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一夏のアバンチュールをしませんか?

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一夏のアバンチュールをしませんか?
一夏のアバンチュールをしませんか? 一夏のアバンチュールをしませんか?

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第8章 ホール

 壁際に1人、グラスを手に立つ彼女を見たとき、カエラムは、ああこの人だと思った。
 美しい、純白のドレスを着た清楚な少女。
 衣装に合わせた仮面は鳥を模している。
 ホワイトスワンだ。
 対照的な黒く長い髪が、ますますその少女を儚げに見せていた。
「こんばんは、良い夜ですね」
 グラスを持つ手がかすかに震えていて、とても緊張しているように見えたので、驚かせないよう、ちょっと離れた距離から声をかけた。
 思った通り、彼女は声をかけられたことに少しビクついたものの、距離があると分かってからは警戒を解いたようだった。
 もともとカエラム自身、威圧的な容姿ではないことも関係していたと思う。
「……こんばんは」
 言葉を返してくれたことを許しととって、カエラムはゆっくりと少女の傍らに歩を進めた。
「俺はカエラムといいます。よかったら少しご一緒させていただいてもよろしいですか?」
「鷹なのね…?」
 少女の指先がそっとカエラムの仮面に触れて、さっと離れる。
「そうです。あなたは白鳥ですね?」
(そうなのかしら?)
 鳥だとは思うけれど、何の鳥かまでは分からない。なので、とりあえず頷いた。この人がそう見えるのなら、そうなのだろう。
 カエラムにじっと見下ろされて、やっと、自分が訊かれていたことに気づいた。
「あ……私、マリアっていいます」
「マリアさん。きれいなお名前ですね。白鳥にふさわしい」
 笑顔が柔らかくて、優しそうな人だった。
 だからマリアは、もう一歩、彼に踏み込んでみることにした。
「あの、私、すごく緊張して……ごめんなさい。うまく話せないんです。こんな、はなやかな場所、初めてだから…」
 だんだん勇気がなくなって、先細りに消えていく。
 ひっこみじあんが災いして、大抵、ひとことふたこと言葉をかわすと、相手の男性は要領を得ない会話に苛立って、おじぎをして去って行った。
(この人もそうなのかしら…?)
 不安に思うあまり、グラスを握る指に力がこもってしまう。
 彼女の言葉に、しかしカエラムはますます笑顔を強めた。
「ああ、よかった。実は俺もなんですよ。俺も、こういう場所に来るの初めてなんですよね。でも招待状もらって、せっかくの機会だし、なんでも挑戦してみるのが大事かな、って」
「私……私も、そう思ったの」
 これまでの結果は決してはかばかしくないけれど。
「じゃあ俺達、一緒ですね。うれしいな。こんなにいっぱい人がいる中で、同じ思いの人に会えたなんて」
「私も…」
 会えて、本当によかった。
「あ、笑いましたね。その方がずっといいですよ。でも俺、何か笑えるようなこと言いましたっけ?」
 くすくす。くすくす。
 マリアの笑いが、緊張が解けだすのに比例して、徐々に大きくなっていく。
 そのとき、ふつりと休憩の音楽が消えて、ワルツが流れ始めた。
「ああ、ワルツの時間だ。
 マリアさん、踊れますか?」
 首を横に振る。
「踊れないの」
「そうか。俺も踊れないんだけど……これ、知らなくても踊れるかな?」
 そう、思案してフロアを見たとき。
 マリアが遠慮がちに彼の袖口を引っ張った。
「なんですか?」
「ベランダが、いいと思うの。間違っても、だれも何も言わないから」
「あ、それいいですね。間違えても、俺達にも分からないし」
「ふふふっ」
「マリアさん、俺と踊っていただけますか?」
「よろこんで」
 お互い、映画で見たことのあるシーンを意識して、おじぎをしあって。
 カエラムは楽しそうに笑うマリアの手をとり、フロアで踊る人達には背を向けて、ベランダへとエスコートしたのだった。


 羽扇でぱたぱたあおぎながら、クリスはちょっと、しまったと思っていた。
 深いスリット入りチャイナドレス。ドレスに合わせて作った羽根つきの仮面。そしてハイヒール。
