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リアクション
挿話2 ヒエロ・ギネリアン
もう千年以上も昔の話だ。
都会と呼べる街も、大きな建造物もないザナドゥの片田舎の地は、降りしきる雨に灰色にけぶっていた。
旅にすっかりくたびれた、裾のほつれたマントももうずぶ濡れだ。ヒエロ・ギネリアンは、物憂げな切れ長の双眸で、その退屈な風景を見回す。
雨の中、忽然と、古い屋敷が見えた。
ヒエロ、ようやく名の知られ始めたばかりの魔鎧職人の彼は、素早くその頭に蓄えられた知識を漁り、あの館の主に相当するであろうこの地方の有力者の名前を弾き出して推測した。
「バルレヴェギエ家……あの、学者家系の……。嫡男が行方不明になって没落したと聞いたが……
断絶したわけではない、ということか」
その証拠に、古びた大きな館の窓の幾つかには明かりが灯っている。
他に、旅人が立ち寄れそうな家屋もない。一晩とは言わぬ、せめて雨をしのぐ間だけでも屋根を貸してはもらえないかと、交渉するためにヒエロは、ぬかるむ小径を長靴で踏んで歩いていった。
「さぁ、遠慮なさらずにどうぞ、もっと火の傍へ……お寒うございましたでしょう」
客間の暖炉がゆったりと炎を抱いてパチパチと平和に爆ぜる音を聞かせる。
屋敷にいる者は使用人を含めても少ないようだが、温かい笑顔でヒエロは主人に歓待された。
「そうですか、貴方があの新進気鋭の魔鎧職人、ヒエロ殿ですか……
雨が思わぬ賓客を我が家に迎え入れたということですな。こちらへは御旅行で?」
旧家の主人というには気難しげなところのない、愛想の良さそうな雰囲気で、館の主人はヒエロに尋ねる。それに対して、えぇ、と曖昧にヒエロは答えた。「新進気鋭」のヒエロの名はすでに、このような呑気な田舎ではなく実力者たちが領土を争う殺気立った地方では、何者かの食指を動かし一歩間違えば血腥くなるトラブルをその身に呼びかねるものとなりつつあった。
心づくしの食事とその後の茶を振る舞われ、今夜は泊っていくよう勧められ、暖炉の傍の心地よい椅子に座っていた時のことだった。
「時にヒエロ殿は、機械技師としても相当なお手前をお持ちとか」
主人はそんな風に切り出してきた。
「技師だなどとは……生業に必要な機械を使えるよう、我流で身に着けただけで」
普通、魔鎧職人というものは、それほど機械に明るくなる必要というのはない。
だがヒエロは、素材である魂を最大限に生かして自分の思い描く理想の鎧を作るためなら、前例のない試みも厭わない人物だった。魔法器具に呪術、禁断の知恵。ただ思うがままの魔鎧を作りたいがためだけに、それらを貪欲に求めたのがヒエロだった。
特殊な機械の操作の腕も、そのような過程で身についたものだった。
「実は、折入って相談が……」
主人は声を潜めて、ヒエロにこう切り出したのだ。
――その話によると、館には前の当主の残したとある機械があるという。
しかし当主はいずこかへ出奔し、この機械を扱える者はもうすでにないというのだ。
「この血筋に似ず、私は学問の才に恵まれておりません……お恥ずかしいことですが」
苦笑して主人は言う。
「しかし、折角前主が残した物です。処分する気はないのですが……
何とかして、元のように動くのを見てみたいとはずっと思っております。
そこで……」
主人は申し訳なさそうに、おずおずとした調子で切り出すのだった。
機械が起動できるものかどうか見てほしい。
館の主にそう頼まれて、出来るかどうかはともかく、ヒエロは否と言える立場でもなかった。食事と一時の暖、宿までも提供されて断れるはずもなかった。
ただ、その機械が「空間転移」に関する機械らしいと聞かされ、ちょっとたじろいだ。
そのような類の機械などは、自分の興味の範疇外なので、動かせるかどうか、皆目見当が付かない。
……まぁ、実物を見て無理そうだったら正直に言えばいい。
雨音が窓の外から響く、誰も使わなくなって久しいらしい部屋に、その機械はあった。
旧式で大時代な感じの装飾のある、かなり大きな機械だ。
それを見た時、ヒエロの眉間に深い皺が走った。
(まさか、この機械……人体を転送する目的に応じるものか……?)
