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リアクション
ニルヴァーナの繁華街から少し離れた閑静な場所に、広めの庭を持つその家はあった。
洗練された避暑地のロッジ風な佇まいを持つ家の、木製のドアを開けて出てきたのは、儚げな容姿と冷たげな雰囲気を持つ早川 呼雪(はやかわ・こゆき)であった。
「やあ、よく来たな。香菜」
「こんにちは、早川さん。ご招待、ありがとうございます。それにしても、素敵な家ですね?」
「ありがとう」
学校は違えど、呼雪は香菜を気に掛けていてちょくちょくと話をしたりしていた。謂わば先輩後輩の間柄だ。
「うむ。貴公の要望通り建ったみたいだな。落ち着く雰囲気だ」
「ああ! セルシウスも! こんな良い家を建てて頂けて感謝しています」
呼雪は、設計の相談以来となるセルシウスとの再会に喜ぶ。
「構わぬ。持ち主が望んだ家を建てるのは設計士として当たり前だからな」
「うん。確かに……」
先ほどの菫とパビェーダの家を思い出しつつ、香菜が同意する。
「いえいえ、何でもセルシウスさんは俺の家だけじゃなくて、街のかなりの家を設計されたと聞いています。アスコルド大帝がこの街を訪れる日が楽しみですね」
セルシウスが苦笑する。
「そうだな。そう言われると、仕事にもやりがいがある」
「さぁ、立ち話も何ですから、どうぞ中へ。まだやって来たばかりだから少し散らかってるけど。家の中を見ていって下さい」
呼雪はそう言って、香菜とセルシウスを家の中へ招く。
「お邪魔します」
香菜は中に入ると、「わぁ」と感嘆の声をあげる。
「外から見る以上に、中が広いわ」
「まだ出来たばかりで、あまり家具も揃っていないから妙に広く感じるだけだよ。これからどんな風に家具を配置していくか考えないと」
香菜が言った通り、まだ室内には家具等の置かれていない空白部分が多い。にしても、呼雪の空間利用法が上手なのか、室内の広さが目立つ。
「そうかしら? でも、この家、本当に素敵だわ」
うっとりした表情を見せる香菜。真面目なように見えても、香菜もそこは年頃の乙女である。綺麗な家に綺麗な男の子がいるような、漫画のような世界に憧れがないわけではない。
「メイドさんとか出てきそうよねー」
「いらっしゃーい♪」
香菜に向かって、金のロング髪をなびかせ走ってくるメイド服……に身を包んだ褐色の男。
「あ、メイ……ドぉ!?」
上ずった声の香菜の前で急停止し、メイド服のスカートの裾を少し持ち上げて『ご挨拶』したのは、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)であった。
「香菜ちゃんに、セルシウスさん! いらっしゃーい!」
「うむ。ヘル殿か」
家の中を見ていたセルシウスが会釈する。
「いよいよ建ったよ、僕達のマイホーム!! 普段寮暮らしだし、こういう自分達だけの家って良いね! セルシウスさん、ありがとうございます!」
「喜んでもらえて光栄だ」
「香菜ちゃんも、ゆっくりしていってね! ……あれ? 香菜ちゃん? どうしたの?」
「……何でメイド服なの?」
香菜がヘルの衣装を指さす。その声には『幻想を打ち砕かれた怒り』が少しこもる。
「え、なんでメイド服かって? だって、やっぱり家事をする時はコレですよ! あぁ、呼雪! お茶の用意は僕の仕事だって言ったでしょ?」
キッチンで湯を沸かそうとしていた呼雪に向かって、駆けていくヘル。
「そうだったか?」
「ったく、キッチンは、僕……じゃなくてメイドの聖域なんだよ。食器やスパイスの瓶の一つまでキチンと配置を決めてあるんだから」
姿とは相反してテキパキとお茶の準備を始めるヘルを、苦虫を噛み潰した表情で香菜が見ている。
「じゃ、僕はみんなが家の中を見てる間に、テラスでお茶の準備をしておくよ」
「……と言うわけだ。俺が案内するよ、香菜。さて、どこから……」
呼雪は、腰に手を当てて室内を見渡す。
「こっちの部屋は何かしら?」
家の中を見回っていた香菜がヒョイと覗きこんだのは、真っ白のカンパスや絵の具、筆といったものが置かれている部屋であった。
「俺のアトリエさ。ここなら、どんどん創作意欲が湧いてくる気がするんだ」
「早川さんらしいわね」
香菜がクスリと笑う。
「ん?」
「だって、家具がまだ殆ど揃って無いのに、画材だけはしっかりあるんだもの」
「そうだな……いや、今の内に描いておきたいなと思ってな」
「何をだ?」
セルシウスが尋ねる。
「描きたいモノは沢山あるのだけど……この街……かな?」
「街……」
「街を描くために家まで建てるなんて、素敵だわ……」
香菜がウンウンと頷く。
「そうかな?」
