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リアクション
第8章
「望さんと唯斗さんも、お手伝いありがとう!」
その頃、配布場所で薬を整理している風森 望(かぜもり・のぞみ)と唯斗にファーシーはお礼を言っていた。彼女にレシピを教えていた菊は、今は蒼空学園内の厨房で料理を作っている。
「未来を救う為ですからね。もちろん、協力いたしますよ」
「ま、そーいうこったな」
笑顔で手を動かしているが、望のそれは唯斗に比べると、見る者が見れば警戒心を呼び起こす笑顔である。
「ふむ、何か企んでいるような気がするのう」
「それは、望さんのことですか?」
「そうじゃ」
「……やっぱり、そうですよね」
アーデルハイトとザカコ、アクアはそんな言葉を交わし合い――
(妙な白々しさがあるような……)
ラスも、悪巧みをしている者から放たれる特有の空気を感じ取っていた。伯益著 『山海経』(はくえきちょ・せんがいきょう)とノート・シュヴェルトライテ(のーと・しゅう゛るとらいて)も口々に言う。
「主は、この状況を楽しんでおるな」
「誰かに何か飲ませようと思っているのかもしれませんわ。アーデルハイト様あたりが有力ですわね」
アーデルハイトに、というのもあながち間違ってはいないのだが、とりあえず、今の望のターゲットはアーデルハイトではない。そして、薬を『誰か』に飲ませたいと思っているのも1人ではなかった。
「なあ、そろそろ休憩にしないか?」
「そうですね。飲み物もこうして用意したわけですし」
怪しまれている事に気付いているのかいないのか、唯斗の言葉を聞いて望は飲み物の瓶とグラスを置いたテーブルを示した。
「「「「「「…………」」」」」」
だが、誰も手をつけようとしない。それを見て、望は自ら飲み物を配り始める。
「どうぞ。アーデルハイト様、ザカコ様、ヘル様、ファーシー様、ピノ様……おせんちゃんとお嬢様も」
「あれ、休憩ですか?」
「ちょうど喉が渇いてたんだよな」
更に、気を引かれて来たフィアレフトとブリュケのグラスにも飲み物を注ぐ。
「ありがとう!」
ファーシーとピノ、フィアレフトとブリュケは特に何の疑いも無くそれに口をつけた。4人に変化が起こるかどうかアーデルハイト達は注目するが、暫く見ていても特に様子は変わらない。
「大丈夫のようですわね」
「……と、見えるが……まだ分からんよ」
ノートとアーデルハイトは自らの手にあるグラスを見直す。完全には疑いを晴らさない彼女達の前で、望は新しいボトルを手に取った。唯斗も自分の荷物から飲み物のボトルを取り出す。
「ささ、ラス様も」
「いや、俺は……」
「アクアもどうだ? 俺も色々持ってきたんだ」
「え、あ、はい……」
ラスが躊躇する横で、アクアは唯斗の勧めを受けようと置いてある空グラスに手を伸ばす。そこで、ラスが望に言った。
「……お前、何か仕込んでるだろ」
ぴた、とアクアは動きを止めた。望の反応が気になって見ると、彼女は表情ひとつ変えていなかった。
「何か、とおっしゃいますと?」
「そこにちょうどいいもんが並んでるだろーが」
「なるほど、この中の薬のどれかを盛ったのではないかと……。分かりました。疑われるのなら、別のものにお取替えしてもよろしいですよ。……ああ、一応、グラスも拭いておきましょうか。やろうと思えば、こちらに薬を塗る事も可能ですから」
望は置いてあった濡れ布巾で、アクアが取ろうとした物も含めた空グラスを拭いた。
「「「「「「…………」」」」」」
疑いを持っていた全員が、彼女のその挙動に注目する。アーデルハイト達がどう思ったかは分からないが、アクアは一片の動揺も見せない――余裕すら漂わせる望を見て疑いを深めた。覚えが無いなら、もう少し違う反応があってもいいだろう。ただ、黒だとしてもこれで空グラスの安全だけは確保された。もし薬が塗られていても、布巾によって落とされている筈だ。飲み物については、望が用意したものを飲まなければ大丈夫だろう。もしくは、用意されたものでも安全が確認されたものか。
「……じゃあ、そっちに替えてくれるか?」
