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さよなら貴方の木陰

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さよなら貴方の木陰
さよなら貴方の木陰 さよなら貴方の木陰

リアクション

 階下は、構造は似ていたが、先ほどいた階層よりもずっと広くなっているようだった。
「照明は足りるか?」
 ランタンや光精の指輪を使って明かりを確保し、地上からケーブルを延ばして投光機も運ばれる。
「やりがいがあるな。みんな、部屋に入る前にまずビデオ撮影してくれよ!」
 佐野 亮司が元気に声を張り上げる。何人かは用意されたビデオを受け取って、それぞれ狙いを定めた場所に向かう。
「学長も、こんなに大盤振る舞いならなんで『くだらない』なんて言ったんだろうねぇ」
 佐々良 縁(ささら・よすが)は学長への文句たらたらで発掘調査をすすめていた。
 著者・編者不詳 『諸国百物語』(ちょしゃへんしゃふしょう・しょこくひゃくものがたり)が光術で作り出す光源をたよりに、部屋の調度品らしきものを探し出して、ぼろぼろの引き出しに何かないか、慎重に開け閉めしている。
「大方ようやく風評ってものを考えだしたのかねぇ…。
 だいたい科学や技術って世の中のために先立つべきだし、そうした要求が生まれるってのは文化の…ある種感情の側面からだと思うんだけどなぁ…」
「うんと…思うところはあるだろうけど…いまはこらえて、ね?」
「まぁ、これくらいにしといてやろう学長! ねっ百ちゃん」
 あはは、となだめる諸国百物語に笑いかける。
「違う…んです、ビデオカメラが…」
「うげっ」
 亮司がそこでビデオを構えていたのだった。
「ん? あ大丈夫だいじょーぶ、音声切っといたよ」
「な…ならいいんだけどねアハハハハ…」
 ビデオカメラを調整しながら、彼はああそうだと付け加える。
「俺のダチが、藍澤 黎(あいざわ・れい)っつんだけど、その件で学長に交渉したらしい」
「ええ…彼が? そうなんだぁ」
 友人の名前が出て、縁は驚いたような納得したような気持ちだ。
「どうも『くだらねぇ』ってのは、内輪もめに対してらしいってさ。マリーをバラすだのバラさないだの、んなバカな争いをしてるうちは、まともな結果も出せんだろうって意味の『くだらない』なんだと」
 本心はどうだか知んねえが、こんな風にマリーの為に人が集まってきて、まあやれそうなら存分にやんなさいよってとこかねえ。
 そう彼は締めくくった。
「そう期待されてんなら、がんばんなきゃねぇ。…幸姐ぇもね」
 今大学で、マリーに対して研究を進めているであろう、姉とも慕う友人のことを思う。
 一番直接に、自分に対してもマリーに対してもつらいやり方を選択した彼女にエールを送った。

 手持ちのビデオの容量がなくなり、バッテリーも他に配ってしまったので一旦地上にもどった亮司は、交換ついでにパートナーの向山 綾乃(むこうやま・あやの)の様子を見に来た。
「成果はどうだ?」
「あ、亮司さん、そちらはどうです?」
「結構撮影できた、そっちもなかなかだな」
 ラベルをつけ、部屋ごとの分類やリストの作成、他には小人の小鞄から小人を出し、こまごましたものやガラクタなどの選別がされていく。教授や他の人たちが時々やってきてアドバイスもくれるので、小人でもきちんと戦力になっている。
「そうなんです、皆さん頑張っていらして、私もやりがいがあります!」
 ニコニコ笑っていた綾乃がふと視線を落とし、重く呟く。
「…マリーさんって…私と同じで昔のことをよく覚えていないんですよね。
 私は亮司さんに出会えて、記憶のない私を家族みたいに扱ってくれましたけど、少し間違ってたらマリーさんみたいになってたんでしょうか…」
 ふと彼は、今回は置いてきたパートナーたちのことを思い浮かべた。何せ他人事ではなかった。
「へ、へんな顔しないでください! 亮司さんには本当に感謝してますよ、拾って貰えなかったら途方に暮れて、今頃どうしてたのかわかりませんし…名前も、気に入ってますし」
 亮司は彼女の頭に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「やーん、やめてくださいよう」
 そのままさっさと内部に引き返した彼は、どうやら何かをうやむやにしたらしかった。
 そこにメイベルが食事をもってやってきた。
「中に入って大分たちますし、皆様に休憩をとっていただかないといけません」
 セシリアが中に入って、発掘を進めている人たちに声をかけてまわっていた。
「ふはー! さすがにお腹がすいたであります!」
 健勝が晴れ晴れと成果を担いで現れ、綾乃の所に箱をどかりと下ろした。
 メイベルとセシリアがその量に目を丸くする。
「わあ、すごいですねぇ」
「こんなに集まってるんだねえ。僕、食事の片づけが終わったら整理手伝うよ!」
「これできっとマリーさんの記憶が戻りますね、私も手伝いますぅ」
 レジーナは胸をはって、もっと見つけてくるのだと約束する。
 無邪気に感嘆する彼らを、フィリッパや教授たちは切なさに襲われながら見つめていた。
 知らずにいれたなら、と思うことは多い、しかしその悲しみごと、忘れることなどどうあっても出来はしなかった。

