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リアクション
3
その頃、扶桑の都の茶店街を、秦野 菫(はだの・すみれ)と梅小路 仁美(うめこうじ・ひとみ)、そして李 広(り・こう)が歩いていた。
「やはり、暗くなった世相の雰囲気を変えるにはお祭りが一番でござる。ミスコンみたいに地球で行われているイベントを実施されるようだし、良かったでござるな」
近々大白寺で行われるという祭りの話しを口にしながら、菫は周囲を見渡した。
「さてさて、それはともかく今日はどこの店で一息つくことにするでござろうか。美味い物巡りでまだまだ行っていない所も多くあるから、楽しみは尽きないでござる」
彼女はまんじゅうの天ぷらの店を見つけながら、何とはなしに葦原 房姫(あしはらの・ふさひめ)の事を思い出していた。正直なところ彼女は、房姫に一目惚れしていたのである。忍者には秘密が多いものとし隠してはいたが、彼女の性的嗜好が同性に向かっている事は、衆知の沙汰だった。
「まるで風に吹かれた、たんほぽの綿毛の如く、思いもよらぬところに行きますね」
仁美がそう呟いた。彼女達三人は、昨日はあちら、明日はこちらとばかりに、本当に足の向くまま気の向くままにあちこちを歩いているのである。菫の扶桑の都の行楽行脚に仁美と広が付き合う形だ。
――旅は世につれ、世は旅につれ。
そんな事を考えながら、広は続けた。
「治にいて乱を忘れず」
これは古代中国の易経の言葉である。
「逆に今のマホロバにおいては『乱にいて治を忘れず』こそ正に必要とされる言葉だと思います。例え、騒乱にあっても平和な時代のことを忘れず、平和の世を作るために邁進する事こそ必要なのでしょう」
――ただ、菫さんにあってはそれを意識しているのかしていないのか、今のところ表に見せずにいるのですが。まあ、それも菫さんの持ち味という所でしょう。
「今なんと言ったのでござるか?」
朗らかに首を傾げて見せた菫は、まんじゅうの天ぷら屋の軒下に座ると、両手を椅子の上につき体を伸ばした。
そんな彼女の目の前を、青いぼさぼさの髪をした青年が通り過ぎていく。顔には目立つ傷があったが、動乱の扶桑の都にあっては、その背景に深くなじむようで、歓談する菫たちから見れば、風景に等しかった。青年が歩く姿を目で追っていくと、隣の茶屋にも人気が見える。こんな情勢ではあったが、存外に賑々しい街の様子に、ホッと菫は吐息した。
「近藤 勇理(こんどう・ゆうり)ちゃんも渦中の人物となったようだが、勇理ちゃんの性格からしてあのような事件を引き起こすとは到底思えない。――勇理ちゃんなら必ずこの事態を切り抜けると信じているから拙者は敢えて手を出さず見守るだけでござる」
思い出したように、今回の暗殺事件について触れた菫を、仁美が見やる。
「世の騒乱に関与せず、世界の流れの中で自分を失わずにいる事は簡単なようで難しいことであると思いますが、菫さんもまたある意味泰然自若とも思えます。――この旅も何時まで続くか分かりませんが、満喫できる時に楽しむのが一番なのでしょうね」
しみじみと呟いた仁美の、長く綺麗な黒髪が、風に掬われては流れていった。
そんな彼女達が扶桑の都を謳歌する隣の店では。
「あら、アキラさん。またいらして下さったんですね」
週三回程日中は三色団子屋で店員をしている詩歌が、顔見知りになったアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)にそう声をかけた。隣にはルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)の姿がある。
いつも通り『ぼへーっ』としている為、彼は人を威圧するような『威厳』を放ってはいない。どこか飄々としているその眠そうな黒い眼差しは、けれどその奧に情の厚さを隠しているようだった。
――その姿は、見る者がしかと見なければ、幕府のお偉方には見えない。
彼はそれを利用して、扶桑の都の様々な場所に出入りしていた。昼間から仕事もせずブラブラしてるダメな人のふりして情報収集に励んでいたのである。朝から晩までいろんなお店を『はしご』しながらアキラは、内心こう考えていた。
