口にする。
「バグが発生しないのが一番なのですが……」
 水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)がそう口にした。
「……えっと、ごめん。そういうこと話している状況じゃないと思うよ」
 ミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)が口にした。なんのことかと、皆の視線が祭りの会場へと向く。


 ぎらりとした黒いいくつもの視線が、彼らを射抜いた。


「もうバグが発生してる!?」
 マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が叫ぶ。
 黒い影はゆらゆらと手を伸ばして歩いてくる。突然の襲撃に、皆の反応はわずかに遅れていた。
「っ!」
 そこに、影月 銀(かげつき・しろがね)の【先制攻撃】が走る。何本ものクナイを同時に投げ、こちらに向かってくる影をかき消した。
「こちらゆかり! みんな、現在地点は!?」
「それと博士、さおりさんはいる!?」
 ゆかりとマリエッタが叫ぶ。周りのメンバーがある程度の位置を伝えてくるが、その誰もが、戦闘状態に陥っているようだった。
『こちら、博士だ。さおりは、近くにいない!』
 博士の声が皆の耳に響く。
「ついにルールそのものが変わったのか!?」
 夢悠も叫んだ。
「こんなところじゃあバグに飲まれるのを待つだけだ! 安全なところを探してくれ!」
 銀が【忍刀】を構えて叫んだ。
「こっちだ!」
 ジェイコブが屋台の裏を示す。その場にいたメンバーは一斉に走り出した。
「銀も、早く!」
 ミシェルが叫ぶが、
「安心しろ。すぐ行く」
 銀は振り返って、それだけを言った。
「早く行け!」
 ミシェルは心配だったが、銀がそう叫ぶので走らざるを得なかった。
「さあ……来いよ、バグ!」
 そして銀はバグと対峙する。
 逆手に持った【忍刀】を握り、低い姿勢から迫ってくるバグに向かって駆ける。
 低い位置からの振り上げた刀が、バグの体を真っ二つに分断、消滅させる。
 続けて伸びてきた手を銀は跳躍して回避、屋台の柱を蹴ってさらに上昇、高い位置からクナイを投げ、周囲のバグをかき消す。一体残っていたバグは、着地と同時に切り刻んだ。
「っ、まだ!」
 気配はすべて消えていなかった。屋台の中から、もう一体バグが迫ってきていた。地面を転がって伸びてきた手をかわすが、転がった先にも数体のバグ。
「くっ……」
 伸びてきた手を、かわしきることはできない。
 そう思った前に立っているバグが、突然、霧散した。
「っ!?」
 銀が顔を上げる。
 向かいにある屋台の上で、【青のリターニングダガー】を握り締めた紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が、銀に視線を向けていた。
「唯斗!」
 銀が笑みを見せる。唯斗は小さく笑って跳び、銀の後ろへ。
「銀。同業者として言わせてもらいますけど……遅ぇ。遅すぎる」
 唯斗が構えて口にした。銀も構える。
「ふっ……手本を見せてくれるってんなら、是非とも」
 後ろを見ずに銀は言う。
「いいぜ。ただし、俺の動きは一瞬だ」
 唯斗は少し笑って答えた。
 そして、ふたりは軽く、背中を合わせる。
「見逃すなよ」
「上等!」
 それを合図に、ふたりは同時に目の前に敵に駆けた。
 


