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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第2回/全3回)

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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第2回/全3回)

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第16章 攻略! アジ・ダハーカ(1)

 同刻。
 ザムグの町では、閉門が間近に迫ったことを知らせる鐘の音が厳かに鳴り響いていた。
 外壁に沿って積み上げられた木箱の上で、西日を浴びながらユリ・アンジートレイニー(ゆり・あんじーとれいにー)が小さく歌を口ずさんでいる。
 ラ・マルセイエーズ……フランス革命政府がオーストリアに宣戦布告をしたときの歌だ。義勇兵が士気を鼓舞するために歌った歌。
「♪武器を取れわが民 隊列を整え 進め進め 敵の血で地を染めよ…」
 ぶらぶらさせている足の横で、ララ サーズデイ(らら・さーずでい)が腕を組み、目を閉じて聞き入っていた。
「美しい声で、また物騒な歌を歌っているな」
 ぴたりとユリの歌が止まった。
 目を開けたララの前、リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)が腰に手をあて仁王立ちしている。
 タイフォン家での作戦会議が終わったようだ。
「もとは革命歌だからな。多少過激なのは仕方がない。
 で、作戦は?」
「我等は一歩引いて反乱軍の周辺を警戒するのだ。先の戦では多くの裏切りが出た。練度の低い兵が裏切りや奇襲に会えば瓦解しかねないのだよ」
 今夜の奇襲に参加する反乱兵は、もともとアガデの軍に所属していた者がほとんどだったが、中には民兵もいた。作戦通りに任務を遂行することはできても、とっさの出来事への対応は期待できそうにない。
「裏切りか。美しさに欠ける嫌な言葉だが、だからといって目をつぶって見ないふりをするわけにもいかないな」
「常にあらゆる可能性を考え、その対処法を考えておくのだ。起きなければそれでいい。だが、起きたとき想定外とあわてるわけにはいかないのだよ。それはあまりに愚かだ」
「ウィ」
 ララは腕を解き、もたれていた木箱から離れた。
 暮れる陽を追うように姿を現した月。だが月は今現れたわけではない。ずっとそこにあったのだ。月がそこに現れるのはおかしいと、言う者はいない。
 人の目にふれていなかったというだけで。
「♪打ち震えろ恥ずべき者ども 忘恩の企ては 報いを受け最期を迎える…」
 ユリは美しい高音で、高らかと歌った。



 ザムグの鐘の音は風に乗り、離れたアナト大荒野にまでかすかに届く。
 赤く染まった空とあいまって、どこか胸を掻き毟りたくなるような物悲しさをかき立てるのは、これからあの町で惨事が起きることを知っているからか。
 偵察に出された東カナン正規軍歩兵科所属の兵士は足を止め、ほかの3人とともに鐘の音に耳をすませた。
 彼らはザムグ出身の兵たちだった。町にあかるいからと、今度の任務に選ばれたのだ。
 まさか、こんな帰郷になるとは思わなかった。そう思いながら、再び歩き出す。
 まだ何をするわけでもない。ただの偵察だ。将軍が彼らに命じたのは、その規模を正確に把握して情報を持ち帰ること。特に反乱軍の味方をしている東西シャンバラ人についての情報だ。彼らについては知らないことが多すぎるからだ。そして内部から手引きをしてくれる者を見つけること。
 ザムグ町議会が領主様を裏切り、反乱軍を受け入れたことは少し驚きだったが、全員が一致した考えではないだろう。領主様の手助けをしたいと考える者は大勢いるはずだ。おそらくは町の有力者、町議会の中にも。
 まずはその者たちと連絡をとり、この将軍からの書状を渡して――――
 考えに没入していたため、最初、何が起きたのか彼には全く分からなかった。気付けば縫いつけられたように足が止まっている。
 じわじわと腹の底からこみ上げてくる、胸を圧迫するもの。冷たい汗が背骨に沿って流れる。
(なぜ俺は、冷や汗などかいてるんだ?)
 足がぶるぶる震えた。まるで何か重い物、鉄の鎖が絡みついているようだった。
 一歩前へ踏み出すだけだ。周りには何もない。怖がらなければいけないものなど影も形も……
(怖がっているのか? 俺は)
「ああ……あとはあなただけですわ」
 吐息まじりの女の声がすぐ近く、右肩の後ろから聞こえた。
 じらすように頬をかすめた指先、視界の隅でさらさらと揺れる銀の髪…。
「…………ッ」
 叫びたかったが声が出なかった。おそろしさのあまり、振り返ることもできない。
 夕方の、荒野で。
 前方には、人のたくさんいる町の外壁が見える距離で。
 彼は己の死を悟った。