 部屋のひとつは食堂かなにからしく、大きなテーブルと数多くのイスがあった。
 七枷 陣(ななかせ・じん)は辺りを見回してホールを一回りする。
「トレジャーセンス…は反応ないな、…ここは多分食堂ってとこやな」
 少し触っただけで崩れたイスもある。より慎重にさぐり、飾られた絵皿や調理器具などを発見する。
 小尾田 真奈(おびた・まな)が考古学を参照して推測を行っていた。
「ヴァイシャリーのものに近いのではないでしょうか? ここでは何が食べられていたんでしょう」
 イスに残された装飾や、調理器具の形、絵皿などから近いものはいくつかある。
「あ、この壺なんか入ってるよ」
 うれしそうにリーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)が叫んだ。
 半分がた欠けた壺のなかには、何かの乾いた屑のようなものが残っている。
 慎重に取り出し、容器に入れて密閉する。持ち帰って調べれば、何が食べられていたものかわかるだろう。
 種らしきもの、中身が食べられたか、放置されて腐ってしまったかで殻だけが残ったようなものなどを持ち帰る用意がされ、絵皿の並びを記録したあと、絵皿もまた遺物として運び出される準備を整えている。
「これらがあれば、マリーの寂しさを少しでも埋める事は出来る筈や」
「何も思い出せないで死んじゃうのは…とても寂しいと思う。だから、絶対に思い出して貰うんだ!
 大切な人…ボク達にとっての陣くんを、マリーさんにも!」
「マリー様の境遇…もしかしたら遠い未来に私が辿るものなのかもしれません。
 ご主人様やリーズ様、友人の方々を思い出す事無く逝くのは…耐えられません、…耐えられるはずが…」
「真奈の言う通りやな。本当に死ぬって事は、人から忘れ去られる事なんやから、だから少なくともオレらだけは彼女を覚えておいてやろうな」
「彼女にとってのご主人様を思い出させて、それを抱いて眠らせてあげたいです」
「そうやな」
「マリーさんとは違うけど、ボク達にもきっと来る、最後の時。
 陣くんと出逢う前みたいに孤独になるのはとても辛いけど…
 でも、思い出はボクの胸に残ってるから、寂しくは…無いよ。寂しく…な……んに」
 ぃ…ぐすっ…ぐっ…ふわぁぁぁん!
 ホールにリーズのしゃくりあげる声が響く。
 それを抱きとめ、真奈の手を握りながら陣は思いを馳せる。

 ―死がオレ達を別つまで…共に在る事を誓ってくれた愛しい二人。
 先に逝くのはきっとオレだ。
 それでも、二人と共に在る事は止めない。
 オレ達の絆は永遠なのだと、思いたい。
「帰ったらいつもみたいに真奈にうまいもん作ってもらって、腹いっぱい食べようなあ」