似たような事を考えたのか、ラスはフィアレフト達に注いでいた瓶の残りを指定した。確かに、それならば毒見も終わっている。彼に飲み物を注ぎながら、望はアクアに聞いてきた。
「アクア様はどうしますか?」
「……そうですね、私は彼から頂きます」
出所が違うし、勧められたものを飲むのが自然だ。グラスを向けられた唯斗は、そこに飲み物を注いでいく。
「こんなもんでいいか?」
「ありがとうございます」
グラスの8割程を満たしたそれで、彼女は喉を潤す。「ふふふふふ」という笑い声がしたのは、まだ疑わしげにしながら、望から受け取った飲み物をラスが口にした後だった。望は、してやったりという笑みでこちらを見ている。
「ラス様、アクア様……やっと飲みましたね、『愛する者に支配される薬』を!」
「「……!?」」
2人は、まさかと自分の持つグラスに目を落とす。ラスと同じ瓶のドリンクを飲んでいたフィアレフトも「えっ、えっ!?」と慌てた声を出す。ブリュケは僅かに眉を顰めるだけだった。
「大丈夫ですよ。イディア様方が飲んだものに薬は入っていませんから」
「え、でも……」
「予め薬を入れたものと入れていないものに分けていたのです。薬を混ぜていたのは、こちらですね」
望は最初にラスに注ごうとしていた瓶を持ち上げてみせる。勿論、中身は全く減っていない。そうして次に手に取ったのは、濡れ布巾だ。
「後は、こちらです。グラスに薬が入っても塗られてもいない事を証明する為に拭いたように見せかけて、実は薬を塗っていたんです。量としては少なくなりますが、飲み物側の交換に応じられても薬を盛ることが出来ますからね」
その為、2人より先に配り、布巾も使っていない分に薬は入っていない。アーデルハイト達に向けて、望は追加でそう説明する。
「…………」
「……ど、どうして私達にだけ……」
ラスはこれ以上ないほどの苦い表情になり、アクアは狼狽と焦りのままに問いを投げる。帰ってきた答えは、彼女の経験の中で最上位に近い驚きを与えた。
「そりゃ、ラス様、アクア様の恋愛状況を確認する為ですよ」
「はあ!?」
「な!?」
「お二方が薬を飲んだ状態で何か命令すれば、お互いが『愛する者』かどうか分かりますよね? まあ、それは日頃から否定されている仲ですし、愛が無ければ薬も効かずに問題ありませんから。さあ、どうぞ何でもご命令を! 遠慮なさらず!」
「遠慮するわ!」
「遠慮しますよ!!」
力強く押される中、2人は同時にほぼ同じ言葉を発した。目の前まで来ていた望が、きょとんとした表情を作って訊いてくる。
「あら、なんでですか?」
「なんでって……」
「それは……い、いえ……待ってください、私、やっぱり……」
何故か、アクアは気持ちが高まってくるのを感じる。断り切れない、気がする――。悩み出した彼女を期待を込めた目で見ながら、望は慌てたらしいラスに調子良く言う。
「個人的興味だけでこのような事をしたのではありませんよ。未来を救う為に、私達も薬のサンプル作りを手伝いませんと。――そう、これは人命救助なのです!」
「だったら、まずお前が飲めよ!」
「私? 私は、アーデルハイト様に支配されるなら問題ないです。人命救助ですし。嫌々ですが、ちゃんと飲みます。嫌々ですが」
その実、全く嫌々さを感じさせずに望はあっさりと『支配される薬』の混入したドリンクを飲んだ。
「……大して変化がないですね」
「き、効かなかったの?」と聞いたのは、この展開をぽかんと見ていたファーシーだ。
「ええ、普段通りにアーデルハイト様の仰られる事なら身命を賭しても必ず成し遂げたいと思う所存です」
『…………』
妙に真顔でのコメントに、その場にいた誰もが薬の効果を確信した。表情はそのままに、望は『記憶の一部を消す薬』を取り上げる。
「効き目が無いようですので、アーデルハイト様にはこの薬を飲んで貰うとして、その失われる記憶の間にめくるめく百合百合しちゃいましょう」
「どういう理屈じゃ!」
効き目が無い、の後の誘いの理不尽さに、アーデルハイトは叫んだ。
「人命救助ですよ人命救助」
「それならもう済ませておる。私は飲まんぞ」
