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リアクション
第6章
「歌菜ちゃん達も飲んでくれるんだね、ありがとう!」
「はい、未来の為に出来る事があるなら、何でもしますよ!」
ピノに明るく即答した遠野 歌菜(とおの・かな)は、3種類の薬の中から迷わず1種類を選んだ。横で見ていた月崎 羽純(つきざき・はすみ)が確認する。
「それは……『愛する者に支配される薬』だな」
「羽純くんを嫌いになるなんて選択肢はないからねっ」
残りの2種類から選ぶなら、やはり『支配される薬』の方になるだろう。
「そ、それに、羽純くんになら、私……その、支配されてもいいかな……って……」
言いながらどんどん恥ずかしくなってきて、頬が熱くなる。上目遣いで様子を伺うと、羽純も若干頬を赤らめていた。
「そ……そうか……」
照れているのか焦っているのか、いつもよりぎくしゃくとした動作で歌菜の背を抱いて移動を促す。薬の効果が現れているらしい皆をきょろきょろと見ながら、何となく人目につかない場所まで来て立ち止まる。
「じゃあ、飲むね」
えいっ、とばかりに思い切って一気飲みする歌菜を、羽純は僅かに緊張しながら見守った。この薬は真実、『愛する者』相手にしか効果を発揮しないという。大丈夫だとは分かっているが、本当に効果が出るかどうか、という思いが脳裏を掠める。
「……うーん……」
薬を飲み終わった歌菜は、眉を寄せて空になった瓶を見直す。
(特に変化はないような?)
羽純が見つめる前で、もう少し体調や今の気持ちを確かめてみる。だが、よく分からない。一方、羽純は「?」となっている歌菜に何を命令しようか考えていた。普段の彼女なら躊躇するような命令でないと、効果が出ているかどうかの確証が取れない。
「……………………」
考えた末に、彼は心の中で(……歌菜、許せ)と懺悔した。
「……歌菜」
「何? 羽純くん」
「服を脱げ。俺の目の前で」
「…………」
びっくりした目で見返してきたのは一瞬で、歌菜はすぐに何かに気付いた顔をした。自分に変化が起きている事に、薬の効果が出ている事に気がついたのだ。
羽純の言う事に、全然逆らえない。
言われるままに、するすると服を脱ぐ。
恥ずかしい――けれど、拒めない。
(寧ろ……彼の為に何か出来るのが、凄く嬉しい……)
熱っぽい頭で、一糸纏わぬ姿になって、彼女は言う。
「羽純くんの為なら、私、何でもする。ううん……したい」
服を脱ぐだけじゃ足りない。まだまだ、彼が喜ぶことをしていきたい。求める気持ちが止まらない歌菜に、羽純はふっ、と笑みを浮かべる。優しい笑みを。
「……薬は効いたみたいだな。良かった」
「う、うん……」
その笑顔を見ただけで、嬉しくなる。羽純はそこで、「服を着ろ」と命令した。言われるままに服を着ていると、彼は続いてこう言った。
「さて、歌菜の支配を楽しんだし、次は俺が薬を飲むか」
「え? 羽純くんも飲むの?」
「未来を救う為に、取れる成分は多い方がいいからな」
羽純は手の中にある小瓶を見せる。いつの間にか持ってきていたらしい。一気に薬を飲む彼の様子を、歌菜はドキドキしながら見守った。
(……な、何だか自分が飲む時より緊張しますっ!)
羽純の愛を疑う心は微塵も無いのだが……それでも。
『愛する者』だけにしか効果が無い、というのはちょっとしたプレッシャーでもあった。
薬の効果が切れてきたのか、求める気持ちは落ち着いてきていた。薬を飲んでもあまり様子が変わらない羽純が待つ中、歌菜は『命令』を一生懸命考える。
(えーっと、支配する命令をしなきゃいけないんだよね。羽純くんに命令……)
――凄く、いけない事をしている気分だ。
(何を命令しよう……)
頭の中で、いろんな案が浮かんでは消える。でも、どれも決め手に欠ける気がして。
迷いに迷った歌菜は、ずっと見つめられているのも相まって焦り、咄嗟に羽純と同じ命令を口にしていた。
「服を脱いで」
(〜〜〜〜〜〜〜!!!!)
