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【逢魔ヶ丘】結界地脈と機晶呪樹

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【逢魔ヶ丘】結界地脈と機晶呪樹

リアクション

「この家……なんでここだけ、壁に落書きがされてるんだろう?」
 旧集落の中を一人歩いていた弥十郎は、ある一軒の家に目を留める。
 不気味な薄暗さの中に沈む家々の姿。蔦の壁が開かれ、忘れ去られたすたれ具合は、残酷なまでに明らかに訪問者の目に映る。
 その中を、弥十郎は、探していた。

 以前、この島の会議に来ていた時から考えていたこと。
(守護天使が「白」、悪魔が「黒」……だとすれば、間に子供が生まれれば「灰」色)
 その、「灰色」の仮説の正誤を確かめるすべが、ここのあるのではないかと考えたから、体への負荷の辛さもおしてここまで来たのだった。

 一軒だけ、普通に寂れているのとは少し違う、他者からの貶めを受けてきたようなその佇まいが、弥十郎の注意を引いた。
「……うん、何かありそうだね」
 中に入る。特に奇妙な点は見当たらない、普通の人家の応接間のような部屋がある。
(……さて。何かあるかな)
 【神の目】を使い、隠されたものも探しだそうと、弥十郎はくまなく室内を見て回った。埃をかぶった調度品、変色した本棚の本の数々。朽ちて落ちかけた窓枠や床の板敷。
(そういえば、灰とかいってたねぇ。ん? 暖炉の壁とかに隠したら、火を炊いた跡の煤とかで隠したのが見えなくなるかもしれないねぇ)
 そんなことまで考えながら、暖炉のそばに近寄る。古風なマントルピースの上に、小さな本が置かれている。何気なく手に取り、埃を払ってぱらぱらとページをめくってみる。

「あ……日記だ、これ」

 裏の見返しに、「アンディス」という署名があった。書いた人物の名だろう。
 弥十郎はそれを読み始めた。






『…月…日
 ユクシアは今日もあの怪我人に付き添っている。
 魔族を恐れもせず、また偏見も持たないのは、さすが私たちの自慢の娘である。

 と素直に喜べればいいのだが、近隣の人々の目が冷ややかなことは否めない。
 娘は、あの人は悪い人ではない、と言っている。
 周囲の視線を気にせず、自らの良しとすることを真っ直ぐに実行している娘を褒めたい、という親心はあるのだが……』

『…月…日
 長老府の役員たちがピリピリしている。
 オーブルの言動を気にしているらしいが、詳しいことは分からない。
 彼が自分の失くし物を探すのがそんなに悪いことなのかと、あの物静かなユクシアが義憤を訴える。
 答えてあげたいが、私も妻も、その失くし物の在り処は知らないのだ。
 長老府に聞いても、それについては誰も教えてくれない』

『…月…日
 ユクシアの中に新たな命が宿った。
 オーブルとの仲は、この島の誰にも祝福はされまい……
 何故だろう、あの子がまだ「小さなユクシィ」と呼ばれていた子供の頃の姿ばかりが脳裏に蘇ってくる。

 ユリスと2人、一晩中悩んだが、心を決めた。
 親である私たちだけは、娘の決断を祝福してやろう、と』

『…月…日
 夜は息を飲んだように静まり返っている。
 生まれた赤ん坊は、純潔の守護天使ではない。しかし悪魔のようにも見えない。
 私たちは何を恐れていたのだろう、というくらいに、ただ愛らしく、いとおしい存在だった。
 ユクシアが生まれた時と、全く同様だった。
 私たちの孫だ。愛する孫だ』 

『…月…日
 オーブルの話は難しくてよく分からないが、彼が娘と孫のために、この島の住民と共存しようと努力していることだけは伝わってきた。
 それがあの、顔のような盛り土の中に築く施設なのだろうか。
 しかし、長老府や自警団は、彼が何か危険なものを作ろうとしていると考えているようだ』

『…月…日
 ユクシアとタァメリカを、例の、オーブルが何やら作っている場所に避難させた。
 家に落書きをしたのは自警団の新入りの若者たちだろうと見当はついているが、何も言うことができない。
 今日は何者かに窓から石を投げ込まれた。
 乳飲み子のタァメリカに何かあってからでは遅い』