――『一見さん』だときっと向こうもあんまり突っ込んだ話はしてくれないだろうが、顔なじみになり打ち解けてきたら、色んな噂話を教えてくれると思う。
その為なるべく同じお店に顔を出すようにし、店主や店員さんと仲良くなるようにしていた彼は、中でも二つの店でよく顔を合わせる、俗に言う鉄腕アルバイターの詩歌とは特に顔なじみになっていた。
「ルシェイメアさんも。はい、いつものですよ」
そう告げ三色団子を二人に渡した詩歌は、かいがいしく他の客にも団子を運んでいく。
「そう言えばアキラさん、聴きました? 紳撰組や見廻組が褒賞金を出すかも知れないって噂」
アキラ同様常連客の、恰幅の良い町人の女性が歩み寄ってきて耳打ちをする。
「聴いた聴いた」
「ならこれは? 『彼岸花』が治安維持の為に大量に戦力を投入したらしいわよ」
「聴いてる」
「じゃあこちらは? 暁津藩家老の継井様のお宅の裏門に、血のようなシミが出来ていたって。雨で川のように四方に流れていたらしいわ」
「なんだそれ? 初めて聴いた」
返答した彼は、それとなくルシェイメアを見やる。
「きな臭い話しじゃな……ちょっと見てこようか」
そう告げルシェイメアは、金色の長い髪を揺らしながら立ち上がった。
アキラその様子を見送る。
すると別の常連客の、大工が歩み寄ってきた。
「旦那、今日も昼からお茶かい?」
「ああ大吉さん、仕事がないもんでね」
「連れの嬢ちゃんはどこに行ったんだ? 厠か?」
実年齢を告げれば、嬢ちゃんとは形容しがたいルシェイメアの事を思いながら、アキラは曖昧に笑って見せた。
「それより聴いたか? 金銀屋が、また店舗拡大で立ち退きを無理に要求してるって話し。詩歌ちゃんも可哀想なこった」
「聴いてないな。どんな話しなんだ?」
「ほら詩歌ちゃんのおっ父が、先々月腕に大けがをした話しだよ。その医者代、金銀屋が肩代わりするっつってなぁ。代わりに、家を寄越せと来たらしい。世も末だ。法外な金利らしい」
「不吉な事を言うんじゃないよ」
そこへ恰幅の良い常連客の女性が戻ってきて口を挟む。
「ただでさえ都は攘夷だ何だと騒がしいんだからさ……それにまで金銀屋はかかわってるみたいだしね。流れているみたいだよ、広げた店の場も金も、激しい連中に」
彼女がそう告げた時、その店にわざと騒ぎ立てるように数人の男達が踏み込んできた。
「詩歌! 今月の支払い分を取りに来たぜ!」
額に布をまいた男のしゃがれた声に、店の奥で、詩歌が息を飲んだ。
その様子と、ここまでに耳にした話しに、アキラが立ち上がった。
「テメェらの悪事もここまでだ! この額の『肉』、テメェらに消せるモンなら消して見やがれぃ!」
「肉……?」
踏み込んできた男達が一瞬足を止め顔を見合わせる。前髪を上げたアキラのその姿に、大工の大吉が息を飲んだ。
「ま、まさか鬼城家後見人のアキラ様じゃ……っ!」
「な、なんだと? そ、そんなお偉方がここにいるはずが……」
「まずいぞ逃げろ!」
踏み込んできた男達はそんな事を口々に言いながら、逃げていった。
なお騒ぎを聞きつけた紳撰組がその場に到着するよりもいち早く、アキラも店の代金を置いて腕を組み、立ち上がる。
「困った事があったら言うんだ」
詩歌はその様子に、涙ぐみながら頷いて、礼を述べたのだった。
こうしてアキラもまた走り出した。
――人の噂っつーもんはバカにならないもんだし、なにより庶民の目から見た現状を知ることができる。
走りながら、彼はそんな事を考えていた。
――そういって集まった噂話の中には、これは、という噂があると思う。なんか妙に現実味のある、変な『匂い』のする噂。
不安定な天候の最中、僅かにのぞいた日差しの元、アキラはルシェイメアの事を追いかける決意をした。
「なるほど、鬼城家後見人はそう出たか」
事務所に戻ろうとしていた八咫烏の一人、橘 恭司(たちばな・きょうじ)は立ち寄った茶屋で煙管をコツンと音を立てて灰皿に置きながら呟いた。水まんじゅうがうりの店である。
店の丁度正面には、降り出しそうな雨に紛れるように、屋根伝いに去っていく朱辺虎衆の人影が見て取れた。
恭司の視線に気がついたのか、朱い牛面をつけた黒装束の者は一時足を止めた。
