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一夏のアバンチュールをしませんか?

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一夏のアバンチュールをしませんか?
一夏のアバンチュールをしませんか? 一夏のアバンチュールをしませんか?

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第2章 ホール

 この別荘で一番豪華な所はどこかといえば、それはやはりメインホールだろう。
 ジェイダスによって内側の配線や配管こそ近代風にされていたが、外見はあくまでも中世王城風の美しさを保っているこの別荘で、200名は軽く収容可能なこのホールには十数個のシャンデリアが吊るされていて、ダイヤモンドカットを施されたクリスタルの輝きを大理石でできた床や柱に放っている。
 また、不思議な、ヘキサゴン形をした壁のうち4つまでがフランス窓になっており、いつでもベランダに出られるようになっていた。
 午後9時。
 壁の一角でクラシックを奏でていたオーケストラが、演奏をやめる。
 音楽が止まったことに気づいた参加者たちの歓談のざわめきもだんだんと静まりだし、やがて完全に消えた。

 すっとシャンデリアの光が落ちて、かわりにスポットライトが上座の壇上に当たる。
 そこには、王座の横に控えるルドルフの姿があった。
「長らくお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。定刻になりましたので、これよりジェイダス校長主催による、仮面舞踏会を始めさせていただきます。
 まずは開催に先立ち、ジェイダスさまよりごあいさつがあります。皆さま、ご静聴願います」
 ライトがルドルフから横に流れ、王座のジェイダスを照らす。
 ついさっきまであそこにはだれもいなかったはずなのに、と小さなざわめきが起きたが、ジェイダスが立ち上がるとそれも消えた。
「紳士淑女の諸君、わが招待に応じ、遠くタシガンのこの地までよく来てくれた。礼を言わせてもらおう。
 皆すでに承知の通り、これは仮面舞踏会だ。昨日までの全てを忘れ去り、ひと夜限りの人物となって時をすごす。かりそめでありながら、真実でもあるのだ。さながら蜉蝣(かげろう)のように」
 カツン、カツン、音をたててゆっくりと階下に下りる。
 距離を置き、取り囲む者たちを見渡すジェイダス。
「ルールはただ1つ。昨日までの自分を思い出さないこと。そして楽しむことだ。
 諸君、楽しみたまえ! このはかない真実の刻を!」
 ルドルフの合図で、オーケストラが演奏を始める。
 ジェイダスがダンスの相手として手をさしのべたのは、豹のドミノマスクをつけた細身の女性だった。
 飾りのない黒のロングドレスは体のラインを露わにする。大抵の女性であれば避けるか、装飾品を付けることによってごまかそうとするそのドレスを見事に着こなす彼女からは、自分に対する自信が強烈な魅力となって放たれており、ジェイダスの美を愛でる心を刺激したのだった。
 ジェイダスからの申込みに、女性は手にしていたフルートグラスを白仮面のトレイに戻す。
 すべるようにフロアの中央へと進む2人に合わせて人の円も広がりながら移動する。
 フロアで踊っているのは、ただジェイダスと黒いドレスの女性のみだった。
「すばらしい。その美しさのようにダンスもまた完璧だ」
 ジェイダスの賞賛に、女性は紅をひいた唇でほほ笑む。
「名前をうかがってもよろしいかな?」
「ブラック=パンサー」
 囁きに、囁きで返して。
 女性はゆっくりとジェイダスから離れた。ジェイダスもまた、ダンスの途中で自分から離れていく彼女を追おうとはしない。
 パートナーを必要とせず、曲に合わせて1人踊る彼女を満足気に見ながら、ジェイダスはルドルフの傍らまで後退した。
 ルドルフが、ジェイダスの懐に差し込まれていたカードを無言で取り出す。
 例のルームナンバーと名前が飾り文字で入ったカードだ。
「豪胆な女性だ」
 いつの間に差し込まれたのか。その愉快さには、思わず笑ってしまった。
「誘いに乗られるんですか?」
「さてね」
 フロアで1人踊り続けるブラック=パンサーを見る。
 あの女性が、そんな俗なことを望んで入れたとは思えない。これは、できたからした、それだけの遊び心ととるべきだろう。
「強さは美しさと同じく私を魅了する。そのどちらをも兼ね備え、さらに笑わせてくれたあの者は賞賛に値する」
 ジェイダスはブラック=パンサーの流れる視線をとらえ、礼を言うようにカードにキスをすると、ルドルフを伴いその場を離れていった。