 どれも普段の自分なら、絶対にしない格好だった。でも、せっかくの仮面舞踏会だし。普段の自分とは違う自分になれるというのなら、思い切ってこういうセクシー系もいいだろう、と。
 ただ、このハイヒールが曲者で、歩いているとときどきかかとがすべって膝がカックンしてしまうのだ。
(歩いててこれじゃあ、踊るとなったらかなりやばそうよね)
 ま、身長170プラスハイヒールという長身を超える男性は、見たとこあまりいそうにないから、いらぬ杞憂かもしれないけれど。
(このまま壁の花で終わるのかしら? それもいいけど……ちょっと残念)
 そんなことを考えていたとき。彼女の前に、1輪の茎の長い赤薔薇が差し出された。
 こんなことをしそうな人物は1人だけ。
 きっと彼だと思ってそちらに向き直ったとき、はたして彼女の前に立っていたのは、全然別人だった。
「……どなたかとお間違えかな?」
 彼女の驚いた表情からそれと悟って言う。
「あ、あら。ごめんなさい」
 ぱたぱた。扇で口元を隠して、それ以上読まれないようにした。
「これは? 私に?」
「美しいあなたには、これがふさわしいと思ったのだ」
「ありがとう」
 男性から花をもらうなんて、どれくらいぶりだろう? なんだかくすぐったい気持ちになる。
「私はカーティス」
「私、クリスよ」
「ではクリス。私と踊っていただけますかな?」
 少し横柄な物言いだった。全然頼んでいる感じがせず、むしろふんぞり返っているように見える。
 でも、せっかく誘ってくれたのだし。ヒールの私より背が高いし。
「ありがとう。でも実は私、少し問題があって」
「踊れないのか?」
「いえ。踊れるけれど、ちょっと靴が心配なの。ヒールに慣れてなくて。途中でこけちゃうかもしれないわ」
 これだけはことわっておかないといけなかった。
 フロアでしりもちをついたりしたら、それはクリスだけでなくパートナーのカーティスまで恥をかかせてしまうことになる。
 辞退されても責めたりしない。そんな気持ちでいたクリスの前、まるで羽虫でも払うように、カーティスは手のひと振りで払った。
「なんだ。そんなことは問題ない。私が完璧にフォローすればよいことだ」
「……すごい自信ね」
「私はまやかしの言葉などは口にせぬ。私ができると言えばできるのだ。
 さあ、行くぞ」
 差し出されたエスコートの手に、自分の手を預ける。
「ねぇ。もし私が、踊りたくないと言ったら、あなたどうしていたの?」
 フロアへ向かいながら訊いてみた。
「なに、簡単だ。プールかバーにでも誘っていたさ。今からでも行くか?」
 ずっと聞いていると、この自信たっぷりな物言いが、なんだかほほ笑ましくなってくる。
 面白い人。
「いいえ。それはあとにしましょう。ずっとあとに。今は踊りたいから」
 薔薇を持つ手をカーティスの背に回し、力強い手にリードされながら、クリスはワルツを踊り出した。


 アルバスは、ホールに来て以来、テーブル席を1つ丸々陣取って食べていた。
 テーブルの上にはさまざまな料理が少量ずつ乗って並んでいる。それが、バイキングテーブルにある全種類であることはひと目で分かった。
「アルバスさま。こちらは温かいうちにお召し上がりください」
 白仮面が新しい料理をバイキングテーブルに置く早々、小皿に取り分けて彼女のテーブルに運んできてくれる。
「ありがとう」
 ぺこっと頭を下げて、さっそくほかほか湯気を立てている料理にぱくついた。
 最初のうちはアルバスも自分で取りに行っていたのだが、ダンスには一切見向きもしないでパクパクマイペースに食べ続ける彼女を見て、白仮面達が、新しい料理を運ぶ都度都度に料理を運んできてくれるようになったのだ。
 そうしてかれこれ3時間半。彼女の手が止まることは一度もなかった。
「やぁ彼女。もうそろそろフォーク握るのは飽きたんじゃないか? 俺と踊らないかい?」
 横から話しかけられて、そちらを向く。
 目元を覆う黒いマスク。布キャップには交差する剣の上のドクロマーク。
 そこには海賊の仮装した、水嶋ピロが立っていた。
「すみません。私にはパーティー料理全食制覇という、やらなくてはならない使命があるのです」
 もぎゅもぎゅ口を動かしながら、謝罪を口にする。
「……うん。それ、実は1時間前にも聞いた」
 やっぱり俺のこと覚えてなかったのねー。
(俺ってそんなに印象薄いのかなぁ…?)
