リアクション
ザンスカールの休日 「きゅっきゅっきゅーっと。サービスしておきますね。よおーっし、ピッカピッカになったよね、アンシャール」 イコン用のワックスを染み込ませたモップを握りしめた遠野 歌菜(とおの・かな)が、炎水龍イラプションブレードドラゴンの上でふうっと一息をついた。飛行できる炎水龍イラプションブレードドラゴンに乗っているとはいえ、イコンのワックスがけは大変な作業だ。しかも、アンシャールは、ウルヌンガルを参考にしているため、アルマインよりも大型だ。 綺麗にワックスでコーティングしたため、紺碧の空と海を思わせるアズュアブルーの機体は、細かな傷による乱反射もなくなり、つやつやと光り輝いて見える。 スリムなシルエットにもかかわらず、多節多層タイプの装甲は厚い。両肩から張り出したボーン状のバインダーから発生したエナジーウイングはマント状に自由に変化し、かなり自由な機動を実現できるようになっている。 「うんうん。アンシャールも嬉しそうだね。さあて、今度は中を綺麗にしなくちゃね」 そう言うと、遠野歌菜はアンシャールのコックピットにむかった。そこでは、夫の月崎 羽純(つきざき・はすみ)が、コンソールスイッチなどの内部清掃や回路チェックを行っている。 「外は終わったから、今度はコックピット周りを綺麗にしに来たよ」 何やらたくさんの小物の入った箱をかかえて、遠野歌菜が月崎羽純に言った。 「ちょっと待った。それは、どう見ても、掃除グッズには見えないんだが……」 「うん。ファンシーグッズだよ」 悪びれずに遠野歌菜が月崎羽純に答える。 かかえている箱の中には、ウェディング・テディ・ベアと同じデザインにしたゆるゆるストラップやら、二人一緒に写っている写真やら、ドライフラワーのブーケ型の芳香剤や、その他諸々の可愛らしい物たちがたくさん詰め込まれている。 「ちょっと待った、歌菜。コックピットを飾りつけるのはダメだ」 「えっ?」 なんでという顔で、遠野歌菜が聞き返す。 「あたりまえだろ。ただでさえ狭いコクピットに、ストラップだのぬいぐるみだのは操縦の邪魔になる。一瞬の差が、生死を分けることだってあるんだ。やめておけ」 「それはそうだけど……」 月崎羽純の言っていることは理解したが、何も飾りつけられないというのは残念だ。 「パイロットを危険に晒すことはできない」 「うん、分かった」 月崎羽純に再度念を押されて、遠野歌菜がこくんとうなずいた。月崎羽純が、アンシャールのメインパイロットである遠野歌菜のことを心配してくれているのは明確だからだ。 「じゃあ、せめてコックピットの中もピッカピッカにしてあげよう♪」 そう言うと、遠野歌菜は月崎羽純と一緒にコックピット周りをピカピカに磨きあげていった。 「ふう。これだけ綺麗にすると、さすがに気持ちがいいな。まるで新品みたいだ」 中も外にピカピカになったアンシャールを見あげて、月崎羽純が言った。 「羽純くん、お疲れ様! 今日は、手伝ってくれてありがとう♪ とっても助かったよ。お礼と言ってはなんだけど、お弁当作ってきたの。綺麗になったアンシャールを見ながら一緒に食べよ」 「おっ、気が利くな、歌菜」 「うん、とっておきです」 遠慮なく、月崎羽純が遠野歌菜の作ってきたお弁当をぱくつく。 おにぎりにサンドイッチ、おかずに卵焼き、デザートはコーヒーゼリーと、かなりの和洋折衷だが、月崎羽純はいろいろ楽しめると、全部喜んで平らげてしまった。その食べっぷりに、遠野歌菜が満足する。 そんな二人の間に、キラリと光が射した。外から入ってきた光が、ピカピカになったアンシャールに反射して落ちてきたのだ。それは、アンシャールが二人を見守るように視線を落としたかのようだった。 ★ ★ ★ 「やれやれですら……」 なんだか少しやつれたように、キネコ・マネー(きねこ・まねー)が、のしのしとイルミンスールの枝の中の通路を歩いてくる。 「まあまあ。大ババ様の命令ですから、逆らうと後が怖いですよ」 すぐ前を歩く大神 御嶽(おおがみ・うたき)が、なだめるように言った。 ほとんど通路をふさぐようなキネコ・マネーの巨体を邪魔だなあと思いながら、ナディム・ガーランド(なでぃむ・がーらんど)がなんとか二人とすれ違った。 「おっ。よう」 キネコ・マネーの隠れて見えなかったらしいリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)の姿を見かけて、ナディム・ガーランドが挨拶をした。見れば、隣には桐条 隆元(きりじょう・たかもと)もいる。 「よかった。出かけるところだったら、危なくすれ違いになるところだったぜ」 危なくリース・エンデルフィアの部屋の前で路頭に迷うところだとナディム・ガーランドが言った。 