 ホストによるワルツが終わり、軽快な曲が流れ出す。参加者全員によるカドリールだ。
 それぞれパートナーの手を取り、4列に並ぶと向き合った。
 あいさつ的な意味を持つ最初のカドリールは4人1組のスクエアダンスで、ときどきおじぎをしあいながら、添え手をした男性の周りをくるくると女性が回転したり、クロスしたりする。曲調はゆったりとしていて、手の位置、足の位置など細かなふりつけは特にない。時おりパートナーチェンジをはさみながら、数個のステップの繰り返しが続く。
 青龍は、吉野が無事このダンスを終えられたことにほっとしつつ、自分とダンスをしてくれた女性に礼をすると、曲の終わりとともに壁まで後退した。
 最初のダンスをこなせたことに自信がついたのか、吉野はパートナーの御園と笑みを交わしながらバイキングテーブルに向かっている。
「お疲れサン」
 先に退いていた灯火が、彼の分のグラスを振りながら出迎えた。
 シュワシュワ炭酸の音を立てているそれを受け取ったものの、何が入っているのかと真面目に凝視している青龍に、プッと吹き出す。
「ただの炭酸水だって。何も入ってないよ」
 その証拠とばかりに同じ液体の入った自分のグラスを飲む。青龍も自分のグラスに口をつけた。
「吉野、立派に王子サマしてたな。おまえの仕込みが良かったんだろうな」
「本人の努力の成果です」
「うちのお姫サンもうれしそうだ」
 心底からの笑みを浮かべながら、灯火は礼を言うように自分のグラスを青龍のグラスに当てた。
「だれかに礼が言いたいのであれば、この会を催してくれたジェイダス校長に言うといいでしょう」
 ほらあそこにいる、と目線で位置を知らせる。
「そうしようかな」
 壁から離れ、人波に紛れていく灯火を見送ったあと。
 青龍もまた、1人の女性を目にとめて、その場を離れていった。


「じゃあ、あとは適当にね」
 曲の終わりとともにパッと手を離され、リラド・カシアーグはとまどってしまった。
 このまま踊りを続けるのだと思ったのだが、彼女の方は違う考えでいたようだ。
「どこへ行くつもりだ?」
 離れるのは一向に構わないが、リラドとしては、一応場所を把握しておきたい。
「い・い・と・こ・ろっ」
 立てた人指し指に唇で触れる。
 ようは教える気はないということだ。
 バイバイと手を振って、さっさと離れていく白い軍服姿の彼女を見送って、リラドはため息をついた。
(まぁ、イエニチェリに守られたここで何かあるとも思えないからな)
 おそらくバーかプールにでも行くつもりなのだろう、そう見当をつけて、それ以上心配するのはやめにした。
 自分のように、パートナー不在の女性はいないか、ざっと周囲を見渡してみる。
 フロアの大半は2人組で、次の曲のために場所取りをしていた。パートナーのいない男女は壁に後退し、そこでシャンパンを手に談笑するか、相手を物色している。
 その中でリラドの目をひいたのは、スリットから露わになっている美しい足だった。
 足首まで隠れるドレスを着ている女性が多い中、1人だけ大胆にも足のつけ根辺りまで深いスリットの入ったロングドレスを着ている女性がいる。
 顔の上半分を覆ったドミノマスクには銀のスワロが輝き、青い羽がこめかみのあたりで揺れている。
 彼女もまた、見つめるリラドに気づいたようだった。全身を値踏みするような視線を感じる。あまり気持ちのいいものではないが、リラド自身していたので仕方ない。
 どうやら及第点はもらえたらしく、女性の口元に笑みが浮かんだ。グラスをテーブルに置いて、リラドに近づいてくる。
 その大胆な衣装にふさわしい、堂々とした美しい歩き方だった。
「あなた、私を見ていたわね」
「足がきれいだったからね」
「あら」
 率直な言葉に、くすりと女性が笑う。
「うれしいわ。ありがとう」
 リラドの白いタキシードの胸元を飾る青薔薇を抜いて、口元にあてる。そのまま視線だけで見上げてくる挑発的な相手の姿に、思わず腰のあたりがゾクリとした。
 すっと手の中から薔薇を抜き、彼女の髪に挿す。
「あら」
「俺の胸を飾るより、この方が花も喜ぶ」
「……私はりあむ。あなたは?」
「リラドだ。リラド・カシアーグ」
「リラド。とてもエキゾチックな、あなたにぴったりの名前ね。
 ねぇリラド、ダンスはお得意?」
「知りたいことがあるなら、自分で確かめればいい」
 リラドからの挑発が、りあむの中の何かを刺激したようだ。
「そうするわ」
 リラドの手に手を重ねて。2人は以前からのダンス・パートナーのように、堂々とフロアへ足を踏み出した。