ホレグスリと混ぜての摂取ではあるが、効果は『支配される薬』からしか出ない為に成分の抽出は可能だった。
「第一、その記憶を失う薬というのは先飲みで後の記憶が消えるものではないのではないか?」
「大丈夫です。試してはいませんが、忘れるべき過去が無ければ、薬が効いている間の記憶が無くなる筈です。つまり、これを飲めばどんな事をしても綺麗さっぱり忘れられる……それに、『過去が希望をくれる。時間とは人々の記憶。例え未来が失われても、過去を覚えている人がいる限り、未来は蘇る』と、昔偉い人が言ってた気がします。なので、失われた時間は過去になりません! だから何したってOK! 久々に横にずらしますよ!」
「ち、近寄るでない!」
とんでもない持論を展開して目を光らせる望から、アーデルハイトは逃げ出した。横にずらされてはたまらないと、魔法を使うのも忘れて走って逃げる。彼女とアダルトで濃密なR−18シーンを楽しみたい望は、まず薬を飲ませようと小瓶を持って追いかけ始めた。
「…………………………」
だが、アクアはそれにツッコむどころではない。望の『何でもご命令を』という一言が、その意味が頭の中でぐるぐるして、ラスに何か言わなければという使命感に捉われていた。しかし――何も思いつかない。結果として口に出たのは、こんな言葉だった。
「あ、あの!」
なるべくこちらを見ないようにしていた彼に向けて声を掛け、関心を引き戻す。
「何か、貴方に命令します……だから、貴方も私に命令してください」
命令の内容はもう少し考えるとして、自分だけが命令するのは何かフェアじゃないと思っての発言だった。言い終わった瞬間、何故かほっとした気持ちになる。答えが返ってきたのは、そう間もない時だった。
「……わ、分かったよ……」
答えてすぐに、ラスはまずい、という顔になった。次に苦々しさを伴った表情で目を逸らす。ピノに見上げられたのは、アクアがその理由に思い至る前だった。
「アクアちゃん、もう今のが命令になってるよ?」
「えっ!? …………」
よく考えたら、確かに彼女の言う通りだ。『何か命令してくれ』というのは、その時点で要望であり、紛れもない『命令』である。
「そうですよね。ということは……」
フィアレフトは考えつつラスとアクアを交互に見上げ、ピノはうん、と頷いた。
「おにいちゃん、支配されてるんじゃないかな。アクアちゃんに」
「!?」
聞いた途端、声にならない驚きで息が詰まりそうになった。ラスの方を見ると、彼は明らかに狼狽していた。顔に色味が差している。
「そ、それは……そ、そんなわけないだろ! 今のは支配とか何とか関係無く、ただ、話の流れで……」
誤解を解こうとするというよりそれはどう見ても弁解だった。アクアは先程の彼の様子を思い出す。――自分とは違う。分かった、という答えが何を意味してしまうのか、彼は確かに認識していた。
「……!」
それに気付いた瞬間、頬が一気に熱くなった。まさか、という思いの中で、かつてツァンダの川岸で感じたのと似た感情が湧いてくる。有り得ないという理性と、ひたすらに恥ずかしいという気持ち。あの時と違うのは、まだ本人からは何も聞いていないという事だろうか。だが、ここまで来たら――
確認せずにはいられない。
「ちょ……ちょっと来い!」
「! あっ、は……はい」
腕を取られて、アクアは配布場所から脱出するラスに反発せずについていく。
(! わ、私、今……)
そして『従わずにはいられなかった』今の自分の心情に気付き、彼女は混乱して真っ赤になった。ついてきたのは、たまたま同じ事を考えていたから、とかでは決してない。理屈を超えた所で、嫌です、とは言えなかった。『支配されている』という事実が、彼女を耳まで赤くさせた。
「あ、あの、私……私……!」
アクアが大慌てになっているのが、離れていく中でもよく分かる。いつもの無表情を吹き飛ばし、彼女は感情をありのまま表情に乗せていた。
彼女に『支配される薬』を飲ませた――グラスに塗られていた以外に注いだボトルに混ぜていた――唯斗は思う。
(ああ、やっぱ人間素直が一番だよな!)
