リアクション
リネンや宵一たちと分かれた緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)と紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)が向かった先は、領母アナト=ユテ・ハダドの部屋だった。
「来てくれてうれしいわ。さあ、入ってちょうだい」
アナトは昨日陣たちを迎えたとき同様、笑顔で2人を招き入れ、ネイトと同じように軽い食事の手配をする。お茶の準備を終えて2人の前に腰掛けたアナトは「それで」と尋ねた。
「あなたたちはわたしに何をしてもらいたいの?」
カップの持ち手を掴んだ遙遠の手がぴくりと動き、止まる。
「――あなたも、ですか?」
「いいえ」
質問の意を理解した上で、アナトは首を振る。
「何が起きているのか、知らないわ。でも城で何か起きていることは分かる。始祖の書盗難事件とはまた別のものね。もしくはそれも関係することかしら。
バァルさまの側近のセテカさんは休暇の体裁をとって別行動しているし、留守中、都を守るはずの12騎士が4人も離れて、しかもそのうちの1人はカインさんでしょう?」
アナトとて目が見えないわけでも耳が聞こえないわけでもない。領母となってから1年近くが経つ。特にこうした領主不在のときは、彼女が城の全権全責任を担っているのだ。当然彼女の手足となって動く者も少なからずいる。城内で起きていることに無関心ではいられないだろう。
「4人?」
「今朝早く、ネアさんを連れてレアルさんが出立のあいさつに来られたわ。数日都を空けます、って。バァルさまが戻られるより早く戻るから心配いらないと言ってたけど……多分、あの2人もあなた方コントラクターの皆さんが動いている事件にかかわっているのでしょうね」
イェクタネア・ザイテミル・エスタハ、エルシャイド・レアルサ・アズィール、どちらもナハル派の12騎士だ。
ナハルが動いた。2人の向かう先はまず間違いなく北カフカスだろう。どんな指示を出したのか……気にはなるが、表には一切出さず、遙遠はカップに口づけた。
静かにカップを皿へと戻す、その間に胸のさざなみを鎮めて、ひざの上で軽く指を組むと切り出した。
「ナハルさんを呼んでいただけますか?」
「……分かったわ。そしてわたしは席をはずすのね?」
「待ってください」
残念そうに首を傾げて席を立とうとしたアナトを遥遠が呼び止めた。
「アナトさんは12騎士の方々がかかわっていると思われる今度のことについて、どう思われていますか?」
「わたし? 何も知らないけど……そうね、不安には感じてないわ。彼らは一枚岩ではないけど、みんな東カナンを第一に考えているところでは一緒なの。おじさまとバァルさまが仲良くしていただけないのは残念だけど、もしおじさまがかかわっているとしても、バァルさまの留守中に東カナンを窮地に落としてまでは考えていないはずよ。
それに……わたし、あの2人って、結構共通点があると思うのよ」何か思い出したように、くすっと笑う。「叔父と甥だからかしら。だからおじさまが動いてても、そんなに心配はしてないの」
バァルとナハルが似ているとはとても思えなかったが、遥遠は反論をとなえなかった。かわりに、こう申し出た。
「アナトさん。あなたも同席してください」
「あなたたちの味方になるとは約束できないわよ?」
「かまいません」
「そう。……ありがとう」
アナトは口元に小さく笑みを浮かべて、感謝の眼差しを遙遠に向けた。
アナトからの呼び出しで現れたナハルは、昨日の今日でさすがに想像はついていたのか、ドアをくぐる最初から不機嫌さを隠そうともしていなかった。歓迎するアナトに向けるときだけその表情はわずかに崩れたが、ひとたび遙遠たちの方を向けば視線が凍る。
(ああ、そういえば……似てますね)
冴え冴えとした青灰色の威圧げな瞳に、たしかにバァルを想起させるものを感じて遙遠は内心でうなずく。
めったに見せることはないが、バァルもまた、戦いのさなか容赦なく敵を断するときはこんな目をしていた。
「おまえたちか」
「お呼び立てして申し訳ありません」
向けられて気分のいいものではないなと思いつつ、ナハルが席に着くのを待って自分も腰を下ろす。
ナハルはちらちらとアナトを見ていた。アナトはナハルに給仕し、冷めた2人のお茶を新しい物に変えたあと、自分の分を持って3人とは別のテーブルに腰を落ち着ける。話に加わるつもりはないという意思表示だろう。退室する様子のない姪の姿に眉を寄せ、好ましくないと思っていることを伝えたが、にっこり笑顔で返されて、ナハルはあきらめたようだった。ため息をつくと遙遠に向き直った。
「それで、おまえたちがここにいるということは、昨日のあの若造はわたしからの条件を伝えなかったということか。それとも、それが答えか」
「陣さんから聞いています。彼から伝言を頼まれました。「盗難があったのは事実。それを追求するのはカナンの法であり、それこそ第三者が言うべきじゃない」」
