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リアクション
【2】
キアラ・アルジェント(きあら・あるじぇんと)のアルバイト先は某有名コーヒーショップである。地球の一部の国では冗談抜きで一日が一杯のコーヒーから始まる為、世界中で展開するこのチェーン店は、地球人がパタミタに入植すると同時に瞬く間に広がった。今ではどの都市でも数店舗は見掛けると言った具合である。
キアラが働くのは彼女の学び舎である百合園女学院近くの支店だったが、記憶力のよさと愛想の良さから優秀店員に数度選ばれた事から、支店の中でも特に大きな空京の店舗へヘルプに駆り出される様になった。キアラの着込んだ他のアルバイトとは違うカラーのエプロンは、このコーヒーショップについての知識の豊富さの他に、アルバイト指導員としての立場も含まれている。そんな訳でこの日、単なる日曜日で特別忙しいという程でもなかったが、空京の店舗のカウンターの中でキアラは動き回っていた。
平素混んでいると思われがちなチェーンのコーヒーショップだが、波はある。仕事に就く人達が多くカフェインを買い求めに来る目紛るしい朝、そしてランチタイムを過ぎた中途半端なこの時間にあっては、店員はテーブルのリセット作業であったり、塵の片付けであったりとそれぞれ別行動をとっていた。そんな――キアラが備品の数を目視していた時だ、「あら」と聞き覚えのある声にキアラは「Salve(*いらっしゃいませ)」と振り向いたフレンドリーな笑顔を更に綻ばせた。
カウンターの向こうに居る客は富永 佐那(とみなが・さな)、エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)そしてソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)だったのだ。
一月程前、キアラは彼女たちと共に遺跡での戦いに身を投じた。その際に彼女達に、肉体麺、精神面にと多いに助けられたのだ。そんな感謝と親しみを込めて、彼女たちへの挨拶は「Ciao」に代わる。
それに対し佐那の方も「丁度良かったです」と微笑んで、注文を始めた。
「ハニーラテ、キャラメルマキアート、チョコラータを一つずつ。
――此処は支払いはイタリア方式ですか?」
キアラが頷くのを見て、佐那は注文を続けた。
「それと、お勧めで何かお茶請けになりそうな物がありましたら、見繕って頂けますか」
佐那が言い終わると殆ど同時に、キアラはメニュー表の横にある硝子ケースを示した。優秀店員に選ばれるだけあって、こういった注文にも慣れている動作だ。
「個人的にお勧めなのは、このチョコレートパイ。上はクリームがたっぷりで下はパイ生地がサクサクしてて美味しいっスよ。
でも注文頂いたビバレッジメニューは甘いものが多いから、そっちの香りや味を損なわない様に楽しむなら、シフォンケーキかビスケットがいいっス。お好みでクリームも足せるし。
それと……もし今の時期だけ! っていうのがいいならこのプレッツェル。クリスマス限定のジンジャー風味」
笑顔で締めくくりつつキアラは佐那にしか聞こえないような小声で「ただこれ、超癖強いっスよ。残しちゃうお客さんも結構居るんス」と付け足してくる。その忠告を悪戯っぽい笑顔で受け取って、佐那はキアラに勧めて貰ったメニューを(ジンジャープレッツェルを抜いて)一つずつ注文に追加した。
暫くして、カウンター業務のローテーションが終わったキアラが客席を回ると、佐那たちが奥のテーブル席で掌をひらめかせたのが見える。
「このシフォンケーキ、キアラ姉が勧めてくれたんですね」
ソフィアが言うのに、キアラは少し誇らしげな顔で「お気に召して頂けましたか?」と店員らしく質問した。コクコクと頷いてくれるソフィアの表情に嘘は無いらしい。安堵と仕事の甲斐を感じて肩の力を緩めるキアラは、ふと先程カウンター内で疑問に思った事を口に出した。
「佐那ちゃんたちは天御柱学院に通ってるんスよね。空京には遊びに?」
「ええ。お休みだったんで、たまには観光に足を運んでみようと思って。
ソフィーチカにも色々見せてあげたかったですし」
「じゃあ今は休憩中?」
