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四季の彩り・新年~1年の計は初詣にあり~

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四季の彩り・新年~1年の計は初詣にあり~

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 第9章

 うわあああぁぁ……という情けなさげな男達の声が聞こえたような聞こえなかったような。
「……?」
 目に映るのは人々の笑顔ばかり。そんな神社の境内で水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は立ち止まった。平和そのもの、何の異常も見当たらない周囲の様子に首を傾げる。
「何でしょう? マリー、今、何か……」
「え、何? ねえカーリー、この髪飾り可愛いよー!」
 だが、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)は跳ねるような元気さで土産物屋の品物に夢中であり、先程の声など露ほども聞こえていないようだ。
 気のせいかしら、とゆかりは結論付けてマリエッタ用に髪飾りを購入する。風音をそれと聞き間違えたのかもしれない。
「ありがとう! 晴れ着に似合うかなー!」
 マリエッタは嬉しそうに、さっそく髪飾りをつけて手鏡を覗き込んでいる。そして、うん、と頷いて満足そうにするとゆかりを振り返った。
「どうどう? 似合う?」
「うん、とても似合いますよ」
 にっこりと笑ってそう言うと、マリエッタは「やったー!」と喜んで参道を歩き出す。彼女のはしゃぎぶりは、まるで雪の中を駆け回る犬のようだった。今にもスキップを始めそうな感じに、るんるんと歩いている。神社に来る前から、マリエッタはこんな風にすごく嬉しそうだった。綺麗な着物を着る機会なんて、そうそうあるものでもない。「わーい、晴れ着だ晴れ着だー!」と楽しそうにしている姿は微笑ましく、つい財布の紐も緩くなってしまう。
 正月は晴れ着を着て初詣、というのはやはり典型的な日本人のアイデンティティなんだろうなと思ったりするが、これをやらないとやはり新年が始まったという気持ちにはなれない。
 年末の最後と年始の初め。ゆかりは今年も当直勤務に当たることなく――来る途中で当直勤務に励んでいた彼等には申し訳ないが――空京で無事に新年を迎えられ、ホッとしている。
 何はともあれ、まずはお参りだ。ゆかりは、拝殿に続く石畳の道を、晴れ着姿から感じる清楚で大人びた印象そのままに、マリエッタの後をゆっくりと歩いた。

              ◇◇◇◇◇◇

(なんだかんだ言いつつ、世界は平和だ……)
 新年直後の任務に続き、日勤に繰り出しているジェイコブは1年の願掛けに列を成す人々を見ながらそう思った。
 群衆整理という仕事は相変わらず馴れないが、長時間やっていればそれなりに余裕も生まれてくる。少しは周囲を見回すこともできるようになり、思索を交えつつ彼は声掛けを行っていた。
「急がずに並んでくださーい!」
 こうして新年に初詣に来る。そんな当たり前のことも、世界が平和でなければ叶わない遠い夢だ。もしかしたら、平和なふりをしているだけなのかもしれない。けれど、真実の戦争よりは偽りでも平和の方がいいに決まっている。
 勿論、いざとなれば自分達はここにいる群集を守るために戦闘任務へと赴く。
 生きて帰ることが前提だが、それでも時には命を捨てなければならない局面もあるだろう。軍人とは、まさにそれを職業として求められるのだから。
 真実の戦争から偽りの平和を守るために戦う――
 皮肉にしては安っぽいが、それが事実なのだから仕方がない。
 ――それはともかく。
「順番に参道に入ってください! 階段で転ばないように気をつけて!」
 群集の流れをよく見極めて、将棋倒しにならないように注意しながらハンドマイクに向かって叫ぶ。不審な人物がいないかどうか、そこもしっかり目を光らせるが今の所、神社周辺で怪しい人物は見かけていない。大きな犯罪や事件が起こることは無さそうだ。
「皆様、こちらですわ。あ、ここからはちょっと待ってくださいね」
 彼の視界の中で、フィリシアはワゴン車を降りて細かく人々を誘導している。徒歩で来る客だけではなく、乗り物を使って訪れる参拝客やただの通りすがりもいるので彼等に駐車場を案内したり交通整理をするのも彼女の任務の1つだ。
「お正月ですし、のんびりいきましょう。元日はまだまだ終わりませんわ」
 軍人然とした大男で威圧感たっぷりのジェイコブに対し、フィリシアは当たりが柔らかな美人だ。夫とは違い、通り一辺倒なことだけではなくユーモアを交えたアナウンスで皆と友好な関係を築いていた。彼女の言葉には人を快く移動させる何かがあり、結果として大きな反感も買わずに誘導に貢献している。案外、この種の任務に向いているのかもしれない。
 ――だが。
「わたくしも初詣に行きたいですわ。でもここを離れられませんので、皆様是非おみくじを縛る前にわたくしに見せてくださいね。その為にも、安全にお参りをして帰ってきてください」
「…………」
 非常に良い声で雑談めいた話をしながら仕事をする彼女に、一部の男性客などが合いの手を打ったり目を離さないで余所見をしないようにとたしなめられたりしている。
 仕事としては良いことなのかもしれないが、いち旦那としてはアイドル化しすぎても少し心配になってしまうのだった。