「はあっ!」
 【希望の旋律】を手に、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)はバグに突進した。伸びる手をすんでで避け、回るようなステップで周囲の敵を一掃。
 間髪いれずに後ろへと跳躍。しとめ切れなかったバグが手を伸ばす。それを、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が【絶望の旋律】で吹き飛ばした。
「数が多い!」
 セレアナが叫ぶ。
 セレンフィリティはなにかないかと、周りに視線をめぐらせた。
「焼き鳥が売ってるわ!」
「こんなときにも食べ物!?」
 セレンフィリティの視線に思わずセレアナが声を上げる。セレンフィリティは「違うわよっ」と叫んで、その屋台に駆けた。
 鉄板に常に火をかけておくためには、燃料がいる。セレンフィリティが見つけたのは、ミニコンロだ。となると、火種がある。
「これよ!」
 それに入れるための携帯用のガス管。ついでに、発電機に使うのか、ガソリンの入った携行缶も見つけた。
「セレアナ!」
 それを一斉に、迫ってくるバグに投げる。投げて、セレンフィリティは身を隠した。
「っ!」
 セレアナは、それが地面に落ちた瞬間を狙って発砲。爆風が飛び散り、周囲の何件かの屋台と一緒に、周りに発生して集まっていたバグを吹き飛ばした。
「ひゅう、やる」
 セレンフィリティは今も燃え続けている地面を見つめて言う。セレアナも、大きく息を吐いた。
「入り口付近はもう平気みたいね」
 セレアナが言う。彼女たちがいるのは会場入り口近くの場所だ。バグも殲滅し、他のメンバーも移動させた。
「ここなら安全だから集りたいところだけど……おそらく、さおりさんがいるのは奥よね」
 セレンフィリティは屋台に置いてあった焼き鳥を火に掛けながら口にする。
「はふはふ、一応、入り口付近は安全だということを伝えておいて、みんなと合流しましょう。……どうして豚肉なのに焼き鳥って言うのかしらね」
「やっぱり食べ物じゃない……」
 セレアナは息を吐いて通信をオンにする。
 でも、ちょっとだけ思うことがある。
 いつも通りのセレンフィリティ。先ほどの、『シリアスモード』の面影はない。
 そんな様子に、ほんの少しだけ、安心していた。
「まだまだいっぱいあるけど、セレアナ、どれがいい?」
 両手にいっぱい焼き鳥を持ってセレンフィリティは言った。
 ……いつも通り? いや、いつも以上だ。



「はあ……この辺りは静かね」
 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)はひざに手を当てて言う。
 彼女はアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)と共に、襲いかかるバグから逃れて来たのだが、
「ここは……」
 アデリーヌが口にする。
 その場所は、ちょうど、おみくじ屋の裏周辺。
 もしかしたら、と思った。アデリーヌが少しだけ歩を進め、木々の隙間に顔を出す。
 わずかに開けた場所、ちょうど、建物と木々の間から、星の光が見えるような場所。
 そこに彼女が――さおりが立っていた。
「こちら、さゆみ。彼女を見つけたわ」
 アデリーヌの後ろで、小さく通信を送る。
 そうしている間に、アデリーヌは歩き出していた。さゆみの静止をも聞かず、彼女の近くに立つ。
「さおり……さん、ですね」
 アデリーヌは口にした。ゆっくりと、さおりが振り返る。
「………………」
 さおりはなにも言わず、じっと、アデリーヌを見つめた。
「どういう理屈かはわかりませんが、わたくしは、あなたがただの仮想世界のプログラムだとは、どうしても思えないのです。さおりさん……あなたには、意思がありますね」
 アデリーヌが言う。さゆみが驚きの表情を浮かべた。
「この世界に入る前に見えるビジョンもそうですが、なによりも、彼女の表情です」
 アデリーヌは振り返ってさゆりに向かって口にする。
「……あなたは、この世界でなにが起こるかというものをすべてわかっている。わかっていた上で……わたくしたちの行動を把握した上で、行動をしている。最初に彼女が倒れるまでに、わたくしたちが見つけられなかったのは、それが原因でしょう」
「ちょっと待ってアディ、だったらどうして、彼女は博士に出来るだけ会わないようにしていたの?」
 さゆみが疑問を口にした。
「それは……博士の気持ちを、引き出させたいから、ではないでしょうか」
 アデリーヌがそう口にした。


