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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:後編

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【逢魔ヶ丘】戦嵐、彼方よりつながるもの:後編

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第13章 終わり、そして新たに繋がる



『天使たちに袋叩きにされ、重傷を負った私は、復讐に取り憑かれ、自分の研究の結果でこの島に混乱を起こそうと考えた。
 そのために、満身創痍の身をおして、この丘の地下に作った転移装置――本当はザナドゥとこの島とを自由に行き来する装置にするつもりだった――に、黒白の灰を噴霧するための機能を追加した。

 だが、寸前のところでそれを止めたのは、ユクシアの思い出だ。
 何故だろう、日に日に彼女の笑顔が思い出され、憎しみが気力とともに薄れていく。
 彼女が私と一緒に植えようと言っていた木の種が手元にある。
 彼女を喜ばせたくて、こっそり機晶石を組み込み、成長したら淡い光を放つように工夫したものだ。
 夢の中で、彼女が、成長したこの樹とともに現れ、「会いに来て」と私を呼んでいた。

 復讐はやめよう。
 この体を捨て、精神だけの存在になって、彼女とタァに会いに行こう。
 だが、もうこの機械に取り付けた恐ろしい機能を解除するだけの気力と体力が、この体には残っていない。

 だから、せめて鍵をかけていこう。
 この機械が恐ろしい使われ方をしないように。
 最後の魔力を振り絞り、私は私の体で、「原本能」の論理を立証しよう。
 そして残留思念をその形に留めて、私が旅立った後、この機械をロックする。

 願わくばいつの日か、賢く強い者が現れ、役目を終えたこの機械を悪用されることのないよう処分してくれることを。』


 それが、大転移装置に遺されていたオーブルの言葉だった。



 その大転移装置は、深い地下で土に埋もれてしまった。
 そのままにはしておけないのでいずれ掘り出すことになろうが、樹の根の異常成長のために土壌が酷く緩んでしまったため、安全を期して掘り出す作業にはかなりの時間がかかることだろう。
 時間はかかるが、タァとの約束を果たすためにも、なおざりにはしておけない。
 あのオーブルの遺骸は、ストールにくるんだ状態で、最後にルカルカが運び出した。
 警察経由でバルレヴェギエ家の関係人(使用人頭らしい)に連絡を付けてもらったので、しかるべき場所にしかるべき形で葬られるだろう。
 弥十郎が暗黒死球で吸い込んだ「黒白の灰」は、その後警察に提出された。


 大転移装置で旅立った先でタァが父に会えたのか。それは誰にも分からないことだ。





 戦いは終わった。コクビャクは完全に制圧され、幹部は悉く逮捕された。
 警察の仕事は、戦いから後始末へと移行する。

 愛が守ろうとしたコクビャクの下っ端の魔族の若者たちについては、どうしても事務的な処理が必要だから「形式上の都合で」「一時的に」と言い募って、粘る愛を懸命に説得して、警察が一旦身柄を預かった。
 実際、彼らは実質的犯罪行為には関与していなかったので、お咎めらしいお咎めはなかった。組織の全容解明のため、一通り身柄を確認する必要があったのだ。
 その後、しかるべき処置がとられ、大半が一日程度の拘束の後で放免となった。
 自分が彼らを預かる、と言い募った愛の存在は、ある意味警察にとっても助けとなった。コクビャクは身寄りのない、教育もろくに受けられない若い魔族を集めて自分たちの手伝いをさせていたため、コクビャクが壊滅した今となっては、行き場のなくなった者も多かったからである。警察にすればその彼らの面倒を見る手間が省けた。

 また、愛がホームグラウンドにと望んだ件の空中移動要塞だが、一旦空京に運ばれることになる。警察の管理の元、危険行為に活用される恐れのある動力部などは徹底して解体し、除去しなくてはならないため、それに相当する箇所は技師によってばらばらにされる運命にある。
 そうでなくても、幹部が脱出した時に離脱した、中央の特殊防護室部分がぽっかり空いた状態である。かなり凸凹でがちゃがちゃした建物になることは必至だ。
「そんなんでよかったら、まぁ……引き取ってくれるなら、我々としても有難いけどねぇ……。
 あ、解体した後は動力は残らないから、自前で移動させる手段が必要になるけど……」
 警察官は愛にそう説明したそうだ。