『…月…日
 ユリスと夜中まで話し合った。明日になったら私たちも丘に行こう。
 島の方針は、住民として分からないわけではない。
 だが、今ユクシア達に向けられている仕打ちはもはや虐待である。
 娘よ、声高に怒りの声を上げられない、不甲斐ない我々を許してくれ』








『…月…日
 なぜもう1日早く、決断できなかったのか。
 あの日、丘に向かった我々を待っていたのは、夥しい血だまりの中横たわる母子の姿。
 あそこにいた自警団――ラベラト団長は、「オーブルが錯乱して妻子を殺し、逃げた」と言った。

 以前の私たちならそれを信じたかもしれない。

 だが、今の我々は都合よく目をつぶることはできない!!

 たとえ何か心乱れたとしても、オーブルがあれだけ愛した幼いタァにまで手を上げるとは思えない。
 それに、あそこにあった、不自然なもう一つの血の跡……
 大量の血と、何かを引きずったような跡がどこか遠くへ続いているのを、私は確かに見た。

 もう何を恐れることがあるだろう。はっきり記しておこう。
 ユクシアとタァメリカを殺したのは自警団だ。
 その罪を、オーブルになすりつけて。
 遺体は見つからなかったが、恐らく、オーブルも私刑され、永遠に口を封じられたのだ。

 娘と孫娘を弔って後、妻の心は壊れてしまった。
 私たちがナラカであの子たちに会う日もそう遠くはない……

 その日までどうか、待っていておくれ、私たちの“ユクシィ”“タァ”』 










「……」
 長老の家の前では、マティオンが、北都の持ち出した例の警備記録の手帖を読んでいた。
 読み終わってからも、長い沈黙を守っていたマティオンは、突然大きくため息をつき、肩を落とした。
「“ラベラト”は、私の先祖だ。名を聞いたことがある」
 呟くようにそう言うと、震える手で持った手帖を見下ろした。

「今ようやく分かった。『一族の恥』とは、悪魔と通じた同族の女とその子供を殺した――それだけではない。

 よりにもよって悪魔の所有物を使って島を守る結界を完成させ、それを探してやって来た所有主を手にかけた、ということだったのだ……!!」





「おい!」
 先にさっさと入っていった弥十郎を、蔦をあらかた片付けてから探して追ってきた八雲は、ようやく追いついて声をかけた。
「あ、……」
 振り返った弥十郎の頭を小突く。
「お前、何をさっさと……一人で楽するな。こういう時は助け合うものだ」
「すみません」
 あっさり謝られたところで、八雲は改めて、弥十郎が佇んでいたその場所を見渡した。
「ここは?」
 すぐ横に、家屋の壁。生い茂る草、大きいが枯れかけた木。
「この家の裏庭……に、なるようですね」
 裏庭とはいっても、柵が壊れていたせいか簡単に入れる。
「裏庭…って、! これは……」
 その庭に、4つの……明らかに何か、不吉なものを連想させる「塚」があるのを見て、八雲は束の間顔をこわばらせる。
 兄に説明するのは後にすることにして、例の日記を手に、弥十郎はしばし、黙とうを捧げた。






「あれは……」
 空中で蔦を相手に囮役を演じていたクリストファーは、山道の向こうの空から飛んでくる守護天使の一団を見つけた。
「もしかして、援軍?」
 とはいえ、竜尾蔦はすでに、最初に来た天使たちや契約者たちの奮闘で、大分刈られて切られて大人しくなっていた。
「多分、旧集落跡から出た資料や何か、役に立ちそうな発見物を運び出すための人員じゃないかな」
 確か出発前にそう言っていたし、と、横に並んだクリスティーが返す。
「あぁそう言えばそうだったな。
 ……そんなに沢山の収穫があったのかな。だったらすごいな」
 そう言ってドラゴンの背から、クリストファーは、眼下の蔦に囲まれた集落跡を見下ろした。
「今回の件の解決に役立つ発見があったならいいけどね」
 クリスティーもそう同調して、同じように集落跡を見下ろす。

 巨大な植物に取り巻かれ、薄暗く寂れた、旧集落。
 そこにどんな真実が眠っていたのか、まだ2人は知らない。