リアクション
ヴァイシャリーの休日 「悠、何してるの?」 自宅の物置をごそごそとかき回している紅 悠(くれない・はるか)を見て、紅 牡丹(くれない・ぼたん)がちょっと不思議そうに訊ねた。 「ええっとお……、あ、あった、あった」 そう言って紅悠が見つけだしたのは釣り竿をはじめとする釣りのセットだ。 「なあに、これ」 「見た通り、釣りの道具よ」 そう紅牡丹に答えると、紅悠は家の裏木戸へと回った。 ヴァイシャリーの運河沿いの家がそうであるように、紅家も家の裏木戸は運河に直結している。小さな桟橋に腰を据えると、紅悠はのんびりと釣りを始めた。突然の思いつきだったらしく、餌は硬くなったパンを針にさした適当な物である。 「釣れるのかなあ?」 紅悠の隣にぴったり寄り添うようにして座りながら、紅牡丹が言った。 「さあ、どうかしら」 紅悠が、なんともあやふやに答える。 どちらかといえば、魚を釣り上げるのが目的ではなくて、釣りをする方が目的のようだ。ぼんやりとひなたぼっこをするよりも、ぼんやりと浮きを見つめている方がちょっと楽しいのかもしれない。 「あっ、今、引いたかも!」 浮きと紅悠の顔を交互に見つめていた紅牡丹が、ポンポンと紅悠の太腿を叩いて叫んだ。 「よっと……あらら……」 すかさず紅悠が引き上げるが、手応えがない。案の定、餌はなくなっていた。 「ヴァイシャリーの魚は賢いなあ」 そんなことを言いながら、新しい餌を針につける。 「釣れたら、それが夕御飯かなあ」 期待半分という感じで紅牡丹が言う。 引きはあるものの、なかなか釣り上げるまではいけない。 何度か紅牡丹が交代で釣り竿を持ったが、結果は同じであった。まあ、自宅から歩いて数秒のお手軽なレジャーなのだから、こんなものだろう。休日をのんびり過ごすには適当だ。 「おっと、今度は大きそうだ。いけるかな」 何度目かの確かな手応えを感じて紅悠が言った。その言葉通りに、釣り竿が大きく撓る。 「大物?」 すかさず、紅悠が手を添えて手伝った。 水面がざわつき、魚影が姿を現す。 ピョンと、獲物が大きく水から跳ねた。 「錦鯉!? まだいたの?」 一メートル近くはありそうに見える錦鯉を見て、紅悠が叫んだ。そのとたん、針から獲物が外れて水中に姿を消した。 「今の、すっごく大きかったよね」 「ええ」 逃がした魚は大きい。 「でも、多分、食べられないよね」 「多分ね」 紅牡丹の言葉に、なんとなくうなずく紅悠であった。 ★ ★ ★ 「えっと、そもそも錬金術と科学は同一の学問として制定されたわけで……」 百合園女学院の教室の一つで、黒板の前に立ったローザ・ベーコン(ろーざ・べーこん)が、ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)と和泉 真奈(いずみ・まな)を前にして教鞭を執っていた。 自主的学習と言うことで、今日はローザ・ベーコンが科学についての講義をしている。あくまでも概論という感じだが、自身の英霊としての初期の科学の転換期の概念と、現在のパラミタでの科学の概念とを合わせて、魔法に対しての独自の論を組み立てていた。 「ん、難しいかな?」 ちょっと退屈気味なミルディア・ディスティンと和泉真奈を見て、ローザ・ベーコンが聞いた。 「いいえ、私のような魔法を行使する者にとっても、現在では科学という物は重要なファクターですわ」 和泉真奈が答える。 「うん、教えてって言ったのはあたしだから頑張るよ」 少し唸りながら、ミルディア・ディスティンが答えた。 「そう、重要なことは、答えを求めることだ。その道筋とは、たいてい似たような形になる。つまり、パターンだな。勝ちパターンってあるだろう? それを見極めるってことが大事だ。答えを求める糸口と道筋が分かっていれば、自ずと進む道も見えてくる。結果、それが間違っていたとしても、その過程は楽しいはずだ」 「パターンですか? 決まった道筋というのもいいですが、途中のポイントで止まってしまっては本末転倒だと思いますけれど」 ローザ・ベーコンの言葉に、ちょっと和泉真奈が疑問を投げかける。 「まあ、結末が正解であるにこしたことはないがな」 そう答えると、ローザ・ベーコンが講義を続けていった。 「科学の発生には諸説あるが、主に自然の模倣から発生していったと考えられる。この、自然現象を要素ごとに分け、それぞれの要素にあわせて再現の方向性を示したのが、論述科学、すなわち、錬金術だ。また、その方向性を元に、実際に結果を求めたのが、実践科学、すなわち、科学である。この二つは一つの学問だったわけなんだが、その方向性や理論が実際と違いすぎたために、論述科学の意義が薄れ、結果として科学は実践のみとなった、というのが実際だ」 ローザ・ベーコンが、自身の経験に基づいた持論を展開していった。 元々の自然科学は、解が存在し、それを発見するという概念的な物であって、錬金術をはじめとしての、いわゆるパラミタでの魔法に近い。現象を認識し、原因を模索するというものだ。 現在の科学は、論理と、実験によるその検証が中心となっている。再現と過程が重要であって、そのための方法である法則や公式が中心となる。 前者は、神学的な真理と結果の間を埋めることが容易ではなく、地球では廃れていったわけだ。逆に、パラミタでは原因と結果が直結する現象、すなわち魔法やスキルが存在するため、過程を深く考えなければ今も現役である。女王の加護などがいい例であろう。現象としては確かに確認され、原因と結果は判明しているが、原理は不明のままだ。 パラミタでは物理法則では仮定が成り立たない物が多く、魔法という言葉で片づけることがほとんどだという現実がある。だが、この魔法を校舎の現代科学で解明できれば、イコンなども完全解明できるだろう。極度に進んだ科学は、魔法そのものであるとはよくいったものである。 「先人の経験から、法則や方程式が導き出され、それを踏み台にして更に先に進もうとするのが現代の科学だ。これも浪漫だと思わないかな?」 ロジャーベーコンは、そうミルディア・ディスティンと和泉真奈に問いかけた。 ★ ★ ★ 「うーん、うーん」 こちらも唸りながら勉強をしているのは祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)である。 百合園女学院の図書館に参考書のタワーを築きながら、半ば厚い本に埋もれて試験勉強をしている。 通常の試験勉強ならさほどでもないのだが、祥子・リーブラの目指しているのは教員採用試験である。生徒に教えるための物であるから、普段よりはワンランク上だ。それに、試験の他にも教育実習という難関も控えている。そのための資料も、効率よく作っておかねばならない。 「覚えること多すぎ……」 分厚い歴史書をパラパラとめくって、うんざりしたように祥子・リーブラは言った。これが薄い本であれば、どんどんと頭の中に入ってくるのにと思う。 今ごろは、同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)が、祥子・リーブラの書いた薄い本を即売会で売っているころだろう。祥子・リーブラとしても、一緒に売り子をしたかったのだが、状況はそれを許してはくれない。 「ま、負けないわよー!」 思わずそう叫んでしまい、図書館中の白い目を集めてしまう祥子・リーブラであった。 |
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