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洞穴を駆ける玄王獣

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洞穴を駆ける玄王獣

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第1章 マッピング計画

 シャンバラ大荒野の空は青く晴れ渡り、遮るもののない大地の上を風は悠々と吹き抜ける。
 その大地に覆われた洞穴の中の濁り滞った空気と、そこで起こっている事件など知らぬ顔で。

「……。さすがに、地図はないなぁ」
 魔道書『パレット』は、洞穴内から持ち出してきた石盤を地面の上に並べ、しゃがみこんでそれを瞠目して何度も何度も読み返した上に仕方なさそうに呟いた。
「そりゃあ、洞穴案内のつもりで設置した石盤じゃないだろうだからな」
 ぶすりと、魔道書『揺籃』(匿典『暗黒の揺籃』)が隣で呟く。二人の魔道書の周りを、攫われた魔道書『ベスティ』(異書『ベスティアリ異見』)の中に戻れず取り残された、書としての彼の一部である動物たちが神妙な様子で取り巻いていた。動物なりに皆、心配そうな様子に見える。
 動物たちの一部は、洞穴内に玄王獣やベスティの幻獣を追っていく契約者たちに貸し出されている。追跡に回る彼らの多くは、事態を重く見て一刻も無駄には出来ないと、早々に洞穴内に入っていった。
しかしその一方で、
「情報を共有して、洞穴内の地図を作った方がいいな」
 と、各々の持つHCやテレパシーで情報を送信し合って、広大で迷いやすいらしい洞穴内の地図を作製する打ち合わせをも、なされていた。

「この破片を何とか合わせて、読み取れないかなぁ」
 清泉 北都(いずみ・ほくと)は、パレットの隣にしゃがみ込んで、壊れた石盤の破片を辛抱強く繋ぎあわせようとしていた。
 事態収拾の要で、獣たちと違って移動することのない祠。その位置を割り出す手がかりが、石盤にまだ書かれているのではないかと北都は考えていた。パレットが解読した封印方法より先は割れて破片となっており、無事な部分もひびが入ってその亀裂が文字を刻んで読めないものにしていた。北都の頑張りには敬意を表すが、内心パレットは、その石盤には封印に関する文言しかないのではないかと見切りをつけていた。読める部分から察した文調が変わっている様子がない。使われている文字も、古代呪術に使われるものであるようだ。
 だが、『博識』で文字を懸命に解しながら追っていた北都の、字をなぞる指先が止まった。
「これ……」
 何かが見つかったらしい声音に、慌ててパレットが覗き込む。二人の頭の上から、北都のパートナー・クナイ・アヤシ(くない・あやし)も石盤を覗いた。
「! “西”……“東”、って……」
 方角を示すらしき言葉が見い出されたのだ。これは収穫に繋がるかもしれない。パレットも北都に続くように、ひび割れに悩まされながらその個所の解読を試みた。

――『風は西より 水は東より』

 辛うじて、それが読み取れた。
「これは、封印に必要という水と風の気のことだね、きっと」
「風は西……ってことは、祠のある場所の西側に、風の通る口があるってことなんだろうな」
 普通、地中の洞穴に風は入らない。何らかの術によって風の気を作り出すことはできようが、よくよく考えれば何千年も『塵芥を祓う』ような清々しい風の流れを、人がいるならともかく無人の洞穴の奥で人工的に作り続けるのは至難の業だ。自然の風が通るよう、工夫がなされていると考える方が普通だろう。それは風の通る穴で、それが祠の西にある……
「だとしたらその穴は、地上に対して開かれているはずですから、洞穴の外から探すことができるかもしれませんね」
 クナイがそう言って、辺りを見渡す。広がるシャンバラの大荒野は、目印も何もない乾いた大地だ。どこに洞穴と繋がる穴があるかなど分からない。地中に出ていない洞穴内部の広さが分かっているのなら、そこから多少なりとも検討はつけられようが、それが今はまだ分からない。
「とりあえず、この入口より西に在るものと考えよう」
 言いながら、揺籃が常に着ている黒いロングコートを脱ぐと、それが闇色の四足の獣の姿に変わって地に降り立つ。獣は揺籃が言葉にせずともその意志を了解していて、すぐさま駆け出した。実体のない獣の足の速さは、悪路にも空気抵抗にも疲労にも妨げられない分、並みの動物の足を凌駕する。
「異変のある場所を見つけたらすぐ知らせる」
「私もその場所を確認しましょうか」
 クナイがそう言って翼を広げた。
「地図を作るにはその方がいいでしょう。ここの真上からでも、入り口との位置関係は掴めます」
 洞穴入口でも、敵が来ないとは限らない。『禁猟区』を展開してよもやの襲撃に備えている彼としては、北都や魔道書達がいるこの場を大きく離れることは避けたいところだが、真上に上昇する程度ならそれほどの心配はない。上空に上がっていきながら、西へと奔っていく黒い影を見失わないよう目を瞠った。


