リアクション
Part.14 彷徨える島
白鯨の体内から帰還した者達を、フリッカは安堵の表情で迎えた。
「皆さん、ご無事で……。よかった」
「それについては色々訊きたいこともあったりするのですけど」
オルフェリア・クインレイナーが苦笑する。
「とりあえず、空賊の連中は、全員捕まえて来ました」
コハク・ソーロッドが言った。
あちこちでの空賊との戦闘の後、そのまま置いてくることも、シャンバラまで連れ返ってしかるべき罰を与えるべきとも検討されたが、一応、全員連れてきている。
「こいつらの処遇、どないします?」
大久保泰輔に尋ねられ、フリッカは空賊の者達を見渡した。
ボスの男が、苛烈な視線でフリッカを睨み付ける。
「……できれば、解放してあげてもらえませんか」
「ええんか?」
「ふざけるな!」
叫んだのは、空賊のボスだ。
「てめえ、下らねえこと抜かしやがって、恩に着せるつもりか。
生憎だな、後悔するぞ」
「いいですよ。いつでもお相手します」
音井博季が、ボスの威嚇に受けて返した。
彼の戦いぶりを見て、あるいは受けていたボスの周りの空賊達の表情が引きつる。
恐怖を植え付ける作戦は、成功していたようだ。
「……恩に着せるつもりではありません」
フリッカは俯いた。
「後悔なら、もうしています。ずっと、ずっと前から……」
◇ ◇ ◇
銀星七緒の奏でる、オカリナの音が響き渡る。
「鯨さんに届くといいね、パパ」
七緒の隣りで、その音色に聴きほれながら、ルミナルナ・ハウリンガーがにこにこと笑った。
ルクシィ・ブライトネスは微笑み、オカリナを奏でながら、七緒は頷く。
傷つき、苦しんだ白鯨の心に癒しの音色が届けばいい、と祈りながら。
「やはり、もう一度、フリッカさんという方とお話をしてみては?
お一人で心許ないようでしたら、お供いたしますよ?」
レフ・ゼーベックが提案する。
決して、自分がフリッカと話したいからなどではなく、純粋な好意である。
純粋な好意であるが、期待は満々である。
結局、空賊達は開放され、彼等はシャチに乗って、何処かへ戻って行った。
色々後片付けや準備を済ませて、それから、飛空艇はシャンバラへ戻ることになる。
「……やっぱり、その方が、いいかな」
不安そうな顔をするフェイの手を、火村加夜が取った。
「私も賛成です」
一度きっぱりと否定をされているのだ。
再び同じことを問うのに、躊躇いがあるのだろう。
フェイは加夜を見た。にっこりと笑みかける加夜を見て決意し、レフを見上げる。
「……行きます。一緒に来てくれたら嬉しい」
レフは笑って頷いた。
そしてフリッカに対しては、神裂刹那と樹月刀真が説得をした。
「もう一度、向き合ってみてはどうですか」
と、刹那に背中を押され、フリッカは、長く長く考えた末、頷いた。
「私は、許して貰えるでしょうか」
と、呟いて。
見通しの良い街の広場に立って、フリッカはフェイに語り始めた。
「あの空賊は、かつて、遠い昔、この島から追放された人々の子孫なのです」
「だから、同じ痣を?」
刹那の言葉に、頷く。
罪を犯した者がいた。
最も重い罰が、島からの追放だった。
フリッカは、負の意識が島に在り、オリハルコンを汚してしまうことを恐れ、その最も重い罰は、総じて穏やかな気性の住民であるにも関わらず、度々施行された。
「時に、その罰は重過ぎると私を諌めてくれる人もありました。
けれど、私は、それを止めることはできなかったのです」
追放は、島の人々、家族や友、同郷の人々と永遠に会えなくなるということだった。
それは嫌だと哀願されても、フリッカは、長い年月の間で段々と疑心暗鬼に捕らわれはじめ、そうしてついに、自分以外の最後の一人までを、白鯨の島から追放してしまったのだ。
「……私は愚かでした。
罪も無く追放される人々は、私を恨むことなく、むしろ、一人残る私を案じてくれました。
共に行こうと、そう誘ってくれる人さえ」
ああ。フェイは母の言葉を思い出す。
フリッカに追放され、それを恨む者達が、浮島に留まり、いつかの報復を誓って、空賊となった。
けれど大陸に渡った優しい人々は、ただ一人残されたフリッカを案じ、ただ故郷を思って涙したのだ。
そして、長い時の果てで、やがて事実は歪められ、忘れられて行った。
一族の中の、たった一人の魔女。
故にフリッカは一族の長となり、そして、長であるという責任にしがみついた。
何を見失い、何を捨て、何を得たか。
あれからどれほどの時が流れたのかすら、もうフリッカは憶えていなかった。
「……私を、恨みますか」
「そういうのは、よく解らない」
フェイは首を横に振った。
「俺はただ、”彷徨える島”に住む人と、友達になりにきただけだ」
母と、その母と、その母と、その母と……。
