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リアクション
シュプールで描くハート
ドイツの南部は、スキーがさかんな地域である。
たくさんのスキー場が点在し、観光客も多い。
日本のスキー場とシステムはそう変わらず、貸しスキーはあるし、リフトは一日券を買えばよい。
近くに温泉施設が併設していることがあるのも、なんとなく日本のスキー観光地と似たところがある。
「よしっ、いくぞっ!」
リフトを乗り継いでやって来た上級者コースで、まずはクレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)が軽快に滑り出した。
ゲレンデに見事なシュプールが描かれていく。
白いパウダースノーが舞い、日の光に反射して、きらきらとクレーメックを包み込む。
それは、三人の女性を赤面させるに充分な効果があった。
少し滑ったところでクレーメックは止まり、腕を上げて連れの面々に「ここまで来い」と合図を送った。
「じゃあ、私から行くわよ」
たんっと雪を蹴って、島本 優子(しまもと・ゆうこ)が滑り出した。
安定した、素晴らしい滑りで、あっという間にクレーメックのもとまで辿り着いた。
スタート地点に残されたのは三田 麗子(みた・れいこ)と島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)の二人。
「お先、譲ってさしあげますわよ?」
麗子が余裕の笑いを浮かべている。
「わ、わたくしはあとから行きますわ」
ヴァルナも、笑って答えた。が、膝が震えている。
「じゃ、お先」
言うが早いか、麗子は勢いよく斜面に飛び出した。
シュッ、シュッと、気持ちのいい音をたてて、麗子はクレーメックと優子が待つ地点まで悠々と辿り着いた。
「ヴァルナ! 早くいらっしゃい!」
麗子が、ヴァルナのもとまで届く声で叫ぶ。
「い……行くわよ。行くわよっ!」
ヴァルナは勇気を振り絞って、一歩を踏み出した。
……だが。
つるん。ころころころ。
「きゃあぁぁぁぁ!」
滑ったのはほんの1メートル程度で、転んだヴァルナはそのまま体を使って滑り降りていった。
さすが上級者コース。熟練者たちを満足させる急斜面は、ブレーキの手段を持たないヴァルナをどこまでも下へと滑らせていく。
オリンピックであれば、メダルが狙える早さだ。……ただし、正しく滑っていればの話だが。
「ああっ、ヴァルナぁ!」
「まずい! 追いかけるぜ!」
クレーメックは麗子と優子とともに、転がるヴァルナを追いかけた。
だが、転がるヴァルナは異常なスピードだ!
スキーが上手いクレーメックが直滑降で追いかけても、全く追いつくことができない。
ころころころころ。
もとはヴァルナだったと思われる雪だるまは、まだ斜面を転がっていた。
「止めて〜〜〜〜!」
ヴァルナの願いを叶えてくれたのは、一本の木だった。
ずどーーーーん!
雪だるまは木に激突し、ようやくその動きを止めた。
「大丈夫かーっ?」
追いついてきたクレーメックが、ヴァルナを抱き起こす。
激突の衝撃でまとわりついた雪がはがれ、雪だるまはヴァルナの姿に戻っていた。
「す、すみません……」
ヴァルナは申し訳なくて、ほかに言葉がない。
「スキー苦手なら、無理をしない方が良いわよ」
優子が、ヴァルナを心から気遣ってそう言ったのだが、その言葉は逆にヴァルナの心をちくちくと刺すのだった。
「も、もう大丈夫ですから!」
急いで立ち上がろうとするヴァルナ。
「い、いたいっ!」
だが、足首に痛みが走り、また座り込んでしまった。
「足を痛めたのか?」
クレーメックが心配そうに覗き込む。
「そ、そうみたいです……」
くやしそうに言うヴァルナ。
「まったく! 何をやっているの!」
いらだたしそうに吐き捨てる麗子。
「すぐに医務室に行こう!」
そう言うとクレーメックは、ヴァルナをひょいっと抱き上げた。
いわゆる「お姫様だっこ」の状態である。
「あっ……」
しまったといった顔で麗子が声を上げた。
ヴァルナは、自分の身に何が起きたのか分からない、といった表情だ。
「しっかりつかまってるんだぞ」
クレーメックはストックなしで、ヴァルナを抱いたまま斜面を滑り降りていった。
クレーメックのストックは優子が持ち、後を追う。
麗子も、苦々しい表情で最後尾から続いた。
「軽いねんざだね。たいしたことはないけど、今日はもう滑らないでね」
それが、医師の診断結果だった。
「私たちはもう少し滑ってくるから、ここでゆっくり休んでるんだぜ」
クレーメックはヴァルナをレストランに残し、あともう少しだけスキーをすることにした。
もちろん、優子と麗子もついていく。
「ヴァルナ、歩いちゃだめだからね」
優子はヴァルナを気遣い、クレーメックとともにレストランを出て行った。
「ハハハッ、どう、ヴァルナ? 口惜しければ、アンタも守護天使なんだから、追いかけて来なさいよ! ま、その足じゃあもうスキーは無理でしょうけどねぇ」
そう言い放つと、麗子もレストランを出て行った。
ヴァルナは、一人になった。
「……もう、何をやってるのよ、私は! ジーベックさまの前で、恥ずかしい所ばかりお見せして!」
ヴァルナは、テーブルに突っ伏した。
「……でも」
突っ伏したまま、ヴァルナは目を閉じた。
「さっき抱き上げてくださったのは……嬉しかった」
抱かれた感触と、そのとき間近で見たクレーメックの顔を、一人思い出していた。
スキー上級者である三人は、以降滞りなくスキーを楽しんだ。
最後の一本として、一番難しいコースにやって来た彼ら。
そこは、ほぼ山の山頂で、鬼のようなコースと対照的な、美しい景色が迎えてくれた。
「ああ、いい修学旅行!」
優子が、ひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込んで、言った。
「南ドイツの綺麗な景色をこうしてたくさん見れたし、最高だわ! ……ヴァルナは大変そうだったけど」
「そうだな。まあ、ヴァルナはもっと簡単なスキー場で練習して、また来ればいい」
クレーメックはそう応じて、一番手として斜面を滑り始めた。
「……素敵」
麗子は色っぽいため息をついた。
今は恋のライバル、ヴァルナが不在である。
今だけは、クレーメックを独占してやろう。
麗子は、完全に優子の存在を無視してそう決め込み、クレーメックのすぐ後ろを滑り始めたのだった。
「ま、待ってよぅ」
麗子の中で存在を消されたことなどつゆ知らず、優子も二人の後ろを追いかけて、ドイツの雪にスキー板を滑らせるのだった。