「なるほど、水は東より、か」
 アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)は、石盤から新たになった情報を聞いて呟いた。
「その言葉通りなら、地下水の源は洞穴の東にありそうだな」
 アルツールは、地水火風によって成立するという封印を、洞穴を一種の魔方陣に見立てて、祠を要として4つの属性をめぐらせることで完成するものと推測していた。
 祠が機能していない今、足りているのはこの地にもとより備わっている「火」と「地」の要素だけであると考えられる。そこで、「水」と「風」が必要と考えた彼は、洞穴内部に湧き出ているらしい地下水の源を探ろうと思案していた。漠然としたものであるが、その場所へのヒントが見つかったということになる。
「では、探索を優先するということか」
 パートナーのシグルズ・ヴォルスング(しぐるず・う゛ぉるすんぐ)が、探索のために借りたフクロウを手に乗せて尋ねると、アルツールは軽く首を振った。
「いや、表向きは玄王獣の追跡を装う。おおっぴらに水源を探す様子を感知されて、向こうが封印の準備を邪魔したり強硬手段に出たりするのを防ぎたいのだ」
「ふむ」
「もちろん、出くわしたりすれば戦いは厭わんが、封印の準備ができるまでの時間稼ぎに徹したいと思う」
「分かった。『殺気看破』は任せろ」
「頼む。それから君もな」
 そう言ってアルツールは、シグルズの手に留まったフクロウに話しかけた。分かっているのかいないのか、フクロウは身じろぎせぬまま、首だけをぐるっと半回転させる。言葉を離さない相手だけに、大丈夫なのだろうかと少々戸惑いシグルズではあったが、ちゃんとこちらの意を酌んでくれる……というパレットらの説明を取り敢えず信じようと思った。そうでなくては始まらない。
「では、行こうか」
 フクロウを乗せたまま、シグルズがアルツールの先に立って、洞穴内へと入っていった。


「もしかしたら、石盤は他にもあるのではないでしょうか?」
 藤崎 凛(ふじさき・りん)が、黒い獣の帰りを待つパレットにそう言った。
「洞穴の中に、ってこと?」
「えぇ。パレットさんが持ってきた石盤にも、読めない部分を含めてたくさんの情報が書かれていたみたいですし……。もっと多くの、記して残すべきことがあったとしたら、まだ洞穴の中にそういう石盤があるんじゃないかと思うんです。
 私、祠へ向かう途中に探してみます。皆様にもお話して、注意していただいて……」
「ありがとう。けど、この中は有毒な瘴気が強い場所もあるから。どこにあるのか、それともないのか分からないような石盤探しにあまり時間をかけると、下手すると体を損なうよ」
 心配するようなパレットの言葉に、凛はしかし柔らかに微笑んで見せた。
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですわ。これでも私、契約者ですから。
 白颯を鷹勢さんのもとに無事に返してあげるために、精一杯のことをしたいんです」
「リン……」
 パートナーのシェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)が傍らから声をかける。口にこそしなかったが、彼女もパレットの注意したことは気になっていた。その心配が分かったらしく、凛はシェリルを見上げた。
「私は戦う事は得意ではないけれど、契約者ですもの。
 沢山の人を危険から守るのも、一人の人の心を守るのも……大切な事よね?」
 笑顔だったが、眼差しにも声の奥にも、一本筋の通った強いものが感じられた。
 パートナーロストで悲しい思いをした鷹勢のもとに、何としても白颯を返したいという、強い気持ちがあった。
 その真っ直ぐな思いが眩しくて、そこまで純粋な思いが持てないと感じている自分への自嘲も微かにこめて、シェリルは薄く苦笑する。
(でも……リンの真っ直ぐな気持ちを、私は守るよ)
「そうだね、リン」


 やがて、黒い獣は戻ってきた。彼が感じたことや見たことは、すべて揺籃が把握していた。
「風穴の跡らしきものは見つけた。だが、穴の内側で岩盤が崩落していて、そこから入ることは難しそうだ」
「内側の様子も分からないからね……入れたとしてもそこから祠までどれくらい距離があるのかもわからないし」
「けれど、おおよその位置は把握しました。マッピングに反映させられます」
 上空から降下してきたクナイが言った。彼の確認した位置を、その場に残って行程を相談していた祠修復組の契約者たちの中でHCを持つ者は、マップに入力した。先に行った、追跡組のHC所持者のそれにも、情報は送信された。
 その送信状況を見るに、どうやら今のところ、洞穴内でもHCの電波は問題なく届いているようだ。

 そうして、契約者たちは皆、洞穴内に入っていった。
 残された小動物を守る魔道書達を入り口に残して。



「どうした、パレット?」
 揺籃が、眉根を寄せて唇をとがらせているパレットに声をかけた。彼のコートから生じる例の黒い獣は、祠修復組についていった。外側から風穴と思しき穴の跡を見ているので位置確認の助けにしてほしいというのと、何かあった時には戦力の足しに、ということである。
「何か腑に落ちない点でもあるのか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、なんだか……
 水と風が必要な封印って、あまり聞いたことないから、不思議だなぁと思ってさ」
 石盤を手に、パレットは唸った。
「俺の勝手なイメージかも知れないんだけどさ。
 水とか風とかって、封印、というよりむしろ――」