代々に語り続ける思いを、いつか叶えたいと、そう、幼い頃から思い続けて。
フリッカは微笑んだ。
「……ありがとう」
たった一人残されたフリッカの周囲に、街の住民の幻が現れたのがいつのことかは、フリッカももう、憶えてはいなかった。
彼等はただ優しく、ただ穏やかに、静かに、賑やかにそこに在り、フリッカの心を慰めた。
恐らく、それはフリッカの寂しい心に、オリハルコンが反応して、作り上げた幻なのだろう、と、フリッカは思っている。
障壁を護る為に造られたゴーレムに、命が宿ったのと同様に。
「ありがとう。付き合ってくれて」
フェイは、レフ達を見て、そう礼を言った。
「いいえ、少しでもお役に立てたのでしたら、光栄です」
レフが答える。
「俺……ずっと子供の頃から、”彷徨える島”を夢見てた。
……でも、そんなすぐに見つかるものじゃないって思ってたから……飛空艇に乗せて貰っても、今回の航海で見つかるとは、思ってなかったんだ、多分」
いつかは見付けたい。今回はその第一歩。
けれど、きっとそれは果てしない未来の話で、長く続くだろう冒険の最終地点で、最初にいきなり到達できる目標ではないだろう、と。
「だから、この鯨を見て驚いた。
これだったのか、って。
でも、違うって言われて……。
何かもう、どうしたらいいのか、解らなくなってた」
見つかって嬉しかったのか、残念だったのか。
否定されて嬉しかったのか、残念だったのか。
自分はどちらを信じ、どちらを信じたくなかったのか。
「フェイちゃん……」
加夜が心配そうに呟く。
でも、とフェイは笑った。
「でもやっぱ、ちゃんと知ることができて良かった! すっきりした」
「……フェイさんの冒険は、ここで終わるわけではないと思いますよ」
レフの言葉に、フェイは頷く。
「うん。
……何か、そういうふうに、俺も、思った。ありがとう」
「貴女の中で、また新しい道を見付けることができたのなら、喜ばしいことです」
レフは微笑み、にぎ、とフェイの手を取る。
そのフェイに加代とルルーゼが両脇から割り込んで、手を離させた。
「失敬な」
「自分から変態と言う人と、必要以上に近寄らせられません」
「失敬な。
いたいけな少女を傷つけるような幼女好きは真の幼女好きとは言えませんよ」
「フェイ。
この人に必要以上に近づいては駄目ですよ」
自信満々で言い放つレフの言葉に、加代とルルーゼはきつく言い付ける。
状況が理解できていないのか、フェイはぽかんとしていたが、つられるように頷いた。
◇ ◇ ◇
アンジェラ・アーペントロートは、帰る前に、白鯨や街並みを、沢山携帯電話で撮影した。
「帰ったら、皆に自慢話をしましょうかしらね」
撮影した画像を確認しながら、ヴィオーラに微笑む。
「良き思い出になりそうで何よりじゃの」
見れぬのが残念じゃ、とヴィオーラは苦笑した。
障壁が失われた途端、死んだように意識を失っていたヨハンセンの目が、ぱかりと開いた。
「親分! 良かった!」
アウインが泣き顔になって安堵する。
「体調は?」
呼雪の問いにヨハンセンは、
「いや、何でもねえ」
と答えてから、首を傾げ、そして状況を思い出したようだった。
「迷惑をかけちまったみてえだな。すまねえ」
「オリガ・カラーシュニコフも心配していた。
後で顔を見せてやるといい」
「あの嬢ちゃんか」
悪いことしちまったな、とヨハンセンは頭をかいた。
飛空艇に戻ってきたヨハンセンを見て、オリガは安堵した。
「ご無事で何よりですわ」
「嬢ちゃんも飛空艇も無事だったようだな。
嬢ちゃんが護ってくれたんだな。ありがとよ」
ヨハンセンはそう言って笑い、
「やれやれ、眠ってるうちに、何か色々片付いちまったそうじゃねえか。
満喫しねえ内に帰り仕度たあ、味気ねえな」
と肩を竦めつつ、まあこれが俺の仕事だしな、と、出航準備に入る。
「ヨハンセンさんにお借りしたメモに従って、点検作業をしておきましたわ」
「気が利くねえ」
オリガに見せられたノートを見て、ヨハンセンは笑った。
「また、この街に来ても良いかな」
漆髪月夜が言って、フリッカは、意表をつかれた顔をした。
飛空艇で帰る月夜達を見送って、そうして、それが最後なのだと思っていた。
けれど当然のことのように、月夜は言う。
「……そうですね」
白鯨は、自分の思いの及ばないところへ、これからも進んで行く。
永遠に。
自分は、これからも白鯨と共に在り続ける。それでも。
「お待ちしています。歓迎しますね」
そう信じることは、素敵なことだとフリッカは微笑んだ。
追放されて尚、自分の心配をしてくれた、去っていった人達のことを、思い出す。
月夜達に、その姿が重なった。
「……友達……」
愛おしく思う。
彼等も、彼等の想いを継いで、ここまで来てくれたフェイ、そして月夜達も。