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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第2回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第2回/全3回)

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 時を少しさかのぼって、早朝。皆の宿泊する宿に早めに到着した玖純 飛都(くすみ・ひさと)は、宿の主人から聞いた古書店を訪ねていた。
 村は規模は小さいが、イルルヤンカシュが出現する土地であるということ、そして今まさにその観光ツアーでにぎわっていることもあって、竜関連の書籍は豊富だった。そのなかから数冊、これはと思う物をタイトルから選び出し、ぱらぱらとめくる。
 最初からいちいち深く読み込んでいる暇はない。流し読みだが、そうしているうちに、ふと面白そうな記述が見つかって、飛都はページをめくる指を止めた。
 約5000年前、アガデは黒矢の魔物の災禍にみまわれた。黒矢の魔物は当時東カナンを訪れていた国家神イナンナ・ワルプルギス(いなんな・わるぷるぎす)に近付き、だまし、言葉巧みに籠絡しようとしたが、そのあさましい正体を見抜かれ撤退することとなった。しかしそれだけでは終わらなかった。黒矢の魔物は大軍勢を率いてアガデを襲撃した。
「1000年来の災厄か。そういえば、最初の災いは東カナンで起きたんだったな」
 カナン全土を巻き込んで起きたネルガルの乱は約2年前、飛都がパラミタへ来る前の出来事だ。だから飛都は当時のことは知らない。ときどき思い出したように人の口の端にのぼるうわさで、それと知るだけだ。しかし今回、カナンへ向かう下準備として、さわり程度ではあったが学習してきていた。
 ザナドゥの魔神の策略によって、カナンに騒乱の種を撒こうとしていた魔物たち。その1人が黒矢の魔物と呼ばれたモレクだ。
 それだけならば飛都も読み流していただろう。興味深い記述はその先にあった。
 闇の軍勢を迎え撃とうとする、当時の東カナン領主と女神イナンナの搭乗するイコン・エレシュキガル。今まさに両者ぶつからんとした挿絵で、モレクと思わしき闇の化身が竜の頭上に乗っていたのだ。
「ええと。あれは、どこだったか…」
 飛都は何冊か前に読んだ本を探してひっくり返す。
  『イルルヤンカシュははるばるアガデを訪れ、領主にお願いをしました。』
 これは童話の一節だ。こちらの竜は闇の軍勢で、吉兆の竜とは似ても似つかないが…。
 5000年前アガデを訪れた竜、そして――東カナン領主のそばにいる女性の絵。先端から光をほとばしらせた杖を持つ、これは魔女に見えないか?
「これが銀の魔女だとしたら……魔女が竜を封じたのか?」
 この挿絵だけでそうと決めつけるのは早計かもしれない。たとえそうだとしても、なぜ数十年、数百年ごとに目を覚ましているのか、吉兆の竜と呼ばれているのか説明がつかない。これでは全く別の竜じゃないか
「別の竜…。アガデを襲った……訪れた竜と、今のイルルヤンカシュは別の竜か?」
 我知らず口走った、そのとき。突然ばたばたと複数の足音が聞こえてきた。
 ただごとならない様子に顔を上げた飛都の前、すぐ店の前をあわてふためいた男たちが駆け抜ける。ツアーのシェルパだ。
「た、大変だ! イルルヤンカシュが山で暴れているぞ!」


※               ※               ※


 セルマ・アリス(せるま・ありす)たちは宿に残り、申し込んだツアーの出発時刻を待っていた。
「竜さん、無事でよかったね。今日こそ仲良くなれるといいね」
「クークー! ククー!(わたくしもお手伝いいたしますわ!)」
 ミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)とその肩に乗ったレーレ・スターリング(れーれ・すたーりんぐ)の言葉に「うん」とうなずきながら、食堂兼フロアで飲み物を飲む。
 昨日見つかった謎のクリスタルの方も気にはなるが、イルルヤンカシュの調査がまだ終わっていない。レポートを作るにはあれだけでは不十分だ。
(あれは多分、銀の魔女なんだろうな…)
 セルマはから受けた報告について考える。アガデで起きている、始祖の書盗難事件。そして遙遠から聞いた、始祖と銀の魔女の関係についてを。
 イルルヤンカシュの消えた洞窟から見つかったのだし、多分、自分たちは銀の魔女を見つけたのだと思う。そして銀の魔女について書かれていたという始祖の書が盗難にあったのは、偶然なんだろうか?
 確証がないからうかつなことは口にできないが。
 オズトゥルクに訊いてみたい気がした。12騎士は読むのが義務づけられているというし。知っているのは間違いない。けれど、1つの疑問がセルマにそれをためらわせた。
 オズトゥルクが城の盗難事件について知らないということは、あるんだろうか? そんな大変な事件が起きているのに、アガデから離れたこの地にいるのはなぜ?
 銀の魔女らしき女性が発見されたのは、本当に偶然?
 オズトゥルクは今日はクリスタルの調査に加わっている。彼を疑いたくはない。だけど…。
「セルマ」
 いつの間にか考えに没頭していたセルマを中国古典 『老子道徳経』(ちゅうごくこてん・ろうしどうとくきょう)――シャオが引き戻す。
「なに?」
「どうかしたの? さっきからずっと考え込んでるみたいだけど」
「あー……なんでもないよ」
「そう?」
「うん。ちょっとぼんやりしてただけ。ありがとう」
 訝しむシャオにそう返したときだった。速足で宿に戻ってくる飛都の姿が窓越しに見えた。
 深刻そうな表情で宿の入り口をくぐる飛都に、セルマとシャオはテーブルから離れて近付く。
「どうかした?」
 2人に、飛都はイルルヤンカシュが山で暴れているらしいということを伝えた。