「……ふん。おまえもか?」
「ええ、まあ。べつにどうこう動く気はないです。遥遠たちはシャンバラからの来訪者で、このことに関しては全くの部外者です」
「部外者、第三者か。いつおまえたちがそうだったときがあった? 最初のときからずかずか土足で踏み込んできていたであろうが」
皮肉気に片ほおを上げてナハルは冷笑する。挑発には興味がないというように、遙遠は黙ってお茶を飲んだ。
「まあいい。それならばわたしも何することはない。おまえたちはいたいだけ城にいればいいだろう」
話は終わりだと言うように、ナハルはテーブルに手をつき席を立とうとする。
「盗まれた始祖の書には、銀の魔女と始祖の関係について書かれていたそうですね」
その言葉に、ナハルの動きが止まった。
「……きさま」
「どうか席に戻っていただけないでしょうか。遙遠はあなたと取引をするつもりはありません。あなたを脅迫するつもりも、何か便宜を図ってもらうつもりもなく、ただ話をしたいんです。いえ、聞いていただき、あなたの意見をもらえたら、というべきですね」
ナハルはあらためて遙遠を見下ろした。その眇められた目は推し量ろうとするかのような視線で遙遠をじっと見つめ……短くも長い時間が経過して、深々と息を吐き出した。どかりと横柄な態度で椅子に腰を下ろす。
「いいだろう。話してみろ」
遙遠は淡々と持論を展開した。それはリネンたちアガデで動いている者たちから口頭で得た情報や北カフカス山でドラゴン・ウォッチング・ツアーに参加しているセルマ・アリス(せるま・ありす)から得た情報、ハリールの護衛についている小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)から得た情報に基づいた、彼の考察だった。
いわく、賊の目的は始祖の書に書かれた情報を得ることではなく、書に書かれていた情報そのものを消すことにあった。書に書かれていたのは銀の魔女と始祖のつながりを示す事柄。これが残っていて困るのはハダド家だ。だからハダド家に絶対の忠誠を誓う12騎士が動いた。
なぜ今なのか? それはイルルヤンカシュが目覚めたからではないか。イルルヤンカシュを鎮めようと北カフカス山へ向かっている少女・ハリールを襲撃したのは今のところ不明だが、どれも全てイルルヤンカシュでつながっているのは間違いない。書の盗難と北カフカスで起きていることはつながっている。
「ふっ……くくっ…」
気付くと、ナハルはくつくつと肩を揺すって笑っていた。
「なるほどな。おまえたちがひと晩頭を突き合わせた結果はその程度でしかないというわけか」
「ええ。ですからあなたに意見を求めているんです。補っていただけたらと思いまして」
「ふむ。本来であればそうする義理もないが。ヒントくらいは与えてやろう。情報を提供してくれた礼だ」
(――情報?)
一瞬冷たいものが遙遠の背中を伝う。いやな予感――しかしすぐに今はそんなことにかまけているときではないと、ナハルの言葉に集中した。
「まず、始祖の書がハダド家にとって脅威であるなら、今この時期でなくともとうに始末していただろう。竜は幾度も目覚めた。5000年の間、あれ自体が脅威となってきたのはハダド家ではない。
常に人にとり、動機となり、大罪と称されてきたのは何だ?」
大罪――。
その言葉で浮かぶのは7つあった。
遙遠は頭中で展開させる。暴食、色欲、怠惰、憤怒、嫉妬――は、関係ないとみていいだろう。そういう要素はない。
「では、わたしは帰らせてもらう」
「待ってください」
――強欲? それはあるかもしれない。
「なんだ? まだあるのか」
「そういえば、今朝ネアさんとレアルさんが出立されたと聞きました。それは賊と銀の魔女、どちらの討伐ですか?」
あるいは――虚飾。
その瞬間、遙遠の脳裏をひらめきが走った。
アタシュルク家は一地方領主だが、東カナンではそこそこ力を持っている。
昨日ミカが言った言葉だった。それはハダド家の血筋かもしれないという疑いによるものだった。だが彼らにはもう1つあった。イルルヤンカシュを唯一鎮められる対話の巫女というステイタス……。
唯一とは特権であり、力となる。
「なぜ銀の魔女を討伐せねばならないとおまえが考えたのか、わたしは全く分からない」
いけしゃあしゃあそう言ってのけて、今度こそナハルはドアへ向かった。
「おじさま」
「アナト、あまりわたしを悲しませるな。今度はおまえとふたりでゆっくり過ごしたいものだ」
アナトを軽く抱き締め、部屋を出て行く。
「遙遠……大丈夫ですか?」
途中、遙遠の声のトーンがわずかに下がり、様子がおかしくなっていたことに鋭く気付いた遥遠が気遣いの手を伸ばす。ひんやりとした彼女の指先を感じながらも、遙遠は先にひらめいたことに意識の大半を集中させていた。
「鎮める」この言葉は第三者から見た光景だ。目を覚まし、何かを求めて山中を徘徊する竜。対話することで竜を鎮める巫女。だれもがそう思っていた。だがこれが誤りだとしたら?