それとなく街を散策し朱辺虎衆に繋がりそうな手がかりを追っていた彼は、慌てて視線を背ける。
――もし遭遇する事があれば無茶はせず情報をある程度回収し、追っ手を完全に振り切って撤退する。
そう意図しての事だった。
「返ったら、家老宅の物資の流れも調べないとな。それに金銀屋か」
八神 六鬼(やがみ・むつき)の事を思い出しながら、恭司は静かに目を伏せたのだった。
その頃、風祭 隼人(かざまつり・はやと)と風祭 天斗(かざまつり・てんと)から連絡を受けた、諸葛亮 孔明(しょかつりょう・こうめい)と鬼城の 灯姫(きじょうの・あかりひめ)は扶桑の都の外れにある、さる長屋にいた。二人は隼人達から、護衛の依頼を受けたのである。そこは、佐幕派・攘夷派を問わずして医療行為を行っている本郷 翔(ほんごう・かける)とソール・アンヴィル(そーる・あんう゛ぃる)がここの所使っている診察室だった。ソールは奧医師としても名高く、その腕は保証されている。
「こちらです」
翔が促すと、灯姫達は、奧の一角へと進んだ。
そこには布団の上で体を休めている健本岡三郎の姿があった。
僅かにやせた様子で、血色が悪い。
「具合はどうですか?」
孔明が尋ねると、健本が起き上がろうとした。
「そのままで結構ですよ」
慌てて優しくそれを制した孔明は、言葉を続けた。
「貴方は亡くなった梅谷才太郎殿と最も近しい位置で思想を語り合っていた方だと存じています。こうして身を休める間、僅かばかり語り合いませんか。マホロバの未来について」
「改革を語り合える仲間が出来る事は真に嬉しい事だ」
「私はマホロバの経済をより活性化させる事が発展に繋がると思うので、まずは他国との商取引のルート開拓を勧めます」
はっきりとそう告げた孔明に対し、痩身の健本が頷いてみせる。
こうして二人の、マホロバ改革についての議論が開始された中、灯姫は考えていた。
――私は戦い以外の事については、改革等については疎いので、警護の傍らで行われる先生達の議論を聞きながらマホロバの未来を考えるための勉強をして行こうと思う。
彼女は思案していたのだった。
――識者達の意見を聞き学び、私なりにマホロバの発展のために出来る事の幅を増やしていきたいと思う。また、健本殿や梅谷殿が脱藩した理由や、改革を志した理由等も機会を見て尋ねたい。
そんな思いで、灯姫は、交わされる議論の合間を縫って口を開いた。
「何故梅谷殿は脱藩した?」
「言っておりました。どちらかにばかり傾く事は良くないと」
その返答に、灯姫は考えずには居られなかった。
――彼等はマホロバを統治する幕府へ具体的に何を求めているのか……幕府は、鬼城家は、私は何を為せば皆は争わずに済むのか……その答えに少しでも近づきたい。
彼女がそんな事を考えた時、しとしとと雨が降り出したのだった。
その音に、孔明が窓の外を見る。
彼は、優斗達からの依頼を受けて、自分の携帯電話を括りつけ持たせた使い魔と小人――『小人の小鞄』を使用し、ペア達を放っていたのだ。これは、パートナー間の携帯電話は常時繋がる特性を利用したものである。それらを駆使して、指定対象の監視や街の状況等の情報収拾を行わせ、何かしらの不穏な動きがあった際には、小人より優斗の携帯電話へメールで報告を入れさせる事を、孔明は決めていた。まずはその一歩として、健本と接触を図った事を風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)に彼は伝えた。
――『白い』腕輪をつけた、暗殺事件の現場に共にいたという健本と接触したという連絡を入れたのである。
4
その頃紳撰組の屯所には、中願寺 飛鳥(ちゅうがんじ・あすか)が憑依した中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)と、纏われた漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)が訪れていた。伴って現れたのは、草薙 武尊(くさなぎ・たける)である。
「久しいな」
武尊に近藤 勇理(こんどう・ゆうり)がそう声をかけた。
