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リアクション
第18章 決行! バァル捕獲作戦(1)
アナト大荒野に布陣する東カナン正規軍――
軍議を終え、自らの天幕に戻ってきたバァルは、そこで不審者の侵入を感知した。
一番奥の暗がりで、男が1人、片膝を抱いて座っている。
自覚する以上に疲労が蓄積されていたのかもしれない。布をめくり、中に踏み込むまでその存在に気づけなかったとは。
今になって構えるのも間が抜けている。得物は横に置かれたままだ。瞬時に攻撃をしかけてこない以上、暗殺が目的ではないのだろう――そう判断して、バァルは入ってきた姿勢のまま、ただ、めくり上げていた布をぱさりと手から落とした。
月明かりという光源がなくなり、天幕はまたも闇に包まれる。
「おまえは?」
「……トライブ・ロックスター」
答え、トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)は立ち上がった。
バァルが入ったというのにいつまでも天幕が暗いままではおかしい。だが2人分の影が外に漏れてもいけないので、出力を絞って卓上のランプを付けた。
「東西シャンバラ人か」
「そ。でも、反乱軍側というわけでもないよ。まだね」
「よくよく裏切り者が多いのだな、東西シャンバラは」
「裏切りじゃない。自由なんだ、俺たちはね。自分の自由意思で行動するし、仲間としてそれを尊重もする」
声に嘲りを聞き取りながらも、それと気づかぬふりをして、淡々とトライブは答えた。
メラムでのことを考えれば、彼がそう思うのも無理はない。
「俺はシャンバラ人とひとまとめにされるより、トライブと考えてもらう方が好きだな」
「――それで? トライブ・ロックスター。わたしに何の用だ」
バァルは心底から疲れていた。もう何日も、何カ月も続いていた疲労と緊張が、一気にピークにきたようだった。
特に夜は気が滅入り、とても言葉遊びにつき合う気分にはなれない。
しかし次の瞬間――トライブがずばりと放った言葉が、バァルを一瞬で凍りつかせた。
「エリヤくん元気?」
「……おまえ、どこでそれを…」
(まさか、セテカが話したというのか?)
信じられないと、トライブを見返した。面は変わらず無表情だったが、沈んだ瞳、声の揺らぎ。それだけでトライブは十二分に彼の動揺――恐怖か?――を嗅ぎ取ることができた。
(ビンゴ)
どうやら矢はうまく的の中央を射抜いたらしい。
だからといって、それを誇る気持ちには全くなれなかった。はずれていればいいとさえ、願っていたのだ。
これはあまりに悲劇的すぎる。
「それが、あんたがみんなを裏切った理由なわけだ」
トライブの言葉がうまく聞き取れない。
耳鳴りがして、うずくような痛みがこめかみで始まった。偏頭痛の前触れか。
「……裏切りとは?」
「ネルガルの側についたこと」
「それは裏切りではない。東カナンが生き残るための方策だ」
ネルガルのしたことは謀反ではあるが、事実上カナン全土を支配しているのはネルガルだ。そのネルガルにつくことのどこが悪い?
「まぁね。今の東カナンが西や南よりマシっていうのは、あんたの判断のおかげだ。だけどあんたも分かってるんじゃないか? ネルガルの側に正義はない」
「ネルガル殿がどうして正義でないと言い切れる? 正しいか悪かは後世でいくらでも変化する。賢王ネルガルに逆らいその統治を遅らせた西や南が愚かで、従った東が正しかったと史書に載れば、悪は西と南だ」
「それは詭弁だ。そんなことではあんた自身だって騙せない」
なぜなら、目的のために手段を後付けで合理化しようとするのはいつだって悪の側だからだ。正道を選ばず、安易な道を進みたがる。道を外れることに慣れ、倫理を麻痺させることに慣れ、やがては理性のたがを外す。
「目的がどうあれ、あんなたっゆん美女……おっとっと。国家神を封印してカナン全土を砂に変えるという手段は間違いだ」
「そ、そうです…!」
突然、そんな言葉とともに天幕の入り口がまくり上げられた。雑兵が2人、こそこそと中へ入ってくる。
軍帥たるバァルの天幕に、たかだか一雑兵が入ってくるなど絶対に起こりえないことだ。
つまりは、彼らは東カナン正規軍の者ではないということ。
「おまえの仲間か?」
声が鋭さを増し、右手が即座に剣柄を握った。
違うと言えば即座に切捨てると、言外に言っている。
(えーと…。正確に言えば違うんだけど、この場合どう言ったらいいかなぁ?)