「俺と踊っていただけますか?」
 そんな言葉とともに手をとられ、リーンはあわてた。
 何しろ人は全てただのふやけた柱で、だれがだれだか分からない。
「あ、あのっ…」
(背丈はノレドと同じくらいあるみたいだけど…)
 懸命に背伸びをして、顔を近づけてみたが、そもそも仮面で覆われた顔を見たところで区別がつくはずもなく。
 むしろ、喉を伸びきらせてつま先立つ姿を、キスを求めていると勘違いされてしまったらしく、かすかに何かが頬に触れた気がして、あわててかかとを床につけた。
(だれだか知らないけど、絶対この人、ノレドじゃないですっ)
 ノレドだったら人前でキスなんて、絶対してくれないから。
「ごめんなさい、全然そういうのじゃないんです、わたし、間違えて…っ」
「間違い? それは残念」
 くすっと笑う声がした。相手が全然気分を害したふうでないことにホッとして、リーンは手を抜き取った。
「ごめんなさい。私、目が見えなくて、それで…」
「見えないの? 全然?」
 男性の声が、とたん心配そうになる。
「あ、違うんです。そうじゃなくて。すごく近眼なんです。でもこのマスク、度が入ってなくて」
「ああ、なるほど。
 どのくらい見えるの?」
「人は動くふやけた柱で、柱は動かない固い柱、テーブルは四角いおトーフ」
 その例えは彼のツボに入ったらしく、ぶぶぶっと吹き出す声が降ってきた。
「それで私、パートナーを捜してるんですけど、全然分からなくて。確かめようと思って、顔を近づけただけなんです」
「そう。分かった。俺も誤解してすまない。
 それで、きみが捜している相手って? どんな仮装をしてるか分かる?」
「あ、えーと。たしか、ルドルフさんと同じ格好をしてるはずです」
「ルドルフさんか…」
 思案する声。周りをぐるっと見渡してくれているらしい気配がする。
「うーん。ざっと見ただけで3人はいるなぁ」
 しかも3人とも、パートナーがいるし。
「そうですか…」
 しょぼんと肩を落とすリーン。その指に、指が絡みついた。
 そのままぐいぐい引っ張って歩き出す。
「あ、あのっ…?」
「いいこと思いついた。きみがフロアに出ればいいんだ。踊っていれば、きっと向こうの方がきみを見つけてくれるよ」
「えっ? でもっっ」
 ノレドも私と同じですごい近眼なんですけど〜?
「ん? 何か言った?」
 フロアの定位置についたらしく、男性が振り返ってリーンの両手をとる。
 こうなってはもう、壁に戻してほしいとも言えない。
「私、こういう所って初めてなんです。だから、どうすればいいか、よく分からなくて…」
「ああ。大丈夫、俺は慣れてるら。これはそう難しくないダンスだから、きみは俺がリードする通りに動けばいい。それに、見えないなら周りを気にする必要もないしね」
 音楽を感じて、ただ楽しめばいい。
 そこでふと、彼は何かに気づいたようにリーンを見下ろした。
 胸にさしてあった薔薇を取り、彼女の手に乗せる。
「俺は、カーディナルといいます。お名前を教えていただけますか? 小リスちゃん」
 リーンとしては、相手がノレドでないことが少し残念な気がしたが、そんな思いをいつまでも引きずっていては、この親切な男性に失礼というものだ。
「リーンです。よろしくお願いします」
 気持ちを切り替えるように、両手を彼にとられたままで、ぺこりとリーンは頭を下げた。