人の良さそうな笑みを浮かべた主人の表情をちらりと見る。
「……やってみましょう。起動できるとは保証できませんが」
それで結構ですと主人は言った。
ヒエロはいつしかこの、長きに渡って沈黙する転移装置の起動に、夢中で取り組んでいた。
時空転移に興味があったわけではない、ただ、この機械には出奔したという前当主の謎が隠されている気がした。
――まただ、何か影のある人物に興味を抱きすぎている。
悪い癖がまた出た、とヒエロは覚えず苦笑する。
裏に何かありげな人物に惹かれてしまう。魔鎧の素材探しにも、ついそのような魂を好んで選んでしまう。
ヒエロは決して裕福な生まれでも、よい家柄でもない。そのために、魔鎧職人として名を成すまで、これまでの半生には紆余曲折があった。
その有為転変を、余すところなく魔鎧で表現したい、という欲求が常にヒエロにはあった。
画家が絵を描くように、音楽家が曲で奏でるように、魔鎧で思いの丈を表したい。
そのために素材として使う魔鎧にはいつも、どこか歪みを抱えた生き方をしていた者の魂を求めたがる癖があるのを自覚していた。
そもそも、初めて作った魔鎧からして、おおっぴらには口にするのを憚られるような「素材」だった。この「癖」はそこから始まったのだろうか。それとも、もともとそういう傾向を持っていたから、魔鎧職人人生の出発までもそのような形になって現れたのか。どちらが先なのか、それは分からないが。
ともかく、それだからヒトへの興味もそのような、「歪みの香り」を嗅ぎつけるところから入りがちだった。
「……?」
マニュアルもないその機械を、勘と応用の効きそうな知識とだけで適当に操作していると、出し抜けに、その一部が唸りを立てて動いた。
慌てて、主人を呼ぼうと振り返ったが、いない。そうだ、さっき「お茶を運ばせましょう」と、小間使いを呼びに部屋を出ていったのだった。
その躊躇する一瞬に、ヒエロはまばゆい光に飲まれた。機械が放つ光がぐるりと部屋を巡り、ヒエロの体は唐突に浮いた。
(転移させられる!)
そう悟った瞬間、とっさにヒエロは、手を伸ばして機械に触れた。
必死でボタンを操作した。やがて指が、機械に触れなくなった。
光の中で、自分の輪郭が失われたような感覚を味わった。背骨が捩じれそうで、脂汗が流れた。
目を開けると、そこはザナドゥではなかった。
空が広く開け、若草が生い茂る丘、そして草原。
しかし、目の前にあったのはそんな爽やかな風景だけではなかった。
守護天使の子供が2人。男の子と女の子。女の子の方には、顔や腕に痣があった。男の子はそんな女の子を庇うように自分の背に引き寄せながら、しかし2人ともぺたりと草の上に座り込んでいる。
その子供を取り囲む、守護天使の大人たち。全員殺気立った顔をして、部外者のヒエロにも分かるほど怒りと憎しみを露わにして子供を取り囲んでいる。
何と大人げない、こんな小さな子供たちに――それが、ヒエロの抱いた最初の感想。
だが、今は大人も子供も全員が、突然現れたこの悪魔の存在に度肝を抜かれ、固まったままただ視線を注ぐのみだった。
――この場所に悪魔がいる、ということがもたらす意味の大きさを、まだヒエロは知らなかった。
「貴様、誰だ!?」
何者かの誰何に、戸惑いながらもヒエロは答える。
「私は――」
再び、雨音の響く暗い部屋に戻った時、ヒエロの目の前には、館の執事が紅茶碗を持って立っていた。
ヒエロの背後には、彼以外の2つの小さな人影があった。
あの丘の麓の草原にいた2人の守護天使の子供――エズネルとキオネ、だった。
あの浮遊島で、一族全員から虐待されていた子供たち。