 魔鎧によって作られた抗体は、戦場では大した出番はなく済んだが、後始末で大いに活躍することになる。
 パクセルム島の洗脳された守護天使の治療にはもちろんだが、その他にも治療するべき人々はいた。若い魔族の下っ端の例でも分かるように、コクビャクはかなりあくどい方法で人員を集めていた。島で逮捕された一団以外に、コクビャクには、資金集めや情報収集に従事する末端組織が方々にあった。そこに送り込まれた者の中には、研究段階で灰を投与され、“擬似魔族化”した非魔族がかなりいたのだ。彼らの治療にも、抗体が使われる。長期の治療となるが、必ず抗体は彼らをもともとの性質に帰すだろう。




 抗体製作も終わったラボの中。
 クリストファーとクリスティーが陣営に持ち帰ったペコラの残骸は、一同の帰還を待たず、灰のようにさらさらと崩れて消えた。大樹と同じように。
 残ったのは、あの時樹の根から残された一握りのエネルギー……そして、それを吸収した卯雪の中の欠片だけ。
 言いにくそうにクリストファーらからそれを告げられたキオネは、あの地の底で予期はしていただけに、冷静ではあったが、その顔に射した暗い陰りは消せなかった。
 卯雪は、何も言えないという表情で隣に立っていた。
「……キオネ」
 名を呼ばれても、しばらくの間キオネは動かなかった。
 やがて、のろのろと顔を上げ、卯雪を見た。
「……取り出さないといけないですね。卯雪さんから、エズネルの、欠片を」
 そして、クリストファーたちの方に顔を向けた。
「申し訳ないけど……B.Bの居場所、知らないかな」
 警察本部の天幕にいたから呼んでくる、と、クリスティーが出ていった。
 そしてキオネは、無理に笑顔を作って卯雪の方を振り返った。
「心配しないでください。かならず……卯雪さんを傷つけることなく、エズネルの欠片を取り出しますから」
 卯雪は懸念げな顔ながら、頷いた。
「……その後で……すべてが無事に終わったら、聞いてほしい話があるんですが……いいですか?」
 一瞬、見当が付かない様子で戸惑ったようだが、卯雪は再び頷いた。





 戦いの終わった草原から吹いてくる風が、カーリアの赤い髪を揺する。
 ……代わりのリボンか何か調達するか、髪を切るかしないと。
 そう考えながらぼんやり遠くを見つめていた。
 ――背後の天幕には、ヒエロがいる。ようやく意識が戻ったと、医療スタッフから聞いた。
 千年瑠璃を助けるために、ずっと探し求めていた製作者のヒエロ。その彼と、ようやく会える。
 だが、目的が達成される喜びとは別に、晴れないものが心の中にあった。
 それは大剣が失われたことではない。
 ――目的が達成された後の虚無、それに対する尻ごみの感情だった。
(……怖がってるんだ、あたし)
 カーリアは目を伏せた。自分には怖いものなんてないと、思っていた時が遥か昔にはあった。
 孤独すらも……怖いと思ったことはなかった。

 目を上げた時、こちらへ向かって歩いてくる2つの人影が見えた。
 宵一とヨルディアだった。
「……カーリア」
 カーリアの前で立ち止まり、宵一は口を切った。
「前に話したこと……契約の件について、覚えているだろうか」
 カーリアは息を詰めたようだった。が、素直にこくりと頷いた。
「ヒエロが見つかった今、ひとつの結果は出たんじゃないかと思って、訊きに来た。けど……
 もし、契約してしまうことで、カーリアの自由を奪ってしまう結果になるのなら。
 俺は、そんなことは強制したくはないから」
 横から、ヨルディアも口を添えた。
「わたくしも……あなた自身の自由な意志で選択すべきだと思っているわ。
 何にも縛られずに、自分で決めて」

 カーリアは、息を飲んだ。

 自由。
 言われずとも、今までの自分はずっと自由ではなかったか。
 誰にも縛られず自分一人の心だけで動く自由を、両手に余るほど抱えていたのではなかっただろうか。
 ――しかし、今、宵一とヨルディアが口にした「自由」は、自分の知っている自由とは違う気がした。

 一人で走っていた頃、自分の世界の外に存在するものはなかった気がする。
 己を不自由にする存在を知らない時代の「自由」は、意識して感じるものではなかった。
 けれど、今のカーリアは、自分の世界の外を知らない「ひとりきり」ではない。
 様々な人と事件に出会い、世界のすべてではなかろうが様々なものを、様々な人の心を見聞きした。