「おおむね正解だ」
 声が響き、数人の人影が現れる。
 声の主であるダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)、そして、ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)
「竜平……」
「写真は撮ってないぞ」
 それにダブルエロスこと土井竜平に皆口虎之助、それと、沢渡真一もそこにいた。
「俺たちの行動はさおりさんに筒抜けだったわけだよ。それと、もっとも肝心なこともな」
「肝心なこと?」
 ハイコドの言葉に、さゆみが疑問を投げる。
「博士の意思ですよ」
 真一が口を開いた。
「博士は、彼女に会いたくないと思っていましたから。バッドエンドをバッドエンドで当然のものだと思って、本当の気持ちを隠していました」
「それじゃあ、この機械を使う意味はない」
 真一の言葉にダリルが重ねる。
「俺たちが求めているのはトゥルーエンドなんだよ。ハッピーでも、バッドでもない」
 ハイコドが口にする。
「陽一さんも言っていたが、ここで彼女との関係を修復したように思い込んで、それで満足するような、そんな展開は望んじゃいないんだ」
「『わたしが聞きたいのは、そんな言葉じゃない』、ですか」
 アデリーヌが口を挟む。ハイコドは「そうだよ」と答えた。
「博士はやっとさおりさんに会いたいと願うようになった。でも、それじゃあ足りないんだ。博士が……いや修が彼女をどう思っていたかなんて、そんなの十年も昔の話だ」
 ダリルは言う。
「じゃあ、博士になにを言わせたいの?」
 さゆみが聞いた。
「それを決めるのは、彼女ですよ」
 真一の視線の先には、立ち尽くすさおりの姿がある。さゆみは彼女の元へ近寄って、
「ねえ。あなたは、博士に……谷岡さんになにを求めているの? なにが聞きたいの?」
 アデリーヌも近づく。
「教えてください。わたくしたちは、それがわからない。わからない以上は、協力のしようがないのです。あなたは、博士のことが……谷岡さんのことが、好き、なのではないんですか?」
 さおりは、しばらくなにも言わなかった。言わなかったが、アデリーヌのその問いに対し、こくり、と小さく首を縦に振った。
「だったら、その思いを成就させるだけじゃダメなの? 晴れて両想いよ。この機械の中なら、デートだって出来る。あなたたちが送るはずだった十年を、やり直すことだって出来るのよ」
 さゆみは言うが、その言葉にはふるふると首を横に振った。
「どう、したいのよ、あなたは。バッドエンドを望んでいるわけでもない。ハッピーエンドを求めているのでもない。トゥルーエンド? 変えたいって言うのなら、せめて、一歩踏み出さなきゃ!」
 さゆみが叫ぶも、その質問に、一切さおりは答えない。
「……あなた方に、大切な人はいますか?」
 代わりに、質問が飛んできた。
「います」
 アデリーヌが即答する。
「いつも、すぐ近くにいてくれる。すぐ近くで、笑ってくれる。寂しさを、辛さを、そして楽しさを共有してくれる、大切な存在が、わたくしのそばにいます」
 力強い言葉で答えた。
「……そう、ですか」
 さおりは頷いた。少しだけ、その表情は微笑んでいるようにも見える。
「羨ましい」
 その小さな呟きは、風にですら掻き消えてしまいそうな小さなものだった。それでも、皆の耳に確実に届く。
「さおりさん、あなたは……」
 さゆみがなにかを言いかけた。


「さおり!」


 そこに、もうひとつの声。
 見ると、修を先頭に、他のメンバーがその場に集ってきていた。
「ダリル……なにしてんの?」
 ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が声をかける。
「ハイコドさん……それに、真一さん……?」
 黒崎 ユリナ(くろさき・ゆりな)も声を上げた。
「ダブルエロス、どういうことだ、これは」
 陽一も声を上げる。
「ダリル、ハイコド。わかっているな」
 竜平が一歩前に出て、長槍を構えた。
「……ああ」
「やりますかね」
 続けて、ダリルも【サイコショット】を、ハイコドも【大神之爪】を武装化して構える。
「一体これは、どういうことですか」
 ゆかりが身構えた。
「悪いなみんな」
 ダリルがぱちん、と、指を鳴らす。
「これは!?」
 ジェイコブが叫び、周りを見回す。
「バグなの!?」
 エセルが声を上げた。
 バグが皆の周囲を取り囲み、少しずつ、距離を詰める。そして、それに合わせて、ハイコドたちは構える。
「ハイコドに、ダリル……どういうことだ」
 ベルクがそう、声を上げた。
「悪いな」
 まず答えたのはハイコドだ。
「ここを通すわけには行かない」
 続けて口にする、ダリル。
「足止めをさせてもらう」
 そして、くるりと槍を回転させ、竜平が飛び出した。
「今の博士を、さおりさんに会わせるわけには行きません」
 真一も、武器を取り出した。
 身長以上の長さの、巨大な斧――ハルバード。
「行きますよっ!」
 それを体ごと一回転させ、真一は駆けた。
「くっ!」
 飛び出したのは竜斗だ。【緑竜殺し】を、真一のハルバードにぶつける。火花が散った。
「真一、てめぇ!」
 竜斗が叫ぶ。真一は軽く笑みを浮かべ、距離を離す。右足を軸にし、体を回転させて大きく振り下ろす。
 竜斗は大きく後ろへと跳ねた。地面が斧にえぐられる。
「ユリナ!」
 竜斗は叫ぶが、ユリナは迷っていた。撃つべきか、否か。そしてそれは、その近くにいるシェスカも同じだ。
「竜斗さん!」
 飛び出したのはフレンディスだ。【鉤爪・光牙】を真一の足元へ。回避に動こうとする真一を、ジブリールが飛び込んで抑える。
「なにをしてるんだよ、あんたたちは!」
 ジブリールが叫ぶ。真一は口元を引き締めるだけでなにも言わない。足を使ってジブリールの体を投げ飛ばす。ジブリールは空中で体勢を立て直し、着地と同時に駆ける。横薙ぎに払われたハルバードを飛んで避け、【アジ・ダハーカのジャマダハル】を振る。真一は身を反らしてそれを避けた。