するとオールバックにした髪を揺らし、武尊が頷いて返す。
「話があってきたんだ」
二人の挨拶が終わるのを見計らって、綾瀬の口を借りた飛鳥が声を放った。
「あんたはやってないんだろ? なら、それを証明してやろうぜ!」
「ああ、やっていない――しかし、どうやって……」
勇理が空色の瞳を、不安そうに揺らした。
「問題は、何故あんたの鞘が現場に落ちていたかだ。刀を納める鞘……普通、身から離さないよな?」
「勿論だ。確かにいつもの通りにおいて寝た。しかしどうしてそのように、協力してくれるんだ?」
「心当たりがあったら何でも言ってくれないか? ん? 何故、協力するかって? そりゃ簡単だよ、あんたの目をみりゃ嘘をついていない――殺していないって事くらいわかるし、それにアレだ」
飛鳥の声に、意識の中で綾瀬が微笑みを浮かべた。ドレスもまた軽やかに風に乗る。
「人助けをするのに、理由なんて要らないだろ?」
その声に、勇理は嬉しそうに笑って返した。
それから立ち上がる。
「有難う。そう言ってもらえると気が楽になる。そうだ、紳撰組に入らないか?」
そんな誘いに飛鳥が大きく首を縦に振った。
綾瀬自身にはそう言った気持ちはなかったが、ここは兄である飛鳥の気持ちを尊重しようかと、彼女は考える。
「返事は急がない。考えておいて欲しい」
勇理はそう述べると部屋を後にした。
そうして向かった先の部屋には、氷室 カイ(ひむろ・かい)と雨宮 渚(あまみや・なぎさ)の姿があった。
「こんな事になって悪かったな」
渚の根回し――あらかじめ紳撰組の隊士を経由して知己だった勇理は、扶桑の都の名所を紹介するはずだった為、改めて頭を垂れる。
――せっかくカイと2人きりで観光するつもりだったのに……。
渚の胸中には確かにそんな思いもあった。だが。
――でも無実かもしれない人が疑われてる事を知った以上助けてあげたいわね。
「気にしなくて良いわ」
茶色い長い髪を揺らしながら、渚が応えた。繊細さがのぞく青い瞳が勇理へと向けられている。
「そちらも例の事件で大変だろう」
切り出したカイは、湯飲みに手を添えながら、率直に切り出す事にした。
「ふむ、俺が気になる点は2つ、なぜ梅谷才太郎の首は切り取られ、持ち去られたのか? そして現場に落ちていた鞘は本当に近藤 勇理(こんどう・ゆうり)の物か?」
顎に手を添え、カイは赤い瞳を瞬かせた。
――首のことはすぐには分からんだろうから後回しで、先に鞘について調べてみるか。
「まあ近藤が犯人の可能性は低いな、本当に私怨で殺したなら首を持ち去る理由が無い。真犯人は別にいるはずだ」
「有難う」
正面から断言された事で、勇理は薄く微笑んだ。
「現場に落ちていた鞘は本当に近藤の物なのか?」
「そうだと思う。あの心地は、紛れもなく私の物だ」
――剣士が自分の刀を盗まれて気づかないはずは無い、それに本当に刀を盗まれたのなら、犯人は刀ごと現場に残すはずだ。近藤 勇理(こんどう・ゆうり)の犯行に見せかけるならその方が確実だからな。
そう思案したカイは腕を組む。
「鞘自体が模造品の可能性が高いと俺は思う」
「しかしこの鞘は、扶桑見廻組から返却されたものだ」
「何処かですり替えられた可能性もあるだろう」
勇理にそう告げたカイは、腕をまくりながら続けた。
「可能であるならば、俺も一緒に逢海屋へといき確かめたい」
「……危険がある。それでも構わないか?」
「勿論」
そう応えたカイ達もまた、このようにして、紳撰組に関わる事となったのだった・
その頃逢海屋近くの茶屋には、黄泉耶 大姫(よみや・おおひめ)の姿があった。
以前の情報収集で得た情報を紫煙 葛葉(しえん・くずは)に説明した後、彼女は単独で朱辺虎衆を追っていた。
「しかし、朱辺虎衆なる者不審じゃな」
往来に響く高い声で、彼女はわざとらすくその名を口に出す。
「梅谷とやらの首は持ち去られたそうじゃが――誰かその後の行方を存ぜぬか」
彼女のよく通る声に、人々が視線を向ける。
大姫は考えていた。
――この事件、あらゆる派閥を刺激しておるのは間違いあるまい。疑惑の錯綜によってマホロバ人同士が再び争うは必定。朱辺虎衆とやらが誠にマホロバを思う者であれば、これをどう見ているのであろうのう?