              ◇◇◇◇◇◇

(えっと……今年こそ胸が少しは大きくなりますように! そして、スク水以外の水着も似合うようになりますように! あとは……)
 お賽銭を投げ入れて、マリエッタは豊胸を始めとしたお願いを思いつくままに次々と祈っていった。まな板な胸も勿論、青春真っ只中な彼女にはお願いしたいことがたくさんある。さすがの神様も『どんだけ願う気だこの女は』と呆れそうなくらいにわくわくと夢や憧れを並べ立て、次に何を願おうか「うーん」と考えて。
 ふと、気まぐれに隣のゆかりに目を移す。そして、思いもよらない彼女の真摯さを目の当たりにしてマリエッタの時間は一瞬止まった。
 ――今年も何とぞ、平和な1年でありますように。
 その願いが今にも聞こえてくるような、そう願っているのだと本能的に解ってしまう、そんな真摯さ。
 数秒の間、目を見開いて。マリエッタはちょっと恥ずかしい気分になりつつお願いを再開する。一方、彼女の視線に気付くことなく手を合わせ続けていたゆかりは、始まったばかりである2024年の平和を静かに願い続けていた。
 毎年、神社に来たら願っていること。恒例ではあったが単なる慣習ではない。これは、彼女の人として譲れない一線なのだ。シャンバラ教導団の大尉という階級にある身である、彼女の。
 去年まで憲兵科に所属していたゆかり自身、決して綺麗な手の持ち主ではない。この手で殺めた命も少なくないし、望みはしないが今年もきっと、敵――誰かにとっては肉親であり友人であり恋人でもある――の命を奪うことになるだろう。情報科に移った今、直接戦闘することは無くなったとしても、間接的に、生殺与奪に関わっていくのだ。
 その自分が、『今年も平和でありますように』などと願うのは。
(ブラックジョークにすらなりやしない……)
 自嘲交じりにそうも思う。
 けれど、そこで思考停止したり開き直ることだけはしたくない。軍人という職業にある以上、これは最低限の倫理だとも思う。それすら願わなくなったら、それは、もう……――
 だから、『それが甘いのだ』と人に指を差されるにしても、自分が選んだ以上はその謗りも受け止めよう。
 誓いにも近い気持ちを抱きつつ、改めてゆかりは思う。
 ――今年も、皆にとって良い年でありますように。

「……さて、今年はどんな運勢が出るでしょうか」
「大吉かなー? 凶かなー? どきどきするねー!」
 願掛けを終えておみくじを引いて、紙を開く前にマリエッタと笑い合う。実を言えば、割と本気でおみくじの結果が気になっていたりする。去年は大吉だったが、今年はどうなるか……何分、職業上、来年も無事に初詣できるかどうか分からない。
(下手をすれば、中佐へ二階級特進している可能性だってあるわよね……)
 そんな事を考えながら、おみくじを開ける。
「やったー! 大吉だったよカーリー! カーリーはどうだった?」
「……ええ、私も大吉でした」
 にっこりと笑って、極薄いその紙をマリエッタに見せる。そこには、順風満帆とはいかないが無事に克服していけるだろう、と書いてあった。
「2人揃って大吉とは、良い年になりそうですね。マリー、甘い物でも食べてから帰りましょうか」
「うん! あたしあんみつがいいなー、クリームあんみつ!」
「では、外に出たところにある甘味処に行きましょう」
 晴れ着姿で2人並び、境内を仲良く歩き出す。明るく楽しそうなマリエッタと一緒に、ゆかりは元日の1日をのんびりと過ごしていった。