「本気なの……ダリル」
「ある程度な」
 ダリルはルカルカの前に立つ。【サイコショット】は、彼女の足元に向けられていた。
「なにが目的なのさ!」
 ルカルカは叫ぶ。それにダリルは答えなかった。
「ジェイコブ、右から!」
 羽純が声を上げた。ダリルが左側を見ると、ジェイコブが猛スピードで迫ってきている。
 至近距離から放たれた拳を、ダリルは左のひじ辺りで抑えた。
「どうしたっていうんだ、ダリルさん!」
 ジェイコブが叫ぶ。が、答えはない。
「ダリル!」
 ジェイコブが跳び引く。そのタイミングで、羽純が槍をダリルに向け、飛んできた。
 【サイコショット】で槍を押さえる。ふたつの武器が空中でぶつかり合い、その衝撃で、ダリルの足元の地面がわずかに沈んだ。
「ダリルっ!」
「羽純っ!」
 続けて放たれる数発の突きを、ダリルは抑えて跳び引いた。



「速い……」
 銀は駆けながら言う。竜平は彼とほぼ並行して走っていた。
 走りながらクナイを投げる。竜平は回転させた槍でそれを弾き、飛び出してきた。
 【忍刀】で槍を抑える。ふたりがぶつかった衝撃で、ふたりの体は宙へと浮く。空中で刀を振るい蹴りを放ち拳を振るうが、竜平は槍でそれを防ぎ、最後の拳に足をぶつけ、そのまま宙返りした。
「銀ちゃん、下がってなの! 【氷術】!」
 エセルが氷を放つ。竜平の足元が凍りつき、身動きが取れなくなる。
「ナイスアシスト!」
 唯斗がエセルの横を抜けた。凍りづけの竜平に迫る。
「どういうことですかねえ、バーストエロス!」
「ふっ……」
 竜平は笑って、足元になにかを落とした。たちまちそれは爆発、煙に唯斗は包まれる。その予想していなかった攻撃に、唯斗は大きく跳んで距離を取る。
 それを、いつの間にか足が自由になっていた竜平が追っていた。空中で槍を振るい、唯斗に迫る。唯斗は両手をクロスして槍を抑えたが、衝撃でそのまま地面に落下してゆく。落下する唯斗に、竜平は短剣をいくつか投擲した。
「おっとっ!」
 地面に落ちる前に回転、手で着地し、同時に後ろへと回って短剣を回避する。
「ち、なかなか……」
 唯斗は呟いた。



