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ひいなの飾り
和風情緒溢れるホテル『荷葉』。
その雰囲気からも宿泊料金からも、普段はあまり若年層の宿泊者を見かけないホテルだけれど、今日に限ってはいつもと様子が違っている。
ホテルで行われる雛祭りのイベントに、多くの生徒がかり出されている為だ。
「本日はどうぞよろしくお願い致しますわね。お手伝いしてくださる方はくれぐれも怪我等のないように気を付けて下さいまし」
集まってくる生徒たち1人1人に白鞘 琴子(しらさや・ことこ)はそう声を掛けてゆく。イベントの成功も大切だけれど、参加する皆の安全は一番の優先だ。
「さて、今年も頑張りましょうねぇ」
去年も裏方として参加している為に、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)は裏方の要領や全体の流れは把握出来ている。今年はじめて手伝いとして参加する生徒の手本になるようにと、メイベルははりきる。
「まいど〜、ゆるネコパラミタの橘でーす」
橘 恭司(たちばな・きょうじ)が声を掛けながら必要な荷物を運んでくる。会場の飾りや曲水の宴のセッティング等、必要な物品が収められた段ボール箱が幾つも積み上げられてゆく様子は、その後の優雅な催し物とは対照的な光景だ。
「力仕事をするならこれを使ってくれ」
安全第一。恭司は作業する者の手が滑ったり傷ついたりしないようにと、指先が出る滑り止め付きの軍手を皆に配った。
恭司も去年、このホテルでの雛祭りの裏方をした経験がある為、ある程度勝手は飲み込んでいる。
荷物を運び終えると、慣れた手つきでセッティングを開始した。
去年と違うのは雛壇の設置が増えたこと。そして恭司の左腕が義手になっていること。
恭司は備品に傷を付けたりしないように注意しながら雛壇を組み立てる。
「飾り付けは任せていいか?」
組み立て終わった雛壇の横にひな人形の入った箱を運ぶと、恭司はそう頼む。
「ええ。飾り付けはわたくしたちが致しますわ」
「では頼む。俺は曲水の方の設置をしてくるから」
力仕事を率先して引き受けるようにして、恭司は今度は曲水で使う緋毛氈の運搬に取りかかった。
「よろしくお願いしますわね」
そう言って恭司を見送ると、琴子は大切そうにひな人形の箱を開いた。
「これが日本の文化の一環なのですね……」
ウィルヘルミーナ・アイヴァンホー(うぃるへるみーな・あいばんほー)は小さいけれど精巧な飾り物をのぞき込んだ。
「細かい飾りがいっぱいあるですね〜。どれをどこに飾るですか〜?」
広瀬 ファイリア(ひろせ・ふぁいりあ)は興味津々でひな人形を取り出した。雛祭りというのは、ひな人形を飾ったり女の子を祝ったりするお祭りだ、というくらいしか知らないから、これを機会に勉強する気満々だ。
「一番上の段に金屏風を立てて、その前にお内裏様とお雛様、両側にぼんぼりを置いて、真ん中には三方飾り、ですわ」
「えっと、お内裏様は右ですか〜、左ですか〜?」
人形を大切に持ったまま、ファイリアはどちら側に置けば良いのかと琴子に尋ねる。
「うちでは向かって左にお内裏様でしたけれど、関西流では右。なのでどちらでも良さそうなものですけれど……こちらの飾り図では左になっていますわね」
「じゃあ左にしますです〜♪」
飾り図通りに、とファイリアはお内裏様とお雛様を飾っていった。
「二段目が三人官女、三段目が五人囃子、四段目は随身、五段目が仕丁と右近の橘左近の桜。六段目と七段目には嫁入り道具を飾るのですわ」
「いろいろあって難しいのです〜」
「図を見ながら順に飾っていけば大丈夫ですわ。お内裏様とお雛様は天皇陛下と皇后陛下、三人官女はお祝いの白酒を持った宮仕えの女官、五人囃子は宮中の演奏隊。そう思い浮かべながら並べてゆくと、楽しくありませんこと?」
人形遊びでもしているような手つきでひな人形を取ると、琴子は微笑んだ。
ふくろうは福や不苦労にかけて。
巾着はお金に困らないように。
猿は、危を去る。
ほおずきは婦人病の薬効。
柿は栄養素が豊富で滋養がある食べ物だから。
はまぐりの二枚貝は貞節の象徴。
俵ねずみは金運を願い。
桃は古くから邪気や悪霊を祓うとされた果物で。
とうがらしは……。
「娘に悪い虫がつかないように」
そう言ってコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)はくすっと笑った。
「ママ、どうしたの?」
尋ねてくる蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)に何でもないと首を振ると、コトノハは一週間前から夜魅と一緒に作ったつるし雛を指先で揺らした。
ふっくら綿の詰められたつるし雛は幸せを願いながら作ったもの。
日本に伝わるものの他、パラミタらしく世界樹イルミンスールをかたどった雛も飾りに加えてある。それは、地球とパラミタの文化の融合を願ったものであると同時に、地球人である自分とパラミタ人であるルオシンが結ばれ、子供が出来たことを表すものでもあった。
「帝国との全面戦争が起きたり、夜魅のお姉さんが扶桑に取り込まれて大変なことになったり、辛いことも多いけれど……そんな苦難を乗り越えて、どうか夜魅が健やかに成長してくれますように」
つるし雛に手を合わせてから、それらでホテルの飾り付けをしてゆこうとすると。
「コトノハさん、危ないよ」
通りかかったセシリア・ライト(せしりあ・らいと)が、つるし雛を吊るそうとしているコトノハに気づいて慌てて止めた。
「お腹が大きいんだから、高いところの飾り付けはやめておいた方が良いよ。代わりに僕が飾ってあげるから」
「ではお言葉に甘えて、お願いします」
「任せておいてー。ヘリシャちゃん、ちょっとこれ持っててくれる?」
ヘリシャ・ヴォルテール(へりしゃ・う゛ぉるてーる)につるし雛を渡すと、セシリアはさっさと脚立を上ってゆく。
「これもお雛様なのですかぁ?」
さっき庭に飾られていた雛壇飾りとは随分違うと、ヘリシャはつるし雛を眺めた。こういう行事を知るたび、地球とパラミタとの文化の違いを感じる。
けれど、これまで地球からパラミタに伝わった行事も多い。この雛行事もいつかはパラミタに定着することがあるのかも知れない。そのままの形ではなく、パラミタ風に形を変えて。
「ええ、これも雛飾りです。長女の初節句に無病息災、良縁を祈願して吊すんですよ」
毎年飾って、子供が成長して人生の節目を迎えると感謝の気持ちをこめて焚きあげる。どうか無事に人生の節目を迎えて欲しい。そんな親の気持ちのこもった飾り物だ。
「っと……ここに吊せばいいのかな?」
ヘリシャからつるし雛を受け取ったセシリアが、位置を決めてコトノハに尋ねる。
「はい、お願いします」
可愛い飾り雛たちは、赤い糸で吊されてホテルの壁面を彩るのだった。
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