 食堂に隣接した部屋もまた広く、調度品の成れの果てや、壁にかかっていたらしき絵画の残骸などが残されていた。
 壁に直接彫られたレリーフは、動かせないのでとにかく写真が撮影されている。もとは着色されていたのかもしれないが、今は全て剥げ落ちて、元の細工彫りのかすかな陰影が残されるのみだ。ところどころにある大きな穴は、どうやら装飾用の宝石がはまっていたらしい。いくつか残ったものが、照明を跳ね返して細工彫りにはかない光を投げかけている。元は光がふんだんに差し込む部屋だったのだろうが、隠された階段と同じように全て閉ざされ、今は遺跡を埋める砂がなだれ込むのを防いでいる。
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が、状況のあやうさに思わず声をもらす。
「ああ、塗装が一部でも残っていればなあ」
「でも、これ何に見えるかなあ?」
 クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)に話しかけた。二人とも魔女と吸血鬼という長寿をほこる種族である、もしかしたら記憶に何か引っかかるかもしれない。
 少し離れて眺め、思いついたことを評していく。
「これは、木とその下にいる人物、女性、だろうか? 凹凸が判別つかないが、となりに誰かいるような…」
「風景画かもしれないよぉ、背景は山の稜線と…この線は…川かな、この辺りの風景だったものかもねえ」
「川? ここは荒野というより、むしろ砂漠のど真ん中だぞ?」
「可能性は、ないこともない。昔ここは戦場になったというし、川の流れが変わるほどの兵器が使われたのかもしれないね」
「その結果川が氾濫してこの遺跡も埋まっちゃって、川も流れが変わって荒野になった、とも考えられるよ」
 かつてあったという花あふれる野原、野原だけではなく活気付く町の営みもまた、花の咲き誇るさまに喩えを変えて、マリーの記憶に残ったのだろうか。
 今はそれも全て埋め立てられ、見る影もないようだ。
「やはり、このレリーフの人物がマリーと考えてみようか。とんでもない楽天的観測に過ぎないが」
 ふう、とため息をついてメシエは辛辣な言葉をひとつ。
「しかしどうしてエースはこうも他人事でよく私を引っ張り込むのかね。『死に逝く彼女に思い出を抱きしめていてもらいたい』って?」
 エースが彼らに協力を仰ぐときに言ったセリフだ、クマラはエースに協力的だが、メシエはまったく正反対だ。少なくとも表向きにはそういう態度をとる。
「クマラもエースも兵器を擬人化しすぎるよ。機能停止、壊れるだけだ。
 死者に対する追悼・葬儀も、死者の為というよりも、むしろ残された生者の為の儀式ではないのかね」
 クマラがぶんむくれて反論する、
「大切に作られ、扱われた物には魂が宿るんだよ。
 魂の行方、実際のところはオイラにも解んないけどさ、大切な人達の所へ還れるなら、それは幸福なことじゃないかな」
「それに思い出で救われる未来もある、って事だよな。あるいは死に逝くものにも希望は必要だ、と」
 それに迎えに来てもらうなら、どうせならパートナーの方がいいじゃないか。
「ふん…あの頃は地球人の持ち込む喧騒も無くて穏やかだった。花溢れる場所だったという在りし頃を想い起こそう。
 彼女も、どうせなら今の煩雑な現代よりも、かつての繁栄を胸にできたほうがいいのでは?」
 ああ、あの頃はよかった、静かでゆるやかで…
「メシエも、遺跡調査は乗り気のくせにな」
 …まるっきり昔をなつかしむおっさん…、とつぶやいてしまったのは、彼にだけは聞かれてはいけない。
「マリーさんも向こうでパートナーに会えるように祈ろうよ、でないと迷子になっちゃうヨ!?」
「だな」

「パートナーさん、優しい人だったんですよね。もう一度会いたいだろうなぁ……」
 七瀬 歩(ななせ・あゆむ)は、マリーのことに思いを馳せて呟いた。
 パートナー喪失の後遺症があの症状なのか、それとも純粋に時間と衝撃に押し流されてああなっているのか。
 歩にはさすがに判別がつかない。軽く顔を合わせに一度挨拶に行った程度では、専門家ではない彼女には印象でしか語ることができない。
 しかし壁のレリーフを見ながら話し込む人達の話をたまたま聞き、なにかはっと思うものがあった。
 『あの頃は地球人の持ち込む喧騒も無くて穏やかだった』
 と、その吸血鬼の方が言っていた言葉が。
 地球人は契約という形でパラミタにようやっと入植できたわけだから、当時の方々は、契約という形でなく純粋に結びつきあっていたのかもしれない。
 七瀬 巡(ななせ・めぐる)がぱたぱたと見つけたものを歩に見せに来た。
「歩ねーちゃん、こんなのがあったよ!」
 レリーフ周りに落ちていたものの中に、宝石らしいものがいくつか転がっていたのだ。
 きらきらしてるし、磨いたら素敵だろうなあ。喜んで
「さ、さすがに自分から壊すのはやめようね?」
「これは壊してないよう。あっそうか、これはここにはまってたやつなんだね」
 レリーフを見上げ、巡は納得した。
「これが、昔のこのあたりの姿だったかもしれないんだって。この遺跡もたくさん人のいた場所みたい」
「ふーん、ここが立派な建物だったり、外の荒野が原っぱだったりしたんだー。良いなー、ボクも一回見てみたかったかも」
「そうね、私も見てみたい、できるならそんなところで暮らしたいな」
 そして眠りたい…、きっとマリーさんもこの懐かしい場所を見たいだろう。
 もしかすると、彼女の大事な人が眠っているかもしれない場所を。