「あなたに戦闘能力はないでしょう」
 ゆかりは虎之助に向き合う。
「ふん、戦闘なんて、どうにでもなりますよ。これを見てください」
 虎之助は持っていたカメラを構える。
「そ、それはっ!?」
 ミシェルが叫ぶ。
 虎之助が見せたのは……浴衣に着替えようとしているミシェルの写真だ。
「キャーっ! いつ撮ったのそんなの!?」
 わたわたと慌ててミシェルは手をばたばたさせる。
「それだけじゃありません……マリエッタさん、フィリシアさん。他にもいろいろありますよ」
「なんてことを!」
 マリエッタが叫んだ。
「ふふふふ。さ、このデータをネットにアップデートして欲しくなかったら、大人しくしていることですね……あ、いや、だから大人しくしててください。ってちょっと、カメラ返してください! 痛い痛い、やめて叩かないで! カメラ返して!」
 虎之助は女性陣にぼこぼこにされていた。



「なにをしているんだあいつは……」
 虎之助の失態を見て、ハイコドは呟く。
「どういうことなのか、説明してはもらえないの?」
 ハイコドの前にはセレンフィリティ、セレアナ、陽一と涼介が立つ。
 皆の少し前を歩き、セレンフィリティがそう口にした。
「あー、ま、ちょっと説明が面倒だから割愛させてもらうわ」
 ハイコドはそう言って、【大神之爪】を構える。
「足止めのほうが面倒なんだけどな……」
 呟く。その真意は、誰も掴めない。
「足止めできると思っているのかい? この人数を相手に」
 涼介が言う。
「思ってねえよ……でもな、やんなきゃいけねえんだよ。俺たちは」
 言って、ハイコドは駆けた。
 セレンフィリティが飛び出し、彼の鉤爪の攻撃を防ぐ。
「おい、博士。俺たち人間は楽しみがあって怒りが悲しみがあって楽しみがあって……そして幸せ不幸せが積み重なって出来ている」
 セレンフィリティの遠慮のない攻撃を避け、受けつつ、ハイコドは叫んだ。
「俺の人生もバッド、バッド、バッド、そしてハッピーだ! たった今、この瞬間にバッドになるかもしれない、だからこの瞬間のハッピーを楽しみ、バッドをノーマルに出来るよう、ハッピーに出来るよう生きてるんだろうが!」
 続けて飛んでくる、セレアナの銃撃と涼介の魔法。それらを大きく下がって避けると、次に迫ってきたのは陽一だ。
 先端を尖らせたマフラーの一撃を、ハイコドはギリギリで押さえる。
「お前はどうなんだよ! バッドをバッドのままほったらかして、お前の人生はどうなった!? 逃げ出して、その結果、どうなった!」
 陽一とセレンフィリティが迫る。それと対峙し、息を荒くし、それでもハイコドは叫んだ。
「悲しみから逃げ、苦しみから逃げ、立ち向かわずに! それでいて、お前は本当に、幸福になるのか!?」
 ひざをつく。それでも、彼は声を出した。
「お前は今の自分を、自分自身を、許せるのか!?」
 


 ハイコドの声が響く。
 ダリルは戦っている。竜平も、真一も。
 みんな、戦っている。
 目の前に立つ友人たちと、襲いかかるバグたちと。
 理不尽と、苦しさと、そして、辛さと。
 それでもみんな、立ち向かっている。
「博士、今は動かないでくれ、手助けできない!」
 バグを足止めしていたかつみが叫ぶ。
「どこに行くんだよ!」
 夢悠も叫んだ。博士を止めようと追いかけようとするが、すぐ近くにバグが来たため、追いかけることが出来ない。伸びてきた手を払いのけて、ゼロ距離からの【光術】で吹き飛ばす。
「戻れ、博士!」
 夢悠はそう叫んだ。
 だが、博士は歩いてゆく。
 ハイコドたちの戦いを横目に、竜平たちの近くを通り、前へ。
 理由はわからなかった。
 それでも、この場のみんなが、戦っている。
 戦っていないのは……自分だけだ。
 なら、なにと戦う? 誰と、戦う?
 戦う相手は決まっていた。
「博士……」
 さゆみとアデリーヌの横を抜ける。
 彼女の元へと、歩く。
「さおり」
 戦うべきは……自分自身。
 過去の自分と、そして、今の自分と。
 戦うべきだと、思った。
「さおり、俺は」
 修は叫んだ。
「俺は……」
 黙ってこちらを見つめる、彼女の姿を見る。
 悲しい顔で、苦しい顔で。