銀の魔女が目覚めたならば――つまり、魔女はいつか目覚めることを求められていた?
「強欲、虚飾…。アタシュルク家は、いつから魔女が目覚めないことを望むようになったんです…?」
ナハルは廊下で待機していたフェネル=メクトーラズ・クィルトを供とし、自室へ向かう。アナトの部屋から十分離れた所でナハルは命じた。
「早馬を用意しろ。ネアたちに伝令を出す」
※ ※ ※
リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)と
ララ・サーズデイ(らら・さーずでい)の2人は、一路スクウィムの町へ向かっていた。ネルガルの乱から2年。かなりカナンは元の姿を取り戻してきているが、まだ荒野や砂漠が点在する。ネイトの話では、スクウィムは砂漠を越えた先にあるということだったが……。
「――ネイトが何かを握っているのは間違いないのだ」
ララの操る
ヴァンドールの上で、リリは今朝のネイトとのやりとりを思い出す。
リリは考察の末、直球勝負でセテカの父であり、策略家でもあるネイトと対峙した。
『盗まれた始祖の書には、銀の魔女とイルルヤンカシュとのことが書かれていたのだ。つまり、始祖はイルルヤンカシュ封印の様子を描いてあったのだよ。その封印の方法とは、剣と魔女自身の体を用いるもの! つまり対話の巫女は竜とではなく、竜とともにいる銀の魔女と対話するのであり、そのための呪文は、例えば挿絵の龍のうろこなどに隠し文字で記されているのだ!』
聞かされた内容にネイトはお茶を入れる手をとめ、しばしリリを見つめたのち、やんわりとほほ笑んだ。
『……それではアタシュルク家は、竜が目覚めるたびに賊となって城の図書室へ押し入っていたのでしょうか? 呪文を得るために?』
うっ、とリリは言葉に詰まる。
『それに、あれは覚書き、日記のようなもので、挿絵などはついていません。
ですが、封印の様子を書いていた、というのはあながち間違いではないのかもしれません。当時、この都が竜に襲撃されてそれを始祖と魔女が鎮めたとの記述はたしかにありました』
『その竜がイルルヤンカシュか?』
ララの問いに、ネイトは笑みのまま、カップを前に置く。
『通説でそれが主流であるのは知っています』
『竜を魔女が封じたのはたしかなのだ』
『そう聞いていますね』
のらくらと、どうともとれるような返答をするネイトに、リリは自説を展開する。
竜の精神は人よりはるかに強靭だ。銀の魔女は竜からの精神汚染を受け続けるため、清浄化するのが対話の巫女の役目だ。巫女の力が弱ければ、銀の魔女は逆に支配されてしまいかねない。目覚めようとする竜を押さえつけるため、銀の魔女は対話の巫女による助力を必要とし、その現れがイルルヤンカシュの出現だ。あれは顕現した銀の魔女の救難信号であり、巫女は銀の魔女へ力を送り込まなくてはならない。銀の魔女が目覚めるとき、つまり封印がはずれるとき、アガデの都を襲った竜が目覚め、再びこの地を災禍が襲う――。
荒唐無稽と笑われてしかたのない論だった。
しかしそれならばそれで、否定するネイトの言葉が情報となり、そこを糸口、言質として切り崩していくことができる。
さあどう出るか。固唾を飲んで見守るリリの前、ネイトはお茶を飲むとこう言った。
『始祖の書について興味がおありのようですね。実は先ほどスクウィムの駐在兵から始祖の書が見つかったとの早馬が来たのです』
『えっ!?』
『ちょうど手配しようと考えていたところでした。あなた方はワイルドペガサスをお持ちでしたね。よろしければ、受け取りをおふたりにお願いしてもよろしいでしょうか?』
ネイトの話によると、スクウィムの町の古物商が昨夜通報したらしい。不審な男が祖父の遺品処理をしていて見つけたという古書を売り込んできたそうだ。うさんくさいと思いながら鑑定のために預かった古物商は、鑑定していくうち、これはうわさに聞く始祖の書ではないかと疑問に思い、通報したという。
