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【2022バレンタイン】氷の花

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【2022バレンタイン】氷の花
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大切な人への想い−2−

 早めのランチをと、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)を伴いたまカフェにやってきていた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、アイシャの肖像画を見上げたとたん不意に店の中が暗く翳るのを感じた感じた。突如として空しさと悲しみが押し寄せてくる。
パラミタ崩壊を食い止めるため、1人で地下にこもってしまったアイシャ。なのに、自分は彼女に何もできない……。
様子のおかしい美羽に、コハクが気づき、声をかけた。

「美羽……? どうしたの?」
「あたしじゃ ……なにも ……できやしない……
 ……無力 ……ああ。 ……アイシャ ……痛いよ」

空ろな瞳で空中を見据え、呻く美羽。コハクと美羽の携帯にメールの着信を知らせるランプが点き、メロディが流れる。コハクはさっとメール内容を見、顔色を変えた。

「まさか……これが……?
 ……待ってて美羽、すぐ戻るから!」

ウェイトレスにすぐ戻る事を伝えるや、コハクは店から飛び出していった。

 酒杜 陽一(さかもり・よういち)は、氷の花の一報を受けてすぐ高根沢 理子(たかねざわ・りこ)を探しに空京へと向かった。心当たりをあちこちと探し回り、たまカフェに程近い遊歩道で理子が氷の花に囚われているのを見つけた。
なにも見ていない空ろな瞳に傷ついた色を浮かべ、胸を押さえてうずくまる理子。その姿に陽一の胸は抉られるように痛んだ。理子のそばに跪き、そっと肩に手を触れる。その体は氷のように冷たい。絞り出すような声で、陽一は理子に語りかける。

「……理子様、あなたは永く高根沢家の跡取りとしての重圧に耐えてきた。
 自由になりたいと思った事もあるだろう。
 だが、高根沢家は日本の礎を築き護ってきた先人達の象徴。
 その意志を未来に遺し伝えていく為にも、理子様は逃げてはなりません。

 私が蒼空学園を辞したのも、決して理子様一人の為ではないのです」

ひとたびそこで言葉を切る。肩をつかむ指先に力がこもった。空ろな瞳をまっすぐに見つめ、言葉を続ける。

「今の君は、自分に課せられた責任にまっすぐに向き合う努力をしているじゃないか。
 理子さんが高根沢家の跡取りとしての覚悟を決めた責任は俺にもある。
 
 まだまだ、しなきゃいけない、したい事があるだろ?
 負い目で言っているんじゃない。
 俺も理子さんと一緒にやりたい事が山ほどある。君の周囲の人間も皆同じ思いだ」

理子の肩を両手で押さえ、陽一は理子の俯いた頭にそっと自分の額を触れる。

「君を支えたい。幸せになってほしいんだ。目を覚ましてくれ。お願いだよ……」

呻くような言葉とともに、涙が理子の頭にぽつんと落ちた。
理子の体が不意に暖かくなり、体にしゃんと力が入る。陽一はほっとため息をついた。

「……あれ? どうしたのかしら? ……陽一? 何故ここに?」

そこにコハクが駆けつけてきた。息を切らし、理子に向かって叫ぶ。

「ああ、理子さん!! 見つけられて良かった!!
 美羽が、美羽が大変なんだ! 一緒に来てくれないか?」

「どうしたの?」

しっかりと立ち上がる理子に、先までの迷いや気の弱さは欠片もなかった。
説明を聞いた理子は、すぐにコハク、陽一とともにたまカフェへと駆けつけた。奥まった席に、空虚な表情を浮かべた美羽がうずくまっている。

「美羽っ!! しっかりしなさいっ!」

美羽の横に座り、理子は美羽の肩に手を回した。店内は暖かいのに、美羽の体はひどく冷たい。これが氷の花のせいなのか。理子は唇を噛んだ。反対側の席で、コハクがしっかりと冷え切った美羽の手を握りながら、

「アイシャさんのためにも、パラミタに住んでいる人たちのためにも、一緒にできることを見つけよう?」

真摯な声で美羽を励ます。

「もう! どうしちゃったのよ! いつもの元気で前向きな美羽はどこへいっちゃったの?
 返事くらいしなさいよ……美羽ってば!! もうっ!!」

まだ多少氷の花の影響もあったのか、勝気な理子の瞳に涙が盛り上がる。理子が瞳を閉じる。たまった涙が一粒、美羽のひざに落ちた。凍てついていた美羽の体が、心が、温度を取り戻す。悪い魔法が解けたのだ。

「……あれ? 理子??」

きょとんとした表情で、美羽が周りを見回す。

「やったーー! 戻ったよ!!」

理子が叫ぶ。コハクがほっとした表情で、陽一と手を打ち合わせ、理子に向かいにっこりする。

「んもー。なによーみんなして〜」

美羽はいぶかしげにココアに手を伸ばした。

「あーっ! ココアが冷めちゃってるぅ……」
「なにか、暖かいものを頼みましょう」

陽一が微笑を浮かべ、ウェイトレスに合図を送った。


                 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 美緒はオープンカフェに1人残って、空になったケーキの皿を前に、ぼんやりと今の事柄を反芻していた。その髪に、音もなく雪片のような物が舞い落ち、微かな光を放って消えた。美緒の瞳から光が失せ、その身を苦痛が苛み始める。