ためらいなく服を脱いだ羽純の姿は、歌菜には刺激的に過ぎた。危うく、鼻血を噴いて失神という乙女にあるまじき反応をするところだった。
「ふ、ふ、ふ、服を着てっ!!」
大慌てで命令する彼女の前で、羽純は特に急がずに服を着ていく。手で顔を覆った、その指の間からちらちらと着替えの様子を見てしまうのは仕方ないところだろう。
彼が元通りの格好になったところで、やっと少しだけ落ち着いた。まだ心臓の音が聞こえるけれど。
「く、薬の効果はバッチリだねっ。成分を採取して貰いに行こう」
「……ああ、そうだな」
歌菜の反応が面白かったのか、羽純はくつくつと笑っていた。
⇔
「未来を救う方法が見つかったのは幸いというべき……なのよね」
ピノを殺して未来を変えるでもなく、未来世界で機晶姫達を殺すのでもなく、誰かの命を犠牲にしないで『異常』を打開する方法を探していたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)にとって、これは喜ばしいこと――に違いはない。だが、その方法に拍子抜けしたというか面食らった部分があったことは確かである。
しかし、それはそれこれはこれで。
蒼空学園に来たセレンフィリティは飲む薬を即断即決していた。
(これが、『愛する者に支配される薬』よね!)
と思った小瓶を指定する。
「あたし、これを飲むわ」
適当に決めたわけではない。3種類の薬のうち、『記憶の一部を消す薬』は消えるであろう記憶の量の予測がつかない。その量をコントロール出来ない以上、大切な記憶を失う可能性すらある。『愛する者を嫌いになる薬』は論外で、大切なセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)を嫌いになる自分なんて想像もつかなかった。
となると、残りは一つしかない。
配布場所から離れつつ、セレンフィリティはセレアナにそう説明した。
「……それで、支配される薬なのね」
薬に対して不安を持っているのか、セレアナの表情は浮かなかった。一方、セレンフィリティはそこまで深いことは気にせずに蓋を開ける。
「あたし、セレアナに支配されてげしげし足蹴にされたい☆」
冗談めかして明るくMな発言をしながら、特に気負わずに薬を飲む。そんな彼女の笑顔は、小瓶が空になって間もなく吹き飛んだ。
彼女は間違えて、『愛する者を嫌いになる薬』を指定していたのだ。
(なに、これ……)
薬の効き目だろうか、セレンフィリティは何とも言えない嫌な気持ちに襲われた。我慢出来ずに蹲り、すぐ傍に立つセレアナに向かって絶対零度の冷たさを帯びた声音で言う。
「何、ジロジロ見てるのよ?」
この時にはもう、彼女にとってセレアナの視線は不快以外の何者でもなかった。
「セレン……」
足元に落ちた空の瓶を見て、セレアナは何が起きたのかを察した。とにかく落ち着かせよう、と恋人に1歩近付く。その直後、強烈な衝撃で視界が揺れた。平手で殴られたのだと気付き、薬の所為だとは思っても呆然して言葉を失う。
「……あたしのことを何だと思ってる? 貴族のお嬢様の気まぐれで、身も心も汚れきった哀れな下等生物にほんの少しのお情けをかけて、哀れんで、施してやって……さぞいい気分でいるんでしょ?」
「…………」
一言一言が、憎しみさえ感じられるような嫌悪に塗れていた。人として認めていない『女』に気遣いや容赦をするわけもなく、セレンフィリティの言葉は刃となってセレアナに刺さった。それは、頬に残った痛みとは比較にならない程の痛みだった。
薬の効果による完全な偽りの罵倒であれば、もう少し――もう少しだけ冷静に受け止められたかもしれない。だが、完全な偽りではなく、きっと、この激烈な反応はセレンフィリティの心の傷が、売春組織に居た時の子供時代の傷が――薬効と結びついて増幅した結果なのだ。
彼女の心の叫びであることに違いはないから、セレアナはひどく傷ついた。
それでも、その場から逃げずにそっと恋人に声を掛ける。