手際のよすぎる犯行手口といい、書を盗んだ賊は身内ではないかと推察しているリリたちにとってかなりうさんくさい話だったが、始祖の書をじかに手にする機会でもあった。
「見えた。リリ、あの町だ」
太陽の光を浴びてきらきらと輝く町の屋根をララが指し示す。
先に訪れた駐在所での兵の話によると、金の受け取りにきたところを押さえる予定だったが、不審な男は指定した時間になっても現れなかったということだった。身内の犯行であるなら金が目的ではないのだから当然だろう。リリは驚かなかった。
「何が書かれているか解読して、セテカに突きつけてやるのだよ」
リリはいら立ちをぶつけるように意気込んで古物商のドアをくぐる。古物商は、あきらかに異国人の少女であるリリとララを見て驚きに目を瞠り、あわてて「てっきり騎士か兵士が来ると思ったから」と謝罪した。それに「明日かあさってになると思っていた」と。
納得し、始祖の書を受け取ったリリは、ついに手にすることができたと高揚した気分で書を開く。ここに織り込まれた謎を解き、真相をつきとめてやるのだと――。
しかし残念ながら、2人とも開いたページのひと文字も読むことができなかった。
「そういえば、あのネアとかいう男が言っていたな「古語で書かれている」と」
ララが苦笑する。
「……まだなのだ。まだ終わらないのだ。
主人、ここにイルルヤンカシュと魔女の本はあるのだ?」
ネアの名前を聞いてそのときのやりとりを思い出し、リリは少し離れた位置からじろじろとものめずらしげに自分を見ている古物商に訊いた。
「は、はい、ありますが…?」
「それを、全部見せてほしいのだよ」
「はい、ただいま」
古物商はいそいそと古書の棚へ行き、巻き物の類いから比較的最近の物と思われる本まで抱えて戻ってきた。
とりあえず薄い本から、順々にざっと目を通していく。ぱらぱらページをめくっていたララが、やがてとあるページで手を止めた。
「リリ、これを見ろ」
ララはページを開いたままテーブルに置く。
「何なのだ?」
ララが指で差しているのは挿絵の部分、そこに立つ人物のとなりに書かれたふきだしだった。
「古語で読めないが、この○○○○・×××・△△△の、この△△△の部分。これはこちらの絵の文字と同じだ」
パラパラとページをめくり、今度は何かテーブルについた12人の男たちと先の人物が対話している挿絵を指す。12人の男たちは彼に向かって何か話しかけており、そのふきだしには「△△△」とあった。しかし先の人物のふきだしには「□□□」とある。
「この□□□は、こちらの文字と同じだと思う」
ララはページを戻って、内表紙を見せる。そこには都の絵があり、ふきだしには「□□□」の文字があった。
「同じなのだ」
「推察だが、この○○○○・×××・△△△は
アルサイード・バァル・ハダドじゃないか? △△△はつまり、ハダドだ」
ララは古物商を振り返った。
「店主! この本のこのシーンは何を表している? 何を話し合っているんだ?」
「ああ、それはですね……ええと…」古物商が覗き込む。「竜がアガデの都へやってきて、アルサイードさまが銀の魔女とともにこれを退治されたあとのものです。破壊されたアガデの都を再建する際の絵ですね」
竜に破壊されたアガデの都。その後、12人の男は「ハダド」と言っている。しかしアルサイードは「□□□」と答えていて…。
「□□□は、アガデなのだ」
「……リリ」
ララは声をひそめ、リリにだけ聞こえる声でつぶやく。
「きみが領主だったとする。アガデの都が破壊されたので、きみは再建することにした。アガデ家はもうない。きみの前の領主の名だから、部下たちはきみの名を都につけろと言う。だがきみは、ここはアガデの都だと強弁する。
その理由はなぜだと思う?」