「おっと、あぶない」
 石突をうなじに受け、崩折れた男めがけて振り下ろされた死神の鎌――サイス・オブ・ノワールの柄を、ウルフィオナ・ガルム(うるふぃおな・がるむ)がぱしりと掌で止めた。
「東カナンの兵をむやみに殺したりしたら処罰だって言われてるだろ」
「あらつまらない」
 光学迷彩とベルフラマントで姿を消していたレイナ・ミルトリア(れいな・みるとりあ)が現れる。
「ずるくてよ、ウルさんだけなんて」
 ウルフィオナの後ろに倒れた3人を、ちらと見る。
「レイナが遊んでるからだろ。こういうのはすばやく、相手に気付かれないうちにさっさとやっちまわないとな。
 それにあたしは殺してない。毒使いとしびれ粉を合わせて麻痺させてるだけだ」
「……でも、ここにはワタシとウルさんだけですし。ワタシたちがこうして先行隊を始末しに出ていることはだれも知りませんから、殺してもきっと知られないと思うのだけれど」
 いかにも未練たらたらの口調だ。
 これだからあたしがそばで見張ってないと駄目なんだ、ウルフィオナは心の中でひそかにため息をつき、腰に手をあてた。
「それで死体の始末はどうするわけ? 夜になったらほかのみんなもここを通るんだよ? 西の砂漠ならともかく、ここの地面を掘るなんて、あたしはごめんだ」
 レイナの視線が足元の黒い地面に落ちた。水気のない、カラカラの大地は固そうだ。そんな重労働はレイナもやりたくない。
「ほんと、つまらない」
 ため息をつく。そんなレイナの視界に、倒れた男の胸元からこぼれかけた紙が入る。手に取り、開いたレイナは中身を読んでくすくすと笑い出した。
「どうした?」
「彼ら、工作員だったんですわ。これはザムグの要人にあてた協力要請の手紙です。ウルさんならどうします? 彼らだけにそんな任務を任せて?」
 自分ならそんな不確かな真似はしない。特に何百人と兵士がいるのであれば。ましてターゲットの要人は1人とは限らない。
「あと数組、彼らのような者たちがいるはずですわ」
 ベルフラマントを翻し、たたたっと走り出す。その目は新たな獲物を求め、倒した兵士のことはすっかり頭の中から消え去ってしまっている。
「あ、おい。ちょっと待てって」
 ウルフィオナとしてはそういうわけにもいかないので。
 あわてて4人を運び、背中合わせにして座らせた。こうしておけばだれかが見つけてくれるだろう。
 そうして、かなり先に行ってしまったレイナを追って、走り出した。
 夕闇が迫る中、ベルフラマントをまとい、サイス・オブ・ノワールを手に走るレイナ。ふと何か思いついたように、くるっと振り返る。
「戦いが始まって混戦になれば……ねぇ? ひとが死ぬほどのけがを負うのはあたりまえですよね?」
 それでもしもそのけがが元で死んでしまったとしても、それはそれで仕方のないことですよね…。
 銀の髪をなびかせ、愉悦に顔を歪ませる彼女は凄絶に美しく――まさに死神そのものに見えた。