 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は、応接室の引き出しから箱のようなものを見つけ出した。
 そっと持ち上げてみたが、金属の筒が転がり落ち、木でできているらしい容器は年月に蝕まれて粉々になっていた。
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)はしっかり崩れる様までビデオに収めている。
「ああっ…オルゴールです…かねえ?」
「多分オルゴールだろうねえ、この曲がりくねった棒がついてたのを見ると、手回し式かな」
 壊れちゃいました、とヴァーナーはしょげる、金属の筒も錆びでぼろぼろだ。
「映像に収めとけば、機構は同じだからきっと再現できるよ」
 そっと明るい場所に移動し、回転距離をはっきりさせるためにしるしをつけて、ビデオの前で転がして記録をとった。
「からくりは、こういうのは今も大して変わらないしなあ」
「マリーさんは、きっとこれを聞いていたに違いないですから!」
 オルゴールは実はもう一つ見つかった。ずっと大きく、アンティークな鏡台か何かのようだったが、さっきのシリンダー型のオルゴールと違って、音盤は薄い金属でできていた。箱の中ですべて錆びて崩れ落ちていたらしく、蓋を開けたときにまたさらさらとほころび、二度とその音を奏でる望みはなくなっていた。
 エヴァ・ボイナ・フィサリス(えば・ぼいなふぃさりす)は、その箱の中から本らしきものを見つけ出していた。
「本のようなものが見つかりました!」
「おっし、ビデオビデオ」
 慎重に掴み出したが、装丁が解け、ページがぼろぼろと崩れていく。
「これもだめ…!」
 時間の流れには耐えられなかったのだろうか、手がかりはまた一つ目の前で崩れ落ちていく。
 ビデオをその場で巻き戻し、せめて何か映されていないかを辿る。
「…もともと暗いし、変色もしきってるみたいだ、無理かもしれないねえ…」
 しかしエヴァは食い入るようにコマ送りの画面を見つめている。
 考古学をフル活用して、過去使っていた言語を繋いでいく。
「いさかいあうもの…反発するもの、それを征服…違うわね、乗り越えて…? 手を繋ぐ…」
「献辞みたいだけど…だれかに捧げたものかな」
「…だめ、続いた単語は愛するものや大事なものを示す前置詞なのに、肝心の部分が…」
 頭を抱えて二人は成果に嘆いた。判別できた部分だけでは、とてもマリーに関わる部分であるとは断言できない。せめて名前らしきものがわかりさえすれば…
 わずかに残されている装丁を調べてみたが、表に装飾が残るばかりで、肝心の部分はよく触れてでもいたのか、まったく形をとどめることがなかった。
「ちょっとさあ、聞いてみていいかな?」
「なんでしょう?」
「おねえちゃん、一度死んでるんだよねえ、…どうだった、その時」
 とてもつらいことを聞くのだ、というカガチの表情が、エヴァには少しおかしかった。
「そんな神妙な顔をすることはありませんよ。
 私には…死よりも何よりも、志半ばにして斃れなければならぬ事、それが無念でした」
「…なるほどねぇ」
「ちなみに最初の頃は、カガチがいい加減な人に見えて心配だったんですよ。
 でも共に歩むうちにそれだけではない事もわかってきました」
「ぎゃっ」
 昔の悪戯をからかわれるような気持ちでうひゃっとしているカガチが面白くて、彼女は畳み掛けた。
「蘇って、貴方に会えて、大切な人と再会できて、それだけでも幸せだったのに。私に女王付きの女官以外の、他の道を教えてくれて、凄く…感謝しています」
 ひどく晴れやかな顔で、エヴァは続けた。
「カガチに出会わなければ私は、女王に拘る一人のただの乙女でしかなかったはずですから」
「そうかあ、そう言って貰えて俺も嬉しいよ」
 自分には、死んだあとになって、そんな素適な出来事が起こるだろうか。