「それから此の後何処を回るか考えているところです」
微笑む佐那の顔を、エレナはちらりと一瞥する。佐那は偶然を装っているが、此の店に入ってキアラの姿を目に留めた時、エレナには此処へやってきた佐那の意図を理解したのだ。それを小さなソフィアは気付いていないようだが、エレナには佐那の「あら」の瞬間の演技に、微笑ましい白々しさすら感じてしまったのだ。
(佐那さんたら……前日の夜の事はこの為でしたか)
エレナがこっそりと佐那の表情を窺ってみると、案の定佐那がソフィアの鞄へ一瞬視線を送ったのが見える。タイミングを計っているのだろうと分かって、エレナは佐那の計画を邪魔しない様に彼女の言葉を待つ。するとハニーラテを一口啜るのを間と置いて、佐那が改めてキアラの顔を見上げる。
「まずは、先日はお疲れ様でした。
困難な道のりでしたが、課せられた任を全う出来た事は喜ばしい限りです」
困難な、というのは本当に色々な意味でだ。契約者として様々な戦いに関わった佐那だったが、蟲だらけの遺跡というのはそれを苦手とするキアラでなくとも、余り気持ちのいいものでは無かったから印象深い出来事になったのだ。
佐那の労いの後、「キアラ姉はすごいと思います」とソフィアが付け足す。
あの蟲との戦いはソフィアにとっては大丈夫の部類に入ったが、彼女とて苦手なものは沢山あるのだ。だからどんなに格好悪くても最後までやり通すキアラの姿を見て、ソフィアにも見習いたいと感じるところがあったのだ。
最後にこちらもタイミングを待っていたエレナが口を開く。
「Mal comune mezzo gaudio――
苦しみも分かち合えば折半する事が出来るのです。キアラさん、蟲が苦手の中、よく己に課せられた試練と向き合い、打ち克ちましたね。その勇気は何者にも代え難いですわ」
「勇気なんて……そんな凄いもんじゃないっスよ」
はにかんだ顔で赤い頬を抑えるキアラに、エレナはふっと息を吐き出した。今の言葉は意図せず出てきた物だったが――、ヴァチカンに仕える身の上だからこそ自然と身に付いたイタリア語が、それはイタリア人のキアラにも違和感なく受け入れて貰えたらしいと光栄に思えたのだ。
「あの時は――、佐那ちゃんとエレナさんが率先して動いてくれたし、ソフィアちゃんも手を繋いでくれたから……。
勇気っつーなら、それですごい貰えたんス」
だからあの勝利は皆のお陰だと、キアラは笑ったのに微笑んで答えて、佐那はそっとソフィアに目配せする。
「実は昨日、ナターレ用に3人でお菓子作りをしていまして。
こうして再会したのも何かの縁でしょうし、お裾分け致しますね」
「Bastoncini di zucchero(*伊・キャンディケイン)。
キアラ姉、キャンディ持ってきたのです」
佐那に促されてソフィアが鞄を漁り始めたのに、エレナはほんの少し頷いた。昨日の夜「三人でキャンディ作りをしよう」と言い出したのは矢張り此のためだったのだ。
「よかったら、食べて下さいね?」
言って、ソフィアは透明の包みでラッピングされた菓子を差し出した。赤と白のステッキ型の伝統的な模様の柄をリボンで結んだ可愛らしいプレゼントに、キアラの唇から自然と言葉が飛び出していた。
「懐かしいっスね。
地球に居た頃によくマンマと作って……弟に邪魔された」何かを思い出したらしく、少しイラッとした顔だ。
「キアラ姉、弟が居るんですね」
「三つ下で、例に寄って超生意気」
佐那とソフィアと吹き出しているキアラの横顔を、エレナは見上げながら思う。
(Chi si contenta gode.
――心の満たされる人は如何なる富にも勝るもの。
今のキアラさん、最高の笑顔を浮かべていらっしゃいますわ)
こうして三十分に満たない休息を終えて、コーヒーショップから出発する事にした三人が店先でコートを羽織っていると、店の中でキアラがこちらを見ているのに気がついた。
店は午後の休憩を取る人々で再び慌ただしくなってきたので、キアラとは改めて別れの挨拶を交わす事が出来なかったのだ。少し名残り惜しく手を振ると、キアラが一度それにニコリと笑って唇を動かした。
「Buon Natale!(*良いクリスマスを)」
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