「もういいかげんにしてよ!」
 カドリールが終わったとたん、つないでいた手を放り出すように離して、ベアータはパートナーに背を向けた。
「ベアータ?」
 名前を呼んでも答えない。ずんずんずんずん先を行き、壁の花として立つ彼女の横に、アージェントもつく。今まで通りに。
「ちょっと。隣に立つんだったらもうちょっと距離取ってよ。連れだと思われちゃうじゃないっ」
 こそこそ。他人に聞こえないように、囁きまで声を落として言う。
「連れですから」
 しれっと肩をすくめるアージェント。全然言うことをきいて離れていってくれそうにない。
「言ったでしょ? 舞踏会なのよ? せっかくお金持ちとお友達になれるかもしれないっていうのに、あなたがいたらだいなしじゃないのっ」
「どうやって、だれがお金持ちだと見分けるんです?」
「それはもちろん、立ち居振る舞いよ。衣装だって、仮装とはいえ、その質には財力が出るわ。完璧な衣装、作法、ダンス、そういったものを気をつけて見ていれば、お金持ちとそうでない者は自然と嗅ぎわけられるのよ」
「嗅ぎわけられるのは、お金でしょう」
「なんですって?」
「いいえ、なにも」
 腕を組み、そっぽをむく。
 正直、アージェントは全く面白くなかった。舞踏会など、過去にもう飽きるほど体験してきている。ベアータが行きたいと言わなければ、絶対参加などしなかったのだ。
(彼女は私のものなのに。私以外の男と踊っている姿など、見たくもありません。絶対躍らせてなるものですか。何を言われても、邪魔をしてやります)
 話させたくない、触れさせたくない、視界にだって入れさせたくない。
 なぜこんなにも美しく着飾っている彼女を、他人の目に触れさせなければいけないのか。この美しさは自分だけのものなのに。
 こんなのは、絶対に間違っている。
「ねえ、聞いてるの? 私が話しているんだから、ちゃんと聞きなさいよ!」
「はいはい」
「……もういいわ。あなたはここで好きなだけ突っ立っていなさい。私はあの人に申し込みに行くから」
「えっ?」
 ベアータの宣言に、あわててアージェントは壁から背を離した。
 彼女の差した指の先には、さっきからバラを手に女性に誘いをかけている赤い髪の男がいる。
「ベアータ、あれは軽薄な男です。パートナーを決めず、ふらふらしてばかりいる」
 彼女の気を変えさせたい一心で、事実を少々捻じ曲げて口にした。
「だから何? 彼は間違いなくお金持ちよ。いざとなったらこの名刺を使ってでも、コネを作ってみせるんだから!」
 とは、かなり言いすぎた言葉だった。そんな真似はいくらなんでもできない。自分をそんな安い女だとは思っていない。
 いうなればこれは、アージェントの態度に腹が立つあまり口走った、売り言葉に買い言葉というものだ。だがその言葉が、仮面の奥のアージェントの瞳を冷たく凍りつかせた。
「ベアータ」
 いつになく静かな、感情の欠如した声がアージェントの唇から発せられる。
「な、何よ?」
 思わず身構えたベアータに、アージェントは人差し指を立てて見せた。
「ゲームをしましょう。今からあなたはここの使用人の方に言って、ドレスと仮面を変えてきてください。そうですね、次のポルカ1曲分で十分でしょう。そのあと、次のワルツが始まるまでの間に、私があなたを見つけられたら、あなたは私の言うことをきく。見つけられなかったら、私があなたの言うことをきく」
「……言うことって?」
「残りの時間、あなたを1人にしてさしあげます。だれとでも踊って、勝手に好きなだけコネとやらを作ればいい」
「本当に?」
 願ったりだわ。意気込む彼女に、アージェントは続けた。
「ただし、私が勝った場合には、私への愛の言葉をホール中の人全員に聞こえるくらいの大声で叫んでもらいます」
「なんですってえ???」
「おや、もう負ける気満々ですか? ずいぶん弱気ですねぇ」
「くっ…。分かったわよ、見てなさい! あなたになんか、絶対見つからないんだからっ」
 宣言し、ホールを出ていく彼女を、アージェントは不敵な笑みを浮かべて見送っていた。