「わっ、わっ、トライブくん、それないでしょう!?」
正直に言った方があとあと得策かも。うーん……と真剣に悩むとトライブを見て、わたわた兵の1人が手を振り回す。
「ボクです、姫宮 みことですっ」
ぱふっと音をたてて、兜を脱ぐ。その下からは姫宮 みこと(ひめみや・みこと)のかわいらしい顔が現れた。
「……敵陣で顔を見せるのはいいことではないのじゃが」
みことが正体を現してしまったので、しぶしぶ本能寺 揚羽(ほんのうじ・あげは)も兜をとった。
彼らは正規軍が布陣して早々、天幕を張る混乱の中、歩哨に立っていた雑兵を捕まえ、その軍装を奪って潜り込んでいたのだ。
「おまえたちも東西シャンバラ人か」
「そうです。突然話に割り込んでしまってごめんなさい。
でもバァル、話しているときの自分の顔を、あなたはご存じですか? ネルガルを擁護するあなたはとてもつらそうだ。あなた自身、本当はこんなこと、したくないんでしょう?」
「わたしの意思は関係ない。東カナンがどう生き残るかだ」
バァルの声はどこまでも頑なだ。
「関係あります! 東カナンの人々は、みんな、あなたのことが大好きなんです!」
みことはザムグに来る道中に通ってきた村や町の人々の話していたことを思い出した。
生活の苦境のため、反乱軍を受け入れ、彼らの働きと援助に感謝していたけれど、かといってバァルを悪と罵る者は少なかった。「領主様も苦しまれている」「つらいお立場にいらっしゃる」と、同情する声がほとんどだった。
「あなたが望むなら、彼らは一丸となって起ち上がるでしょう。ですからあなたも起ち上がってくれませんか? 東カナンの人のために」
「……なるほど。セテカの手の者というわけか」
小さなつぶやき。
「さて、バァルとやら。我が国盗りの野望のため――っと、もとい。カナン安寧のため、われらについてきてもらおうか」
聞き逃した揚羽が、不用意に手を伸ばした。
その瞬間。
「あぶない!」
バァルの右手を注視していたトライブが、真っ先に気づいた。
鞘走りの音がして、剣が抜き放たれる。
だがバァルの目標が揚羽にあらず、自分であったことには気づけなかった。
「……!」
飛び出してきたトライブの腹部に鞘で突きが入る。みぞおちを中心に、雷を受けたような痛みが全身を裂き走り、息がつまった。
声も出せず、痛みに痺れる体で横たわった彼の前に、柄頭でこめかみを殴られた揚羽が昏倒する。
「発覚すればどうなるか、覚悟の上でここまで来たのだろうな?」
背後で、なんとか意識を失うまいとしているトライブには目もくれず、バァルは剣をみことに突きつけた。
喉元に迫った抜き身の剣に、みことはごくりと喉を鳴らし……それでもと、強い光を放つ目で真っ向からバァルと目を合わせた。
「……バァル。こんなことをして何になるんです。あなたが心からネルガルに従っているのではないのなら、ここはおとなしくボクたちについて来てくれませんか? あなたが軽々にこのようなことをしているとは思いません。きっと、よほどのことがあるのだと思います。あなたの事情も聞きますし、場合によっては助けられるかも――」
バァルは最後まで言わせなかった。
そんなことなど聞きたくなかった。
だれも自分たちを助けることなどできはしないのだから。
「よけいな世話だ。いきなり現れて干渉してくるよそ者の指図など受ける義理はない。そもそもわたしは助けなど必要としていない」
電光石火、白刃がひらめき、みことの腹部で痛みが爆発する。
何が起きたのか――切られたのか、それとも殴られたのか、それすらみことには分からないまま、彼は一瞬で意識を失い背後の布壁に向かって倒れ込んだ。
ずるずると布をすべり落ち、まるでうたた寝でもしているような姿勢で床に頬をつける。
「本当にそれでいいの?」
背後から小さな少女の声がした。
だれもいなかったはずなのに、とトライブは肌があわ立つ思いで、それでも必死に気絶したフリを続ける。
ぱたぱたと子どもが小走りするような軽い音がして、少女がトライブの足元を通り、視界の先に回り込む。バァルの横についたその少女にはトライブも見覚えがあった。
褐色の肌の少女――女神イナンナだ。
「バァル、あたしを見て!」
イナンナはうなだれたバァルの袖を引っ張り、強引に自分の方へと顔を向けさせた。
「ああ……あなたですか、女神様…」
「彼らの言う通りだよ。あなただって、今が正しいとは全然思ってないのに。ううん、この状況を一番憂えているのはあなた。あなたこそ、一番助けを必要としているはず。
お願い、バァル。彼らと一緒に行って。彼らを信じて。彼らならきっと――」
「助けなどいらないんです、女神様。わたしは、助かりたいとは思っていません」
