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リアクション
●ダフマ
彼の日常はほぼ決まっていた。
細かく数分単位というわけではないが、同じような時間帯に同じ場所を通り、同じ場所へ行く。そしてそれは、まるでわざとそうしているかのように無人であることが多かった。ここには20人近い人間と50人近いメイドのドルグワントがいるはずなのに、だれとも会わない、だれがどこで何をしているかも分からないまま、1日が過ぎるのもよくあることだ。
今日もまた、しんと静まり返ったひと気のない通路を無言で歩いて行く。あと数分で彼は皆が(多少揶揄も込めて)『繭』と呼ぶ部屋へ到着する。そうなれば十数時間、時には丸1日そこから出ることはないだろう。
しかし今日は少しいつもと違っていた。
エレベーターの到着を待っていると、陽気な口笛が奥のT字路から聞こえてくる。角を曲がって現れたのは同じ科学者のザリ博士だった。
両手を外出着のポケットに突っ込み、寒さに背を丸めながらもいつもの軽い足運びで近付いてくる。うつむいているせいで彼にはまだ気付けていないようだ。だがすぐに銀の前髪の隙間から覗く赤い目が彼を見た。
「や、アンリ」
まだ距離は相当開いていたが、この通路には2人だけしかおらず、ザリの声はよく通った。
ごそごそとポケットのなかから取り出したスティックを見せる。
「今『繭』へ行こうと思ってたんだ。ちょうどいいや。これ、きみのAIにも入れておくといいよ」
ぽいと放られたそれを、アンリは反射的に掴み取った。手のなかのそれを見下ろして、そういえば今日は北にある獣人の村に襲撃をかけると言っていたな、と遅れて思い出す。ただ、部下にやらせると言っていたと思うが……本人が行くことにしたのか。
ザリは気まぐれな男で、寸前で気を変えることはよくあることだから驚きはしない。
「機嫌がいいな。勝ったか」
ザリはにっこり笑った。そうすると、童顔な彼はさらに少年のようになる。――ドルグワントそのもののように。ほおに刻印があればドルグワントが笑っているのかと思うほどだ。
「ううん、ボロ負け。22体が修復不可能なほど破損したからバケット(破砕機)に放り込んでおいたよ。置いてきてもよかったんだけど……ま、ピクニックの鉄則は、ゴミは各自持ち帰りましょう、だからね。
やっぱり1人分の脳では演算処理に限界があるな。連携の途中で何度かバグってた。かといってこれ以上速度を落とせないし。戦闘パターンを増やす必要もあるけど、ひとつ思いついたことがあるからこれから試してみることにする。
Eナンバーで10体ほどもらってっていい?」
「わたしはかまわないが」
「ありがと。じゃあ解剖室使うから」
上機嫌ですれ違う。彼のたぐいまれな美しい髪が真上からの光を虹色にはじいてアンリの目を射た。
「ん? なに?」
「――大分伸びたな。切らないのか」
「あ、これ?」と、うなじでひとくくりにまとめた髪を引っ張る。「こっちの方がいいってタリーが言うから。ぼくとしてはなんかドルグみたいでいやなんだけどさ。タリーが好きならしかたないよねぇ」
そう口にすることで恋人のタルウィを思い出してか、幸せそうな笑みを浮かべてザリは去って行った。
おかしな男だ。こほ、と咳をしつつ、渡されたスティックをポケットに入れる。
だが『繭』では、ザリよりもっと頭の痛くなる存在が彼を待っていた。
『あら。いらっしゃい、アンリ博士。今日は早いんですのね。驚きましたわ』
自動ドアをくぐった彼を、機械音声が出迎える。その声を聞いて、アンリは大きく右にかしいだ。
「……なんだ、ルドラ。その女言葉は」
『昨日、アンリ博士がおっしゃったでしょう? 人間にはメールとフィメールがいると。アンリ博士やザリ博士はメールで、タルウィ博士やアストーはフィメール。だから話し言葉が若干違うのだとおっしゃっていましたから、フィメールの言語を勉強中なのですわ』
人工知能・ルドラは勉強熱心だ。だからこれも十分納得のいくことだったが、しかしいかんせん、合成音声が自分に似せた低音のままだった。おかげで自分がオネエ言葉を使っているように聞こえる。
「今すぐやめろ」