「いや……さおり。私は、」


 そんな顔が、一瞬、落ち着いた顔になった。
 それは、今の彼にとっての、年相応の顔ではない。
 この日から、何年も経った。
 何年も経って、彼は、変わった。
 そんな変わった彼の――博士の、顔だった。


「皆の言うとおりだ。私は……私は、逃げた」
 博士がゆっくりと口を開く。
「君を苦しめたという罪悪感からも、君を連れだしたという事実からも、私は逃げた。耐えられなかったんだ……あのときの、17の私には」
 ゆっくりと息を吐き、顔を上げる。
「君に会うべきではないと思った。会えないと思った。会ったら……また、苦しめると思った」
 心痛な表情が、ほんの少し沈む。
「忘れようとしたのだ、君のことを。私がずっと夢中だった科学に没頭すれば……元の世界に戻れば、いつか、君のことを忘れられると思った」
 手のひらを開いて、それを見つめる。ゆっくりと言葉を選び、表情を選び、彼は言葉を続ける。
「でも私は……心のどこかで君を忘れられなかった。科学でも満たされず、歳をとってもなにかが引っかかって。その正体は……」
 拳を握る。弱々しく、小さく丸めた握り拳を見つめる。
「新天地で……新たな仲間とともに、おもしろおかしく、なんのためにもならない研究を進めて……それが、私の人生だと思った。それしかない、と、言い聞かせた。それでも……足りなかった」
 その拳は、本当に弱々しい、小さな拳。17歳の、まだ、なんの思いも、力もない、拳だった。
「君と一緒にいたこの時間は、私にとって、夢のような時間だった。いや、夢だったんだ。私は……この夢を、忘れられなかったんだ。この機械が、『もしもマシーン』が完成したとき思い描いたのは、もう一度だけ、君に会えるかもしれないというものだ。その願いが……こんな世界を、作ってしまった」
 その拳を下ろす。
 その手のひらにはなにもない。彼女を守る力も、彼女を満たす心も、なにも。
「こんな世界を作っても、決して満たされることはない。これは、しょせん『もしも』の世界なのだ」
 それでも彼は、その拳を強く握りしめた。
 力があると信じて。思いがあると信じて。
 小さな手のひらを、ぎゅっと、強く握った。
「君は今、どうしている? 幸せに暮らしているか? もしかしたらもう……結婚して、子供もいるか? それとも……もう、この世には、いないのか」
 強く握った拳を振るって、博士は言葉を紡ぐ。
「君が今どうしているかなんて、わからない。わからないが……私は君に、言いたかった」
 拙い言葉で、情けない言葉で。それでも、心を込めて。


「君に会えてよかった」


 さおりの表情が、少しだけ崩れたように見えた。
「君と一緒にいた時間は、私にとって最高の時間だった。楽しかった。嬉しかった。あんな気持ちには、きっと……二度となれない。灰色だった私の世界に、君は、色を与えてくれた」
 彼の笑顔は、決して明るい笑顔ではない。
 心にあるのは後悔の念か、懺悔の意志か、それとも、過去の遺恨か。
「君のことが……大好きだった」
 それでも博士はその言葉を口にする。
 それは、ここで言ってもどうしようもない言葉。だが、博士の中にずっとくすぶっていた、本当の気持ちだ。
「大好きだった君を傷つけた。苦しめた。私はそれに……耐えられなかったんだ」
 彼は涙を流していた。拳を強く握り、表情を歪め、いつの間にか、泣いていた。
「そして私は……最悪の選択をしてしまったのだ」
 泣きながら、それでも声を絞り出す。
 すべてを伝えるために。
 すべてを認めるために。
 過去の自分に、制裁を。
 今の自分に、魂を。
 すべてを振り絞って、すべてを噛みしめて。
「すまなかった」
 それでも力強い言葉で、彼は口にした。
「いや……違うな」
 小さく、笑う。
 違う。
 ふさわしい言葉は、ほかにあった。


「ありがとう。さおり。君は、私の人生を、すばらしい物語に変えてくれた」


 微笑んで、言う。
「その幸福から逃げたのだ。満たされるわけがない。許されるわけがない。虚ろな日々しか、あとには続かない」
 言って、歩を進めた。
 彼女の、すぐ近くへ。
「だから……私は、すべてを認めよう。君を背負うために。君から逃げた罪を、被るために」
 そして、博士は口にした。