「あ、美緒さん、こんにちは!」

如月 正悟(きさらぎ・しょうご)が美緒を見つけ、元気に声をかけた。美緒は椅子にうずくまったままこちらを見ようともしない。瞳は曇り、ひどく悲しげな表情だ。

「わたくし…… 世間知らずすぎて…… 皆さんの足を引っ張ってばかりですね……」
「えーと……、美緒さん……? ……もしかして氷の花の影響を受けてる?」

(うわー…… こんな痛々しい美緒さんは見てられない……
 相手を思いやって、ありのままに思いをそのまま伝える……?
 こっぱずかしいな……いや、ここでやらなきゃ男じゃない!)

「美緒…少しでいいから俺の話しを聞いてくれ」

正悟は意を決し、美緒の隣に座ると、氷のように冷たい両手をそっと掴む。

「紆余曲折あったし ……未だにどういう風に証明すれば良いのか分からない。
 でも……ある人に言われたんだ。
『一途に想い続けられる人がいるならば、時にはそこに区切りをつけないといけない』

 俺、自分の中では区切りがついたよ。
 ……目を逸らさずしっかりと見て宣言するべきなんだな。
 今までの俺の言葉に不安や疑惑があるなら行動で示してやる。
 今の美緒は見てるだけでも辛いよ。
 君は優しさとか思いやりとかそういう暖かい感情を力にしてた。
 俺でもそこは分かるよ。

 なあ、元の美緒に戻ってくれ。頼む!」

一粒の涙が美緒の冷たい手に零れ落ちる。

「あ、あらわたくしったら。……正悟さん? どうかなさいました?」

正悟は慌てて手を放した。

「あ、いや、なんでもない、ははは……」
「あっ! そうだわ! 
 なんだか氷の花とかというもので、空京が大変な事になるんだそうですの!
 どうしましょう」
「あ、うん、大丈夫、俺も協力するから」
「まぁあ、ありがとうございます!」

そこにはいつもどおり、どこかずれている美緒がいた。


                 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 事件のことなど露知らず、空京に妻のリンネ・アシュリング(りんね・あしゅりんぐ)を伴い、買い物に訪れていた博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)は一休みしよう、と妻を公園に誘った。ベンチにリンネを座らせる。

「なにか飲み物を買ってきましょう。待っててください」
「うん、ありがとー博季くん」

 近くの売店で買った暖かい紅茶を手に妻の元へと急ぐ。博季は妻の顔を見やって微笑みかけた。明るい日の光に、小さな雪片のようなものが、リンネの肩に舞い落ちたように見えた。リンネの瞳はみるみる空ろになり、ひどく寂しげになった。

「……リンネさん? どうしたの?」

すぐに寄り添って座る。体が冷たい。リンネは何も言わず、俯いてしまった。リンネ……もしや何か悲しいことでも思い出してしまったのだろうか。博季はそっと妻の冷たい両手を握り、優しく話しかける。

「……僕の初恋の人ってリンネさんだったんだよ。 ……って前も言いましたけどね。
 音井家に引き取られて。大切に育ててもらって。
 義父さんみたいな学者になりたいって、一心不乱に勉強してたころだったね。
 リンネさんはね、僕の初めての『女の子』だったんですよ。

 貴女の笑顔は輝くようだった。僕は気負いこんで、貴女を守りたい! なんて思ってた。
 リンネさんに笑って欲しくて、一生懸命色々やったなぁ……。
 それが、こうして結婚して、一緒に暮らせるだなんて。
 僕は幸せ者です。賭け値なしにね」

優しくリンネの肩に手を回し、そっと抱き寄せる。いつも元気なリンネが、華奢なガラス細工のようにひどく脆く、儚げに見えた。

「ねえ、リンネさん。 
 
 僕だけは、世界に何があっても最後の最後まで、貴女を守る。守ってみせる。
 僕を信じてください。僕はいつも貴女の味方だから
 貴女のこと、心から愛していますよ。
 この結婚指輪に誓って。僕の剣に誓って。
 貴女のために、生きてみせます。貴女のために、戦います。
 
 ……いつもみたいに、笑ってください。
 ねえ、リンネさん」

両手でそっと妻の顔を包む。

「何度でも言います。大好きです。
 ……愛してる。リンネさん。」

優しいキスが、氷の花を溶かす。
顔を離し、いとしい妻の瞳を覗き込むと、元気な微笑を含んだいつものリンネの瞳がそこにあった。

「なんだかとても寒かったんだ。
 ね、博季くん、ギューってして?」

ベンチの上の二つの影は再びひとつに溶け合い、しばらく離れることはなかった。