珍しいアクアが見れた彼は、俺得だと満悦した。それから、上空に目を移す。空飛ぶ魔法↑↑を使っているのだろう。薬を配布しそれを飲み、抽出するという作業を見下ろすマスクを被ったビキニパンツ一丁の筋肉男が浮かんでいる。異様な格好というだけが理由ではないだろう異様な雰囲気を発している男から目を離さず、唯斗は言った。
「さぁて、充分楽しんだしちと真面目に働きますかよ」
「先生達、行っちゃいましたね。……望さんは、まだ……」
ビキニパンツの男が現れたからといって、飲んだ薬の効果がいきなり切れるわけではない。望は、相変わらずアーデルハイトを追いかけ回していた。
「……うむ、なんじゃな。我が主は普段と変わらんな」
支配される薬の影響か、近寄るなと言われた望はアーデルハイトとの距離を一定以上縮められないようだった。山海経の見たところ、大体5メートルといったところか。
慌てず騒がず、山海経とフィアレフトは2人を見ていた。多少戸惑っているようだが、フィアレフトに望を止める気配は無い。止められる自信が無いのかもしれない。
「……未来で望がどんな風に貴女と接したかは分かりませんが、アレが、あの変態が望ですからね」
そう彼女に言うのは、隣に立ってやはり傍観を選んだノートだ。
「未来でもあんなのかもしれませんが」
そして付け加えられた言葉に、少女は一度瞬きしてからふっと笑った。
「そういえばそうでしたね……。でも、こうして見るのは久しぶりです」
「「…………」」
見物に徹している彼女達の一方で、ファーシーとピノは顔を見合わせてから望達に目を戻す。紐をずらされて一糸纏わぬ上半身になるのが余程嫌なのか、アーデルハイトは「こんなこともあろうかと」と魔法を使うのも忘れているようだ。
「……ねえ、あれって、助けた方がいいのよね?」
「うん、そう思うよ!」
「……あ、やっぱりそうですよね。助けましょうか」
2人の会話を聞いて、フィアレフトは傍観を止めて駆け出した。ファーシーもそれに続き、口々に制止の声を掛ける。
「そこまでよ、望さん!」
「止まってくださいー!」
望は、面白いようにぴたっと止まった。そこで、ピノが叱りつける。
「薬をそんなことに使っちゃダメだよ! 没収だよ!」
以前にホレグスリで遊んだことがある彼女だが、あの時はあの時、今は今だ。
「……ワカリマシタお返しします」
「これって……」
スナオにピノに薬を返す望の姿に、もしかして、とファーシーは呟いた。『支配される薬』が自分達に向けても効いているような気がする。それを肯定したのは、後から近付いてきた山海経だった。
「……効いておるようじゃのう」
「え……、じゃあ、望さんは私達に恋してるの?」
「真実の愛といっても、友愛、情愛、家族愛様々じゃ。誰からも支配されると言うなら、それだけ周りを、この世界を愛しておる、という事なんじゃろうよ」
「……えーと……」
「……そうかもしれませんけど……」
尊き心の証明によって、欲望のままに行動した割に綺麗な印象だけが残りそうでピノとフィアレフトは何となく釈然としない気持ちになる。そこで、山海経は付け加えた。
「アーデルハイトへの『愛』も、恋とは違うものじゃしの」
「そっか……支配されるのは恋心のある相手だけっていうのは、思い込みだったのね」
ファーシーは、何だかすっきりとした顔をしていた。綺麗な印象だけが残ってしまったらしい。
「まあ、その発露がアレだったのでは残念すぎるがのぅ」
山海経は大人しくなった望を見て苦笑を浮かべる。
そして、恋愛以外にも効果がある事を知らないラスとアクアは――
「こ、この辺で良いんじゃないですか……?」
「……あ、ああ、そうだな」
微細ながらこの辺りにも薬の効果が出ているのだが、それはともかくとして2人は校舎の間のひっそりとした場所で立ち止まった。アクアの腕から手を離して距離も開け、ラスは居た堪れなさ全開の表情で目を逸らした。アクアも混乱しすぎて何も言えない。フィアレフトから聞いた、自分達が結婚するのだという『事実』が頭をもたげる。と同時に、どうしようもない胸の痛みを感じてますます混乱した。
けれど、ここまで来たら――もう、確認しないわけにはいかない。
「……以前に訊かれた事を、そのまま返します。……貴方は、私の事が好きなんですか? 誤魔化さずに答えてください」
「! そ、それは……、だから、好きな……」
好きなわけない、と言いかけて、ラスは口を噤んだ。どこかから湧き上がってきた“何か”が、『誤魔化す』事を許さない。それが、薬の効果による自分の意思である事が忌々しかった。崖っ縁に追い詰められたような気分で、目を逸らしたまま口を開く。
「薬が効いた以上、嫌いじゃない……んだろうな。やっぱり」
「…………」
アクアの顔の赤みが、ぼっ、という音が聞こえそうな程の勢いで一気に増した。果たして、何故こんな展開になったのだろうか。それとも――もうこうなる事は避けられなかったのだろうか。
「……いや、本当は……薬を飲んだらどうなるかっていうのは分かってたんだ」
過去の自分が認めるのを邪魔していただけで。
「きっかけは、あのクリスマスだったんだと思う。……あの前から、特別目障りでもなくなってたけど、それが……。……まあ、迷惑だよな」
「いえ……ありがとうございます」
え、とラスが驚くとアクアは慌てたように顔を伏せ、ややあってから話し出した。
「私も……薬が効いた以上は、好き、なんだと思います。だけど……」
ふと、その目から涙が流れる。本人にその気は無かったのか、アクア自身何事かと濡れた頬に触れる。それから、涙の意味に気付いたのか彼女は続けた。
「違うって……そうじゃないって、心が否定している気がするんです。一生懸命に……だって、だって、私が好きなのは……、一緒に居て欲しいと思うのは……」
「……分かってる」
「……え……」
「分かってるよ。お前が好きなのは……あいつなんだって」
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