「私は博士だ。製作者権限により、この世界を消去する」



 バグの動きが止まる。
「これは……」
 バグと対峙していたエドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)が、固まって動かなくなったバグを見る。
「博士の言葉で……?」
 千返 ナオ(ちがえ・なお)も口にした。
「……終わりだな」
「これ以上、戦う必要もないですね」
 竜平、真一が矛を収める。
「………………」
 ダリルも下がる。ハイコドは大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。
「どういうことですか……?」
 フィリシアが言う。
「この機械を作ったのは、博士だ。おそらく、製作者だけが使える、特別なコマンドがあるんだろう」
 ジェイコブが答え、座り込んだ。彼も、息が荒い。
「どういうことなの?」
 エセルもぺたんと地面に座り込んで言った。
「……博士は、さおりさんごと、この世界を消すつもりだ」
 レナンが答えた。



「修くん」


 さおりが、口を開いた。
「わたしは……自分の人生に、価値なんてないと思ってた。話す人もいなくて、学校でも浮いていて、入退院を繰り返して……わたしには、なにもなかった」
 胸元に手をやって、静かに語りだす。
「でも修くんが……あなたがわたしに、いろいろなものを与えてくれた。いろいろなことを教えてくれた。学ぶことの楽しさを、知ることの面白さを、あなたは教えてくれた」
 さおりは言う。修は笑って返す。
「私はただ、好き勝手に話していただけだよ」
「ううん。修くんが話してくれる時間が、わたしにとっては、かけがえのない時間だった」
 さおりは笑った。
「死んでもいいって、そんなことも思ってた。でも修くんと出会って、わたしは、生きたいと思った。もっと、いろんなことが知りたいと思った。修くんと一緒にいられて……嬉しかった」
 言葉を切る。彼の顔を見上げ、優しく微笑んで、


「ありがとう、修くん。わたしに出会ってくれて、ありがとう」
 そう、口にした。



 直後、爆発音が響く。
 さおりの後ろで、大きな火の玉がいくつも上がっている。
「花火!」
 マリエッタが叫んだ。
 色鮮やかないくつもの閃光が、空中を舞う。
「花火が上がった……ってことは、」
 銀も倒れこむようにして座り込み、言う。
「やるべきこと、やったってことですかね」
 唯斗は腕を組んで言う。
 いくつもの花火が、次々と飛んでゆく。
「いこう、さおり」
 博士は手を伸ばした。
「十年来の約束だ。一緒に、花火を」
「うん」
 さおりは手を伸ばす。ふたりで手を繋ぎ、歩き出す。
 火の上がるほうに、高い空に。
「羽純くん」
 歌菜が羽純に手を伸ばす。羽純も少し息を切らせてしんどそうにしていたが、息を吐いて彼女の手を握る。
「あなた」
「ああ」
 ジェイコブとフィリシアも、手を繋いで前へ。
「さゆみ」
 アデリーヌも、さゆみに手を伸ばす。
「行くか、ミシェル」
 銀も、ミシェルの背を叩き、
「マスター!」
 フレンディスはベルクの手を取る。
「行こうか」
 エドゥアルトが前を歩き、かつみたちが続く。
「綺麗なの〜♪」
 エセルが大きく声を上げた。
 いくつもの花火が、空に舞う。その明るさは空を覆い、暗い空を明るく染める。
 ……そんな空が、少しずつ、白く霞んでゆく。
 周囲の景色から緑色が消え、赤い色が消え、青い色が、なくなってゆく。
「なに!?」
 セレンフィリティが叫んだ。
「世界が……なくなってゆく?」
 ゆかりが周りを見回して、言う。
「さおりさん!」
 ユリナが叫んだ。


 博士と手を繋いでいたさおりが、白く霞んでゆく。


「さおり……」
 博士は呟いた。
 さおりは小さく頷いて博士から手を離す。


 世界が、白く染まる。少しずつ、消えてゆく。
 

 その白に飲み込まれ、皆の意識が、薄れてゆく。


 世界の、終わり。


 真っ白に消えてゆく世界の中、


 さおりが、最後に笑顔を浮かべた。