そんな内心から彼女は、聞こえよがしに声を放っていたのである。
丁度その時、茶屋へと坂東 久万羅(ばんどう・くまら)が品物を卸しに来た。彼は『久我内屋』の、国を守りたい義の心あふれる良い商人見習いである。
大姫は、茶を両手で握りしめながら、ふと我に返って顔を上げた。そこには、見覚えのある赤髭の男の姿があった。
「もしや、いつぞやの……」
彼女の問いかけに、久万羅が顔を上げた。
「おお、久しぶりじゃけん」
「そなた、やはり坂東であったか! 都まで来て何を……こちらにも店があるのかの?」
「旦那が商売を拡大しているんです」
頬を撫でながら、旦那こと久我内 椋(くがうち・りょう)の顔を思い出しながら、久万羅は言った。
「そうか。これで扶桑の都も活気を取り戻せれば良いのじゃが」
大姫のその声に、久万羅は笑ってみせる。
「あっしみたくマホロバを思う、それこそお嬢ちゃんもそこにいるしどんどん復興してくれりゃあいいんですがねぇ……頑張りましょうぜ!」
そんなやりとりを交わして二人は、分かれた。
分かれた後、久万羅は『よろずや』のフィアナ・コルト(ふぃあな・こると)とすれ違った。
「この間は猫探し、有難うございました」
久万羅の声にフィアナは笑って返す。
その隣を、重い武器を担いで歩きながら、相田 なぶら(あいだ・なぶら)が目を細めた。
「本当に旅費を稼いでいたんだねぇ」
「あたりまえです――今回の依頼は、それだけではありませんけど」
扶桑の都の喧噪の元凶へと関わる事になりそうな依頼に、フィアナが青い瞳を揺らしたのだった。調べ物には、身が軽い方が良いからとまだ、なぶらに預けたままの得物を一瞥する。
「きな臭い事にならなければ良いんですが」
彼女のそんな呟きは、空の下、消えていった。
5
その日佐々良 縁(ささら・よすが)は、サラシで胸をつぶし髪を一つに結って男装し、点喰悠太と名乗り行動していた。
――情報が集まるまで友人知人にも知らぬ存ぜぬで。
そんな心境で彼女は、孫 陽(そん・よう)と共に日中は街をまわっていた。馬の診療で各地を回り、現在の世上全般に耳を傾けていたのである。
馬主の懐事情に合わせて馬の夏バテ防止策の指導をしていた彼らは、情報収集に終始せず、馬の体調を実に気遣っていた。
「そうですね、様子を見ながら塩と……もし手に入るなら魚の肝油を少し飼葉にまぜてやってください」
暁津藩の重鎮の家を何軒かまわり、そのように指導して見せた二人は、夜になる前、一度長屋に戻っていた。夕刻からは長屋に待機して情報のまとめを行っていたのである。
同時に有事に備えて待機もしていた。
「できるなら、仕事は書きものだけがいいですけどね」
孫 陽(そん・よう)が呟く。彼は心配なので縁が無茶しないようにと気を配っていたのだ。
なおその間蚕養 縹(こがい・はなだ)は、人形態で黒く髪染め、耳を隠して行動していた。
「梅雨がきたり暑くなってくるだろうからなぁ」
そう言って彼は、日中は飾って涼めるような金魚絵や蛙絵を細めの掛け軸仕立てで描き、売り歩いていたのである。
「最近、また物騒になりやしたが、暮らしに障りはねぇですかい?」
その際彼は、朱辺虎衆の噂らしきもの――例えば、夜に不審な音や影がなかったかを聞いていていた。
彼もまた逢魔ヶ刻には戻る。
そして今度は孫 陽(そん・よう)を残し、二人は著者・編者不詳 『諸国百物語』(ちょしゃへんしゃふしょう・しょこくひゃくものがたり)と共に出かけるのだ。彼女の愛称は百である。
「こ、こわいものはこわいもの……」
百ちゃんはそう呟くと、縁の袖を強く掴んだ。
夜道は怖いものである。だが、縁と一緒に夜の情報収集を行っている彼女は、本体が心配なのが少しと、護衛を引き受けていたのである。
縹は二人の一足後ろを歩きながら、和服の袖に両腕を入れていた。
縁と百の護衛のため後ろから少し距離をおいてついているのである。
――そこへ。
たまたま――というのは語弊がある。同様に朱辺虎衆を追っていて、日中は陽動作戦を行っていた東條 カガチ(とうじょう・かがち)が、東條 葵(とうじょう・あおい)と合流する為に道を歩いていた。
その姿を見て、縁が声をかける。