悪魔の存在に気がふれたようになって、その場にいた全員がヒエロに襲いかかってきた。何だか体の重いその地で、何やら打ちのめされている子供たちを取り敢えず連れて、這う這うの体でザナドゥに戻ってきたのは、彼らの生い立ちを詳しく聞いたからではない。そんな暇はなかった。お前の存在が悪魔を呼び寄せたのか、この疫病神め。ヒエロの出現をどう勘違いしたのかそう怒鳴った大人の一人が少女を殴ろうとし、それを必死に庇う少年を見て、放ってはおけなかったのだ。取り敢えず少女を抱え上げると、少年ももついてきた。そのまま、時空を越えた。
戻ってこられたのは、最初に出現した地点から離れなかったのと、転送直前に勘だけで施したタイマー作動設定のおかげだった。程々の時間経過で機械に引き戻され、助かった。
少年と少女はこの思わぬ展開に目を白黒させるだけで、今は声も出ない様子だった。
室内に主人はいない。子供たちと執事、どちらへの説明から始めようかとヒエロが言い澱んでいると、
「――動かして、しまわれましたか」
茶碗を脇に置き、見た目はさほどではないが高齢らしい執事は、諦念を込めてそう呟いた。かと思うと、突然、ヒエロの腕を掴み、驚く彼に顔を寄せて、低い必死の声でこう囁いたのだ。
「今すぐお逃げください、ヒエロ・ギネリアン様。あの男が戻ってくる前に、早く!」
貴方が会ったあの男は、この家の主人でも何でもありません。
つい数か月前に、前の主人が残したバルレヴェギエ学派の研究資料を目的に、乗り込んできた胡散臭い輩なのです。
何やらよからぬことを企む組織の人間なのです。あの男以外に、この館に数人います。いかにも最初からのここの住人のような顔で!
恥ずかしながら、この館も領地も、何代も前から代々の当主研究活動の費用捻出のために抵当に入っており、そのために……
我々、もとからの使用人には、どうすることも出来ませんでした。
ですが、前の主人の残したものが、何者とも知れぬ連中に悪用されるのは見ていられません。
だから、この機械を奴らが動かせないことには、安堵しておりました。
しかし、目的の詳細は分かりませんが、この機械への執着は酷いものです……
貴方がこれを制御できると知ったら、奴らは貴方の身柄を強制的に確保しないとも限りません……!
どうぞこのまま、この機械が動いたことは伏せて、この場からお立ち去り下さいませ。裏口を開けます。
わたくし実は、この館のことを前の主人から正式に任された家屋管理責任者なのでございます。
奴ら、抵当権を盾にして、そんなことなど気にも留めていないようですが……
……機械に操作記録が残る? そのようなものなのですか!?
はい、どうぞご自由に外してください……おや、そんな小さなものの中に、記録が……
私どもは誰も、この機械には明るくないもので……前の主人がこれに人を近付けないようにしていたのもありますが。
えぇ、どうぞお持ちください。正式な責任者の私が許可いたします。
あ、はい、許可の証ですね。この場に及んでもそのように用意周到なことを仰るとは……
いえ、残せるものでしたら残します。どのようにすれば……音声入力、でございますか?
……これでよろしゅうございますか。いえ、そんなご謙遜など、貴方様の御名はこのような田舎にも……
あ、えぇ、いえ、そんな場合ではありませんでした。とにかく、お急ぎください!
まだ雨脚の弱まらぬ中、館の者がくれた小さなマントを2人でひとつ使わせ、ヒエロは“拾った”2人の天使を連れて館を出た。
説明らしい説明もなくザナドゥという異世界に連れてこられた子供たちは、それでも身を寄せ合い、まだ混乱を抱えながらもヒエロに従って雨の中を走った。――
この時魔鎧職人は、ザナドゥのとある旧家と反社会組織を繋ぐ一端を知ってしまい、同時に、後に彼の代表作となるその作品の素材を手に入れていたのである。
旅の途中の、出来事であった。
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