 ちょっと落ち込みかけながらも、ピロはどうにか立ち直って、再度彼女に話しかけた。
「ずっと食べてるけど、そんなに食べるの好き?」
「はい。好きです」
「そっか。じゃあこれなんか、どう? ウルトラジャンボチョコボールSDX、しかもハロウィン限定版!」
 ばばん! 背中に隠し持っていたA4サイズほどもあるお菓子の箱を出す。
(くっ……さよなら、俺の夜食)
 心の内で、ひそかに涙する。
 これを手に入れるのに、どれだけ手間がかかったか。販売店限定、個数限定の商品だったために、片道2時間かけて行き、さらに1時間半列に並んでようやく買えた、幻とも言うべき商品だった。
 だが、あきらかに目の前のお菓子に誘惑されているらしく、キラキラさせた目で手を伸ばしてくるアルバスの姿を見ると、これと引き換えでも惜しくはない気がした。
「ね。これあげるから次のダンス、一緒に踊らない?」
「次はバレエ鑑賞です」
 そう答える間も、アルバスの目は、彼がブラブラさせているお菓子の箱に釘づけだった。
「じゃー、その次のやつ」
「ポルカ・シュネルですか?」
「一緒に踊ってくれる?」
「……分かりました」
「やったっ!」
 不落の城をついに落としたと、思わずガッツポーズをするピロに何らかを感じてか、アルバスの目が初めて彼をまともに見た。
 まっすぐ相手の目を見る瞳の強さに、どきまぎしてしまう。
「あ、あのさ、そのあとのカドリールもさ、一緒に踊らない? そんで、できたらラストワルツまで、なーんて」
「踊りません」
(……あ、やっぱりねー。そこまで甘くないよねー)
 るーるーるー。
「そのころには料理も終わりますので、寝室に戻っているのです。でも、それまでだったらお相手します」
「えっ、マジ?」
 ピロ、完全復活。
「はい。大切なお菓子、ありがとうございます」
「じ、じゃあ、その前になったら呼びに来るから」
「分かりました。お待ちしております」
 上機嫌で離れるピロ。アルバスの関心は、既にお菓子の箱に移っていた。


「ねえねえっ。早く出ておいでよ。ベランダ、風が気持ちいいよ」
 羽鳥 翔はフランス窓を大きく開いて飛び出すと、ベランダの手すりに飛びついた。
 ベランダでも談笑できるようにテーブル席がセッティングされていたが、バレエ鑑賞が始まっている今はみんなフロアに集まって、だれもいない。
 2人きりになるには、絶好の場所だった。
 アイナもまた、窓をくぐり、こちらはきちんと閉める。
「ね。ここならアイナもしゃべれるよねっ」
 肩越しに振り返る翔。ビュッと風が吹き、かぶっていたつば広の帽子を吹き飛ばした。
「あーっ」
 手を伸ばしてももう遅い。帽子は風に乗り、あっという間に森のどこかへ吸い込まれていってしまった。
「あーあ。せっかく作ったのに」
 手芸クラブの一員である翔は、今回の三銃士の衣装を全て自作していた。
 頭に被っていた帽子から靴まで。ひと揃い、セットだったのに。さっそく1つ欠けてしまった。
「帽子がないと、しまらないよね、この格好」
「私よりましでしょう…」
「あ、やっとしゃべった」
 口をきかないように気をつけていたのに。
 失言とばかりに口を覆うアイナ。彼は「男性型機晶姫はめずらしいから、ありがちな仮装だと正体バレちゃう」と翔に説き伏せられ、非常に不本意ながらも女装させられてしまっていた。