「はい! だって、洗練された落ち着いたアトリエ付きの家。それに素敵な庭のテラスから漂う紅茶の匂い……」
「色んなお茶を用意してるけど、秋口だしアップルティーが良いかな? お茶菓子はジャムを載せたたクッキーとフィナンシェ……ああ、僕って何て使えるメイド!!」
「あぁ、ヘルの用意が出来たみたいだ……さぁ、お茶にしよう。香菜?」
呼雪がまた固まったままの香菜に呼びかけていると、セルシウスは、背後に何やら視線を感じる。
「!?」
バッと振り向くセルシウス。しかし、そこには誰もいない。
「(……気のせいか)」
テラスのテーブルクロスがかけられた机の上には、ヘルが用意した見事なティーセットが湯気をゆっくり立てていた。
「……美味しい。悔しいけど」
アップルティーを飲んだ香菜が複雑な表情を見せる。
「でしょ? コレ高かったんだからね。香菜ちゃんが来るって言うから奮発したんだ」
「……ヘルさん、せめてメイド服じゃなく執事服にしません?」
香菜とヘルが話す横で、呼雪とセルシウスは、庭先から見えるアディティラーヤを一緒に見上げていた。
「ここもどんどん変わっていくんだな……」
「いや、変えていくのだ。貴公や私がな」
呼雪はセルシウスに微笑むと、かつてこの地が戦場になった事等を思い出す。
「そうだ。香菜? ちょっと見て欲しいものがあるんだ」
「はい?」
そう言うと、呼雪はアトリエへと姿を消す。
「さて……」
セルシウスが席から立ち上がる。
「私は打ち合わせに一旦仕事場へ戻らねばならぬ。ご馳走になったお礼はまたの機会にでも」
「いいえ、セルシウスさん! これくらいのサービスはメイドとしては当然だよ。ううん、足りないくらいだね」
セルシウスは笑ってヘルに挨拶し、立ち去ろうとするが……。
「ムッ!?」
テラスから家の中を見て、身構える。
「どうしたの?」
「今、また何か横切った……」
「猫?」
「いや……犬や猫ではない。もっと大きかった」
話を聞いていたヘルが、何かに感づく。
「まさか……」
セルシウスの目に物陰から出てくる物体が映る。
「さては盗人か!! ぬおッ!!」
跳びかかるセルシウス、ドタバタと格闘する。
「何してるんだ?」
アトリエからカルトンを持って出てきた呼雪がセルシウスに呼びかける。
「見てわからぬか! 貴公の家を徘徊する輩だ!!」
「……? その絵は俺のだ」
「絵……え?」
セルシウスが捕まえたのは、ジェイダス理事長が描かれた肖像画であった。
「ああッ! やっぱり!! 動く肖像画! なんでここにまで連れて来ちゃうの!」
頭を抱えるヘル。その前をセルシウスの腕から抜け出た肖像画が、モデルの人物よろしく優雅に歩いて行く。
「貴公が描いた絵は動くのか?」
「褒めるなよ……照れる」
「モデルがモデルですしね」
香菜が紅茶を飲みながら呟く。
× × ×
セルシウスが帰り、動く肖像画がまた家の中を徘徊し出す中、呼雪はカルトンを香菜に見せる。
「アトリエで昨晩完成した絵なんだ」
カルトンから中身を出して香菜に見せようとした時、丁度セルシウスを見送っていたヘルが戻ってくる。
「……って呼雪、それ香菜ちゃんに見せちゃ駄目でしょ!!」
絵を見せようとするのを慌てて阻止するヘル。
「……力作だが」
「駄・目!!」
ヘルに止められ、仕方がないので結局しまう呼雪。香菜はその絵が何だったのかとても気になる様子のよう。
「アディティラーヤか……」
急に真面目な顔で、アディティラーヤを見つめる呼雪。
「え?」
「香菜にとってもある意味因縁の場所だけれど、良い街になって欲しいな」
「はい……」
香菜もまた複雑な顔でアディティラーヤを見つめる。
「(彼女があの要塞の監獄塔で彷徨っていた頃はどんな感じだったんだろう? インテグラルクイーンに憑依されていたから殆ど覚えていないかも知れないが……)」
呼雪はそんな事を考えながら、
「何か感じた事があるなら、後々経験として役立つ時もあるかも知れないな」
「……」
「(勿論、当面の困難や危機が去った訳ではないけれど……)」
呼雪は今なら、香菜に「お前なら大丈夫だ」と信頼をこめて言える気がしていた。責任感の強いまま、以前のように強がるだけじゃなく、人に助けを求められるようになった香菜なら……。
「俺に手助けできることなら言ってくれ。ヘルと一緒に、香菜の力になるから」
「本当? じゃあ……」
香菜が真面目な顔で呼雪に尋ねる。
「あのカルトンの中身何だっだんですか? 私、気になります!」
呼雪は微笑んで、カルトンをまた傍から取り出す。お湯を取りにキッチンへ戻っていたヘルがタックルで阻止する、ほんの十秒前の出来事だった。
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