 鐘塔の鐘に、最後の一打が打ち込まれた。
 長い余韻とともに町の正門が閉じかける。
「わー、待った待った! そこのおじさん、閉めるのちょっと待ってーっ!」
 そんな言葉とともに、小型飛空艇ヴォルケーノがヴォンッと加速音を立てて門に迫る。ぎょっとなった門番が硬直している間に、ヴォルケーノは横すべりしながら飛び込んだ。
「ギリギリセーフ! あぶなかったぁ」
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が腕で額の汗を拭く真似をする。
 飛空艇だから外壁を飛び越えて入ればいいと思う者もいるかもしれないが、それはやっぱり違う。緊急時はともかくとして、平時にそんなことをすればよけいな騒ぎを引き起こしかねないのだ。
「……でも、やっぱり騒ぎを起こしちゃってるみたいだけど」
 壁に沿って並んださまざまな飛空艇の一番後ろで停止したヴォルケーノから下りながらコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)はそっと周囲を伺った。一体何事かと、窓や戸口から人の顔が突き出している。注目のまとだ。
「気にしては駄目です」
 もう慣れたと言わんばかりにベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が脇に立つ。だがメガネのフレームで隠れた頬が、ほんのり赤くなっていた。
「気にしない、気にしないっ。ヴォルケーノも預けたし、さっさとみんなのとこ行こっ」
 門番から受け取った預かり書をヒラヒラさせながら、美羽はさっさと歩き出した。
「場所は分かってるんですか?」
「うん。さっき門番のおじさんにこっちの道だって聞いたから。もし迷ってもタイフォン家の御館って訊けば、だれでも教えてくれるって。
 あ、そーだベア。これ、なくさないように預かってて。私、きっとなくしちゃうから」
 ひらっと預かり書をベアトリーチェの手に落とす。それは馬の預かり書で、整理番号と持ち主の美羽の名前が書かれていた。
(――東カナンでは、移動用は馬が主流ですものね…)
 もしかして側面に番号札がペタッと貼られているのではないか、ということは、なるべく考えないことにした。
 舗装の行き届いた町の大通りを歩く。
 建物も石造りで、ちょっとしたヨーロッパの街並みだ。歩いている人たちも、これまで通ってきた村や町の人と格段に違い、おしゃれで清潔っぽく見えた。彼らも労働者ではあるだろうが、田畑を耕してどうにか食いつないでいる人たちにはとても見えない。
 なにしろ、アクセサリーを付けているのだ。それはつまり、それだけの心の余裕がここの者たちにはあるということ。
「これが本当に同じ東カナンなのでしょうか…」
 見苦しくない程度に左右に視線を飛ばし、ベアトリーチェはつぶやく。
 彼女を一番驚かせたのは、街灯があることだ。蛍光灯のような白く強い光ではなく、ぼんやりとした、赤黄色っぽい光の白熱灯風だったが、とにかく電気が通っている。
 街路樹もある。数はそれほどないし、乾燥に強いタイプの木で、観賞には適さなかったが、それでも緑だ。
(アガデの都に近付くにつれて緑も電気も増えて、人々の富裕さが増すのなら、彼らに荒廃への危機感を持てというのは難しいことなのかも…)
 ほう、とため息を吐き出したとき。
「あっ、あそこじゃない?」
 美羽が格段に立派な造りの、まさに館と言うべき建物を指差した。
「絶対あそこだよ! ほら、早く行こっ」
「あ、待って美羽。あぶな――」
 コハクの忠告は活かされなかった。どすん、と音を立てて美羽は頭からヴァルキリーの黒羽に突っ込んでしまった。
「いたた…」
 強打した鼻を押さえる美羽。
「おう、どうしたお嬢ちゃん。積極的だな。間違えるなよ、そっちは背中で胸はこっちだぜ」
 ぎゅーーーーーっ!!
「……フェイミィ、放してあげなさい…」
 また病気が始まったと、いくらかげんなりした声でリネン・エルフト(りねん・えるふと)が隣に並ぶ。
「リネン!」
 彼女を見て、コハクがうれしげに名を呼んだ。
「リネンもこっちへ来てたんだ」
「あら……コハク。じゃあ彼女は…」
 フェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)が緩めた手の中から出てきたのは、たっゆんに顔面をふさがれ、窒息しかけてふらふらになった美羽だった。
「……うにゃあ〜〜〜」
「あらまぁ」
「おう、美羽だったのか」
 ばたり。コハクの肩に倒れ込む美羽に、カラカラ笑ってすまんすまんとかたちだけの謝罪をするフェイミィ。次の瞬間、バン! と音を立てて扉が開いて、ヘイリー・ウェイク(へいりー・うぇいく)が飛び出してきた。
「もう! ついてきてるとばっかり思ってたのに、何そこでかたまってんの! ――って、コハクたちじゃん」
「こんにちは、ヘイリー」
「おひさしぶりです、ヘイリーさん」
 コハクとベアトリーチェは揃って頭を下げた。
 
 