「セレン、落ち着いて……」
「近寄るな!」
苛烈極まる声に、身が縮む。
「もう騙されないわよ! あたしはあいつらに犯され……あいつらの次はあんたがあたしを……何もかも奪われて……」
氷よりも冷たかった目が、興奮と怒り、錯乱で熱を帯びている。
「…………!」
激高し、涙を流すセレンフィリティを、セレアナは必死の思いで抱き締めた。彼女を包み込むように、自分の胸の中にかき抱く。
「! やめて! 離して、離してよ!」
「大丈夫、大丈夫だから……」
暴れて逃れようとする彼女を抱き締め、安心させようとセレアナは努めた。どんな罵詈雑言をぶつけられても、彼女を離そうとはしなかった。
セレンフィリティが落ち着いて家に帰った時には、もう外は暗くなっていた。
「ごめん……ごめんね、あたし、セレアナに沢山、沢山ひどいこと……」
寝室で愛し合いながら、セレンフィリティはひたすらに謝ってきた。昼間の事を思い出したのか、また、涙を流し始める。その涙を指先で拭い、セレアナはそっと彼女に告げる。
「……私が好きなのは、そこにいるセレン……あなただけ」
そして、優しく――いつもより優しく、キスをした。
⇔
蒼空学園に着いたゆかりは、3種類の薬が大量に置かれたテーブルの前で口をへの字にして黙り込んでいた。その後ろで、マリエッタは心配でたまらない、というように彼女を見ていた。休みが無いことにマリエッタ自身もキレそうだったが、ゆかりの精神的疲労が尋常じゃないのが傍目にも明らかで、それが心配だった。特にここ数日は注意力も集中力も低下して、ミスも目立つ。
そんな中で妙ちくりんな薬を飲んで、ゆかりは大丈夫だろうか。
(あの男にも気をつけなきゃいけないし……)
盗聴任務を終えた夜にゆかりが一夜を共にした行きずりの相手――教導団経理科所属の中尉が最近執着を見せてきて、マリエッタはその警戒にも神経を使っていた。
もうやってられない、というのもあって、マリエッタは薬を服用せず、ゆかりの身に異変が起きないかどうかを警戒することにした。
(どうなるかな……、無事だといいけど)
そう思うマリエッタの前で、ゆかりは『記憶の一部を消す薬』を手に取った。
「……もう、何もかも忘れてしまいたい……ええ、忘れてやるわよ!」
そして、やけになったように叫んで薬を飲んだ。
「か、カーリー?」
1本ではない、目の前に並ぶ同種の薬を片っ端から飲むゆかりにマリエッタは驚く。ここ最近に起きた様々なロクでもないこと、その一部でも消去できれば多少は気分がマシになるかもしれない――その思いから、ゆかりはとにかく薬を呷った。
一夜限りの恋で終わらせた筈の男についてのあれこれも忘れたい事の一つだ。執拗に交際を求めてくる彼を、今のところは適当にかわすことができている。だが、そのうちストーカーにエスカレートするのではと思うと、軽はずみなことをするんじゃなかったという後悔が頭をもたげる。いくら気分がささくれだっていて、酒に酔っていたからといって身体を許していなければ……つくづく自分が嫌になる。
でも、一番忘れたいのはその男の事ではない。今まで、恋愛絡みで何度か失敗してきた。その中でも忌まわしい、14歳の時の記憶がせりあがってきたのだ。同級生と恋をして、彼と寝た。その恋心を踏み躙られた末の暴力とレイプ、妊娠、中絶……
大学生の時にマリエッタと出逢って契約し、パラミタに来たのは、そんな辛い記憶から逃げたかったのかもしれない。
そんな、辛い記憶から。辛い――
(……………………)
いつの間にか、何を忘れたかったのかも意識出来なくなりながら、それでもゆかりはひたすら薬を飲み続けた。ゆきずりの相手は数ヶ月後までゆかりにストーキングを続けたので記憶は上書きされる事になるのだが――その中尉も、マリエッタによって憲兵科に突き出されてとりあえずの安心を取り戻す。
一夜の恋には気をつけようと、心に誓ったゆかりだった。
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