 自分に責任を持って、その上で己を定める「自由」。
 2人が言っているのはそういう自由だと、唐突にカーリアは悟った。
 急に、自分の立っている地面を意識した。自分の足は、ここに立って地面を掴んでいる。これが自分だ。自分という存在だ。
(あたしは……)
 




「――卯雪さん」
 呼ぶ声を聞いて、卯雪は目を開けた。
 寝台の上で身を起こすと、見慣れない姿があった。それは、魔鎧を纏ったキオネだった。やがて魔鎧の姿は消え、代わりに1人の青年が彼の隣に立った。――B.Bだった。
「終わりました。大丈夫ですか?」
「うん、別に変ったことはないと……何か手術みたいね」
 当然卯雪の肉体には何ら傷はついていない。キオネが魔力のメスを入れたのは卯雪の魂だ。そして、ついに取り出した。卯雪が生まれた時からその魂の中にうずもれていた、エズネルの欠片を。
 傍らではクリストファーとクリスティーが、その様子を見守っていた。
 卯雪は、しばらく自分の胸元に目を落として複雑そうな表情をしていた。自分の魂の中にずっとあったものが、取り出されてなくなったのだとは、まだ自覚できない。
「それで、どうなったの? その、欠片は」
 卯雪が尋ねると、キオネはそっと手を出した。
 そこには、何かオーラの一片のような、微かな光の塊が乗っていた。
「これだけでも、救えてよかった」
 キオネの声は、ひどく静かだった。
「……どうするの、その……エズネルさんを」
 卯雪の問いに、キオネは一度B.Bと顔を見合わせて、それから答えた。
「ヒエロのもとに連れていくつもりです。
 ……エズネルはここ数百年、ずっとヒエロと一緒にいたんですから……
 ヒエロにとっても悲しい話だと思いますが、知らせないわけにはいきません」
 卯雪は、じっとキオネを見つめ、それからその手の上の魂の欠片を見た。
「――辛いね」
 ぽつりと言った。

「それで……何か、話があるんでしょ?」
 卯雪が切り出すと、急にB.Bが、
「――俺は先に、ヒエロの天幕に行くよ。さっき、意識が戻ったと連絡があったから」
 そう言って、出ていった。
「……。俺たちも、出ていようか」
 何となく、クリストファーもそれに倣おうかとクリスティーに提案し、自分たちも出ていくことにした。
 だが出ていく直前、クリストファーは一瞬、ヒエロに視線を送った。ヒエロはその視線を静かに受け止めたように見えた。
 クリスティーが出ていき際に天幕の布を閉める時、見たのは、キオネがやや緊張に固まった表情で、卯雪を見ているその横顔だった。




 B.Bがキオネの天幕を訪れるより早く、その天幕を訪れた契約者があった。
「初めまして、御機嫌よう、ヒエロ様」
 入ってきて優雅に一礼する綾瀬を、床についたままヒエロは不思議そうな目で見た。
 だが、その目が徐々に見開かれていった。綾瀬の姿――身に纏った、ドレスに。
「君は――!」







 どんな言葉を交わしたのかは、誰も知らない。
 しかし、後に、魔鎧探偵にして炎華氷玲シリーズの一『サイレント・アモルファス』ことキオネ・ラクナゲンが、綾遠 卯雪と契約したことだけは、事実として関係者の間にも聞こえてくることになる。






「あたしは――」
 カーリアの言葉は一度、途切れる。
(自分には何ができるのだろう)
 己のすべてをつぎ込み一人走った、そのゴールにたどり着いた今、己の存在価値を問う自分自身の声への答えはまだ見いだせない。
 いや、ゴールする前から、その自問には恐れを感じていた気がする。
 ゴールしたその先にはやはり、今までと同じように、自分が自由に走ってもよい荒涼たる地平が待っているのかもしれない。
 迷っても倒れるまで迷っていたことに気付けないほど、何の道標もない茫漠たる大地が。

 ならば、ここから先は――

 今までとは違う「自由」を抱いて歩いていきたい。


「あなたの、あの、イヤリングを、その、…受け取らせて……、もらえ、るかな……」
 言い慣れぬ言葉をしどろもどろ、どもりながら紡ぐ、それが新たな一歩。