 製作者である翔のセンスが良かったおかげで、体のラインを隠す紅のロングドレスを不自然なく着られていても、口を開けば男であるのは一発でバレてしまう。女装趣味があるとか、男の娘とか、絶対に思われたくないアイナは、寝室を出て以来頑なに一音も漏らそうとしなかった。
 もちろんダンスを踊るのも翔とだけだ。
 最初は、だれも知らない、2人だけの秘密の男女逆転劇を面白がっていた翔だったが、こうなるとだんだんつまらなくなる。
 せっかく舞踏会へ来ているのに、彼と会話もできないなんて。
(勝手だなぁ、私。私がやりたいって押し切って、しぶる彼にあの格好させたのだって私なのに。いざここに来たら、こういう場所で、普段の彼と踊れたらなぁって思っちゃった)
「……ねっ? だれもいないんだし、しゃべってもいいんだよ、アイナ。なんだったら、仮装取っちゃってもいいよ」
 さすがに服とマスクは脱げないと思うけど。
「助かりました…」
 ふうと息をついて、窓から一番遠いテーブルに浅く腰かける。アイナは、金髪のかつらを取って傍らに置いた。
「これ、中が相当蒸れますよ。夏に使うのであればもう少し工夫してください」
 頭を掻きむしって風を入れるアイナ。
 かつらがなくなって、耳と首の機械部分が露出している。まだドレスを着ているので微妙な感じではあるが、そこにいるのは間違いなく、翔の知る彼だった。
「アイナは、やっぱりこっちの方がいいかも」
 近寄り、髪をくしゃくしゃっとする。軽く、ふざけてしたつもりだったのだが、彼女を見下ろす青い瞳が笑っていないことに気づいて、はっとなった。
「アイナ…?」
「帽子は、あとで白仮面に言って、探してもらいましょう。明日帰宅するまでに見つかるかもしれない」
「う……うん」
「髪留めをお持ちですか?」
「あ、うん」
 ポケットをごそごそして、四葉のクローバーの髪留めを取り出す。
 受け取って、ぱちんと髪に留めた。
「でも、これだと私だって分かっちゃう…」
「かもしれません。でも、これでようやく、あなたは僕の知るあなただ」
 髪に触れていた手が、そっと頬をはさみこむ。
 予感が、翔の頬を熱くさせる。
「アイ――」
「黙って。それは僕ではないし、あなたも違う。真実が口に出せないのであれば、もう何も言わないでいい。この唇から、偽りは聞きたくないんです」
 そっと、目の前にある大切な宝物を抱きしめた。
 かりそめの一夜など、彼にははじめから不要だった。そんなものに価値はこれっぽっちも見出せない。もう、夢や幻は、十分なくらい見てきた。彼女に出会う前に。
 彼女と出会えてからの今の彼には、そんな慰めのひとときなどいらないのだ。
 ここにこうして、あたたかな現実がある。
 どんな夢のような一夜も、この確かなぬくもりにはかなわない。
 やがて、腕の中の彼女が、ため息のような音を出した。
 完全にその身を預けてきたのを感じて、ぷつっと彼の中の自制の糸が切れる。
「……あっ…」
 自分を引き寄せる力が突然強まったことに、小さな悲鳴を漏らす。その声を吸い取るように、彼の唇が翔のそれをふさいだ。
 背後の窓からかすかに、バレエ音楽が漏れ聞こえる。
 かりそめの姿、かりそめの舞踏会、かりそめの一夜。
 だがここには、真実があった。