 飛都から話を聞いた者たちは、大急ぎ支度を整えその場へ駆けつけた。
 そこはツアーコースにあった場所で、昨日セルマたちが空振りに終わった場所だった。観光客たちは皆避難を終えているのか、どこにもいない。
 山々に囲まれた緩やかな緑の森のほぼ中央付近で、たしかにイルルヤンカシュが暴れていた。
 暴れているといっても、むやみやたらと目につくもの全て凶暴に破壊して回っているわけではない。体長15メートル、体重推定数十トンの巨体が周囲をかえりみず動いている結果として、周囲が破壊されているのだ。昨日のように周囲にはさまざまな山のモンスターが集まっていたが、イルルヤンカシュの乱心ぶりに彼らもとまどっているようで、踏みつぶされるのを懸念してか、遠巻きにうかがっているものがほとんどで、さすがに近付くものはほとんどいなかった。
「イルルヤンカシュ……一体何があったんだ…」
 昨日は周囲で戦闘が起きようとも意に関せず、くつろいでいたというのに。
 あのときと全く違う、まるで別の竜のようにすら見える姿に、セルマは呆然となった。
「セルマさん、驚くのは分かりますが、うかうかしていられませんよ」
 脇から御神楽 陽太(みかぐら・ようた)が声をかける。
「これ以上森が破壊される前に止めなくては」
「そうよ、セルマ。ここは村に近いわ。まさかとは思うけど、このままイルルヤンカシュがふもとに下って、村に被害が広がるってことも考えられなくないわ」
 シャオが陽太に同意する。
「あ……うん、そうだね」
「ねえルーマ、クリスタルの調査に向かった人たちと連絡とれないかな? 彼らにも手伝ってもらお?」
「そっか」
 ミリィの提案にうなずき、セルマはギフトレーレ・スターリング(れーれ・すたーりんぐ)の能力テレパシーを使ってクリスタル調査に行ったマルティナと連絡をとる。だがそれによって、セルマはさらに驚愕することになった。
「クリスタルが……なくなってる?」
 ――いえ。正確には、落下して水に流されたようです。

 さらにマルティナは現在穴から下へ下り、先行しているノール・ガジェット(のーる・がじぇっと)が地形データを取得・転送している最中だと話した。
 ――済み次第、探索に入ります。かなり深部へ下りていますので、今から向かったとしてもそちらと合流するには数時間かかるかと。