「最下層に武器庫らしいものがあったぞ!」
 しかしそこは、どこかが崩れているのか大半が砂で埋まり、肝心の武器はほとんどが持ち去られているようだ。残った剣や斧なども折れたり壊れたりしている。どちらかというと盗掘よりも、有事の際持ち出されたと思われる。
 その中に、現在ヒラニプラでも使われている機晶姫メンテナンス用の道具が残っていた。
「昔から、あまり変わらないみたいですねえ」
「というか、当時から我々がきちんと受け継げなくて昔のままなのかもしれないな」
 戦いの間接的な痕跡が残る部屋を、エヴァルトは念入りに調べ上げる。
「機晶姫の交換パーツなどないものだろうか、ロートラウトの合体パーツになりそうなものとか…」
「あったらいいねえ。…そういえばボクも、いつかはマリーちゃんみたいになっちゃうのかな…」
 柄じゃないなあ、と自分で笑い飛ばすロートラウトに、エヴァルトは
「もし、コントラクターブレイカーというものが自分でも使えればなあ」
 もし彼女が、あのマリーさんと同じような状況になり、かすかに残った記憶をさらに取り戻そうと大変な思いをするなら、綺麗さっぱり忘れてもらった方がいい。
「ちょっと、それどういう意味?」
「いや、意味もなにも、もし俺が死にそうな時に使うことが出来たら、お前達を苦しめずにすむだろう」
 彼女は眉をつりあげたが、ふと悲しみに視線を下げた。
「ボクは、喪失の後遺症に苦しむとしても、大切な友達を忘れるなんて出来ないよ…」
 それは、きっと皆同じだ。種族なんて関係ない、体の構造が違おうと、思うことは変わらないはずだ。
 それに、死にいく立場が逆だったら、どうだろう。
「ボクらは、絶対に君のことを忘れたりなんてしないから」

「死にいく者か…」
 ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は、自分が医者を目指す理由を思い返した。
「やっぱ誰かが死ぬのってつれぇもんな」
 ―やっぱりそういうのって慣れねぇと思うし、どうしようもなく悲しいし、心が締め付けられるぐれぇに辛い。
 だが悲しんでばかりもいられない、彼が医者を目指す理由もまたそれだ。
 正直この遺跡を調べても無駄かもしれず、新しい発見も望めないかもしれない、しかし。
「諦めたらそこで終わりだよな!」
 せめて、パートナーとの思い出の品やそれに関連するものを発掘してぇ!
 そう意気込むパートナーを、秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)はどうしても理解できない。
 どうしてここまで必死になれるのか、泣きそうになっているのかもわからない。
「どんな小さな物でもいいんだ…頼む、見つかってくれ!」
 どんな小さな物でもいい、どんな些細なものでもいいんだ。
 パートナーを思い出せる切欠の品さえあれば…
「なぁ、ラルク?なんでおぬしはそこまで必死になれるんでぃ? あの機晶姫は今のままでも十分幸せだろぃ?」
 戦いに身を置く闘神は、死に際してドライだ。死の間際、武人ならば死合う相手がそれぞれを看取り、称えることが最高の賛辞のひとつになる。孤独と理解が引きあわされ、この上ない名誉に昇華する。まして穏やかに最後を見送られるなど、彼には理解できないものの、それもまた十分な幸福としか思い至れない。
「…たとえ、幸せだとしてもだ。パートナーを忘れたまま死ぬなんて望んじゃいねぇだろ? それによ…その想いはきっと魂に刻まれて生まれ変わった時に引き継がれると信じてぇ」
 だから、死にいく運命が確定してるんだったら最後はやっぱハッピーエンドがいいだろ?
「…ここから武器を持ち出して、戻ったものがほとんど無いってことは、戦場でそのまま…ってことかも知れねえな」
 マリーは、そのような目にあわせないために置いていかれたのか、戦地ではぐれてとうとう再会できなかったのか、そのどちらなのかはわからないが、その最後に少しでもゆかりのものを手向けたい。そう思ってラルクは砂をかき、新たなものが見つからないか探していた。
「…おめぇの言い分聞いてると、死ぬのも生きんのも幸福じゃねえとダメみてぇだなぁ」
 このところ闘神にとって、いろいろと専門外で理解できないことばかりにぶつかっている。
 しかし、それが理解できたとき、自分のページに新しい内容が増えたりするのだろうか。