「そうだったんですか、リネンたちは西カナンから」
 身元の証明は、館にいる東西シャンバラ人たちとの顔合わせでヘイリーが既に済ませていたので、リネンたち6人はまっすぐ階段を上がり、3階にあるセテカの部屋へと向かった。
「うん。なんたってあたしはかつて地球の『征服王』と戦ったんだからね! 相手が征服王を名乗る者とあっては黙っちゃいられないのよ」
 意気込み、教えられた最奥の部屋のドアをノックする。すぐに入室を許可する低めの男性の声が中から返ってきた。
「やほー! はじめまして! 西シャンバラ・ロイヤルガードの小鳥遊 美羽だよ。今夜の戦いの助っ人に来ました! よろしくねっ」
 ヘイリーの腕の下をくぐり抜け、美羽がさっそうと部屋に飛び込み右手を差し出す。
 中にいたのは、鎧に身を固めた男性だった。
「はじめまして。セテカ・タイフォンです」
 そう言う言葉も、顔面のほとんどを隠している兜の中で反響しているせいか、くぐもって聞こえる。
 まさかこんな姿でいるとは思っておらず、ぎょっとしてしまった美羽だったが、唯一露出した青灰色の目が優しく笑っているように見えて、怖さはあっという間に溶けて消えた。
「きみたちのことは聞いている。よろしく頼む」
 しっかりと手を握り込まれる。
 横から、今度はフェイミィの手が伸びた。
「オレはフェイミィ・オルトリンデ。こっちがリネン・エルフト、その隣がヘイリーウェイクだ。オレたちは西カナンからの援軍だぜ……オルトリンデの戦力は、もうこれだけだけどな」
 オルトリンデの名が彼からどんな反応を引き出したか、伺うことはできなかった。何しろ兜からは目元しか見えない。
「悪いんだが、その兜取ってくれないか? 戦いの前に、総指揮官の顔ぐらい知っておきたいんでね」
「これは失礼した」
 セテカは両手で兜を押さえ、持ち上げた。
 元はブラウンだったに違いない、陽にさらされて金色になった髪がぱさりと落ち、中から精悍な男性の顔が現れる。
「セテカ・タイフォンだ。あらためてよろしく頼む」
 空気を入れてふくらませるようなしぐさで、セテカは髪を掻き上げる。
「オレはフェイミィ・オルトリンデ。よろしく」
「セテカ卿…」
「卿はいらない。俺は追放された身だ。父の厚意でタイフォン家の館を使わせてもらってはいるが、捕まれば処罰される身。何もかしこまることはない」
 セテカは笑って手を振って見せた。
 笑顔になると、急に表情の厳しさが和らいで、柔和な顔つきになる。本来なら、毎日笑顔ですごすことが多そうな人のように思えた。
「ではセテカ。西カナン……フェイミィたちから話を聞き、支援にきました。どうか……よろしく」
「よろしく」


「それで、さっそくですがセテカ」
 全員があいさつと握手を終えたあと、リネンが切り出した。
「過去に『征服王』と戦った……ヘイリーの話ですが。抵抗勢力を切り崩すなら、首魁を狙ってくる可能性が高い、って…。つまりは、あなたを。
 わたしたちを……あなたのそばで、戦わせてくれませんか」
 護衛、という言葉をこの男性に使うのは失礼な気がした。対峙して、相手の力量を把握できないほどリネンは未熟ではない。セテカ・タイフォンは――腰のグレートソードは飾りでなく、かなりの手練だ。
 リネンの言葉に、セテカは少し考え込んだ。
「俺は指揮官だが後方にはいない。攻略に出る者の数が限られているからだ。アジ・ダハーカ攻略は陽動でもあるが、やる以上は必ず殺さなければならない。あれを手負いで放置したまま撤退すれば、正規軍の兵士が危険にさらされることになる。かなり厳しい戦いになるだろう」
「分かっています」
「望むところよ!」
 美羽も力いっぱい頷く。
「そうか。きみたちにその覚悟があるなら俺はかまわない。アジ・ダハーカ攻略の他の志願者たちと編成しよう」
 セテカが頷いたとき。
 政務机に設置された卓上無線機が、突然呼出し音を発した。
「――すまないが、席をはずしてくれないか」
 ピーピー鳴る無線機を見つめるセテカの青灰色の目が、厳しさを増していく。どこか予想していた……そして、それが気に入らないといった表情だ。
 美羽もリネンもそこまではまだ読み取れなかったが、彼の身を包む空気が冷たく、固く引き絞られたことだけは分かった。
「行きましょう、美羽さん」
「……あ、うん…」
 ベアトリーチェに促されるまま、ゆっくりゆっくり部屋を出る。
「……ああ、なるほど……分かった…………いや、ない。……そうだ、それなら…」
 ボリュームが最低限に絞られているのか、相手が声をひそめているのか、残念ながら無線機の向こうにいる者の声は聞こえてこない。途切れ途切れに返事を返すセテカの言葉もまた、それだけでは意味不明だ。
 美羽はあきらめ、ドアを閉めた。
 


 やがて完全に陽は落ち、白い月が天空に上る。
 甲冑に身を包んだセテカを先頭に、家屋から漏れ出る光で染まった街路を抜け、濃紺の闇に包まれた荒野へと出撃していく反乱軍兵士と東西シャンバラ人たち。
 だがまさにこのとき、出撃を見計らい、彼らと入れ替わるように2つの影が外壁を飛び越えてザムグの町へと侵入をはたした。
 そのことに気付く者は、まだ1人としていない…。