注意すればルドラはすぐ音程を上げて違和感のない女性の声にするだろうが、アンリにとってルドラは「男」だ。そうしたところで今感じている違和感はぬぐえない。
『まぁ、あなたのお気には召しませんでしたか? 残念ですわ。きっと女神のように喜んでくださると思いましたのに』
「もうあの子にも聞かせたのか。やれやれ…。ま、あの子は目新しいことは何でも喜ぶからな」
早くも鳥肌が立ちかけた腕をさすりつつ、アンリは持ってきた書類や本を作業台の邪魔にならない位置へ投げ出した。
そして忘れないうちにと、ポケットからスティックを取り出す。
『まぁ。それは何ですの?』
「ザリが撮った戦闘記録」と、ルドラの挿入口へ差し込む。「戦闘パターンを増やしてほしいということだ」
『今のドルグワントではこれ以上は無理ですわ。今でもかなり無茶を――ああ、やっぱり。開始直後にもう327のエラーが出てしまっているわ。まぁまぁまぁ、ザリ博士ったらあの子たちにこんな無茶をさせて…。これでは何体あっても足りません。すぐ関節部が摩耗して使えなくなってしまいます』
「その前に神経網が焼き切れるだろうな」
『ザリ博士は乱暴です。こんなの、データとは呼べません。きちんとルールを守ってあの子たちを動かしていただかないと…。あの子たちを理解しているか、わたくしははなはだ疑問ですわ』
違う。ザリはちゃんとドルグワントには何ができて何ができないかを理解している。その上で、壊れるのを喜んでいるのだ。自分の遺伝情報を持った、ある意味自分自身ともいうべき彼らが粉々に砕かれ、動かなくなるのを。
バケットに放り込むと言ったときに彼の浮かべた表情を思い出しつつ、アンリはこほっと咳をした。
「いいからルドラ。もうやめろ。……おまえ、楽しんでないか?」
『――ドクター・アンリ。ドクター・ザリが睡眠漕のEナンバーの00857から00866までのロック解除を求めています。どうしますか?』
「承認」
『了解しました。ドクター2人の承認が得られましたのでロックを解除します』
やっと普段のルドラに戻った。ふうとため息をついて、昨日中断していた作業を再開する。それは、人間の眼球だった。完成した片方はあまりに精巧すぎて、本物にしか見えない。
「今日中には完成するか。仕上がったら一度試してみよう」
『それがわたしのボディですか? ずい分小さいですね』
「いや、ちゃんとボディも造ってやる。自立歩行ができないとおまえも不便だろう。ただ、プログラムをインストールするならこれで十分。なにも人間に合わせて脳ほどの大きさである必要はない」
頭部は狙われやすい、ということもあった。補助脳やそのほかいろいろとサポートを入れる必要はあるが、基本的な動作ならこれだけで問題ない。
そしてその後も、この偽眼は改良に改良を重ねていった。ルドラとのシンクロ率は90%を超え、タイムラグもほとんど生じない。
だが、なぜか肝心のボディは完成しないままだった……。
何があったのか、ルドラは知らない。
彼が目覚めたとき、科学者たちの生体反応は数十キロに及ぶ彼のセンサーの範囲内には1つも感じ取れなかった。
ザリ博士も、タルウィ博士も、アンリ博士も。その部下の研究員たちやあれだけいたドルグワントでさえ。
アンリは常々言っていた。
「わたしに何かあれば、おまえがプロジェクトを遂行するんだ」
と。
「――気付いていたよ、アンリ。きみは決して口にしなかったけれど、きみの体が病魔に侵されていたことも、きみがもうじき死ぬのではないかと考えていたこともね。わたしはそのために生まれた、もう1人のきみなのだということも…。
必ずプロジェクトは完遂させてみせるとも。きみがわたしに望んだのは、つまりそういうことなんだろう?」
すべては女神のために。
深いグレイの偽眼が赤い人工の光を発する。呼応するようにヘッドセット型パソコンのバイザー内に光が走った。バーチャルなマップで唯一点滅する光点は、目覚めたアストーが発しているものだ。小さいが、たしかにそこにアストーの活性化した<石>がある。
松原 タケシ(まつばら・たけし)はHナンバードルグワント約25体を引き連れて、密林へ踏み込んだ。
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