 最下層と思われる場所、そこは領主か誰かの私室だったのだろうか、とくに厳重に護られた構造になっている。ソナーでそれらしき影を見つけることができたが、階段と同じく封じられ、今度はなかなか仕掛けを見つけることができなかった。
 その部屋の中には大きな石の台があり、儀式用の美しかったと思われる剣が、多分布だったもの、に包まれて安置されていた。
 だれかが布はその織からマントだろうと見当をつけた、そこで一気に解明が深まる。
 ヴァイシャリーの一部では死者は、伴侶の衣に包まれて埋葬される。
 花を飾るのは女性を送るときの作法、剣の柄、枕元とみなされる位置には壺が、おそらく花が挿されていたはずだ。
 小さなビンがその傍にあり、当時は高級品のはずで、似たものを探すなら、ここには香油が入っているはずだ。
 剣はヴァイシャリーの古い作法に通ずるやりかたで、そこに埋葬されていたのだ。


 遺跡調査班が大学に戻り、新たに発見された遺物のチェックをしている東條 カガチ(とうじょう・かがち)は、椎名 真(しいな・まこと)が、何か劇のヒントを求めてやってくるところに遭遇した。
「へぇ、椎名くんは劇の手伝いやんのか」
「そう、京子ちゃんと劇をやろうと思って、その打ち合わせをヒパティアさんとするんだ」
「へーほー」
 カガチは同じように遺物のチェックをしている他の面子に断って、真を連れて休憩に入る。
 適当に飲み物を買って近くのベンチに座り、話を切り出した。
「…さっちゃんから聞いてるよな? マリーさんのこと」
「…うん」
「俺、発掘中ずっと考えてたんだけどなぁ」
 カガチは結局まとまることのなかった思いを訥々と紡いでいく。
 死の先に何があるのか。死者を待ち構えるものはなにか。
 その先にいいものがあればいいが、そして自分なら何を持っていくだろか…
「楽しい事嬉しい事だけじゃねえ、苦しい事辛い事全部ひっくるめて『人生』なんだ。
 途中泣いても喚いても、最期は笑って逝きたいよなァ」
「そうだねえ」
 ひどく彼らしいと、そう思いながら真はじっとカガチの言葉を聴いている。
 いっそ遺言じみた言葉を、何故か悲しみとは違う感情でききとれ、また発する不思議が彼らの間に降りてくる。
「あんたらのお陰でろくでもねえ人生だった。でも楽しい人生だったて笑って逝くからさ。
 …だからあんたも笑って見送ってくれ」
 泣いてくれるなよ、逝きにくいからよ。
 照れくさそうにそうぼそりと付け加え、立ち上がって伸びをする。
 半ば言い逃げようとしたその背中に、真は言葉を返した。
「みんなのおかげで、俺はひとりじゃないって思えるようになったんだよ」
 だから護るし、約束もするんだ。…ああ、やっぱ照れくさい! 真はあわてて言葉をつくろってしまったような感じで、ちょっと頭をかきむしりたくなった。
「いよっ!」
 聞いていたかいないかはわからないが、思いきりカガチが飲み終わったジュース缶をゴミ箱に投擲する。
 放物線を描いた缶は勢いがわずかに足りず、ゴミ箱の淵に跳ね返された。
「惜しい! じゃあ次は俺!」
「勢いあまりすぎてやんの!」
 そこに双葉 京子(ふたば・きょうこ)エヴァ・ボイナ・フィサリス(えば・ぼいなふぃさりす)が二人を探しに姿を現した。
「あーっ二人とも、何やってるのっ!」
「カガチ、ゴミはちゃんと捨てなさい! 何をサボってるんですか」
「やべっ」
「ご、ごめん京子ちゃん」
 こんな風にただ誰かの隣でバカな話をしていることが、かけがえのない思い出だと感じるときが、俺たちにもいつか来るだろう。