「そんな、私から報告会をしましょうと言ったんですから。お茶菓子を買って帰ってきたところですよ。ちょっと、遅くはなっちゃいましたけれど」 そう言って、リース・エンデルフィアがちらっと桐条隆元の方を見た。 「別に、お茶菓子のリクエストをしていたから遅れたわけではないのだ。元々余裕がないのがいかん」 自分のせいではないと、桐条隆元が言い添えた。 「まあ、無事合流できたからいいんじゃないか。早く行こうぜ」 まあまあと、ナディム・ガーランドがとりなす。 「そういえば、ナディムさんは、この間、お姫様の夢を見たのですか?」 自室にむかう間に、ちょっと待ちきれずにリース・エンデルフィアがナディム・ガーランドに訊ねた。 「ああ。悪魔に魔鎧にされたけれど、その悪魔を倒してこちらへむかっているという夢だったんだがな……」 「正夢ですかねえ」 「さあ。でも、手がかり……だとは思う」 もちろんこの夏休みに探しに行くつもりだと、ナディム・ガーランドが答えた。 やっぱりそうなんだとうなずきながら、リース・エンデルフィアは、ナディム・ガーランドがそのお姫様と会ったらどうするのだろうかとちょっと思った。 のんびり二人の会話を聞いている桐条隆元とともに、ほどなくリース・エンデルフィアの部屋に辿り着く。 「行くときは、ちゃんと私たちにも言って……」 そう言って自分の部屋のドアを開けたリース・エンデルフィアであったが、鍵がかかっていない……。 おかしいと思うと同時に開いたドアから、部屋の中に誰かいるのが分かった。 「おかえり。さあ、上がって、上がって」 一瞬身構えたリース・エンデルフィアたちに、部屋の中にいた女の子が手招きした。 「だ、誰!?」 一瞬部屋を間違えたかと、リース・エンデルフィアたちが顔を見合わす。 「何をしているの? リースの部屋じゃない。さあ、遠慮なく入ってよね」 女の子の言葉に、やっぱりここはリース・エンデルフィアの部屋だと再確認する。 「それで、あなたは誰? なんで、私の部屋にいるんです?」 あらためて、リース・エンデルフィアが訊ねた。 「あたしの名は、ルゥルゥ・ディナシー(るぅるぅ・でぃなしー)」 「誰?」 名乗った女の子に、リース・エンデルフィアたちが再び顔を見合わせる。 「このお馬鹿。自分が捜している者の顔も忘れたの?」 ぷうっと頬をふくらませて、ルゥルゥ・ディナシーがナディム・ガーランドに言った。 「えっ、まさか……。これは、夢か? 誰か、ためしに俺をぶん殴ってくれない……」 「喜んで」 ナディム・ガーランドが皆まで言わないうちに、桐条隆元が彼をぶん殴った。 「夢じゃない……」 壁際まで吹っ飛ばされたナディム・ガーランドが、あらためてルゥルゥ・ディナシーを見つめた。 すると、一度死んで、身体が花妖精に、魂が魔鎧になったという夢は、本当に正夢だったのか。 「まったく、せっかく夢見るようにずっと呪って……いえ、念じていたっていうのに。そのていたらくは何よ」 ふがいないナディム・ガーランドに、ルゥルゥ・ディナシーがむくれる。 とはいえ、大した手がかりもなしに捜していたナディム・ガーランドがすぐに分かるはずもない。夢で見た姿も曖昧だ。 リース・エンデルフィアにしても、ナディム・ガーランドの言う国の名を聞いたこともないし、世界樹と国家神を有しない国はパラミタでは正式な国とは認められないので、文献らしい物もない。そのため、本当にこの女の子がお姫様だという保証もないわけではあるのだが、ナディム・ガーランドは素直に信じたようだ。リース・エンデルフィアとしては、その感覚を信じるしかなかった。 「でも、どうやって、私の部屋に入ったんですか?」 リース・エンデルフィアが、最大の疑問を口にした。 「こちらへ来るために、ザナドゥのゲートを管理しているアーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)という者に頼んだら、でっかい招き猫を道案内にしてこの部屋に連れてこられたのよ。鍵は、そのとき開けてもらったわ。というわけで、つまらないものですが」 そう言いながら、ルゥルゥ・ディナシーが菓子折を差し出した。自分がぶっ飛ばして下僕にした悪魔に買ってこさせた物らしい。 「こ、これは、御丁寧に」 「ふふっ、そこの叔母よりは気配りがちゃんとできるんだから」 ありがたく菓子折を受け取るリース・エンデルフィアに、ルゥルゥ・ディナシーが言った。 「えっと、とにかく、ナディムさん、積もるお話を……してください」 まだ思いっきり戸惑いながらも、リース・エンデルフィアがナディム・ガーランドをうながした。 |
||