「分かった。こっちは俺たちでなんとかする。マルティナさんたちはクリスタルの捜索に集中してくれ」
 ――了解です。ご健闘をお祈りします。

「ありがとう。きみたちもがんばって」
 テレパシーによる会話はそこで終了した。
「おにーちゃん、クリスタルなくなっちゃったの?」
 周囲の者が聞くことができたのはセルマが口に出した言葉だけだったが、それでも十分状況を察することができたノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)が、心配そうな声で陽太を見上げる。
「そうみたいだね」
「あの女の人、大丈夫かなぁ?」
「大丈夫ですわ!」
 陽太が何か答えるよりも早く、エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)が断言した。
「あの様子からして、クリスタルに入ったのは昨日今日ではありませんからね。水に落ちて流されても、全然平気です!」
 根拠のない言葉だった。しかしエリシアの力強い声には、ノーンの弱気を払拭するだけの力があった。
 なにより、ノーンはエリシアを信頼している。
「……うん。そうだよね! ねっ? おにーちゃん」
「エリシアの言うとおりだよ。だから僕たちはイルルヤンカシュの方に専念しよう」
「こちらを早く終わらせることができれば、もしかすると向こうを手伝いに行けるかもしれませんわ」
「分かった! ノーン、がんばるね!」
 ノーンは背中に発現した美しい透明の翼、氷雪比翼を広げると空へ舞い上がった。氷でできた翼は太陽の光を受けて弾き、キラキラと虹色の光の粒が軌道となって流れる。
「ではわたくしも参ります」
「エリシア、ノーンを頼む」
「心得ておりますわ」
 空飛ぶ箒ファルケを用いてノーンを追いかけていくエリシアを見送った陽太は、彼らに背を向けた。
「陽太さん?」
「これだけの騒ぎです。村に戻ったツアーの人たちから話を聞いて、この地の東カナン軍兵士が来ないとも限りません。俺は少し戻って、もし彼らが来たら説得することにします」
「分かりました。お願いします」
「はい」
「あ、待って〜。私も行くわぁ」
 セルマと陽太の会話を聞きつけた師王 アスカ(しおう・あすか)が、くるっと振り返った。
「え? イルルをまたデッサンするんじゃなかったのか?」
 松原 タケシ(まつばら・たけし)の意外そうな言葉に、アスカは顔をしかめて見せる。
「やぁねえ〜。いくら私だって、ちゃんと時と場合は選ぶわよ〜」
「そうかー?」
 昨日の様子見た限りじゃ、とても周囲が目に入っていたようには思えなかったが。そう言いたげな、いかにも懐疑的な目で見ているタケシのえり首をむんずと引っ掴み、アスカは来た道を戻り始める。
「さあタケにゃんっ。行くわよ〜」
「わっ! ばか! だからそれやめろってば! あと「にゃん」もやめろって!」
「いいからいいから〜。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ〜」
「うそだーーーーっ」
 かかとから砂煙を上げつつずるずる引っ張られていくタケシの姿を見て、蒼灯 鴉(そうひ・からす)はため息をつくとルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)たちを振り返った。
「俺たちも行くぞ。あいつらだけじゃ不安すぎる」
「うむ。アスカに説得ができるか不安だからな。魔鎧くん、リーレン、行こう」
「うん、行く行くー」
 モンスターと戦うよりこっちがいいと、リーレン・リーン(りーれん・りーん)もあっさりきびすを返してルーツの元へ。が、次の瞬間紙袋越しながらも非難的な視線を感じ取って、ホープ・アトマイス(ほーぷ・あとまいす)の方を向いた。
「……なによ?」
「べつに」
「何か言いたいことあるなら言いなさいよっ」
 だがホープは何も言わなかった。イーっと歯をむくリーレンと並んで、ルーツや鴉のあとを追って行く。
「ねえ、ルーマ」
 見送るセルマのそでを、ミリィがつんつん引っ張った。
「オズと連絡とれた? 何か言ってた?」
「え? ううん、連絡をとったのはマルティナさんだけだよ。かわってもらえばよかったね、ごめん」
「そっか。ううん、ただこの事を知らせたいなと思っただけ」
「きっとマルティナさんが伝えてくれるよ」
「そうだね。
 じゃあそろそろワタシたちも行こ、ルーマ」
「うん」
 イルルヤンカシュを静めようと向かう仲間たちを追うように、ミリィは機関銃を携えてそちらへ向かう。イルルヤンカシュの足元には昨日と同じようにとりまきモンスターたちがいた。イルルヤンカシュをどうにかする前に、まずあのモンスターたちへの対処が必要になるだろう。
 その背に続きながら、セルマはふと考える。オズトゥルクとかわってもらうことに気付かなかったのは事実だけれど……本当にそれだけだったのか、と。もしかしたら無意識的に、自分は知ることをおそれたんじゃないか? このことを知ったオズトゥルクがどんな反応をするか……。
 そのとき、イルルヤンカシュの鳴き声が聞こえた。
(いけない。今はそんなこと考えてるときじゃない)
 頭から追い出すように首を振る。
 ――ルルルルルルルロゥー

 イルルヤンカシュは天を見上げ、のどを伸びきらせて、昨日と同じように鳴いている。
 ――ルルルルルルルロゥー……ルルルルルルルロゥー……ルルルルルルルロゥー……

(……いや、昨日とは違う。もっと切羽詰まった感じだ)
 昨日はもっと余裕のある、ゆったりとした鳴き声だった。今は必死に、だれかに何かを訴えているようだ。
「何を言っているんだ、イルルヤンカシュ。きみは何を求めてる?」
 通じるはずもない言葉。けれどセルマは乞わずにいられなかった。
 どうか教えてほしいと。