「かがっちゃん。かがっちゃんも、さっきこの辺りにいた朱辺虎衆を追ってるの?」
「そうねだいたいねー」
応えたカガチに対し、百ちゃんがおずおずと歩み寄った。
「その、前はビックリしたとはいえ……ごめんなさい」
実は彼女、以前カガチに座敷童と間違えられ、全力で魔法を放ってしまった事があるのである。その時はプスプスと焦げていたカガチであったが、今は健勝にしている。
「平気だよ、それよりそっちにはどんな情報が集まってるのか教えて欲しいねぇ」
彼らがそうして情報交換をしていたその時の事だった。
「我らを調べるとは、大した肝の据わった者どもよ」
気がついた時、縁の首筋には抜刀された刃が月明かりを反射して煌めいていた。
――気づかなかった。
その早業に、縹が盾として動こうと、攻撃をいなす形で防御に出る。
著者・編者不詳 『諸国百物語』(ちょしゃへんしゃふしょう・しょこくひゃくものがたり)は、闇術で援護しながら、ころ合いを見計らっていた。
その闇を切り裂くように、朱辺虎衆の一人――白虎が刃を振るう。
「俺は青龍とは違う、死になァ」
せせら笑うようなその声と共に、白虎の姿が消える。
息を飲んだカガチの背後に、唐突に現れたように見せる移動速度を彼は誇っていた。
――倒せない事もないかなぁ。
冷静にそんな事を考えたカガチは、左足を二度踏んで、間合いを取り直す。
キン、と武器同士が音を立てる。
叶わない相手ではないかも知れないが、余裕を持って撃退できる相手ではなさそうだった。
カガチがそんな事を考えていた時、白虎の剣が、縁の脇腹を刺し貫く。
「っ」
うめいて膝をついた彼女を庇うように、カガチと縹が一歩前へと出た。
「……ここは死なない程度にやられるから、縁ちゃんを早く」
そう呟いて、カガチが一歩踏み込んだ。
瞬間的に百が、火術と氷術の併用によって霧をつくり、戦場離脱のサポートをする。
縹は猫に姿を変え、縁を担いでその場を離脱したのだった。
それを見送りながら、カガチはわざと白虎の足払いを受けて地に転がる。
するとその首すれすれの地面に、刀が突き立てられた。
「二度と我々を嗅ぎまわろうとするな」
そう言って去っていく白虎の姿を目で追いながら、カガチは考える。
――目的は捕まえる事じゃなく。葵ちゃんから目を逸らさせてかつ相手を泳がせる事。
……でいいんだよねえ葵ちゃん。
内心そう考えて、カガチは疲れ切った瞼を伏せた。
「カガチや佐々良さんは今頃何してるのかなぁ」
呟いた椎名 真(しいな・まこと)は、宵保野亭の廊下を歩きながら、友人達の事を思い出していた。
現在扶桑の都に道場を構えた『新撰組』の英霊とそれにまつわる人々は、食事を共にしながら、本日の情報整理を行っている。
「真、まだか」
部屋の外からは、原田 左之助(はらだ・さのすけ)の声が響いてくる。
厠に行ってきた彼の隣を、丁度その時、攘夷志士達と話しをしてきた伊東 武明(いとう・たけあき)がすれ違った。
響いてきた声に、武明は警戒を露わにしながらも、真の腕を退いた。
「新撰組の皆さんがいらっしゃって居るんですか?」
「あ、はい」
応えた真に、武明は警戒の色を浮かべながらも、まじまじと顔を上げた。
「今のマホロバの事、扶桑の都の事、どう考えているのかお訊きしたいのですが」
「おお、伊東先生じゃないか」
そこへ障子を開けて近藤 勇(こんどう・いさみ)が声をかけた。
こうしてその夜は、過去の因習を少し取り置き、現在の状況について皆は話し合ったのだった。
その頃扶桑の都の街では。
魔鎧となった蝕装帯 バイアセート(しょくそうたい・ばいあせーと)が、秋葉 つかさ(あきば・つかさ)に纏われながら笑っていた。
「さぁて思う存分弄ってやろうか――……守ることを忘れるなだと? 誰に物言ってんだ、あたりめぇじゃないか。指一本触れさせねぇよ」
朱い牛面の連中を発見次第つかさと合体する事を彼は決意していた。――『変身!』として、魔鎧となってつかさを締め上げる……もとい守ってやるぜ。そんな心境である。
このようにして、彼岸花の面々と朱辺虎衆の戦闘の夜も更けていったのである。
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