ただ、だれかに討たれるのであれば、それが東カナンの者であればいいと願うだけ…。
「なぜ?」
「わたしにはその資格がありません」
マルドゥークを、シャムスを、失望させ、東カナンの民までも失望させた。
「あるわ! あなたほどこの東カナンを愛している人はいない!」
「そう。東カナンを愛しています。この身も心も捧げ尽くせるほどに。けれど、エリヤも愛しているんです。魂を地獄に売り渡してもいいほどに」
胸のトパーズを握り込む。
エリヤを思い描いた彼の静かな――そして絶望的な笑みが、イナンナの胸を締めつけた。
彼は最初から……エリヤを差し出したあの日から、そのつもりだったんだ、と。
「……バァルのばかっ! 全然ひとのこと分かってないっ! そんなこと言ってるからセテカがあんな…。
今度だけは絶対セテカの方が正しいんだからね!」
全身で叫び、くるっと回れ右をして、イナンナは天幕を飛び出して行った。
目で追うこともせず。
しん、と静まり返った天幕で、バァルは、こめかみの痛みに耐えながらぼんやりと、もっと見張りを厳重にしろと言わなくては、と思った。
闖入者がこんなにやすやすとたどりつけるのは軍として問題だ。
「だれかいるか」
将を呼びつけ、この者たちを運び出させようとしたとき。
何の前触れもなく、巨大な爆発音が間近で起きた。
近づいてくる反乱軍たちのにおいを嗅ぎ取って、飢えたダハーカがついに魔封じの檻を突き破ったのだ。
キラキラと輝きながら破片が飛び散る中、ダハーカの3つ首が、夜空に歓喜の魔法を放った。
「うわっ」
空振をまともに受け、瓜生 コウ(うりゅう・こう)の乗るスパイクバイクが跳ね上がった。ハンドルをとられたものの、どうにか無様に倒れる前に体勢を立て直す。
「……でかい」
正規軍の天幕の高さをはるかに超えて伸び上がった全長30メートルの竜は、自分を縛りつけていた檻を抜け、荒野へと足を下ろした。
その足音は重い地揺れとなって、反乱軍の元までも届く。おそらくはザムグの町まで。町の者は地震だと思うに違いない。
赤黒い鋼鉄の竜鱗、鋼鉄のヤギ角、背中に広がるは漆黒のコウモリ羽。その口から漏れているのは、炎、氷、雷の息で、剥き出された牙は、ぞっとするほど巨大…。
ふと、飲まれていた自分に気づき、コウはぶるぶるっと頭を振った。
「……こちとら神話の毒龍ニーズヘッグとも契ったんだぜ、伝説の邪竜ごときに負けるかよ!」
「その意気、その意気」
レッサーワイバーンで上空を旋回していた如月 玲奈(きさらぎ・れいな)が応えた。
お気楽極楽、かなり楽観主義的な玲奈は、吼えるダハーカのかっこよさに内心、あの竜に乗って操れたら気持ちいいだろうなぁ……とまで考えていた。こうなるともう完璧竜フェチである。
(でも今回はガマンガマン。そんなこと考えてる場合じゃないもんね)
さすがに空気読めないほどではなかったか、自制心を働かせ、そう考える。
しかし人間の心はとかく移ろいやすいもので、そう思った次の瞬間には誘惑の声に引っ張られてしまう。
(でも……魔鎧にするのはどうかなぁ? あんなきれいな竜だもん。きっと見惚れるくらいカッコイイ魔鎧ができるよね。
そうだ! カインに魂を抜き取ってもらって、近くの町の職人にお願いして――)
「駄目だよね、きっとみんな反対するに決まってるもん…」
とかなんとかつぶやきながらもしっかり手は動いて、カイン・クランツ(かいん・くらんつ)を召喚した。
「よぉ。俺に何か用か?」
空中に呼び出されてもあわてず騒がず、カインは空飛ぶ箒で対処する。
「カイン、お願いがあるんだけどー」
これこれああしてこうしてこうしたいの。
「へーっ、あの竜をなぁ。……くくく、おもしれぇ、手伝おうじゃねーか」
カインも結構悪ノリ好きらしい。にやりと笑ってダハーカを見る。
「けど、いいのか? 他のやつら、もう向かってるぞ」
「……えっ?」
ほら、あそこ。
カインの指差す方を見ると、玲奈とカイン以外の者は皆、ダハーカと、そしてダハーカからは少し距離をとって張られた正規軍天幕の方に分かれて走っていた。
「いや、俺はべつにいいんだけどな」
傍観してるだけでも。
「いくない! 全然いくないよ、カイン!」
大きく旋回させたレッサーワイバーンをダハーカに向ける。
ぱぴゅんッ、とでも効果音が入りそうな猛ダッシュで飛んでいく玲奈に、やれやれと肩をすくめ、カインもまた箒をそちらに向けた。
もちろん魔鎧はそう簡単には作れない。しかし玲奈が、それを悔し涙で身をもって知るのは、もう少し先のことである。
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